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新札幌市史 第2巻 通史2
(新潟での募集)
新潟
での募集 小貫権大主典と平田少主典は、酒田をたちこのあと
新潟
へ向かった。,この通知が東京から酒田県あてに発せられたのは三月七日で、すでに
新潟
入りしている両名のもとに届いたのは四月十二日,通知が届くまでに、すでに
新潟
でも移民の募集は終わっていた。,
新潟
での移民募集の様子は小貫権大主典の報告が詳細に伝えている。,それによると
新潟
では当初水原県庁に行き交渉したが、「移民ノ件等ニ到テハ分テ捗取兼(はかどりかね)」たので /
新潟
での募集
新札幌市史 第2巻 通史2
(小貫と平田の酒田・新潟への派遣)
小貫と平田の酒田・
新潟
への派遣 物資補給の第三の方策として島判官は、石狩府の役員を東北・北陸へ送ったのである,十一月に小貫雄五郎(直和)権大主典・平田弥十郎少主典を酒田・
新潟
へ、十二月に松岡宗九郎(修)使掌を盛岡,それから考えて彼らは二月上中旬頃に酒田を出発して
新潟
へ移ったようである。,
新潟
で彼らは、西三条水原県知事や同県大参事等と相談して、新発田の蔵米の調達や移民募集をしている。,また前述のように
新潟
港は三月二十五日から鎖津している。 / 小貫と平田の酒田・
新潟
への派遣
新札幌市史 第2巻 通史2
(水原県からの定額米)
からの定額米 この肩代わりに、大蔵省が不足分のうち五九〇〇石を割り当てたのが、維新直後に府が置かれた
新潟
,また米の過剰な積出しは、
新潟
港の鎖港となり、英国公使からの抗議を受けて外交問題も発生していた(
新潟
県史,その
新潟
に米の調達のため平戸少主典が三月末に派遣された。,しかし到着直後の三月二十五日
新潟
港は鎖津された。,
新潟
港では、その期限前に米を積みだそうとして荷役船争いが起こっていた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の募集)
またこれからは、仙台、山形、米沢に向かい、四月中旬には
新潟
へ到着の予定であると述べている。,広川の山形、米沢、
新潟
での募集は順調にいかなかったようである。,
新潟
での募集状況もかんばしくなく、東久世通禧の『日録』(四年四月十三日条)に、「広川大主典
新潟
県にて移民七拾戸計不足旨申越候,これらの移民は、ともに
新潟
から開拓使の庚午丸にて渡航し、五月二十一日に小樽に到着している。,内訳は
新潟
県二四戸一〇四人、大泉藩一戸六人、米沢藩一三人、仙台藩(松島・高城)九九人となっていた(同前
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の出発と到着)
移民の出発と到着
新潟
・山形からの移民は、三月末から四月初旬にかけ
新潟
・酒田港を出発し、一路北上を続,そのうち自在丸(
新潟
出港)、政吉丸(酒田出港)は四月六日、七日に小樽へ着港したが、札幌は「御米払底の折柄,さらにその後も、
新潟
から到着した移民が五月七日に福寿丸で石狩に向かっている。 ,
新潟
県移民の二二戸九六人は、大友亀太郎が開いた御手作場のある札幌村の北部に入植した(数値は『開拓使事業報告
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ入津の廻船)
日本海を南下する西廻り路の沿岸が多く、安政五年越後国出雲崎で塩鱒四〇万~五〇万本、鮭塩引二〇万本が、
新潟
,では鮭塩引三〇万九一八一本、塩鱒一六万一三二七本が取引された(
新潟
県史 資料編七及び一〇)。,蝦夷地を幕府が再び直轄し、江戸との結びつきを強める必要にせまられ、また「鱒鮭は、江戸
新潟
尤利有」(燼心餘赤
新札幌市史 第2巻 通史2
