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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (新川開削)

新川開削 島判官が銭函への途中で歌棄で佐々木弥吉に黒松内山道の仕込みをさせていること、余市越山道などの,その一人佐々木貫蔵(三)はさらに八月、冬の輸送路の確保も考慮にいれた新川開削の建言を出している。,三年中、この新川は、本府地から現在の麻生の北部で琴似川と合流する辺までが開削された。,四年中にはこの新川開削は行われなかったようである。,写真-9 札幌ヨリ銭函新川迄之図(北大図) / 新川開削
新札幌市史 第2巻 通史2 (新川の開削)

新川の開削 原野排水の代表が現在の新川の開削である。,この排水工事は、それらの河川を新川一本にまとめて石狩湾へ流し、原野の乾燥化を促した。 / 新川の開削
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌村域の札幌市編入)

特に創成川流域の新川添は石狩街道、札北軌道も走り交通に恵まれた地であり、さらには鉄北地区の発展、宅地化,新川添は大正十三年の市街地を形成する連担戸数が三一五戸、人口は一四八二人に達していたのである(北海道庁統計書,ただし、将来を見越して新川添の学齢児童に関しては、札幌区では無償にて受託教育を行っていた。,)に達し、児童数からいえば一〇学級分にも相当していた(八年の新川添は五七二戸、三〇一二人)。,また、新川添地区のほかに併せて大字苗穂村、雁来村の市街地部分が編入されることとなった。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (工業団地造成の曲がり角)

三年には新川工業団地造成が計画され、食品、木工、印刷、金属など地場企業の立地が見込まれていた(道新 平,ところが、新川工業団地造成のための用地買収が難航した。,苦労して造成した新川工業団地も、造成原価が三・三平方メートルあたり二二万五〇〇〇円となったが、周辺の地価,ところが新川工業団地への移転を計画していた発寒木工団地の木工関係二九社は、資金源となる旧敷地売却が進まず,のところ、分譲最終年度の十年度にいたり、一一・一ヘクタールのうち〇・九四ヘクタールしか売却が決まらず、市は新川工業団地特別会計
新札幌市史 第4巻 通史4 (橋梁の整備)

条橋,北6条橋   6 架換 豊平町中学校通路橋,南3条橋   8 架換 北5条西9丁目橋,樽川道路新川橋,  9 架換 南2条橋,桑園橋,古川橋  10 架換 新川橋,北古川橋,植物園前橋2ヵ所  11 新設,創成川筋北13条橋   3 架換 北9条橋,南9条橋   4 架換 北10条橋,豊平5条橋(4号用水),新川橋,川沿町仲ノ橋,吟風橋,対山橋  19 架換 南9条橋他5橋  20 架換 北8条橋,伏籠橋,大覚寺橋,新川円山橋
新札幌市史 第5巻 通史5下 (北区の誕生)

ただし、図にみるように新川地区の生徒は八軒中学校(西区)へ、太平地区の生徒は栄中学校(東区)へと他の区,新川地区では、その後五十一年に新川中学校が新設されている。
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌周辺の原野排水)

表-6 原野排水治水表 19年度 札幌原野排水(創成川の一部となる琴似新川とそれに付属する二筋の疎水渠,). 20年度 札幌近傍原野排水(後に新川となる琴似川小樽内川間の排水渠と発寒川追分間の支線排水渠,新川
新札幌市史 第1巻 通史1 (西部地域の泥炭地)

このうち、西区八軒三条東一丁目から北区新川二条六丁目を結ぶ幅〇・六キロメートルの範囲のものや北区新琴似一,新川中央橋付近の砂堤列間低地の泥炭層中の木材の14C年代は約三二〇〇年前となっている。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (郷土史の編纂)

