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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (招魂祭の区民主催)

八月二日挙行の本祭は一二〇〇円余の寄付を集め、日清戦争の戦死者等四三柱の霊を合祀し、中島遊園地で神式、,この招魂祭の区民主催は他都市に前例もあるが、同時に日清戦争のもたらした時代相の一つといえよう。
新札幌市史 第2巻 通史2 (高騰する地価と家賃)

ところが、日清戦争後の二十九年春頃より次第に状況が変化しはじめた。,それが日清戦争後諸会社や工場の事業拡張に伴い札幌に建設関係者や職工たちが急増しはじめると、地価が三割から,このように、日清戦争後の札幌は、事業拡張のため資本が大量に投入され、そこへ人びとが集まってきたため一大住宅難
新札幌市史 第2巻 通史2 (献金・献納)

こうして、日清戦争勃発の一年以上も前から、国民の献金・献納現象が開始された。  ,この現象は、二十七年八月一日、日清戦争の宣戦布告が出されてからは一層顕著となった。
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌神社と台湾神社)

札幌神社と台湾神社 しかしながら、札幌神社が明治三十二年に官幣大社に昇格する背景には、日清戦争後の最初,台湾神社には、明治二十八年(一八九五)の日清戦争で病死した近衛師団長北白川宮能久を一座、開拓三神(大己貴神
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌村の玉ねぎ)

その後札幌付近の玉ねぎ栽培は二十四、五年頃より作付面積が増えはじめ、日清戦争以降需要が増大し、価格も騰貴
新札幌市史 第2巻 通史2 (兵役)

までが現役、翌四月一日から二十八年三月三十一日まで予備役、翌日から後備役となるはずだったが、予備役中に日清戦争出兵,この記事によると、新琴似兵員全員が同時に予備役を終え後備役に入ったことになり、それが日清戦争中の二十八年四月一日,出兵は予備役中に日清戦争があり、東京に集結したが戦地に赴かぬうちに終戦となり帰村、後備役中には日露戦争
新札幌市史 第2巻 通史2 (第七師団の設置と入営)

第七師団の設置と入営 日清戦争終了後、政府の軍備拡張計画に基づき常備の近衛ほか六個師団を倍増し、さらに,札幌区や札幌郡からの入営者のために尚武会(前身は日清戦争の時設立された軍人家族保護会)札幌支部が、十一月二十三日豊平館
新札幌市史 第2巻 通史2 (戦況報告会)

戦況報告会 前述したように、日清戦争の戦況を知る手段に、新聞のほかにさらに事実を生々しく伝えたのが普及
新札幌市史 第2巻 通史2 (流通機構の整備)

二十七年、日清戦争が起こる気運によって本州と北海道を結ぶ定期船は御用船となり、そのため東京、大阪、敦賀等,二十八年四月、日清戦争は終結して講和条約が調印され、御用船も漸次解除されて船舶の北海道への往来が増加して,また旭川への官設上川鉄道の敷設、排水運河工事の起工、第七師団の新設等、日清戦争後諸般の事業が活気を帯び
新札幌市史 第2巻 通史2 (「沈静」の到来)

(日清戦争終戦)爾来平和に帰し国民戦後の経営に忙はしく、事業の建設に力を致せる為め、又一種唯物的暗潮の,また、日清戦争後の経済活動の活発化は、宗教的無関心を助長し、伝道の阻害要因になったとして記者の目に映じた
新札幌市史 第2巻 通史2 (養蚕農家)

しかし、生糸の需要が伸びた一方で二十年代の札幌区や札幌郡の養蚕農家の数は、日清戦争を境に減少傾向を示した,それは、養蚕農家の担い手である屯田兵村で、日清戦争に際して出征兵士を送り出したことと関係する。
新札幌市史 第2巻 通史2 (御料林)

日清戦争後、移民の北海道流入にもとづいて次第に未開地の貸下・払下にも支障をきたしてきた。
新札幌市史 第3巻 通史3 (『北海道用尋常小学読本』の編纂意図)

しかし、同読本の編纂事業は明治二十七年八月の井上の文相辞任に加えて、それとほぼ同時の日清戦争の開始によって,その背景には、日清戦争後の日本の軍事問題を軸とする政治上の諸問題が存在していた。,同読本の編纂事業の再開は、こうした日清戦争後の北海道と沖縄県の軍事体制の整備問題とは決して無関係ではない,沖縄県の場合は日清戦争後、その役割を台湾が担い軍事上の役割は相対的に下落したが、北海道はロシア、沖縄県,『北海道用尋常小学読本』はまさにこの趣旨を体現したもので、日清戦争後の北海道の小学生の軍事的・文化的「
新札幌市史 第3巻 通史3 (その他の女性団体)