(物資の流れ)
逆に「輸入ノ最モ多キ物品ハ米、塩、味噌、醤油等ニシテ米ハ
新潟
、伏木、酒田、青森等ノ各港ヨリ輸入シ、塩ハ,竹原、三田尻、酒ハ大山並ニ大阪、越後最モ多ク、醤油ハ酒田、
新潟
、青森等ニシテ、味噌ハ重ニ津軽ヨリ来ル」,こうした物資の流れにしたがって小樽、札幌の商業人は、三越(
新潟
・富山・福井)出身者が多くなっている。
新札幌市史 第3巻 通史3
(通信官署官制の改正)
(神奈川・静岡)、神戸(兵庫・鳥取・岡山・香川)、長崎(長崎・佐賀)、札幌(北海道)、長野(長野)、
新潟
,(
新潟
)、名古屋(愛知・岐阜・三重)、熊本(熊本・福岡・大分・宮崎・鹿児島・沖縄)、仙台(宮城・福島・
新札幌市史 第1巻 通史1
(越後長岡)
越後長岡 老中牧野備前守忠雅は越後国長岡城主(
新潟
県)で、やはり譜代の大名である。,明治七年『
新潟
県官員録』に「十四等出仕、堤防掛、上等月給」とあるから、維新後は県庁に勤めた人らしい。,一行は安政四年四月一日長岡を出発、
新潟
から青森を経て五月七日箱館に渡った。
新札幌市史 第1巻 通史1
(開発方御用取扱)
名を喜三郎といい、越後国水原村(
新潟
県)の人。,箱館に来るのは安政五年七月、そこからイシカリまで足をのばし、イシカリ永住を願い出ると、こんどは長岡藩(
新潟
県,いわゆる仕事師で、天保年間印旛沼干拓に鶴岡藩(庄内)の一員として加わり、嘉永年間会津
新潟
間の阿賀野川改修,箱館奉行所の〝御用達〟を肩書きにし、「越後
新潟
金四郎、喜八、イシカリ場所漁業出稼、且土地開発方被仰付」
新札幌市史 第2巻 通史2
(東区の状況)
1 1 2 群馬 1 1 埼玉 1 1 東京 1 1 神奈川 1 1
新潟
,それによるとⅠ期は四七人が判明し、庚午一~三村、札幌新村の移住が岩手・山形・
新潟
県から行われたことを反映,そして二十年代の移住を伝えるⅢ期をみると、富山県が圧倒的に多く、ついで福井・
新潟
県となっている。,これがⅣ期に及んでもやはり富山県が圧倒的に多く、ついで福井・
新潟
・石川・岩手・宮城・徳島県が続いている
新札幌市史 第2巻 通史2
(府県別の移住者数)
明治三、四年の庚午、辛未移民が岩手・宮城・秋田・山形・
新潟
の東日本、特に東北地方が多かったのとは対照的,1 1 1 1 神奈川 1 4 1 4
新潟
,その他表4から気付かれることは、戸数は僅少ながらも岩手・山形・
新潟
県の出身者が連年にわたりみられることである,西日本の広島・山口・福岡県は、北海道移住から海外移民へと動態に変化をみせ、北海道移住は今度は
新潟
・富山
新札幌市史 第3巻 通史3
(通信官署官制)
(京都・滋賀)、横浜(神奈川・静岡)、神戸(兵庫・岡山・鳥取)、長崎(長崎・佐賀)、札幌(北海道)、
新潟
,(
新潟
)、名古屋(愛知・岐阜・三重)、熊本(熊本・福岡・大分)、仙台(宮城・福島・山形)、広島(広島・
新札幌市史 第2巻 通史2
(庚午移民と組頭)
新潟
県の場合は組頭三人、小頭二人で、庚午移民は八人の組頭に率いられる八班編成であった。 ,彼は庚午移民の一員で、
新潟
県刈羽郡大窪村(現柏崎市)の出身であった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平村ほか五カ村の状況)
この時期の移住者の出身府県は、道内全体でみると二十年代(明治十九~二十九年)の場合、石川、青森、
新潟
,17 84 72 336 4 石川 15 68 14 69 15 52 15 56 59 245 5
新潟
新札幌市史 第3巻 通史3
(地方逓信官署官制の制定)
全国を北海道、東部(関東の一府六県、
新潟
・静岡・山梨・長野各県)、西部(愛知、北陸三県、近畿二府四県、
新札幌市史 第1巻 通史1
(那珂湊と廻船)
