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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第5巻 通史5上 (接収物返還運動)

接収物返還運動 占領軍による札幌進駐については、第一章の「占領下の市政と行政」に詳しい。,接収物件(PD物件)は、札幌特別調達局が窓口となっていたが、建物・土地・その他にわたり、全道では二三五件,二十七年四月二十八日の講和条約発効前後から、接収物件についての返還解除されるべき物件に関しての『道新』,個人住宅等は九年間の長期接収のため辛酸をなめさせられたという逸話も後日談として残されている。,札商ビルは、札幌グランドホテルと同時期の二十年十一月、占領軍に接収され、憲兵隊本部として使用されていた / 接収物返還運動
新札幌市史 第4巻 通史4 (会堂の接収と終戦)

会堂の接収と終戦 教職者の拘留・裁判のほかにも、教会堂の接収や教職者の徴用は、教会活動に直接の制約を,会堂の接収では、まず昭和十八年、陸軍被服本廠札幌出張所が、日本基督教団北海教区に二カ所以上の施設提供を,さらに翌年、被服本廠のもう一カ所の倉庫として大通教会(独立教会)の会堂が接収され、カトリックの北一条教会,の伝道館も接収された。 / 会堂の接収と終戦
新札幌市史 第5巻 通史5上 (進駐軍の民間施設接収と破壊)

進駐軍の民間施設接収と破壊 昭和二十年十月五日に札幌に移駐した進駐軍は、北海道拓殖銀行本店や札幌逓信局,など主だった建物を接収し市内各所に分散した。,旧軍施設や役所だけでなく、民間企業の建物や個人住宅も接収した(第一章第一節参照)。  ,接収施設は、次々と増大し、松竹座や円山球場、総合グラウンド(昭21・5・10接収)は、米軍専用となり、,接収された個人住宅は植物園近くの伊藤豊次邸、円山の醸造業者斉藤甚之助邸、中島の西鷹二邸など市内有数の邸宅 / 進駐軍の民間施設接収と破壊
新札幌市史 第5巻 通史5上 (占領軍による札幌の衛生調査と接収)

占領軍による札幌の衛生調査と接収 二十年十月五日、第八軍第九軍団第七七師団が札幌に進駐した。,八月下旬に札幌入りした先遣隊の事前調査を参考にして十月初め、進駐軍は建物接収を行った。,つは水洗便所を備えた洋風建築であったが、米軍が検分する際に「家族が伝染病で寝込んでいる」と嘘言を使い、接収 / 占領軍による札幌の衛生調査と接収
新札幌市史 第5巻 通史5上 (第二次公職追放(地方パージ)と札商ビルの接収解除)

第二次公職追放(地方パージ)と札商ビルの接収解除 二十一年一月四日、GHQはすでに公職追放指令を出していたが,ところで札商ビルは、グランドホテルとともに米軍に接収されたことから、二十年八月末に時計台に移転し、翌年九月市役所内,二十七年九月札商ビルは接収解除となったが、返還された建物はすさまじく荒れていたために、札商は復旧工事を,札幌商工会議所家屋原状回復に伴う国家補償要求見積額調書」とともに、一六八六万七二九六円を要求し、「家屋接収以来転々,その結果、二十八年九月、管理費として一二二万一一五九円、二十九年二月、接収不動産および動産の国家補償金 / 第二次公職追放(地方パージ)と札商ビルの接収解除
新札幌市史 第5巻 通史5上 (先発隊の派遣)

、連合軍総司令部からカーペンター大佐ら五人が千歳に空路乗り込み、札幌グランドホテルほか、主要な建物の接収,十月一日来札の第九軍団設営主任のブライヤー大佐は、「道側の差し出した接収建物リストは問題にせず、直ちに,デパート屋上航空灯に上り、道庁、逓信局、グランドホテル、大同生命ビル、市役所など主だった建物を次々と指示、接収,ただ、道庁と市役所は行政の混乱を招くとの陳情が功を奏し、接収をまぬかれた。,写真-1 中心部の接収建物調査
新札幌市史 第5巻 通史5上 (第九軍団の進駐)

