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新札幌市史 第4巻 通史4
(宗教団体法への対応)
であった教会合同は、戦時下の国家統制を目的とした宗教団体法の施行を契機として実現し、昭和十六年六月、
日本基督教団
,
日本基督教団
は、当初完全な合同ではなく、各教派の伝統を尊重して一一の部に分かれていたが、翌年部制を解消,結局、キリスト教はプロテスタントの
日本基督教団
とカトリックの天主公教教団の二教団しか認可されなかった。,しかし、日本聖公会は「日本聖公教団」の認可を得られず、合同しないまま組織を解消し、一部は個別に
日本基督教団
,いずれも
日本基督教団
、天主公教教団とは教理、組織、職制、儀式を異にする独自なものであるという主張が文部省
新札幌市史 第5巻 通史5上
(教会の再編)
教会再編の動きが顕著となるのはプロテスタントであって、
日本基督教団
から離脱する教会が北海道でも続いた。,これによって北海道教区を再建し、翌二十一年、
日本基督教団
に加わっていた札幌・小樽・深川聖三一の各教会と,合同教会である
日本基督教団
にとどまるよりも、教派の教会として立つ意義を重視したのである。,戦後、宗教団体法の廃止と諸教派の離脱によって、
日本基督教団
は解体の可能性もあった。,この離脱によって、
日本基督教団
北海教区は教会数を半減させ、ひいては札幌の教会を二分することになった。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(敗戦を解放として)
開戦の年にプロテスタント諸教派のほとんどが合同して成立した
日本基督教団
では、敗戦を「至忠尚ほ欠くる処あり,同胞に奉仕するに怠慢懶惰」であって、「天父と人との前に懺悔せざるを得ず」と表明したが(総懺悔更正運動
日本基督教団
史資料集三,
日本基督教団
は、「総懺悔更正運動」をその後は「三百万救霊」(伝道)をめざす「新日本建設キリスト運動」として
新札幌市史 第5巻 通史5下
(【主要参考文献・史料】)
)、平中忠信「一九七〇年以降の札幌地区における、カトリックの動向」『札幌の歴史』47号(平16)、『
日本基督教団
年鑑,』、戒能信生「教勢から見た
日本基督教団
の五〇年」雨宮栄一・森岡巌『
日本基督教団
50年史の諸問題』(平4,)、「北海教区史略年表」『(
日本基督教団
)北海教区通信』第一〇〇号(昭63)、『(
日本基督教団
)北海教区史年表,十二使徒教会『15周年記念誌』(平6)、同『二十周年記念誌』(平11)、北部教会『北を拓く』(昭61)、
日本基督教団
月寒教会,『月寒教会40年史年表』(昭63)、同『ヤーウェ・イルエ』(平11)、
日本基督教団
札幌教会『札幌教会百年
新札幌市史 第4巻 通史4
(会堂の接収と終戦)
会堂の接収では、まず昭和十八年、陸軍被服本廠札幌出張所が、
日本基督教団
北海教区に二カ所以上の施設提供を,昭和二十年五月には、文部省が天主公教教団に対して、キリストの復活を教義から外すよう要求したといわれ、
日本基督教団
,一方、戦争協力に積極的であった
日本基督教団
北海教区長の真野萬穰は辞意を表明、翌年五月、札幌教会の牧師も
新札幌市史 第5巻 通史5上
(【主要参考文献・史料】)
キリスト教史-』(平12)、戸村政博『神社問題とキリスト教(日本キリスト教史資料1)』(昭51)、『
日本基督教団
史,』(昭42)、『
日本基督教団
史資料集』三、四(平10)、高木一雄『大正・昭和カトリック教会史』一~四(,一九五四~一九六三 参考資料』(昭40)、同教区宣教研究委員会『宣教論集』(昭62)、「北海教区史略年表」
日本基督教団
北海教区,仁多見巌『北海道とカトリック』戦後編(昭62)、『札幌独立キリスト教会百年の歩み』上・下(昭57、58)、
日本基督教団
札幌教会,教会札幌北一条教会一〇〇年史 一八九〇-一九九五』(平12)、『札幌北光教会七十年の歩み』(昭41)、
日本基督教団
札幌北光教会
新札幌市史 第5巻 通史5上
(敗戦直後札幌の諸教会)
-2 敗戦時札幌のキリスト教会 区分 教団名 教会名 所在地 現在の教団名/教会名 プロテスタント
日本基督教団
,札幌教会 北1東1
日本基督教団
/札幌教会 札幌北一条教会 北1西6 日本キリスト教会/札幌北一条教会,札幌北光教会▼ 大通西1
日本基督教団
/札幌北光教会 札幌北八条教会▼ 北8西6 日本聖公会/札幌キリスト
新札幌市史 第5巻 通史5下
(教会と教会員数)
この間、プロテスタント教会で最も教会数が多く全道に所属教会を展開している
日本基督教団
