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新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道翼賛芸術聯盟の結成)
からなり、機構の中に
北海道
文学報国会(会長山下秀之助)、
北海道
美術協会、
北海道
音楽報国会、
北海道
演劇舞踊報国会,が設けられ、
北海道
文学報国会の中に、
北海道
評論家協会、
北海道
創作家協会、
北海道
詩人協会、
北海道
歌人協会,『北方
文芸
』も十八年十月に
北海道
文学報国会の傘下に入ることを余儀なくされた。,十九年二月には札幌から刊行されていた『北方
文芸
』『原稿』『葦牙』『暁雲』の四誌が合併を命ぜられ、同年九月,に
文芸
雑誌『北方圏』が刊行された。 /
北海道
翼賛芸術聯盟の結成
新札幌市史 第5巻 通史5上
(『北方文芸』)
『北方
文芸
』 昭和四十一年十月二十五日「
北海道
文学展」が札幌で開催され、二十九日までに二万人余が入場,この盛況ぶりから四十二年四月に「
北海道
文学館」が設立され、
北海道
新聞文学賞の創設に続き、四十三年一月に,月刊誌『北方
文芸
』が創刊された。 / 『北方
文芸
』
新札幌市史 第5巻 通史5下
(評論大国・北海道を支えて)
評論大国・
北海道
を支えて 小笠原克、高野斗志美、亀井秀雄、森山軍治郎、鷲田小彌太らを輩出し、「評論大国,と言われた
北海道
」(道新 平3・12・16夕、神谷忠孝「一九九一年道内文学」)であるが、札幌はその発信地,中でも『北方
文芸
』初代編集人であった小笠原克は支柱的存在であり、さまざまな場を提供し、牽引した。 ,田村隆一』や『声の在り処―反=朗読論の試み』等を著した笠井嗣夫や、『ロシア・詩的言語の未来を読む』で五年に
北海道
新聞文学賞,~四十九年)の終刊後、研究評論誌の登場が渇望されていたが、平成五年に谷暎子、鈴木喜三夫、柴村紀代らが
北海道
子 / 評論大国・
北海道
を支えて
新札幌市史 第5巻 通史5上
(北海道出版文化祭)
高倉新一郎『
北海道
出版小史』と、日本出版協会
北海道
支部『
北海道
出版物綜合目録』は、この出版文化祭の記念出版物,『
北海道
出版小史』は、戦中期までに刊行された出版物の紹介をしつつ、
北海道
の出版の歴史を江戸時代の木版本,『
北海道
出版物綜合目録』は二十年七月から二十二年五月までに、日本出版協会
北海道
支部加盟の出版社・団体四,』『
北海道
出版小史』 『
北海道
出版小史』(昭22.5.25発行)『
北海道
新聞』(昭22.5.14)より,出版文化祭のメインイベントである「パネルディスカッション式文学論」については、『
文芸
復興』の創刊号(日産書房 /
北海道
出版文化祭
新札幌市史 第5巻 通史5下
(『北方文芸』の終刊)
『北方
文芸
』の終刊 女性作家の活躍の一方、
文芸
誌の売れ行きはしだいに右肩下がりとなり、平成九年三月、,木原直彦が「
北海道
文学散歩」を休載なく三五〇回書き継ぎ、また、寺久保友哉、小檜山博らスターを生んだ貴重,表4は、鷲田小彌太「『北方
文芸
』創作ベスト20」(北海学園『
北海道
から』七号、平成二年)を転記したものであるが,、いずれも
北海道
文学史を代表する作品群といえる。,63年4月号 木下順一 湯灌 平 2年4月号 番外・小日向白郎 ミノタウロ 昭61年特別号 北海学園『
北海道
/ 『北方
文芸
』の終刊
新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道農業研究会事件)
北海道
農業研究会事件 開戦直後の「非常措置」の発動は、主に思想犯前歴者に向けられ、治安維持法違反の容疑,その典型的事例が、
北海道
農業研究会事件である。,これは思想犯前歴者の中川一男・村上由(ゆかり)の検挙を軸に、
北海道
文芸
協会事件、資本論研究会事件、帯広文化 /
北海道
農業研究会事件
新札幌市史 第4巻 通史4
(『北方文芸』創刊)
『北方
文芸
』創刊 昭和十六年五月、札幌市南三条西六丁目の
北海道
文芸
協会から『北方
文芸
』が創刊された。,これは
北海道
に限ったことではないが、憂国の思想は辺境の村落共同体を基盤として発生することを証明していた,岩見沢の加藤愛夫さん、それから『小樽新聞』の小島正雄さん達と、「そろそろ
北海道
にも綜合的な
文芸
雑誌をつくろうではないか,しかし二号が出たあとで
文芸
中心の協会の弱体性が問題にされ、
北海道
の文化一般に向かって門戸を開くことが確認,高倉新一郎「