その他の女性団体 日清戦争時に軍人家族保護会として設立された軍事援護団体は、戦争終結とともに一旦解散
新札幌市史 第2巻 通史2 (職業斡旋業の出現)

写真-5 製麻会社の募集広告(北海道毎日新聞 明治22年7月27日付)  日清戦争後の事業拡張にともなって
新札幌市史 第2巻 通史2 (製麻会社)

表からもわかるとおり、製麻会社は二十七・八年の日清戦争後事業をますます拡張し、三十年には職工数一三〇〇,ところが日清戦争後の好況に支えられて、製麻会社は事業を拡張し職工の大量募集に踏みきるとともに、二十八年十月,日清戦争後の製麻会社の製品は、糸類のほか織物類は帆布、ズック、服地、雑布で、そのおもな販売先は陸海軍両省
新札幌市史 第2巻 通史2 (装備・施設)

エンヒール銃は筒先から玉をつめ込む旧式なもので性能もよくなかったらしく、漸次レミントン銃に取換えられ、さらに日清戦争時,新調服の評判はいろいろで、特にズボンが白黒の霜降りだったからハイカラと感じる人もいれば、日清戦争時に敵国
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道尚武会)

北海道尚武会は日清戦争時の明治二十八年十一月に創設され、「北海道ニ本籍ヲ有シ陸海軍ノ兵役ニ服スルモノヲ
新札幌市史 第2巻 通史2 (公認神社創出の方針)

おそらく日清戦争後の国家主義の高揚もこれを促進させた一因と考えられる。
新札幌市史 第2巻 通史2 (移転論の台頭)

その一方で、日清戦争を経た段階の三十年の『北海道庁統計書』によれば、薄野の貸座敷数は四〇軒、芸妓数九八人
新札幌市史 第2巻 通史2 (二十八年の金融)

二十八年の金融 二十七年の日清戦争の開戦以来、実業家たちは流通業に対して警戒心が強く、また軍事公債募集
新札幌市史 第3巻 通史3 (〝大屈辱条約〟)

講和条約の中では領土的には南樺太(サハリン)の割譲は入っていたものの、日清戦争時のような賠償金がなかったために
新札幌市史 第2巻 通史2 (日本銀行札幌出張所の設置)

同行が出張所を支店に昇格させたのには、日清戦争前後本道の商品輸出入の中心がまだ函館にあったことによっている
新札幌市史 第2巻 通史2 (二十七年の金融)

農産物収穫搬出の十、十一月段階に至ってやや物資運送の便がゆるんできたが、年末になって日清戦争の先々を警戒
新札幌市史 第2巻 通史2 (娯楽・遊楽の街と旅客)

興行内容も、狂言のほかに義太夫、浄瑠璃、手品が興行され、さらに日清戦争前頃から普及しはじめた幻灯会、それに,25年2月11日付)  寄席ではおもに軍談、講釈、落語、浄瑠璃、清元、手品、浪花節等が興行され、日清戦争中,には金沢亭において、「日清戦争のパノラマ興行」も行われ、観客を熱狂させた。  
新札幌市史 第3巻 通史3 (新琴似兵村からの出兵)

新琴似兵村からの出兵 新琴似、篠路兵村に入地していた屯田兵は、いまだ後備役中であったために召集を受け、日清戦争
新札幌市史 第3巻 通史3 (鉄工組合第三十五支部の結成)

鉄工組合第三十五支部の結成 日清戦争の戦中、戦後の好況と資本主義の発達により、急激に膨張した日本の経済
新札幌市史 第2巻 通史2 (戦勝祈願と追弔)

戦勝祈願と追弔 二十七年八月一日の日清戦争の勃発以来、札幌の街や村の人びとの生活に大きな変化があったとすれば
新札幌市史 第3巻 通史3 (蛎崎知次郎と西川光二郎)

蛎崎知次郎と西川光二郎 札幌の人びとに社会主義思想が紹介されたのは、日清戦争の頃であった。
新札幌市史 第2巻 通史2 (旧暦)

このほか、彼岸については三十二年三月二十一日が中日で、寺院のにぎわっている様子が報じられており、おそらく日清戦争後
新札幌市史 第2巻 通史2 (亜麻等特約農家)