船主は越後国
新潟
の石崎弥兵衛といい、大中小三艘の同名船があった。,仕入れて輸送販売する)だったと思われるが、那珂湊の商況が活発になると船の冬囲いを那珂湊で行い、乗組員は
新潟
新札幌市史 第2巻 通史2
(本願寺移民)
本願寺移民 二代目の開拓長官になった東久世通禧の『日録』に、四年六月十七日に「東本願寺寺用移民四拾人
新潟
,さらに『人別改ニ付左之通差上候控』(同前)には、
新潟
県古志郡出身の大工職高橋九右衛門ほか二四人の名前が
新札幌市史 第3巻 通史3
(啞蝉坊来札)
脇屋は郷里の
新潟
で自由民権運動に身を投じ、その後足尾銅山で労働者となり、転じて樺戸集治監で看守を勤め、
新札幌市史 第1巻 通史1
(北越に柵戸を配す)
、上毛野形名(かみつけののかたな)が蝦夷と干戈(かんか)を交え、北陸道では大化三年(六四七)、渟足(
新潟
市沼垂
新札幌市史 第2巻 通史2
(周辺村落の形成と移民)
庚午移民の募集も開拓使上層部の紛糾と島義勇の転任により多くの問題を残したが、主に山形・
新潟
県内から募集
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の編成)
山形県移民には組頭と小頭が各五人、
新潟
県移民には組頭三人、小頭二人となっており(市史 第六巻六五七頁),、①~⑤が山形県移民、⑥~⑧が
新潟
県移民である。
新札幌市史 第1巻 通史1
(目的としくみ)
アイヌ人物画 青木の日記がある由 牧野忠雅 備前守 長岡 越後国 (
新潟
県 長岡市) 森一馬,内藤信親 紀伊守 村上 越後国 (
新潟
県 村上市) 鳥居存九郎 水谷栄之丞 窪田潜竜
新札幌市史 第2巻 通史2
(住民構成(市中と村))
一方道外では、秋田、青森、
新潟
、岩手、石川、富山、福井といったごとく東北と北陸地方に集中していることがわかる,道内 函館 23 松前 12 江差 3 その他 *19 小 計 57 道外 秋田 14 青森 13
新潟
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 明治三年)
付房州船雇の件(二月二八日) 一七 判官殿へ官禄・回米等六件伺、依頼の件(三月二〇日) 一八 米、移民等
新潟
港出発報知,二一 南部職人帰郷船手配の件(三月二九日) 二二 職人共小樽へ送り方の件(四月二日) 二三 昨五日
新潟
新札幌市史 第5巻 通史5上
(占領軍の交代)
その下に、
新潟
・福島両県以北を管轄するノーザン・コマンドが創設され、司令部を札幌においた(二十六年四月
新札幌市史 第3巻 通史3
(寄宿舎の食事)
上記の記事は
新潟
県出身の女工(二三歳)が、会社の虐待を警察に訴える事件の報道であるが、部屋の定員は二〇
新札幌市史 第3巻 通史3
(大正初期の拓北農場)
ノ各生産額 燕麦 九千六百石 九 、農場在住者ノ郷里別及宗教別戸数 香川県 五戸 兵庫県 四戸
新潟
県
新札幌市史 第3巻 通史3
(〝門徒王国〟)
すなわち、札幌区区勢調査によって札幌区の来住者を出生府県別にみると、上位は
新潟
、富山、福井、石川の各県,表-5 出生地の府県別にみた宗派割合 府県 真宗 禅宗 浄土 日蓮 真言 天台 その他 合計
新潟
2,647
新札幌市史 第2巻 通史2
(小作戸数と小作移住の増大)
三十年は徳島、兵庫県(淡路島)で二〇戸、三十一年は徳島、
新潟
県で六〇戸を募集している(殖民公報第八号),出身地は主に徳島県から募移したこともあって同県が圧倒的に多く、三十五年は一二五戸中八九戸もあり、ついで
新潟
県,大正元年は一〇一戸中徳島県は六七戸、
新潟
県は二五戸とやや減少しているが、両県出身者で大部分を占めていることに
新札幌市史 第3巻 通史3
(地方逓信官署官制の改正)