北海道
文化の特徴」、田上義也「
北海道
と建築に関して」などの論文が載り、牧屋善三の寄稿「歴史 / 『北方
文芸
』創刊
新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道帝国大学と芸術活動)
北海道
帝国大学と芸術活動 札幌農学校は明治四十年に
北海道
帝国大学となるが、大正期には北大は欧米文化の,と銘打たれる『さとぽろ』(全巻が
北海道
立近代美術館に所蔵)の出版や、札幌詩学協会演劇部の活動といったものに,大正十年に北大の学生の手で相ついで発刊された「平原」「氷河」「歩み」「とどろき」「北大
文芸
」などの
文芸
活動,らの「詩的イメージに着想を得た象徴主義的なもの」、外山卯三郎の「抽象版画」の三種があった(西村勇晴
北海道
,あるいは、昭和八年にフォーヴィスムからコンポジションの構成や線条表現へと作風を革新する三岸に導かれて
北海道
独立美術作家協会 /
北海道
帝国大学と芸術活動
新札幌市史 第3巻 通史3
(文芸同人誌刊行の盛行)
文芸
同人誌刊行の盛行 以上記したように、この時期短詩型文学団体が多く結成され、
文芸
誌も刊行されたが、,このうち『北大
文芸
』と『平原』は姉妹誌の関係にあり、『北大
文芸
』として集めた原稿で『平原』創刊号が作られたため,しかし『氷河』は「底力のある、図体の大きい
北海道
には、また北国の
文芸
があらねばならぬ(中略)文字の上の,遊戯としてではなく、事実の上に於て
文芸
はブルジョワジイの羈絆から脱却してプロレタリアートの
文芸
であらねばならぬ,こうした同人
文芸
誌のほかにも、いくつかの
文芸
誌等が刊行された。 /
文芸
同人誌刊行の盛行
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
』(同57)、『札幌のコーラス』(同65)、『札幌の邦楽』(同72)、『昭和の話』(同73)、『北大
文芸
,『
北海道
』、『封度』、北大農学部農業実科発行『大地』、札幌リラ
文芸
社『リラ』、『特高月報』(昭17・9,)、『札幌放浪記』(まんてん社、昭47・11)、『北方
文芸
』、『暁雲』、『北方圏』、『原始林』、『吾が,
北海道
文学史』大正・昭和戦前編(昭51・4)、佐久間砂汀路編集『
北海道
歌人選集』、
北海道
歌人協会編『
北海道
歌集,・
北海道
文芸
年鑑』(北日本出版社、昭18・6)、『
北海道
帝国大学新聞』、高倉新一郎『
北海道
出版小史』『
新札幌市史 第4巻 通史4
(外山卯三郎の役割)
外山卯三郎の役割 大正十年六月に創刊された『北大
文芸
』は、大正十一年に外山卯三郎が入学して前衛芸術の,・U・R』の上演と舞台装置について」、八号の「詩と形態」、九号の「絵画の色彩について」などの評論は、
北海道
,、外山卯三郎、伊藤秀五郎、宮井海平などの北大学生と、北大教授の斎藤護国の八人であり、学生たちは『北大
文芸
,写真-2 『北大
文芸
』『
北海道
』『北方
文芸
』
新札幌市史 第5巻 通史5上
(地元出版社の活動)
日本出版会
北海道
支部は、日本出版協会
北海道
支部となり、道内で書籍や雑誌を刊行する場合、出版社は印刷用紙,二十年十月以降に設立された新興出版社で、個人経営や一冊のみの刊行に終わったものもあった(出村文理「戦後
北海道
,谷暎子「戦後
北海道
で出版された児童出版物」によると、児童書が
北海道
で多量に出版されたのはこの期をおいて,、評論、
北海道
の自然、歴史等の頁のほか、子供の作文や詩の投稿欄もあった。 ,この時期、全国的に多くの雑誌類が刊行されており、
北海道
も例外ではなかった。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(市民と文学との出会い)
市民の
文芸
作品の優秀作を収載する総合
文芸
誌『さっぽろ市民
文芸
』は五十九年の創刊であり、以降、年一冊の刊行,表-1 札幌の文学賞 賞の名称 札幌市民芸術祭大賞
北海道
新聞文学賞
北海道
新聞短歌賞
北海道
新聞俳句賞,らいらっく文学賞 主催 札幌市民芸術祭実行委員会・札幌市・(財)札幌市芸術文化財団
北海道
新聞社
北海道
新聞社,
北海道
新聞社 朝日新聞
北海道
支社 創設年 昭和59年 昭和42年 昭和61年 昭和61年 昭和55年,広く市民に
北海道
文学の遺産を語り伝えたいという願いは、平成七年(一九九五)の
北海道
立文学館開館(中島公園内
新札幌市史 第4巻 通史4
(詩誌の隆盛)