中には『新琴似百年史』『新川百年』『丘珠百二十年史』などのように、一〇〇〇頁を超える大冊もある。,11 197 手稲山口開基百年記念実行委員会 拓北百年史  55・ 4 190 篠路拓北土地改良区 新川郷土史, 55・ 4 289 新川郷土史編纂委員会 郷土誌すみかわ  56・ 8 365 澄川開基百年記念事業実行委員会,郷土史南郷   1・ 3 260 南郷クラブ会 麻生のあゆみ   1・ 5 489 麻生連合町内会 新川百年,  2・ 5 1034 新川開基百年記念協賛会 西岡百年史   3・ 3 544 西岡開基百年記念祝賀協賛会
新札幌市史 第5巻 通史5上 (道路・橋梁の整備)

橋梁の架換や新設については、前巻で予算表から紹介した二十年の大覚寺橋、北八条橋、伏籠橋、円山新川橋の架換工事,また円山新川橋は二十二年完了である。,表-4 架換橋梁名(昭和20~30年) 年 橋梁工事 20 南9条橋,新川橋,創成川北4条橋,創成川北,5条橋 21 北8条橋,伏籠橋,大覚寺橋 22 南5条橋,北6条橋,円山新川橋,大覚寺橋 23 南7条架
新札幌市史 第5巻 通史5下 (郵便局の増設)

札幌北二十八条(琴似新川を改称)。,札幌新川(琴似新川西を改称、平7新川1-5へ移転、札幌新川一条に改称)。,札幌合同庁舎内(北区北8西2)   2 札幌新川二条(北区新川2-7)。,札幌八軒一条(西区八軒1西1)   6 札幌新川四条(北区新川4 -13)。
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌の水運)

なお佐々木の建言で開削された新川は、七年に豊平川からの取水口に水閘を付設した際に創成川と命名された(開拓使事業報告,最終的には、後述のように十九年原野排水運河設備として、琴似川から茨戸へ直線的に水路(琴似新川と呼ばれた
新札幌市史 第4巻 通史4 (延命地蔵と開拓地蔵)

大通西一九丁目には開拓地蔵尊が所在していたが、この開拓地蔵尊は明治四年に南一条西五・六丁目間にあった新川,十三年秋に頭部は新川の浚渫の折に発見されて再び接合されたが、これを機に毎秋、盛大な祭りが行われるようになった
新札幌市史 第3巻 通史3 (新琴似)

新琴似はもとより低湿地が多く、それを利用して新川付近では早くから水田も行われていたが小規模なものにとどまっていた,新琴似兵村の公有地であった新川は、二十六、七年頃から小作として入植が行われるようになり、三十四年頃には
新札幌市史 第2巻 通史2 (排水と泥炭地改良)

排水は、まず十九年に「庁下近傍至便ノ地」である札幌原野排水(琴似新川とそれに付属する二筋の疏水渠)から,始められ全道に及ぶとともに、現札幌区域内でものちの新川となる琴似川小樽内川間の排水渠ほか、多くの村の区域内
新札幌市史 第1巻 通史1 (琴似川扇状地)

琴似川扇状地 琴似川は荒井山スキ―場の上手に源を発して宮の森を貫流し、界川や円山川を合流して新川に注
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇N二九五遺跡(西区手稲前田三三五番地))

◇N二九五遺跡(西区手稲前田三三五番地) 手稲遺跡から新川を渡った手稲寄りの標高約六メートルの紅葉山砂丘上
新札幌市史 第2巻 通史2 (清潔法の実施)

四ブロックとは、大通以南創成川以東、大通以南創成川より西新川まで、大通以南新川より以西、大通以北全市街
新札幌市史 第2巻 通史2 (西村権監事七カ条伺の札幌本府)

そしてその計画実行のための伺書(「札幌表境界、移民取扱、官舎造営、社地、新川掘削等ニ付伺書」市史 第七巻,第六条は三年中に開削を始めた新川開削についてである。,他には琴似川、篠路新川についても雪解け後の実地検分の上、適宜の処置をする予定にしている。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (紅葉山砂丘)

南西端は西区手稲前田の新川中央橋付近で、そこから北東に細長く延び、北区の茨戸付近で茨戸川(旧石狩川)を
新札幌市史 第4巻 通史4 (都市計画風致地区)