のちに二号館の半分も接収された。,月寒の兵舎・陸軍病院などの施設、駅前の山形屋旅館や定山渓温泉の旅館、三越百貨店なども接収された。,高級将校の宿舎として、洋風に建てられていた個人住宅も接収された。,昭和二十一年になると、五月に総合運動場、六月に体育会館と中島公園水泳場が接収された。,(表1) 表-1 占領軍接収建物 接収建物名 用途 拓銀本店 第七七師団司令部 拓銀頭取公宅 高級将校住宅
新札幌市史 第5巻 通史5上 (三越札幌支店従組の経営管理)

ところが、声明書を店頭に張り出し経営管理に入った十七日午後、二十日までに全館明け渡すようにとの米進駐軍の接収命令,二四日建物明渡シ期限ニ対シテ多大ノ温情アル取計ヒニヨリ其ノ後数日出入ヲナス便宜ヲ得」て、先に進駐軍が接収,丸井札幌支店(昭23本店)にまだ組合はなく、店内には、建物を接収された札幌逓信局が同居していた。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (敗戦直後札幌の諸教会)

ただ、札幌市内には陸海軍によって北光・大通・北八条・天主公教北一条の各教会が、会堂などを接収されていた,▼……会堂または構内の一部を接収された教会。  ,単立の大通教会(独立教会)は九月に陸軍の接収を解かれたが、昭和二十年十月には占領軍のカトリック用の礼拝堂,北八条教会の会堂、カトリックの北一条教会の伝道館も接収が解除された。  
新札幌市史 第4巻 通史4 (戦時体制と幼稚園)

私立北光幼稚園では十八年三月に教会堂や牧師館とともに園舎も陸軍被服廠札幌出張所に接収された(創立60周年記念誌,私立堯祐幼稚園も二十年四月に施設転換し、堯祐国民保育所となったが、園舎は敗戦直前に海軍に接収された(同前
新札幌市史 第5巻 通史5上 (札幌市と軍政)

進駐直後に新設された渉外課の事務内容をみると、「物品購入」「建物接収及借用」「調査」「設備」などの連絡,その後は、市有地・建物の接収・解除、「総司令部要人の来札」時の渉外関係などのほか、「街娼」問題があった
新札幌市史 第5巻 通史5上 (進駐軍病院と札幌の歯科医師たち)

進駐軍病院と札幌の歯科医師たち 医療衛生関係機関の接収と駐屯状況をみると次のようであった。,進駐軍衛戍病院を設置するため二十年十月二十五日には庁立女子医専に校舎を貸与していた北星高等女学校(南5西17)を接収,中枢の病院は二十年十月三日、札幌逓信局(北1西6)を接収し、第九軍司令部とともに開設した第一六一病院で
新札幌市史 第5巻 通史5上 (日本軍隊の解体)

北部軍司令部も接収され、ここには第三〇七混成部隊と第三三四経理洗濯部が入った。  ,こうして接収が一段落した十一月二十日、北部軍は正式に解散した。  
新札幌市史 第5巻 通史5上 (逆コースと新たな社会問題)

豊平町真駒内に近い石切山の射撃場のほかに西岡、滝野に月寒演習場が設定され、有明にも豊平演習場が設定され、土地を接収,表-1 札幌近郊接収地(昭和27年) 面積 関係農家数 石山射撃場 299町歩 4戸 月寒演習場 2,566,図-1 昭和27年,駐留軍に接収された豊平町(現札幌市)演習地 (道新 昭27.9.13より作成)
新札幌市史 第5巻 通史5上 (医療・教育政策)

占領軍は、建物接収にあたり、水洗便所を備えた洋風建築を第一条件とし、真駒内米軍基地に水洗便所を完備するとともに,そればかりではなく医療・衛生関係機関への駐屯・接収後、復員者のマラリア調査を行ったり、野戦病院、衛戍(,えいじゅ)病院のほかに、将校専用の病院等、医療機関のための建物接収も少なくなかった。  
新札幌市史 第5巻 通史5上 (キャンプ・クロフォードの建設)

占領軍の強い意向のもと、日本側の月寒などの代替案を蹴って、五月、元道立種畜場が接収された。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (〔陸海軍病院から国立病院へ〕)

〔陸海軍病院から国立病院へ〕 軍事保護院の病院・療養所および陸海軍病院は、一旦GHQに接収されたが、
新札幌市史 第5巻 通史5上 (開拓地の諸相)

このうち有明地区は戦後アメリカ軍によって接収されたが、接収解除後に地元の三二戸に対して約一五〇ヘクタール
新札幌市史 第5巻 通史5上 (連合国軍の札幌進駐と北海道地方軍政部)

