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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ
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新札幌市史 第3巻 通史3
(日露戦争と札幌)
日露戦争
と札幌 北海道の開拓や札幌本府の建設は、対ロシアとの北方警備、〝北門の鎖鑰〟として推進されてきた,それが
日露戦争
という現実の問題となり、さらに世界の強大国との国の存亡をかけた開戦は、様々な影響を札幌にも,
日露戦争
は「忠君愛国」という国民統合に果たした役割には大きいものがあった。 /
日露戦争
と札幌
新札幌市史 第3巻 通史3
(日露戦争と小学校)
日露戦争
と小学校 明治三十七年二月に始まった
日露戦争
は、豊平村の歩兵第二五聯隊が出兵したこともあって,これを最初に
日露戦争
中の同校の『沿革誌』には戦争関係記事が頻出する。,創成尋常小学校でも、児童に対して
日露戦争
に関する講話が行われた。,
日露戦争
期、小学校では戦争の賛美とその正当化の教育が徹底された。,まさに
日露戦争
の正当化以外の何物でもない。 /
日露戦争
と小学校
新札幌市史 第3巻 通史3
(日清戦後から日露戦争期)
日清戦後から
日露戦争
期 この時期については札幌の月別価格データがないので、おもに新聞記事から景気動向,このような閉塞状況に終止符を打つかに思われたのが
日露戦争
である。,ただし、
日露戦争
も戦時においては、国債発行による金融逼迫や軍需以外の産業の不振となってあらわれた。,
日露戦争
中に札幌区役所が行った調査の結果が明治三十七年七月の小樽新聞に報じられている。 / 日清戦後から
日露戦争
期
新札幌市史 第3巻 通史3
(日露戦争と協同伝道)
日露戦争
と協同伝道 札幌においても、キリスト教界、特にプロテスタント諸教派の主流は社会の有力者層と結,その動きを、明治三十七~三十八年の
日露戦争
への対応と、前述の大正四年以降の協同伝道の展開のなかに読み取,
日露戦争
では、全国的にキリスト教界の大勢は、東洋の平和と国益のためとの理由を掲げ、挙げてこの戦争を支持,
日露戦争
から協同伝道の頃にかけて、教会は区民の各層に信徒を増やし浸透していった。 /
日露戦争
と協同伝道
新札幌市史 第3巻 通史3
(日露戦争前後のハリストス正教会)
日露戦争
前後のハリストス正教会 日本におけるハリストス正教会は二十世紀初頭前後、教勢を順調に伸展させていったといわれている,しかしこの時期、
日露戦争
の勃発で、ハリストス正教会はロシアとの関係が深かったため、官憲の監視下に置かれることが,具体的な迫害の事実は記録として伝えられていないが、後述する区内キリスト教関係者を中心に組織して開催された
日露戦争
支援 /
日露戦争
前後のハリストス正教会
新札幌市史 第3巻 通史3
(その他の女性団体)
日露戦争
に際して再び活動が活発化し、三十八年各町村に婦人部を設置し、おもに出征軍人及び戦死者遺骨の送迎,いま一つ札幌奉公義会は、
日露戦争
勃発の三十七年二月、札幌区長加藤寛六郎発起となり、出征軍人軍属の遺族救済,このように
日露戦争
下において、官制女性団体は官主導のもとに出征兵士の送迎・慰問、軍人遺家族救護、傷病兵慰問
新札幌市史 第3巻 通史3
(三教合同の北海道宗教大会)
三教合同の北海道宗教大会
日露戦争
中の宗教界の動向で見逃せないのは、神道、仏教、キリスト教の三教合同,大会趣意書は
日露戦争
を「国家の膨張、国運の勃興」ととらえた上で、以下のような大会の意義・目的について述,のために一時的に会したものであり、後世に与えた影響は少ないが、この種の大会はすでに東京でも試みられており、
日露戦争
新札幌市史 第3巻 通史3
(神社・寺院の支援活動)
今回の戦争はヨーロッパのキリスト教国との交戦であっただけに、
日露戦争
はさながら宗教戦争の様相を帯び始めてきていた,三月十八日、西本願寺別院で開かれた各宗聯合仏教会主催の仏教演説会で金森通倫は、「
日露戦争
の必ず勝つべきこと,することゝの覚悟をなすこと緊要なり」と述べ、区民からおおいに喝采を浴びていたが(北タイ 明37・3・19)、
日露戦争