伏籠西公園通、6豊平川下、7白石平岸、8月寒台、9豊平川上、10藻岩山、11札幌神社、12発寒川、13新川公園通
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌・茨戸間、花畔・銭函間運河開削)

新たに開削された部分を当時琴似新川と呼んだ(事業功程報告 明治十九年度)。,軽川大排水(現新川)から取水し、そこから花畔方面と銭函方面へ通水する。,花畔・銭函間については、途中の新川をはさんで石狩側と銭函側で差が出た。
新札幌市史 第2巻 通史2 (運河跡の破壊)

現在工事進行中の道央地区のバイパス環状線になる国道三三七号の改修工事と、石狩湾新港と小樽を結ぶ道道の工事で、新川以東
新札幌市史 第5巻 通史5上 (市警察本部と北警察署)

従来の警察署は中央警察署となり、国鉄函館本線以南と雁来町および新川以西を管轄し、北警察署の管轄はそれ以外
新札幌市史 第4巻 通史4 (諸施設の整備)

さらに十一月琴似、白石、新川の処理場、琴似、白石処理場に車寄せおよび道路補修の工事を始め、これらは十八年中
新札幌市史 第3巻 通史3 (川柳の団体の成立)

また少なくとも大正二年までには「タイムス新川柳」の欄も設けられている。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (鉄道の高架化)

札幌駅  この高架事業に続けて札沼線の下手稲通まで行った高架化に連続させて、市道西牧場線までの高架化を新川高架事業,新川高架事業は八年度に完成したが、続けてJR札沼線連続立体交差事業が、JRによる札沼線の複線化事業に合,わせて新川~国道二三一号間約三・六キロメートルの高架化に着手し、十一年度に完了した(概要 平9、12)
新札幌市史 第1巻 通史1 (松浦武四郎の調査)

は安政四年三月二十三日に、「石狩行被仰付候」とあり、また「蝦夷地一円山川地理等取調方申渡候へば、新道新川切闢場所其外見込
新札幌市史 第2巻 通史2 (岩村判官の札幌赴任と本府建設計画)

とくに土木工事については、新川の銭函への計画は中止され、松前・函館などからの商工民たちもその移住地は、
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌村の概況)

三十五年十月に八部が置かれたが(北タイ 明35・10・5)、『札幌村史』によると大字札幌村に元村、中通、新川
新札幌市史 第4巻 通史4 (住民組織の形成)

隆西会は南一条西五丁目(新川)以西を地区としたが、この会にならって四十五年五月十二日に設立されたのが相和会,相和会は南二条西五丁目(新川)以西を地区とし、「隣保相親和し風紀を振粛し所謂札幌時間なる悪弊を矯正し慶弔慰問
新札幌市史 第5巻 通史5下 (市内の神社)

昭43 平 7   西岡八幡宮 豊平区西岡4-8 明23 ― 9月15日 平 3 昭63 平 3 新川皇大神社,北区新川3-13 明37 ― 9月23日 昭60   水天宮 中央区南9西4 明17 ― 7月25
新札幌市史 第5巻 通史5下 (諸社の動向)

とうはく)となり、秋祭も衰微(すいび)していった」ことが原因として、現在の前田一〇条一一丁目に所在した新川神社,札幌祖霊神社創立百周年記念誌』(昭46)、『西野神社小史』(昭50)、『西野神社の百年』(昭60)、『新川皇太神社
新札幌市史 第5巻 通史5上 (郵便局の増設)

水車町9),琴似発寒(琴似町発寒),札幌双子山(双子山町),札幌北二十条東(北20東18) 昭41 琴似新川,(琴似町新川),大谷地(白石町大谷地),東苗穂(東苗穂町),北七条西(北7西24),月寒東(月寒中央通,西8へ移転),札幌北(普通 北25東16,昭47札幌東に改称) 昭44 札幌屯田(屯田3-4),琴似新川西,(琴似町新川),篠路駅前(篠路町篠路),白石北郷東(白石町北郷),東米里(簡易 白石町東米里),厚別(
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌村地主会)

