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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (日本基督教会の教会建設)

日本基督教会の教会建設 この時期札幌に進出したプロテスタント諸教派のうち最初の教会は、二十三年に開設,した長老派の日本基督一致教会(二十四年からは日本基督教会と改称)の講義所であった。 / 日本基督教会の教会建設
新札幌市史 第5巻 通史5上 (教会の再編)

しかし、同教団を構成した主要旧教派-日本基督教会、メソヂスト教会、組合教会など-の諸教会が合同教会としての,一方、海外の教会との関係によるものではないが、二十六年(一九五一)五月に旧日本基督教会の一部が新しい日本基督教会,もともと旧日本基督教会の中には信条と組織のあり方(長老制の採用)など、旧教派の伝統を保持し、教団内の会派,札幌市内の新・日本基督教会の教会は、当初、北一条・円山の両教会であったが、のちに琴似・豊平両教会なども,写真-7 日本基督教会札幌北一条教会(当時の会堂)  なお、占領期が終了し、次に述べるキリスト教
新札幌市史 第4巻 通史4 (教会の消長)

札幌日本基督教会(北一条教会)と札幌組合基督教会(北光教会)の朝礼拝出席者数の推移(図1)は、戦争の進行,この年、日本基督教会は山鼻伝道所を献堂し、円山伝道所を新設し(円山伝道所は、伝道開始四年目に会堂を得た,八年、日本基督教会は軽川伝道所を新設した。,一方、メソヂストの琴似講義所が十四年に廃止となったほか、日中戦争以降、対米英開戦のあたりまでには日本基督教会
新札幌市史 第4巻 通史4 (【主要参考文献・史料】)

日本神学史』、久山康『日本キリスト教教育史』思潮篇、土肥昭夫・田中真人『近代天皇制とキリスト教』、山本秀煌『日本基督教会史,ホーリネス・バンド昭和キリスト教弾圧史刊行会『ホーリネス・バンドの軌跡-リバイバルとキリスト教弾圧-』、五十嵐喜和『日本基督教会史,歴史-』一・二、無教会史研究会『無教会史』Ⅱ、塩野和夫『日本組合基督教会史研究序説』、金田隆一『昭和日本基督教会史,新名忠臣『教会組織五十周年記念誌-セブンスデー・アドベンチスト教団札幌教会史、主をほめたたえよ-』、日本基督教会札幌琴似教会,、同志社大学人文科学研究所ほか『戦時下のキリスト教運動』一~三、戸村政博『神社問題とキリスト教』、『日本基督教会北海道中会記録
新札幌市史 第3巻 通史3 (「札幌の教会、教会の札幌」)

北辰教会は、大正九年に日本のキリスト教発祥の地の一つである、札幌という名を冠する意図で、教会名を「札幌日本基督教会,「教会の札幌」にしようというのは日本基督教会ばかりでなく、各教会が共通して抱いていた志望であろう。,日本基督教会はこの時期の後半、大正二年に高倉徳太郎が牧師となり、次いで七年に小野村林蔵が就任した。,西7丁目 大正11年 (1922) 昭和37年 (1962) 札幌独立キリスト教会(単立) 札幌日本基督教会,北1条 西6丁目 昭和2年 (1927) 昭和54年 (1979) 日本基督教会 札幌北一条教会
新札幌市史 第3巻 通史3 (【主要参考文献・史料】)

寺院の形成」『札幌の寺社』(さっぽろ文庫39)、同「北海仏教団」『印度哲学仏教学』第二号、山本秀煌『日本基督教会史,創立満十年記念―』、『札幌独立基督教会沿革』、林恒衛『札幌市に於ける天主公教会』(カトリック北一条教会蔵)、日本基督教会札幌北一条教会,われらに満ちて─カトリック北一条教会宣教一〇〇周年記念―』、仁多見巌『北海道とカトリック』戦前編、『日本基督教会北海道中会記録,―一九〇三年~一九六一年―』、『北のひとむれの歩み―日本基督教会北海道中会の諸教会の歴史と年表―』、カトリック,カトリックの伝道」『札幌の歴史』第九号、『札幌北一条教会写真集』、『ホーリネスの群札幌教会新会堂献堂式』、『日本基督教会札幌北一条教会創立九十周年記念論集
新札幌市史 第4巻 通史4 (「昨今の如き教勢は」)