を例にとると、表6,表-6
日本基督教団
北海教区の教勢における札幌の位置(1970年と2000年の対比) 区分 教会数 教会員数,34.0% 36.1% B/A(%) 19.5% 2000年 ― 44.2 44.7 32.1 『
日本基督教団
年鑑,なお、教会・教会員数がすでに表7で明らかなカトリックと前述の
日本基督教団
、イエス之御霊教会教団以外で、
新札幌市史 第5巻 通史5上
(諸教派の戦後進出)
図-1 札幌市内の教会数 表4では、
日本基督教団
から諸教派の離脱と再建があり、キリスト教ブーム,昭和 20 23 25 27 29 31 33 35 37 39 41 43 44 45 1-1
日本基督教団
,8 5 5 5 4 4 5 5 6 6 10 12 13 13 1-2 戦前来の教派(
日本基督教団
を,教派別に見ると、新・日本基督教会の離脱によって全道的に教会数が半減した
日本基督教団
は、二十九年から「北海道特別開拓伝道
新札幌市史 第5巻 通史5下
(七〇年紛争とキリスト教)
とくに
日本基督教団
立の教師養成機関である東京神学大学では、四十五年三月、学生の封鎖を解除するため機動隊,この是非をめぐる論議は、
日本基督教団
自体の対立を引き起こした。
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
湯浅与三『基督にある自由を求めて-日本組合基督教会史-』、日本聖公会歴史編纂委員会『日本聖公会百年史』、『
日本基督教団
史,日本基督教会札幌北一条教会『創立六十年史』、武田俊信・細谷良彦『山鼻カトリック教会三十年のあゆみ』、
日本基督教団
札幌教会,)、『札幌正教会百年史』(札幌ハリストス正教会)、『北星学園百年史』通史篇、『札幌教会百年の歩み』(
日本基督教団
札幌教会,・9・1~13)、『日本メソヂスト東部年会記録』(青山学院大学資料センター蔵)、『北海メソヂスト』(
日本基督教団
札幌教会蔵
新札幌市史 第5巻 通史5下
(教会設立の動向)
この傾向は七〇年代後半(昭和五十~)以降も続き、カトリック、
日本基督教団
、日本キリスト教会、聖公会、日本福音,平成十五年(二〇〇三)末現在で日本福音キリスト教会連合の教会は、札幌市内で一五教会を数え、教団別の教会数では
日本基督教団
新札幌市史 第4巻 通史4
(流言蜚語)
たとえば「大東亜戦争ガ起キテ特ニ米英ヲ鬼畜ダト云フガ夫レハ極端ダ、米英ノミガ悪イノデハナイ」などと、
日本基督教団
北海教区長
新札幌市史 第5巻 通史5下
(平和といのちと人権の取り組み)
とくに
日本基督教団
北海教区は、七〇年代(昭和四十五~)に社会問題への関わりを深め、平成三年(一九九一),この事務所は、発起された当初から
日本基督教団
札幌教会内に置かれている。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(キリスト教の社会的関与)
キリスト教の社会的関与 一九七〇年代の紛争は、
日本基督教団
の教勢(教会員数、日曜礼拝出席者数、受洗者数
新札幌市史 第4巻 通史4
(受難事件の発生)
この逮捕では、旧ホーリネス系の
日本基督教団
第六部・第九部の教会及び宗教結社きよめ教会に対し一斉に行われたものであった,新生教会は伊藤の一審判決の前、十八年四月に宗教団体法第一六条により認可取消しとなり、解散させられ、
日本基督教団
,昭和十九年四月二十八日、
日本基督教団
北海教区長・北一条教会牧師小野村林蔵が「(神宮への)不敬並に時局に
新札幌市史 第5巻 通史5下
(伝道機会の変化)
同様のことが
日本基督教団
札幌教会でも指摘され、昭和六十三年時点で二〇年間に生徒数が九〇人から三八人に減少,いずれも
日本基督教団
所属教会との関連で開設されたものであるが、単立また他の教団でも宣教の一端として喫茶店伝道
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
日本基督教会札幌北一条教会『創立六十年史』、ゲルハルト・フーベル「北海道におけるフランシスコ修道会の五十年」一~九『光明』、
日本基督教団
札幌教会,日本基督教会札幌北一条教会創立九十周年記念論集』、『天使病院七五周年記念誌』、『札幌正教会百年史』、『北星学園百年史』通史篇・資料篇、
日本基督教団
札幌教会,札幌組合基督教会、札幌北光教会蔵)、『北光』(同前)、『光明』(フランシスコ修道会)、『北海メソヂスト』(
日本基督教団
札幌教会蔵
新札幌市史 第5巻 通史5下
(二一世紀において)
これはとみに社会問題への関わりを深めた
日本基督教団
北海教区の教会に限らず、カトリックにおいてもJEA加盟