島根・岡山・山口・香川・愛媛)、熊本(熊本・長崎・福岡・大分・佐賀・宮崎・鹿児島・沖縄)、仙台(宮城・
新潟
新札幌市史 第5巻 通史5上
(出版社の疎開)
疎開対象地として長野、仙台、
新潟
、九州、北海道が選ばれたが、北海道は戦災による被害が最小であったことと
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使の移民募集)
羽越国とは現
新潟
・山形県を指す。
新札幌市史 第4巻 通史4
(化学工業)
而してその製品の約七割迄が東北六県、
新潟
県にまで進出し益その声価を認められて居る状態である。
新札幌市史 第3巻 通史3
(前田農場の経営状況)
占める軽川本場は、もともと明治十四年に北海道開進会社が開墾の許可を得たところであるが、同社が解散後、
新潟
県人
新札幌市史 第5巻 通史5上
(諸寺院の動向)
なお、旧本堂の建物は
新潟
県巻町の明誓寺へ移設されている。
新札幌市史 第3巻 通史3
(娼妓の実態)
道内がもっとも多いのはうなずけるとしても、宮城・
新潟
・青森・山形・秋田・岩手といった東北・北陸地方出身者,出身地 娼妓数 出身地 娼妓数 北海道 104人 秋田県 20人 宮城県 61 岩手県 13
新潟
県
新札幌市史 第3巻 通史3
(諸村の宗派割合)
44)によって本籍者二〇九人の元籍をみると、山形県が一〇八人と半数以上を占め、続いて岩手(二八人)、
新潟
新札幌市史 第1巻 通史1
(北溟の旅)
北溟の旅 老中内藤紀伊守信親は、越後国村上城主(
新潟
県)、五万石の譜代大名である。
新札幌市史 第2巻 通史2
(函館産物会所の移管)
同年五月その名称を北海道産物会所と改めると共に、会所規則を制定し、また会所を東京・大阪・兵庫・横浜・長崎・
新潟
新札幌市史 第2巻 通史2
(博覧会・共進会の開催)
十四年九月二十日から十月九日まで会期二〇日間で、秋田・
新潟
・石川・福井四県と共同の連合米繭共進会が札幌区大通
新札幌市史 第5巻 通史5上
(反米運動)
二十四年七月、GHQ民間情報教育局顧問W・C・イールズ博士が
新潟
大学で「赤い教授」や「スト学生」は追放
新札幌市史 第1巻 通史1
(続縄文文化)
道央部の後北式土器後半の土器が道南に分布をひろげ、さらに海をこえて、青森県から、秋田、岩手、宮城、山形、
新潟
新札幌市史 第1巻 通史1
(続縄文時代とは)
そして、後北C2式土器に至ると北海道はおろか仙台平野から
新潟
県でも発見されるようになる。
新札幌市史 第4巻 通史4
(都市計画区域の申請と決定)
境、尼ケ崎、
新潟
、豊橋、岐阜、仙台、岡山、広島、呉、下関、福岡、大分の一二市は都市計画区域決定。
新札幌市史 第4巻 通史4
(定期航空路線の開設)
になると、札幌逓信局が臨時航空調査部を設けて、道内の航空路線の開拓について調査し、東京札幌間、札幌豊原間、
新潟
札幌間
新札幌市史 第4巻 通史4
(豊平・弥彦・諏訪神社)
弥彦神社は大正十一年八月二十四日の創立と同時に村社となっていたが、同社は
新潟
県出身者が中心となった越後国弥彦神社崇敬会
新札幌市史 第2巻 通史2
(物資の輸送と輸送方法の整備)
移民たちと共に
新潟
などから送られてきた米は、移民を札幌へ送り込むためにも移民より先に運送しておかねばならないのである
新札幌市史 第2巻 通史2
((2)札幌製粉場)
後藤半七(南二西一)、岡田佐助(南一西三)、谷吉三(南三西三)、野村忍助(東京築地飯田町)、小林十郎(
新潟
県
新札幌市史 第2巻 通史2
(製網所)
十一年製造高が増加してきたため、
新潟
岩手両県からの移入が四、五年前に比べ、五割近く減じたとある。
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