六年には斎藤誠一の『詩と歌』、秋谷静香、岸正夫の『窓』、七年には竹林みちるの『すかんぽ』、岡部敏雄の『
文芸
北海道
,このうち『篝火』について富樫酋壱郎(川淵一郎)が「〝北斗
文芸
〟前後」(
北海道
文学 昭38・12)を書いて,炭光任、『時計台』の北大生鈴見らが集って三誌合同の会をやっていくうちに札幌詩話会の結成となり、『北斗
文芸
,昭和六年に結成された詩人聯盟は、『自由詩人』『北斗
文芸
』『北土文学』『象徴』『ヨタルコ』のほか、『吟声,』『詩歌評論』の一部メンバーで結成され、機関誌『
北海道
詩人』を創刊した。
新札幌市史 第4巻 通史4
(戦時下の詩)
十七年一月、山雅房から『
北海道
詩人集』が刊行された。,』が大政翼賛会
北海道
支部から刊行された。,戦時下の文学動向については、赤間武史編纂の『昭和十八年度版・
北海道
文芸
年鑑』(北日本出版社、昭18・6,映画やラジオの情報もあって、戦時下の
北海道
の文化事情を知るうえで貴重である。 ,このほか戦時下の文学状況については、『
北海道
帝国大学新聞』(大15・5・14~昭19・3・21、大空社
新札幌市史 第5巻 通史5上
(『くりま』)
『くりま』 昭和三十年代は札幌を中心とした同人誌が
北海道
の文学活動を活性化させた。,名古屋の『作家』
北海道
支部版として創刊された『北海作家』(昭和三十年五月~三十二年九月、八冊)は和田謹吾,九号から参加の寺久保友哉も「ジャンパー」で
文芸
学生コンクールで佳作第一席となった。,職場
文芸
誌『全逓
北海道
文学』の創刊は三十二年九月である。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(戦後の文学状況)
特に
北海道
には疎開者、引揚者の中に優れた人材もおり、全道的に活況を呈していた。,これらのこともあって昭和二十年(一九四五)から二十四年にかけては、札幌は空前の出版ブームを迎え、
文芸
出版物,や
文芸
誌の刊行が相次いでいた。 ,戦後は労働組合などの組織の機関誌、職場雑誌等多様な雑誌の形態がみられたことが特色で(
北海道
文学大事典),、三十年代、
北海道
は全国有数の「同人雑誌全盛時代」を迎えていた。
新札幌市史 第4巻 通史4
(『北方文学』から『親潮』へ)
昭和初年代に芽生えた「北方」という地域性を意識した文学運動は、昭和十年代にも引き継がれ、十年四月に札幌リラ
文芸
社,短歌、詩、民謡、創作中心の月刊
文芸
誌で、十二年頃まで刊行された。,この北方文学社の活動は、戦後の新日本文学会
北海道
支部協議会機関誌第二次『北方文学』(昭22・10)に引,写真-3 『北方文学』『親潮』『北方圏』 昭和十五年六月、北方
文芸
協会から小島正雄が編集兼発行人,巻頭言に「高邁な理想の下に
北海道
、樺太の新進作家、進歩的
文芸
愛好者を糾合し、北方
文芸
協会を創立」とあり
新札幌市史 第5巻 通史5上
(『札幌文学』登場)
道立図書館内
北海道
新人文学会が発行し、当時北大の学生であった和田謹吾が三木愿の筆名で創作「東北」(四号,二十四年十二月には月寒
文芸
クラブ発行の『月寒
文芸
』がガリ版刷りの創刊号を出した。,『札幌文学』の登場はそれまでの同人誌が中央の著名人に原稿を依頼していたかたちから、
北海道
出身者が中心になったところに,その影響は二十五年五月創刊の『裸人群』(全二冊)、同年六月創刊の『
北海道
文学』(全三冊)、二十六年九月創刊
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
』、
北海道
庁『内訓一号』、
北海道
庁特高課『
北海道
ニ於ケル日本共産党事件顛末』、同『執務資料』、同『思想要注意人調,』、『
北海道
労働組合一覧表』、『特別要視察人略式名簿』、
北海道
庁『本道ニ於ケル左翼労働組合運動沿革史』,文学新聞』、『土地と自由』、『労働農民新聞』、『大衆の友』、『プロレタリア文学』、『無菌者グラフ』、『
文芸
戦線,不屈二十年の歩み』、高田富与『綴方連盟事件』、『国領五一郎調書』、『三田村四郎調書』、北大桜星会『桜星会
文芸
部史,帝国主義・万国博覧会」『
文芸
』第三一巻第四号、佐上武弘編『佐上信一』、
北海道
庁学務部『
北海道
アイヌ手工芸品展覧会開催状況
新札幌市史 第5巻 通史5上
(相次ぐ文化団体の誕生)
これは主に終戦直後に結成された労働組合の、文化部や
文芸
部といった職場文化サークルが多く作られたことが理由,とくに職場演劇が盛んとなり、二十三年から三十三年まで毎年
北海道
労働文化祭が開催された(本章第四節参照),