札幌への進駐もその直後に開始され、日本側の建物が次々と接収された。,でいえば、北海道帝国大学低温科学研究所が衛生大隊に、北海道第一師範学校が通信隊に、北星学園が病院として接収
新札幌市史 第5巻 通史5上 (清涼飲料)

コカコーラ エクスポート コーポレーション)職員が大同酒造(北3西25)を進駐軍向けコカコーラ製造用に接収
新札幌市史 第5巻 通史5上 (料飲店の営業再開)

この年、二十五年四月に接収解除となった料亭「いく代」も、全面改装の後に営業を再開している(道新 昭26
新札幌市史 第5巻 通史5上 (終戦直後の状況)

札幌にあった一一館は全て無傷であったが、その中で松竹座(南四西三)が米軍に接収され、「マックネア・シアター
新札幌市史 第5巻 通史5上 (観光事業の復活と振興)

記念式典の会場となった大通が整備されたのに続いて、二十六年には大通の西三丁目の西側と四、五丁目が接収解除,二十五年四月円山総合運動場が接収解除となり、翌二十六年五月円山児童遊園が開園、同九月円山動物園と改称している
新札幌市史 第5巻 通史5上 (官製婦人組織への反発)

山鼻南部の連合公区は、旧日婦の積立金を婦人部予算として円満に接収し、各公区婦人班の予算をできるだけ多く
新札幌市史 第4巻 通史4 (上原六郎)

市民への食糧配給、伝染病対策、インフレによる物価上昇への対応、そして占領軍進駐にともなう主要建物の接収
新札幌市史 第5巻 通史5上 (荒谷正雄と札幌音楽院)

独唱には、シカゴの芸術学校に学んだという進駐軍の兵士が出演し、東宝劇場での一般公演に先立って、進駐軍に接収
新札幌市史 第5巻 通史5上 (戦後初期の札幌市の社会体育行政)

体育会館は戦時中は市民武道場として利用されてきたが、二十一年三月に進駐軍の接収解除となり、市体育係はこれを
新札幌市史 第1巻 通史1 (阿部屋のその後)

② イシカリにおける阿部屋の出稼引場はすべて新政権のもとに接収し、これを希望者に分割する。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (新札幌市史 第五巻 通史五(上)/総目次)

 占領期の遺産         ララ救援物資 占領期福祉政策 医療・教育政策 アメリカ文化の受容 接収物返還運動,     二 経済団体の再出発と諸団体の創設         第二次公職追放(地方パージ)と札商ビルの接収解除,在日朝鮮人集団帰国後の組織活動      二 進駐軍と市民生活         進駐軍の民間施設接収,     一 占領軍と札幌の衛生         伝染病の大流行と市民 占領軍による札幌の衛生調査と接収
新札幌市史 第5巻 通史5上 (占領期の活況)

六月には、第七七師団が接収した北海道拓殖銀行前の大通三丁目広場に占領軍の礼拝堂が建堂され、〝開堂式〟が
新札幌市史 第5巻 通史5上 (観光客の増加と宿泊施設の増設)

二十七年五月一日札幌グランドホテルの接収が解除され、全面改装の後に、十一月八日営業を再開している。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (図版・写真・表組一覧)

-1 札幌市の人口の増加状況と全道人口に占める割合の推移 (11頁)   第1章 写真-1 中心部の接収建物調査,旧オリンピック村(第11回オリンピック冬季大会公式報告書 昭47) (135頁)   表-1 占領軍接収建物,旧陸軍病院・療養所の再編(昭和49年現在) (631頁)   第7章 図-1 昭和27年,駐留軍に接収,-7 豊平主婦の会の育児園奉仕(昭和26年頃)(浅川ひろ氏提供) (729頁)   表-1 札幌近郊接収地
新札幌市史 第4巻 通史4 (軍用施設)

このあと新飛行場はアメリカ軍によって接収され、飛行機はガソリンをかけられ焼却された。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (急性伝染病とGHQ防疫対策)

原因は進駐直後、米軍が浄水場の消毒用塩素ガスを毒ガスとみなし接収したため発生した事故だった。
新札幌市史 第4巻 通史4 (新札幌市史 第四巻 通史四/総目次)

    三 戦時への順応と受難        太平洋戦争の勃発と教会  受難事件の発生  会堂の接収
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