と三修道院、盛んな伝道で市民各層の人材が豊富となったメソヂスト教会、大会堂を新築し日曜学校に力を注ぐ日本基督教会,まず日本基督教会は大正十二年、桑園に幼稚園と伝道所を、十五年には山鼻に南講義所を開設した。,同月の組合教会の「札幌集中伝道」集会には五日間で延べ三八〇二人の来会者があり、九月の日本基督教会の特別伝道集会,このような活発な伝道活動の結果といえようか、昭和七年末、札幌市内の諸教会が北海道庁に届出た信徒数は、日本基督教会
新札幌市史 第4巻 通史4 (宗教団体法への対応)

札幌市内のプロテスタント教会のうち、メソヂスト教会では合同は特に異論はなかったようであるが、日本基督教会,札幌北一条教会(日本基督教会)   札幌教会(日本メソヂスト教会)   札幌北光教会(日本組合基督教会,福音ルーテル教会)   札幌新生教会(日本聖教会)     札幌豊水教会(救世軍)   円山教会(日本基督教会
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

(同)、『日記帳』(同)、『札幌各宗連合会』(同)、『浄土宗龍雲寺創建書類』(北大図)、山本秀煌編『日本基督教会史,『札幌基督教会常議員相談留』、『札幌基督教会日誌』一~三、『札幌独立キリスト教会百年の歩み』上・下、日本基督教会札幌北一条教会
新札幌市史 第2巻 通史2 (教会合同の挫折と神学論争)

一致教会も二十四年から日本基督教会(にほんキリストきょうかい)と改称した。
新札幌市史 第2巻 通史2 (プロテスタント諸教会の教勢回復)

そのなかで最も印象が強かったのは、「鶏会堂」を建てた札幌日本基督教会であったようである。,札幌日本基督教会は、前述のとおり三十年に清水久次郎を牧師に迎え教勢を上げつつあった。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (【主要参考文献・史料】)

』三、四(平10)、高木一雄『大正・昭和カトリック教会史』一~四(昭60)、『北のひとむれの歩み -日本基督教会北海道中会,の諸教会の歴史と年表-』(昭58)、『日本基督教会北海道中会記録 一九〇三年-一九六一年』(昭58)、,』(昭39)、同『札幌教会百年の歩み』(平4)、『日本聖公会札幌キリスト教会百年の歩み』(平5)、『日本基督教会札幌北一条教会創立六十年史
新札幌市史 第4巻 通史4 (日中戦争後の諸相)

日本基督教会では、外国ミッション(伝道団体)との友好関係を断つことになったが、それを北海道中会議長小野村林蔵,このうち日本人校長はすでに昭和九年、モンク校長が退き、北海道帝国大学教授を退官した新島善直(札幌日本基督教会員
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌への進出)

十年十月、長老派・改革派が合同して日本基督一致教会(のちの日本基督教会)が設立され、教会合同のもう一方
新札幌市史 第3巻 通史3 (教勢の推移と「クリスチャン」層)

また、大正二年に日本基督教会は南四条西一丁目に札幌福音館を設け、八年あるいは十年頃まで同地で活動した。,札幌福音館の位置は月寒の歩兵第二十五聯隊への往復路に当たり、同館の開設は「軍人に伝道する目的」(日本基督教会北海道中会記録
新札幌市史 第5巻 通史5上 (諸教派の戦後進出)

教派別に見ると、新・日本基督教会の離脱によって全道的に教会数が半減した日本基督教団は、二十九年から「北海道特別開拓伝道,福音ルーテル教会は、二十四年北講義所(現札幌北教会)を開設し、二十六年に新発足した日本基督教会は、戦前来
新札幌市史 第5巻 通史5下 (靖国問題をめぐって)