新札幌市史 第5巻 通史5上
(戦後伝道とアメリカの影響)
プロテスタントでは、
日本基督教団
は引き続き存続したが、聖公会、救世軍、バプテスト連盟、福音ルーテル教会
新札幌市史 第5巻 通史5下
(キリスト教界の教勢と新たな構図)
戦後、プロテスタントの中でその主たる部分を占めてきたのは、NCCに加盟している
日本基督教団
、日本聖公会
新札幌市史 第5巻 通史5上
(活動の再開)
戦後、札幌でも組織的に伝道活動を再開したのはプロテスタントで、二十一年四月に
日本基督教団
の新日本建設キリスト
新札幌市史 第3巻 通史3
(大通の景観)
大正元年に戻って、北大通西一二丁目に石造二階建の札幌地方裁判所庁舎が落成、翌二年南大通西一丁目にレンガ造の
日本基督教団
札幌北光教会会堂
新札幌市史 第3巻 通史3
(「札幌の教会、教会の札幌」)
使用廃止年次 現在の教団・教会名称 札幌美以教会 北1条 東1丁目 明治37年 (1904) 現存
日本基督教団
札幌教会,札幌組合基督教会 南1条(大通) 西1丁目 大正2年 (1913) 昭和43年 (1968)
日本基督教団
札幌北光教会
新札幌市史 第5巻 通史5下
(靖国問題をめぐって)
日本基督教団
、日本基督教会の教区、中会は東西両本願寺などとともに道内の宗教団体に呼びかけて五十七年一月
新札幌市史 第5巻 通史5上
(北海道婦人大会・札幌)
向井君代 南大通西1 救世軍札幌小隊家庭団 張田マスノ 南4西1 札幌聖公会婦人会 瀬谷千代 北8西6
日本基督教団
札幌新生教会婦人会,伊藤スマ 南大通西11
日本基督教団
札幌北一条教会婦人会 五十嵐とく 北1西6 日本キリスト教団札幌教会婦人会
新札幌市史 第5巻 通史5上
(各層への浸透)
たとえば札幌教会(
日本基督教団
)は、札幌市立病院長の依頼で毎週一〇〇余人の同病院看護婦のために、キリスト
新札幌市史 第5巻 通史5下
(カトリックの改革と教会一致運動)
札幌市内でもその翌年六十三年五月に豊平教会が試用を始めるなど、八〇年代末から九〇年代には、カトリック、
日本基督教団
新札幌市史 第5巻 通史5上
(占領期の活況)
二十四年四月十七日早朝には、真駒内の占領軍キャンプで、占領軍と
日本基督教団
諸教会による日米合同の復活祭
新札幌市史 第5巻 通史5上
(自主的活動の発足)
日本基督教団
北海教区常置委員会も三月二十六日、安孫子らの要請に応えて二人の委員を応援に推薦した(北海教区常置委員会記録
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)
期営業報告書(札幌軌道(株),昭和7年度) 1647 資料・北海道詩史 1648 教会日誌(
日本基督教団
札幌教会蔵,北九条小学校開校80周年記念事業協賛会) 1901 (日本メソヂスト教会)北海道部部会記録 第二十七回(
日本基督教団
札幌教会蔵,1960 札幌わた寝具業界史(札幌わた・寝具業界編) 1961 拓殖月報 第46号 1962
日本基督教団
史資料集, 1 1963
日本基督教団
史資料集 2 1964
日本基督教団
史資料集 5 1965 北海道工業年報
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1945年〜2000年)
戦後北海道農政史 3475 戦後北海道農民運動史(北海道農民連盟) 3476 戦時下,
日本基督教団
北海教区,1949〜2000- 3673 日本キリスト教会北海道中会年表-1951〜2001- 3674
日本基督教団
史資料集, 3 3675
日本基督教団
史資料集 4 3676 日本キリスト教歴史大事典 3677,3804 北海学園大学三十五年小史 3805 北海教区史略年表(『北海教区通信』第100号,
日本基督教団
新札幌市史 第4巻 通史4
(図版・写真・表組一覧)
札幌天主公教会(カトリック北一条教会)同胞会無料診療所と平世修明(同教会蔵) (1100頁) 写真-9
日本基督教団
北海教区創立教区会
新札幌市史 第5巻 通史5上
(図版・写真・表組一覧)
日本基督教会札幌北一条教会(札幌宗教関係書類 昭17 道図) (968頁) 写真-8 新日本建設キリスト運動のポスター(
日本基督教団
札幌北光教会七十年
新札幌市史 第5巻 通史5下
(図版・写真・表組一覧)
4 仏教系法人数の推移 (985頁) 表-5 新寺院建立一覧(宗教法人認証) (987頁) 表-6
日本基督教団
北海教区
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