北海道
庁職員組合文化部では、
文芸
誌『赤煉瓦』を年四回発行するとともに、月三回ほどの講演会や座談会、読書会
新札幌市史 第5巻 通史5下
(文学賞受賞者の簇出)
その前史として、四十二年(一九六七)の任意団体・
北海道
文学館の設立と、四十三年一月、
北海道
初の月刊
文芸
誌,『北方
文芸
』創刊という〈
文芸
復興〉の気運を挙げることができる。,五十一年、『札幌文学』同人の小檜山博が「出刃」で北方
文芸
賞(『北方
文芸
』一〇〇号記念)を受賞したが、それは,外岡は札幌南高から東大法学部に進み、在学中に「北帰行」により河出書房の第一〇回
文芸
賞を受賞した。,そのような熱気の中、五十三年初夏、新聞各紙は高橋揆一郎「伸予(のぶよ)」(『
文芸
』五十三年六月号)の第七九回芥川賞受賞
新札幌市史 第3巻 通史3
(新聞記者と社会主義)
新聞記者と社会主義 三十四年五月、土岐孝太郎が
北海道
毎日新聞に入社した。,東京専門学校で西川光二郎と同期であった碧川企救男は、囚人問題研究のため
北海道
に渡ってきたが、新聞記者に,転じ、北海時事を経て北海タイムスに入社し、
文芸
欄の刷新につとめた。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(女性たちが担い手に)
藤堂は昭和六十二年に
北海道
新聞文学賞も受賞しており(表1札幌の文学賞参照)、以降、吉井よう子、甲斐ゆみ,〈女たちのくらしと
文芸
〉と明記した『開かれた部屋』(昭和五十二年創刊)は、沖藤典子のノンフィクション『,五十五年には、朝日新聞
北海道
支社が「女性の小説」(平成二年より「らいらっく文学賞」)公募を始めた。,俳句では、寺田京子が『日の鷹』で
北海道
で初めて現代俳句協会賞を受賞したのが四十三年であったが、約二十年後,川柳では、
北海道
川柳の発展に寄与した田中五呂八や川上三太郎がめざしたものの一つ「女性川柳の確立」が、六十年代
新札幌市史 第5巻 通史5上
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】
北海道
新聞社学芸部編『物語・
北海道
文学盛衰史』(昭42)、『札幌の詩』(さっぽろ,文庫5 昭53)、『札幌の短歌』(同9 昭54)、
北海道
歌人会編『
北海道
短歌事典』(昭55)、木原直彦,『
北海道
文学史・戦後編』(昭57)、永井浩『北の詩人たちとその時代』(平2)、「特集・1990年・
北海道
,の文学行動」(北海学園『
北海道
から』第7号 平2)、前川公美夫『
北海道
音楽史』(平4)、『
北海道
洋楽のあゆみ,』(昭63)、市立小樽文学館『思いがけない
文藝
復興』(平11)、『譚』二―八号(二水会 平11-13)
新札幌市史 第4巻 通史4
(文化運動の展開)
十六年十一月に道翼賛会支部のなかに
北海道
文化委員会が設立される(北方
文芸
四)。 ,この大政翼賛会
北海道
支部の
北海道
文化委員会の理念部小委員会で、北海タイムス社の河野広道と谷口国次、そして,昭和十六年五月に創刊された『北方
文芸
』は、その創刊時から
北海道
文化、北方文化論を展開する。,『北方
文芸
』の標題を拾うと、林容一郎「北方的性格について」・吉田十四雄「
北海道
的なもの」(創刊号)、伊藤秀五郎,十七年十二月には、
北海道
文学報国会・
北海道
美術報国会・
北海道
音楽報国会・
北海道
演劇舞踏報国会をたばねる
新札幌市史 第4巻 通史4
(戦時下の短歌)
昭和十六年四月、
北海道
歌人協会の創立相談会が札幌の丸井デパート別室で開催され、秋葉安一、岡本高樹、小田観螢,『北方
文芸
』三号(昭16・12)に山下秀之助は「
北海道
歌壇の現状」を書いている。,最近の
北海道
歌壇に於て特筆すべきことは
北海道
歌人協会の結成であらう。,太平洋戦争以後の統制で、
北海道
歌人協会も
北海道
翼賛芸術聯盟の傘下に入り、
北海道
歌人協会編の『
北海道
歌集,かくして
北海道
歌人協会は敗戦とともに役目を終え、戦後の
北海道
歌人会結成の架橋となった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(結社団体等の出版)
同じ社会改良団体として分類される
北海道
医事講談会(二十年六月結成)は、機関誌として二十二年二月に『
北海道
医事講談会月報,また学習・自己啓発的団体である
北海道
学友会(二十年十一月、
北海道
雄弁会の名で発足)は、二十二年三月に機関誌,『
北海道
』を発刊した。,内容は本会記事、論説、学術、