日本基督教団、日本基督教会の教区、中会は東西両本願寺などとともに道内の宗教団体に呼びかけて五十七年一月
新札幌市史 第2巻 通史2 (メソヂストと聖公会)

メソヂストと聖公会 日本基督教会に次いで教会を設立したのは、美以教会(メソヂスト監督教会)であった。
新札幌市史 第3巻 通史3 (ルーテル、セブンスデー、救世軍の進出)

日本基督教会も桑園に日曜学校の分校を開設し、これが十二年には桑園幼稚園とともに桑園伝道所を生み出した。
新札幌市史 第2巻 通史2 (「沈静」の到来)

たとえば、札幌日本基督教会は「鶏会堂」で教会建設(設立)した翌二十九年には、牧師信太寿之(しのだひさゆき
新札幌市史 第5巻 通史5下 (カトリックの改革と教会一致運動)

めるなど、八〇年代末から九〇年代には、カトリック、日本基督教団、日本キリスト教会〔平成七年(一九九五)、「日本基督教会
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌基督教会の自立)

専任の教職を求めて、東京の植村正久(一致教会牧師、のちに日本基督教会の指導者)の招聘を打診したこともあり
新札幌市史 第2巻 通史2 (組合教会の進出)

海老名はこれに賛成し、帰路仙台で東北学院長の押川方義(日本基督教会)と協議した。
新札幌市史 第3巻 通史3 (自給と協同)

もとより独立教会は、当初から他よりの援助を受けない自給教会であり、また日本基督教会はすでに自給を達成して
新札幌市史 第4巻 通史4 (神社参拝問題の発生)

神社参拝が国民の思想、なかでもクリスチャンの社会的態度決定に影響を及ぼすと考えた札幌日本基督教会牧師小野村林蔵
新札幌市史 第3巻 通史3 (道内における札幌の教会の位置)

これは、聖公会・美以教会(みいきょうかい)・日本基督教会・組合教会・浸礼教会(しんれいきょうかい)(北部
新札幌市史 第3巻 通史3 (基督教婦人矯風会)

三十六年十月、米国の万国婦人矯風会派遣委員のスマートがガントレット夫人と来札、十二日と十五日に日本基督教会堂
新札幌市史 第3巻 通史3 (大挙伝道と教勢の伸張)

札幌日本基督教会はこの時期、大正二年まで清水久次郎が牧師の任にあったが、この間、明治四十年五月の大火で
新札幌市史 第2巻 通史2 (超教派の社会活動)

三十一年からは、札幌日本基督教会青年会が発行していた月刊紙『北海教報』を引き受けて発行することになった
新札幌市史 第3巻 通史3 (全国の趨勢)

宣教団から一定の自立を果たし、一部、合同しつつ日本における教団の成立を遂げていた(例えば明治三十八年の日本基督教会大会
新札幌市史 第3巻 通史3 (日露戦争と協同伝道)

日本基督教会の清水久次郎牧師は「露国は建国以来侵略主義を以て国是とす是れ天地の公道宇宙の大則と相容れざる
新札幌市史 第2巻 通史2 (新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)

    二 札幌基督教会の消長と諸教派の進出        札幌基督教会の発展 札幌基督教会の沈滞 日本基督教会
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 (出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)

1258  永岡鶴蔵伝(中冨兵衛) 1259  開校80周年記念誌大谷地(大谷地小学校) 1260  日本基督教会札幌北一条教会創立六十年史,1339  日本弘道会札幌支会会報 1340  札幌市豊平外四箇村連合用水組合沿革史 1341  日本基督教会北海道中会記録,(北海道文学館蔵) 1616  氷河 創刊号(北海道文学館蔵) 1617  北のひとむれの歩み-日本基督教会北海道中会
新札幌市史 第5巻 通史5上 (図版・写真・表組一覧)

現日本福音ルーテル札幌教会 改修前) (札幌宗教関係書類 昭17 道図) (967頁) 写真-7 日本基督教会札幌北一条教会
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