代表者は、元村(一)、丘珠(一)、烈々布・中通・新川(一)、苗穂(一)のように配置されていた。
新札幌市史 第3巻 通史3 (苗穂新道の札幌区編入)

当初大字苗穂村字苗穂新道(及び大字札幌村字元村の一部)、札幌村字新川添の二地区が編入の予定であったが、
新札幌市史 第2巻 通史2 (市街大下水の整備)

次いで二十一年の札幌区内道路改修及び大下水開設では新川の延長を行った。
新札幌市史 第2巻 通史2 (「札幌開府に付当使一般会計の目途」の札幌経営案)

札幌神社、本府、長官邸、判官邸、判任官役邸、農家三七五戸、東京府貫属一二〇軒分の家作、米蔵三カ所、新道新川開削,新川は当時工事が進行していた銭函への運河と考えられる。  
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌市街大下水の開削)

この大下水は後に市民から新川と呼ばれるものである(現在の新川とは異なる)。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (【主要参考文献・史料】)

歴史科学協議会編『日本現代史 体制変革のダイナミズム』(平12)、自治大学校編『戦後自治史』第一巻(昭35)、『新川百年, 新川開基百年史』(平2)など町内会・連合町内会記念誌多数、笹森秀雄「戦後の町内会組織の復活について(
新札幌市史 第4巻 通史4 (土功組合と用水組合)

新琴似排水 琴似町 昭 4. 3. 1 排水 昭 4.10. 7 25,097 3.81 658.5 - 新川排水,新琴似排水 625.0 1.601 - 122 55 67 5,462 1,039 977 30 新川排水
新札幌市史 第7巻 史料編2 (二 明治三年)

(七月) 四九 札幌への農家移住に関する川辺正太郎の愚意演書(八月一八日) 五〇 札幌より銭函迄新川堀割伺書,西村権判事外より移民取扱其他札幌表御用取扱向等伺書(一二月) 七二 札幌表境界、移民取扱、官舎造営、社地、新川掘削等
新札幌市史 第2巻 通史2 (物流の拠点)

その後石狩が兵部省から開拓使の管轄下に入ったことから、佐々木貫三の新川開削などの整備により、石狩から水運
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌村)

札幌村は、農村と札幌市に隣接する住宅地という二面の顔を持っていたが、新川添や苗穂を中心とした市街地部分
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌石材馬鉄会社の設立と軌道計画)

路線は平岸村字穴の沢を起点とし、南一条西九丁目に至り、札幌病院前を通って新川端(現在の西五丁目通)に至
新札幌市史 第5巻 通史5上 (「決戦教育」下の学校)

敗戦後の十二月まで軽川・新川・札苗国民学校では運動場を占拠された。
新札幌市史 第2巻 通史2 (「札幌表御用取扱向等伺書」の札幌本府)

なぜなら三年中に、小さいとはいえ本府建設予定地を縦断する新川が開削されているからである。,第七条では、新道新川の着工分を早急に竣工させ、さらに交通の便をよくする見込をたてて、伺の上取りかかりたいという
新札幌市史 第5巻 通史5上 (下水道網の整備と終末処理場の建設)

アメリカ軍の垂れ流しにかぎらず、工場排水や札幌市民の生活排水をほとんど創成川、伏籠川、豊平川、琴似川、新川,61,000 昭43.4  豊平川 96,000 昭45.10 定山渓 3,300 昭45.10 新川
新札幌市史 第4巻 通史4 (字名の設置)

琴似町では十八年五月一日に琴似村、発寒村、篠路村の三大字が廃止され、屯田、新琴似、新川、八軒、発寒、琴似,中野,沼ノ端 表-15② 琴似町字名対照表 改称字名 旧字名 屯田 兵村 新琴似 新琴似,琴似 新川
新札幌市史 第3巻 通史3 (創建社の集い)

創建社の集い 札幌新川端の古本屋創建社の主人田所篤三郎は無政府主義に共鳴し、若者を集めて社会問題の放談会
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