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新札幌市史 第2巻 通史2
(新善光寺)
新善光寺
主要宗派のうち、最も遅く進出したのは浄土宗であった。 /
新善光寺
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌区の仏事暦)
1日 藻岩山開き 藻岩村観音堂 7月9・10日 中央寺金比羅社祭り 7月22~24日
新善光寺
聖徳太子祭,当時の札幌の縁日では、三吉神社の他に右記の豊川稲荷、
新善光寺
、金刀比羅、成田山が有名であった。,
新善光寺
では三十八年六月に、毎月七日を縁日の日と定めている。,写真-5 縁日で賑わいをみせた
新善光寺
(明40頃) その他、釈迦降誕会にあたる花祭りは、各宗寺院聯合会
新札幌市史 第3巻 通史3
(戦意高揚)
〇日後の二十日に、「日露開戦に付緊急国民に告る所あらんとして」各宗仏教聯合会の主催による仏教演説会が
新善光寺
,田中朴山(叡山教会太子講主) 「破諸魔軍」 高野瞬全(北海寺住職) 「勅語と仏教」 林玄松(
新善光寺
住職
新札幌市史 第5巻 通史5上
(露店問題と市の対応)
しかしその後も疎開跡地には屋台が出没し、退去した五八軒の露店商の正式な移転先の決定にも手間取り、臨時で
新善光寺
付近,を露店指定地としたところ、南七条西一丁目の
新善光寺
西、南側に「新カストリ横丁」が形成された。,しかし移転した二七軒の露店商が資金不足を理由に
新善光寺
横の営業権を別の露店商に転売してしまったため、
新善光寺
横
新札幌市史 第4巻 通史4
(展覧会場)
2階 小画展覧会 大15.8.19~25 アキノ喫茶店 伊藤泰山展覧会 大15.9.11~12
新善光寺
,書画展観 審美書院 大15.9.15~17
新善光寺
書画展観 報知新聞美術部 大15.9.19~20,
新善光寺
矢尾太華南画揮毫会 大15 第二回札幌版画展覧会 札幌詩学協会 大15.9.25~29,から十三日までの「現代日本画帝展、院展各派聯盟第二回美術展覧会」をはじめ、日本画、南画、書画会などは、
新善光寺
,稽古場,邦楽演奏会,札幌詩学協会無審査洋画展 56 西田座 芝居・演劇等 57 美満寿館 映画 58
新善光寺
新札幌市史 第2巻 通史2
(寺院等と行事)
新善光寺
で注目されるのは、二十一年春、藻岩山に設置した西国三十三番の石像観世音(三十三観音)関係である,なおこの三十三観音設置について、『伏見史稿』によれば、岩村道庁長官が藻岩山登山道改良方策として大谷
新善光寺
住職
新札幌市史 第3巻 通史3
(諸寺の講組織)
新善光寺
には二十年代に蓮友・観音講があり、観音講は三十年代以降も引き続き活動が行われていた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(基幹的寺院の改築と移転)
また
新善光寺
は、三十年十一月に薄野から南六条西一丁目への移転が許可され、同年十二月十三日から、「造作八分出来
新札幌市史 第3巻 通史3
(戦死者追吊会)
三十七年三月十三日に、各宗仏教聯合会主催による旅順海戦の戦死者追吊会が、約二〇〇〇人の焼香者を集めて
新善光寺
新札幌市史 第2巻 通史2
(大師講・太子講)
太子講は聖徳太子をまつる職人の講であるが、市域内では
新善光寺
で、おそらく二十年以前から行われていた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(長専寺の場合)
ドモ村内ニ未タ寺院無之、殊ニ私共ハ浄土宗信仰ニ有之候処、同(石狩)国札幌区南六条西三丁目ニ於テ浄土宗
新善光寺
有之候得共
新札幌市史 第3巻 通史3
(凱旋軍隊歓迎会)
明38.11.12) また、十一月十三日には札幌各宗聯合寺院による出征軍人戦死病没者追吊会が
新善光寺
新札幌市史 第4巻 通史4
(書画会)
大正十五年九月には、審美書院の主催が十五、十六、十七日と、報知新聞美術部の主催が十九、二十日と、ともに
新善光寺
新札幌市史 第4巻 通史4
(仏道宗教結社)
法華宗白正講結社 北9西3 佐藤トメ 30戸 高野山大師教札幌支部 豊平3-2 今井照雄 100人
新善光寺
山鼻墓地法務所,南29西10 安富賢亮 110戸
新善光寺
豊平墓地法務所 豊平4 安富賢亮 100戸 古義真言宗修験者延命地蔵宗教結社
新札幌市史 第2巻 通史2
(戦勝祈願と追弔)
十一月三日には札幌の
新善光寺
が、「連戦連勝」を祈念して「全勝四海泰平ヲ祈願」するとともに、「皇軍戦死ノ
新札幌市史 第5巻 通史5下
(ススキノの変貌)
ススキノの屋台は当時一六〇軒ほどで、おもに南五条西一丁目の
新善光寺
・南六条西二丁目の中央寺裏、南四条西六丁目
新札幌市史 第3巻 通史3
(献金と軍人家族救護)
新善光寺
檀徒は毎年一月に、市中を念仏・御詠歌を唱えながら練り歩く寒修行を行っていたが、三十七年一月の寒修行
新札幌市史 第2巻 通史2
(旧暦)
灌仏会などは、三十九年現在も中央寺、
新善光寺
、北海寺、経王寺、龍松寺で旧暦によって行われている(北海タイムス
新札幌市史 第5巻 通史5上
(諸寺院の動向)
新善光寺