文芸
、漫録、雑報等からなり、二十九年四月発行の一九号から『学芸会雑誌』と題号,このほか半官半民的な存在であるが、
北海道
教育会発行の『
北海道
教育(会)雑誌』(二十四年三月創刊)などが
新札幌市史 第5巻 通史5上
(『双眸』『赤煉瓦』)
二十一年七月には総合
文芸
雑誌『リベルタ』と『赤煉瓦』が創刊された。,『赤煉瓦』は
北海道
庁職員組合が組合意識向上と文化活動の高揚に貢献することを目指して刊行された職場
文芸
誌,二十二年十二月には『
文芸
復興』も創刊された。編集人は金田一昌三で『リベルタ』の後継誌である。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(学都・札幌の人材を活かして)
かして 「札幌に限ったことではないが、大学の研究者が(略)評論、研究、指導、実作に積極的であるのは
北海道
,独自性で喜ばしいことだ」(川辺為三「同人雑誌運動」『'89―北の文学』所収)とも書かれたように、
北海道
大学,、北海学園、北星学園、札幌大学など多くの大学・短大を抱える札幌は、大学教員や卒業生らの人脈を活かした
文芸
誌,創作では、北大
文芸
部の『ぎよ』(『春楡』を改題、五十九年創刊。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(パネルディスカッション)
パネルディスカッション 昭和二十二年五月三十一日から六月六日まで開催された
北海道
出版文化祭のメーン・イベント,は〝パネルディスカッション式文学論〟(
文芸
復興創刊号に全文収録)であった。,「郷土文学の在り方」について吉田十四雄と加藤愛夫が、
北海道
文学の中心は農民文学であるとしたうえで、戦後
新札幌市史 第4巻 通史4
(『展望』の創刊)
外山卯三郎は、村山知義の影響を受けて『さとぽろ』四号(大14・9)に前衛詩「都市交響楽詩」発表し、『北大
文芸
,香水 ──学位があるのですよ── 0RR 海老 写真-6 『展望』 外山の詩は
北海道
,における前衛詩の先駆であり、ダダイズムやシュールレアリスムを持ち込んで
北海道
の詩壇に新風を起こした。,大正十五年は四月にアンソロジー『全
北海道
詩集』(相川正義編)が刊行され、十月には札幌で「詩人祭」が開催
新札幌市史 第5巻 通史5下
(札幌市における高等専門学校成立前史)
昭和四十三年六月開催の
北海道
文化団体協議会総会において「東京以北には芸術大学(4年制・男女共学)がなく,、芸術文化の振興上まことに不利不便な状況にあるので、
北海道
百年を契機として札幌に芸術大学を設立し、音楽,・美術・
文芸
の3学部をもつ総合芸術の学園として、幅広い芸術文化の探求と発展を目ざしたい」という提案がなされた,芸大設置を含む芸術振興を陳情し(昭48年3月、道議会で採択)、四十七年十月には道教委の諮問機関である
北海道
文化振興審議会,道は五十二年七月、「
北海道
発展計画」に、国立釧路医科大学・国立函館複合大学とともに、国立芸術大学新設を
新札幌市史 第4巻 通史4
(『北方圏』)
『北方圏』 『北方圏』の発行所は道庁内の大政翼賛会
北海道
支部で、編集兼発行人は三上弘之。,「編集後記」には「北の
文芸
陣が總蹶起した姿」とあり、「断固醜敵を撃摧する」ための雑誌だと書いているが寄
新札幌市史 第5巻 通史5下
(同人誌・結社誌の旺盛な活動)
平成三年には、三号限りというユニークな
文芸
誌『小説壹號』(以下、『貮號』『參號』)が市内の亜璃西社(ありすしゃ,職域誌では、全道庁
文芸
誌『赤煉瓦』が昭和五十年に復刊し、平成十三年十月に四〇号が出た。,札幌発行のおもな短歌誌については表2にまとめたが、歌集や歌書については、
北海道
歌人会編『
北海道
短歌事典,昭和六十一年、
北海道
新聞社が「
北海道
新聞文学賞」から短歌・俳句を独立させ、同短歌賞・俳句賞を新設(表1,それぞれの活動については
北海道
川柳連盟『
北海道
川柳年鑑』(五十五年~)に詳しい。
新札幌市史 第4巻 通史4
(社会と美術)
第一の出版物では、大正十四年の『さとぽろ』や、昭和二年六月には加藤悦郎、唯是日出彦らの雑誌『
北海道
漫画,三年十月二十六日付の『北海タイムス』には、北海評論支局で、
文芸
音楽論、美術論、建築論、映画論などを応募,同協会は、十六年まで活動したという(霜村紀子
北海道
商業美術家協会の活動について)。,また九年には
北海道
広告美術協会もあった(北タイ 昭9・12・9)。,九年七月発行の『
北海道
倶楽部』(第三号)には、観光と郷土の工芸振興に関わり、「