新札幌市史 第3巻 通史3
(「宗教戦争」)
日露戦争
は、アジアの小国がヨーロッパの大国に挑むという元寇以来の「国難」とされていたが、それ以上にこの,国家存亡の危機に直面した
日露戦争
は、近代に至っても日本仏教のこうした性格がいまなお失われていなかったことを
新札幌市史 第3巻 通史3
(物価と賃金の動き)
しかしその中でのやや細かい差異に注目すると、まず、
日露戦争
期に札幌の物価が東京と異なり騰貴傾向を示していること,特に
日露戦争
前に札幌の賃金は全国と異なり低落し、以後全国を一貫して下回っている。,これらの検討から札幌経済の長期的趨勢は、数量的にかなり順調な伸びを示したが、価格面では東京に比べて
日露戦争
期
新札幌市史 第3巻 通史3
(開戦の報)
対立は、ついに戦争へともちこまれていき、日本は明治三十七年(一九〇四)二月十日にロシアに宣戦布告を行い
日露戦争
,
日露戦争
は「未曾有の国難」という危機意識が市民には強く、それだけに緒戦の勝利は「神前へ神酒を捧げ」「お
新札幌市史 第3巻 通史3
(日常生活の変貌)
日常生活の変貌
日露戦争
前くらいから札幌区内の生活が徐々に変わりはじめた。,
日露戦争
下の三十七年から翌年にかけて、愛国婦人会道支部では第七師団からの出征兵士のために軍用シャツ・ズボン,札幌に自転車がお目見えしたのは二十年代であるが、三十四年には早くも自転車競走が行われ、
日露戦争
下では過熱,札幌駅から大通までのいわゆる停車場通の人びとの往来が一層頻繁となってきたのも
日露戦争
前後からで、三十九年以降札幌警察署
新札幌市史 第3巻 通史3
(日露戦後から第一次大戦までの札幌の農業)
日露戦後から第一次大戦までの札幌の農業 本巻が対象とする
日露戦争
以降の時期は、以上に述べた札幌の農業
新札幌市史 第3巻 通史3
(地域女性団体)
地域女性団体
日露戦争
下において、愛国婦人会や帝国婦人協会の活動に刺激される形で、地域共同体を基盤にした,このほか
日露戦争
を契機に設立された地域女性団体に、軽川婦人懇話会、豊平婦人会がある。
新札幌市史 第3巻 通史3
(二 農業開発の進展と農業生産の変化)
この期間は
日露戦争
後から第一次大戦までであり、この間には未曾有の冷害年である大正二年を含んでいる。
新札幌市史 第3巻 通史3
(都市のシンボル)
都市のシンボル
日露戦争
の終結した明治三十八年(一九〇五)十二月、『北海タイムス』紙上に札幌の将来像,最初の加入者は二二九人であったが、まさに公衆の便宜をはかった公衆電話所も設置され、
日露戦争
以後は利用者,この電灯の供給により、すでに三十二、三年頃から普及しはじめていた活動写真が、
日露戦争
時には生々しい戦場風景
新札幌市史 第3巻 通史3
(その他の職業婦人)
その他の職業婦人 以上のような職業のほかに、
日露戦争
後さまざまな新しい職業が生まれている。,七年には、
日露戦争
後札幌へ進出したミシン販売会社であるシンガー裁縫機械会社(北二条西三丁目)が男女社員
新札幌市史 第3巻 通史3
(招魂祭・忠魂祭)
にはひとしく心耳をすましたり(北タイ 明34・8・4) 招魂祭の盛大な挙行は、身近なものの死という
日露戦争
,明治十年西南戦争戦病死者準陸軍軍曹の佐藤一蔵ほか三六人、日清戦争戦死者屯田陸軍歩兵中尉の大村武ほか四三人、
日露戦争
陸軍歩兵中佐,そこでは「兇賊逮捕の際、或は密猟取締」、あるいは
日露戦争
への従軍による殉難者二一人が顕彰された(北タイ
新札幌市史 第3巻 通史3
(レース・毛糸編み)
レース・毛糸編み 絹糸をもって編むレース編みや毛糸編みが札幌に入ってきたのは、やはり
日露戦争
期である
新札幌市史 第4巻 通史4
(中正会と東方和合会)
日露戦争
中は献金、入退隊兵の送迎、戦死者の公葬、出征家族・戦没者遺族の慰問などで地区を単位とした活動、,
日露戦争
が開戦となった明治三十八年二月に創成川以東各町の婦人たちにより、出征軍人遺家族救護の目的で東方婦人講
新札幌市史 第3巻 通史3
(石山山鼻間の軌道敷設)
その後
日露戦争
による外国品輸入制限のために事業中止命令が出され、敷設計画は延期された。
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
』、深瀬忠一ほか編『北海道で平和を考える』、高橋敏『民衆と豪農』、大江志乃夫『国民教育と軍隊』、同『