日清戦争を境に製麻会社はにわかに需要が急増し、特約農家を増やさなければならなかった。
新札幌市史 第2巻 通史2 (人口比率と「家」)

伊東は、日清戦争を経たこの時期に、真に北海道が欲している女性は、「娼妓ならざる、芸妓ならざる、白首ならざる
新札幌市史 第2巻 通史2 (超教派の社会活動)

写真-10 新渡戸稲造  二十七、八年の日清戦争には、札幌基督教青年会は、出征軍人家族のための募金活動,日清戦争に反対した札幌の教会や個人は未見である。  
新札幌市史 第3巻 通史3 (帝国製麻の成立)

日清戦争期には、軍需品である亜麻製品の需要が急増し、全国の製麻工場はフル操業で生産を増大させた。,ところで日清戦争時には、北海道製麻のほかに全国には近江麻糸紡織(明17・6設立)、下野麻紡織(明20・
新札幌市史 第2巻 通史2 (農産加工用原料の生産状況)

こうして亜麻生産は二十三年からぐんぐん増加し、日清戦争後の製麻会社の事業拡張にともない、二十八年の収穫高,この原因は、作付反別の増加と、日清戦争の影響により運賃高騰のため本州の需要者が購入を見合わせたため、一手,このため日清戦争時には、屯田兵の出征も加わって掃立枚数は半減した。
新札幌市史 第2巻 通史2 (演習と出征)

二十七年八月一日、日清戦争が勃発すると実地演習は実戦に備える訓練に変わった。
新札幌市史 第3巻 通史3 (日露戦争と札幌)

、遺家族の慰問、葬儀、宗教団体主催の祈祷会・追悼会、様々な労力奉仕などによる日常生活の混乱がみられ、日清戦争時
新札幌市史 第2巻 通史2 (人口増加と物価高)

これ以後の札幌区の人口は、表1のように増加の一途をたどり、二十三年にははじめて二万人を突破、日清戦争後,北海道製麻会社の創立および二十二年着業にともなう職工数の増加に代表されるような諸会社工場の経営開始、さらに日清戦争後,札幌の物価をかくも押しあげたのには、日清戦争後の好景気に支えられて諸会社工場の事業拡張、さらには二十九年
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ開拓と荒井村の性格)

屯田農兵の制の意図に基づき、国家のために行った、と記されているものが多いが、これらは国家意識が高揚した日清戦争後
新札幌市史 第2巻 通史2 (平時の練兵)

あと日清戦争除隊日となる二十八年六月までが予備役、三十七年三月まで後備役、さらに補充役となって同年九月屯田兵条例
新札幌市史 第3巻 通史3 (創立の目的と「救育」の論理)

そこには日清戦争後、台湾を植民地化した当時の日本をとりまく国際的状況を踏まえ、国家の体裁を繕うための一
新札幌市史 第3巻 通史3 (出現の背景)

札幌では日清戦争を契機に、看護婦養成が開始され、明治三十二年(一八九九)に最初の看護婦が誕生した。
新札幌市史 第2巻 通史2 (細民の創出)

また、日清戦争後の札幌では、各種工場の事業拡張にともなって、職工等労働者を斡旋する「口入屋」が増加したことは
新札幌市史 第2巻 通史2 (後期二兵村)

また、日清戦争復員の日をもって大中隊の編成替があり、新琴似兵村を第一大隊六中隊、篠路兵村を同七中隊としたが
新札幌市史 第3巻 通史3 (細民調査事業)

それら多くの都市細民は、日清戦争後の不況を契機に都市に集住しはじめ、下層社会を形成し、日傭、土方、人力車夫
新札幌市史 第2巻 通史2 (変わる食生活)

酒は、日清戦争中戦勝祝賀会等種々の会合の催しにより需要が伸びた。
新札幌市史 第2巻 通史2 (衣類の供給)

また開拓当初から好んで用いられた古着はますます愛好され、以前は垢付のまま一〇貫目四、五〇銭であったが、日清戦争後
新札幌市史 第3巻 通史3 (区制期)

明治三十七、八年の日露戦争は、日清戦争に比べはるかに大きな影響を札幌の人たちに与えた。
新札幌市史 第3巻 通史3 (あおられる愛国心)

日清戦争と異なり日露戦争は、日本の国力をすべてかけた戦いであっただけに、激しい「愛国」の嵐が吹きすさび
新札幌市史 第3巻 通史3 (篤志看護婦人会)

篤志看護婦人会 日清戦争の直前に設立された同会は、看護婦養成のいわばさきがけとなったことはすでに記したとおりである
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