北海道
の新興陶業に就て」
新札幌市史 第5巻 通史5下
(小劇場空間、増える)
それが昭和五十一年から、こぐま座、五十二年に4プラホール、
文芸
センター、五十三年にめるへん館、五十六年,札幌人形劇協議会(札人協)加盟劇団の多くの人形劇公演が土・日曜毎に催され、4プラホールでは「自由市場小劇場」、
文芸
,センターでは統一座や
北海道
合唱団の公演、めるへん館にはめるへんぐるーぷが生まれ連続上演、駅裏8号倉庫では
新札幌市史 第5巻 通史5上
(成人教育の広がり)
四十年に、
北海道
教育委員会から高齢者学級設置の委嘱が始まり、札幌市もこれに呼応した。,また、出版メディアについては、その地域的存立条件の厳しさがある中で、産業、教育、
文芸
、演劇などの諸領域,にわたって
北海道
を基盤として独自の展開を遂げており、札幌は発信の拠点をなしてきた。
新札幌市史 第4巻 通史4
(戦時下の音楽)
の音楽的欲求の旺盛と、これに伴ふよき指導機関の設立要望」をうけて、札幌音楽協会の改組が行われる(北方
文芸
,(道内音楽団体と協力し十一月二十七日、札幌市時計台講堂にて同会を創立す)
北海道
翼賛芸術聯盟(本道に,その折、紀元二千六百年の北海タイムス社の懸賞当選歌詞の「
北海道
歌」の作曲を山田耕筰に依頼している。,「
北海道
歌」は、藤山一郎・二葉あき子によりレコードに吹き込まれる(北タイ 昭15・7・20)。,十八年四月二日には、
北海道
新聞社、翼賛会道支部、札幌中央放送局、道翼賛芸術聯盟共催による「戦艦献納演奏会
新札幌市史 第3巻 通史3
(俳句結社の増加と運動の本格化)
三十二年に田中呉渓、若月北水らによって「北水吟社」が結成されたが、これにはのち俳誌『時雨』を刊行して
北海道
俳句界,このほか三十五年十月八日付の『北海タイムス』には、「
北海道
の俳句団」の記事中、札幌区は「札幌吟社を始めとして,『
北海道
毎日新聞』では、おそらく二十年代末頃から「俳諧道場」という名で投句の募集を行っている。,このほか、一般の雑誌についてみれば、前巻の時期に引き続き
北海道
教育会の刊行する『
北海道
教育雑誌』に「文苑及家庭,寄稿者は、前巻に引き続き
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師範学校の大村益荒(縈山)、同石森和男のほか、必ずしも札幌在住ではないが
新札幌市史 第5巻 通史5下
(二一世紀に向けて)
二一世紀に向けて 相次ぐ訃報、そして指導的人物や
文芸
愛好者自体の高齢化は深刻な現実的課題である。,平成七年、
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川柳研究会が発した「川柳ボランティア宣言」は、会員が老人施設などを訪問し、ともに川柳創作,『北方
文芸
』で活躍した桃谷方子は、『百合祭』『青空』を十二年に出し、高齢者の恋愛をテーマとした『百合祭,同じく『北方
文芸
』の新鋭であった水木ゆうかは、十二年に『真夜中のシスターン』上梓後、ホラー小説などを次々
新札幌市史 第4巻 通史4
(新札幌市史 第四巻 通史四/総目次)
の選出 都市計画委員会
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地方委員会の開催 三 都市計画区域と都市計画地域,」
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庁主催「
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アイヌ手工芸品展覧会」 二 「バチェラー学園」の設立 ,…950 一 散文・総合誌 外山卯三郎の役割 早川三代治の活躍 『北大
文芸
,』の面々 社会主義の影響 総合誌『
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』 『北方文学』から『親潮』へ 『北方
文芸
,創刊 『暁雲』の創刊 さまざまな動き 四 詩 『展望』の創刊 『北大
文芸
新札幌市史 第5巻 通史5下
(在日韓国人・朝鮮人と人権問題)
在日韓国人・朝鮮人と人権問題 昭和三十四年(一九五九)に一万一三三五人を数えた
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在住韓国人及び朝鮮人数,国内・道内・札幌市の在住韓国人・朝鮮人数の推移 種別 年次 登録韓国人・朝鮮人数 札幌市の