日露戦争
,の軍事史的研究』、海野福寿『日清・
日露戦争
』(日本の歴史18)、池田源吾編『戊申詔書と地方事績』、尾崎
新札幌市史 第3巻 通史3
(遼陽戦勝祝賀会)
遼陽戦勝祝賀会 この戦闘は
日露戦争
史に残るほどの大きな激戦や戦果ではなかったが、旅順港の陥落を見越した
新札幌市史 第3巻 通史3
(新札幌市史 第三巻 通史三/総目次)
札幌の景気変動 札幌経済の長期的変動 物価と賃金の動き 日清戦後から
日露戦争
期,の増加 電報・電話利用の増加 第六章 社会問題の諸相…404 第一節
日露戦争
下,の札幌…404 一
日露戦争
をめぐる人心
日露戦争
と札幌 開戦の報 ,反対 第七章 社会生活の変貌…526 第一節 明治末期札幌の諸相…526 一
日露戦争
,のハリストス正教会 四 市民への浸透 教勢の推移と「クリスチャン」層
日露戦争
新札幌市史 第3巻 通史3
(戊申詔書と小学校)
日露戦争
後の社会は地方財政の悪化、農村の疲弊、また、労働争議や社会主義運動の拡大などに象徴されるように,戊申詔書は
日露戦争
後の日本の国際的地位の重要性を踏まえたうえで、「国運ノ発展」のためには「上下心ヲ一ツニシ,づいているように、それを思想的根拠として民衆の国家的統合を推進するための政策宣言であった(海野福寿 日清・
日露戦争
,また、教育の視点から見ると、戊申詔書は
日露戦争
後の天皇制公教育体制の補修・補強策の一翼を担うものであった
新札幌市史 第3巻 通史3
(北海仏教団)
また時期がちょうど
日露戦争
に際会していたので、戦死者追吊会の開催や軍事献金なども行われていた。,しかしながら、同団は
日露戦争
に際会して国家安泰の仏教イデオロギーに支えられて盛興に導かれた部分が多く、
新札幌市史 第3巻 通史3
(区制期)
明治三十七、八年の
日露戦争
は、日清戦争に比べはるかに大きな影響を札幌の人たちに与えた。,大正三年に始まる第一次世界大戦は
日露戦争
のように戦場で人材を失う損失は蒙らなかったが、ロシア革命の余波
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌の職工数)
それが
日露戦争
をはさむ諸工業の勃興により次第に増加し、四十四年には区内だけで四七工場一八六二人(男一〇
新札幌市史 第3巻 通史3
(労働者と社会主義)
日露戦争
の頃、熊本の第五高等学校で大川周明とともに社会主義運動を展開していた木下三四彦は、その後転向し
新札幌市史 第3巻 通史3
(日赤道支部の活動)
その社旨「救国恤兵」(国家の難儀を救い、戦地にいる兵士に金品を贈って慰めること)の精神にもとづいて、
日露戦争
勃発,
日露戦争
勃発に際して日赤道支部では、三十七年二月まず第六救護班を函館要塞病院へ派遣した。,結局、
日露戦争
で派遣された日赤道支部救護員の死者は、医師一人、看護人一人、看護婦三人の計五人にのぼった
新札幌市史 第3巻 通史3
(軍事機関)
第七師団の転出騒動が一段落したころ、
日露戦争
が勃発し徴兵令施行の影響を実感せざるをえなかった。,(札幌区事務報告 自明治三十七年十月至三十八年九月)状況だったというが、この報文を裏返しすれば区民が
日露戦争
新札幌市史 第3巻 通史3
(日露戦後の烈々布青年会)
日露戦争
には青年会員の東与一郎、長谷川文蔵を送別の宴をもって送り出すが、東は翌年病死し青年会員は揃って,全国で日清戦争の六倍以上(八万四〇〇〇人)の戦死者が出た
日露戦争
は、村落の身近な者の死という体験をもたらし
新札幌市史 第3巻 通史3
(篤志看護婦人会)
写真-10 日本赤十字社篤志看護婦人会会報 三十七年二月に
日露戦争
が勃発するとにわかに忙しくなり,以下『護国之礎』より、
日露戦争
に関わる篤志看護婦人会の活動を列挙してみよう。
新札幌市史 第3巻 通史3
(戦意高揚)
日露戦争
中は「無比の国体を擁護」するために特に活発な活動を繰り広げていた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(伝染病と離散)
残る人びとも
日露戦争
の結果、三十八年に樺太南半が日本領になると、翌年十月までに漁場雇の名儀でまたたく間
新札幌市史 第3巻 通史3
(〝大屈辱条約〟)
〝大屈辱条約〟
日露戦争