(浄土宗、南6西1)は昭和二十一年五月五日に類焼し、真宗高田派専修寺北海道別院(南4東4)は二十三年十月十四日
新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道博覧会と仏教界)
浄土宗の
新善光寺
では善光寺の大宮尼公を迎えて記念大供養、帰教式、施餓鬼会が行われ、また博覧会開催中、善光寺
新札幌市史 第4巻 通史4
(寺院の附属団体)
新善光寺
には全檀信徒によって組織された報国会があり、「無窮皇運ノ推進力タラントスル国民ノ確固タル宗教的信念
新札幌市史 第2巻 通史2
(檀家の区域)
これを次の時代も含めて例示すると、前出の石川正蔵は中央寺の檀家総代に名を連ね、ついで
新善光寺
の檀家総代
新札幌市史 第2巻 通史2
(寺院・説教所の維持と僧職の生活)
同寺の場合、永続資本拠出のうち四五〇円が檀家分で、他は石狩法性寺・
新善光寺
住職などである。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(史跡・有形文化財)
新善光寺
にも平安時代末とされる阿弥陀如来像(木造)が伝来しており、将来、いずれかの指定が待たれている。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(不用品交換会と露店街)
その後、市内各地区(丸井百貨店横、南四条のカバ市(樺太引揚者の運営)、豊平橋南橋詰、
新善光寺
横など)に
新札幌市史 第4巻 通史4
(婦人・女性の組織)
などのように、すでに明治期に婦人会を組織しているところもみられたが、この時期になると大正四年九月一日に
新善光寺
新札幌市史 第4巻 通史4
(職人から労働者へ)
職工は全く私用はできません」と公言していた)ことで知られていた帝国製麻では、女工の病気、死亡が相次ぎ、
新善光寺
境内
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
第336表からは市内の五大寺院といわれる本願寺別院(大谷派),本願寺札幌別院(本願寺派),
新善光寺
,中央寺,ただ
新善光寺
,中央寺にみられるように,必ずしも実数の正確な報告ではないし,戸数と員数の捉え方も寺によって
新札幌市史 第2巻 通史2
(年中行事)
山鼻開村紀念祭 二十九日 国旗・幟・撃剣・弓術・手踊・花火 藻岩山三十三番観音山開き 旧暦四月十七日
新善光寺
,篠路村八幡神社例祭 九日 村相撲 束皐園萩の花縦覧 中旬 厚別・月寒神社例祭 十八日 太子講 二十一日
新善光寺
新札幌市史 第4巻 通史4
(寺院・説教所の増加)
川名照通 隆光寺 真言宗 明35. 5 .31 北5西20 山本智光 297戸 1,320人
新善光寺
,札幌市内では表3の檀・信徒数からも判明するように、真宗大谷派札幌別院、本願寺札幌別院、
新善光寺
、中央寺,中央寺は永平寺、経王寺は久遠寺、
新善光寺
は増上寺の直末として高い寺格を誇っており、中央寺内には昭和十六年九月一日
新札幌市史 第4巻 通史4
(戦時下の仏教)
大谷光照を迎えて西本願寺別院主催にて、開戦一周年となる十三年七月二十六日に全道支那事変戦死者追悼法要、
新善光寺
新札幌市史 第4巻 通史4
(橋本正治)
これに対し、地元派議員とその支持者による市民大会が、昭和二年九月「十八日午後六時から札幌市内
新善光寺
に
新札幌市史 第3巻 通史3
(救済委員会の整理案)
七月八日助川貞二郎は北海タイムス紙上に「同行ニ対シ預金シアル諸君ト緊急御協議申上度」と、同日
新善光寺
にて
新札幌市史 第3巻 通史3
(相次ぐ新寺の創立)
南4西5 1,103 5,515 経王寺 日蓮宗 13.4.1 豊平町 550 3,300
新善光寺
新札幌市史 第4巻 通史4
(真宗の動向)
なお社会事業では、
新善光寺
にて大正十四年十月五日に札幌養老院を伏見に開設している。
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌立地)
後手に回った札幌側は、臨時道会開会日の二月一日
新善光寺
で移庁反対の有志大会を開き、「北海道庁の位置は、
新札幌市史 第4巻 通史4
(市域)
77.003 南4条西7丁目 西創成小学校南東ノ角 12 79.098 南5条西1丁目
新善光寺
西南
新札幌市史 第3巻 通史3
(生活のなかの儀式と遊興)
十三日から十六日は盂蘭盆会で、中央寺、
新善光寺
等で施餓鬼供養があり、墓参りに出かけた(明治初年以来旧暦
新札幌市史 第4巻 通史4
(民間社会事業施設)
新善光寺
には身寄りのない老人が常時四、五人保護されていて、二代目住職林玄松は大竹敬助等檀家とはかり、旧施設
新札幌市史 第3巻 通史3
(図版・写真・表組一覧)
北海道寺務出張所の新庁舎開所式(東本願寺北海道開教百年史) (843頁) 写真-5 縁日で賑わいをみせた
新善光寺
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
寺院 東本願寺の開拓出願 東本願寺別院 曹洞宗小教院 中央寺 西本願寺別院 経王寺
新善光寺
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