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,に占める割合 札幌市の外国人総数に占める割合 全国
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札幌市 登録外国人総数 占める割合 昭36,全国の数値は樋口雄一『日本の朝鮮・韓国人』、
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及び札幌市は『
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統計書』『札幌市統計書』『市史統計編,194 311 284 料理人、理・美容師、娯楽場等従事 芸術・著述家等 ― 35 17 芸術芸能、
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新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)
1638
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立工業試験場報告 No.191 1639 北中
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創刊号(
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文学館蔵),35周年記念誌 1685 展望 創刊号(
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文学館蔵) 1686
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関係
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雑誌所蔵目録稿,基督申報 801 1819 漫画時代 創刊号(文資蔵) 1820 道展四十年史 1821 北大
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,四十年(NHK札幌放送管弦楽団) 2034 北方
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4 2035 ハロルド・レーンの上告趣意書,耐えて-札幌剣道発展史-(札幌剣道連盟) 2054 札幌市防空指導要領(文資蔵) 2055
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文芸
年鑑
新札幌市史 第4巻 通史4
(さまざまな動き)
昭和十七年十一月、石田雨圃子を会長に、青木郭公を顧問にして道内各流派を糾合して「
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俳句作家協会」が,これは翌十八年二月に結成された「
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文学報国会」に吸収され、文学統制の下に置かれた。 ,かくして、他の
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ジャンルと同様に俳句も統制下におかれることになったのである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(学習・自己啓発)
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教育会 15・3創立 はじめ札幌教育会。教育の進路を改良進歩するを目的とす。,
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学友会 20・11・23創立 はじめ札幌雄弁会。二十一年十二月改称。,
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の歴史・地理の研究を目的。年一~五回の講演会。歴史資料の編纂・刊行。,さらには
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学友会や
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教育会のように機関誌を発行して広く普及活動を行ったり、札幌史学会のように『,婦人の徳性を涵養し、女子に必要な