は三十八年七月でほぼ終結し、八月からアメリカのポーツマスで開かれていた講和会議
新札幌市史 第3巻 通史3
(凱旋軍隊歓迎会)
その後、十二月九日に札幌神社にて平和克復奉告祭、翌十日に臨時祭が執行され、ほぼ二年にわたる
日露戦争
は終結
新札幌市史 第3巻 通史3
(愛国婦人会)
日露戦争
に際しては、愛国婦人会道支部の活動を取り上げねばならない。,同年十二月には初代道支部長として菊亭脩季夫人節子(ゆきすえふじんせつこ)が就任(三十七年二月まで)、
日露戦争
勃発時,三十七年二月に
日露戦争
が勃発すると、会員数は飛躍的に増加し、道支部でも一挙に三〇〇余人が入会し、七月末,
日露戦争
勃発時の三十七年と翌年とでは、区内加入者が倍増しているのがわかる。,八月二日の招魂祭においては、靖国神社遙拝式とともに、
日露戦争
での戦死軍人家族及び遺族を招いての追悼式が
新札幌市史 第3巻 通史3
(地域の諸相)
)、白石神社境内の「日露戦捷紀念」碑(大9・7・30)、石山の平安農場の招魂碑(明37・9・1)など
日露戦争
,山田貞介は、明治七年に最初の屯田兵として会津から琴似兵村に移住し、西南戦争、日清
日露戦争
に従軍した。
新札幌市史 第3巻 通史3
(たまねぎの産地化)
貯蔵性のある野菜であるために船舶用野菜としての需要が高く、特に日清・
日露戦争
時に需要が拡大して価格が高騰
新札幌市史 第3巻 通史3
(北九条尋常高等小学校附属通俗図書館)
そこでは、
日露戦争
後の日本が「世界一等国」として国際的に認められたことを踏まえ、「智識ヲ開発シ徳性ヲ涵養,写真-21 通俗図書館設置趣意書(明40) これを読むと、同図書館の設立は直接的には、
日露戦争
の「,また、文部省は
日露戦争
後、青年層を主体とした国民教化の視点から通俗教育の重要性に着目し、その振興に力を,同図書館はまさにそうした政策の中核的施設としての小学校と図書館が結合したもので、
日露戦争
後の青年層のエネルギー
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵役)
とはいえ、その一カ月ほど前に
日露戦争
の動員令が出ていたので最後の厳しい兵役が待っていた。,出兵は予備役中に日清戦争があり、東京に集結したが戦地に赴かぬうちに終戦となり帰村、後備役中には
日露戦争
新札幌市史 第3巻 通史3
(財務)
特に大きな変動をみたのは
日露戦争
に伴う軍需支弁のために国税が大増徴され、それを可能にするため附加税が規制,
日露戦争
後すなわち四十年度から歳入規模は増加し、二〇~三〇万円台で推移した。
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌経済の長期的変動)
また北炭転出の痛手は大きく、大正九年に至ってようやく
日露戦争
前の水準に達している。,さて工場数の推移をみると
日露戦争
前後は一進一退し、明治四十年から大正二年まで増加傾向を続けている。
新札幌市史 第3巻 通史3
(琵琶など)
この命名等は、おそらく
日露戦争
下の時代相によるものであろう。
新札幌市史 第3巻 通史3
(小学校卒業後の進路)
この調査から明らかなように、
日露戦争
を開始した三十七年度は若干下がるが、尋常科卒業生の約九〇パーセント,しかし、この結果は調査校が札幌区の中心に位置し、また、時期が
日露戦争
の最中であることを考え合わせると、
新札幌市史 第3巻 通史3
(慈善等の音楽会)
このほか、この時期には
日露戦争
と関わる音楽会も多く開かれた。,このほか、『北海タイムス』に記載されている
日露戦争
関連の音楽会としては軍人慰労音楽会(明37・10、札幌教会員等
新札幌市史 第4巻 通史4
(忠魂祭と公葬)
日露戦争
後に戦没者をまつり慰霊する忠魂碑が各町村に建碑されるようになるが、最初に建碑したのは屯田兵の後備役
新札幌市史 第3巻 通史3
(戊申詔書)
戊申詔書
日露戦争
後の疲弊した経済、噴出する社会問題、荒廃した人心に対処するために、明治四十一年十月十三日
新札幌市史 第3巻 通史3
(相次ぐ「公葬」と〝英霊〟の奉祀)
札幌護国神社には
日露戦争
で戦死した一一〇人の〝英霊〟が奉祀されている。
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