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を授けるを目的。満一〇歳以上毎月一回講談説話。
新札幌市史 第2巻 通史2
(短詩型文学)
代表的なものを挙げると一つは『
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教育(会)雑誌』で、この時期多く眼につくのは札幌師範学校教諭の大村益荒,札幌農学校予科生徒によって結成された学芸会の機関雑誌として同年五月に創刊された『蕙林』も、創刊から「
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,このほか『ふじ』三号によれば、この時期札幌で創刊された
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雑誌は『雪花渓』(二十六年三月)、『愛衣文学
新札幌市史 第5巻 通史5上
(新札幌市史 第五巻 通史五(上)/総目次)
の普銀転換と都銀加入 札幌証券取引所開所
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銀行の設立
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無尽の設立と相銀転換,の解体 札幌商工会議所から
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商工経済会へ
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商工経済会の解体 二,の設立
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商工会議所連合会の創立
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商工会議所と
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商工会議所連合会との合流,学校体育施設開放事業 第九章 市民の文化と活動 第一節 文学…843 一 散文、総合誌、職場
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,』と『位置』 『北方
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』 二 短歌 第二次『原始林』
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1945年〜2000年)
生活水準実態調査報告 昭和32年 3155 札幌市民の生活水準実態調査 昭和35年 3156 さっぽろ市民
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,日本婦人会議札幌支部) 3296 GHQ(竹前栄治) 3297 GHQ/SCAP検閲文書に見る札幌発行
文芸
誌,
北海道
年鑑1950(
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新聞社) 3993
北海道
年鑑1951(
北海道
新聞社) 3994
北海道
年鑑,
北海道
年鑑1969(
北海道
新聞社) 4012
北海道
年鑑1970(
北海道
新聞社) 4013
北海道
年鑑,
北海道
年鑑1988(
北海道
新聞社) 4031
北海道
年鑑1989(
北海道
新聞社) 4032
北海道
年鑑
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌興風会の結成)
は、規定の第一に「新派旧派」どちらにも偏せずとあっても、実際は「旧派歌壇の総力を結集した観がある」(
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歌人会,
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歌壇史)と評されている。,この中で山本は三十九年二月頃に
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誌『北光』を創刊したが、必ずしも短歌誌とは限定できないので、後述する
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