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新札幌市史 第1巻 通史1
(早山清太郎)
早山
清太郎
この時期、官の開拓政策によって、相当数の移民がイシカリ地方に入地した。,」の名が見え、
清太郎
はこの家系につながるのだろう。,
早山
銘の鐘は文化元年のもの以降見あたらないというから(藤田定興 東北南部における近世の鋳物師)、
清太郎
,、こうした気風が
清太郎
を旅にかりたてたのだろうか。,写真-1
早山
清太郎
の墓 (北区篠路龍雲寺境内) /
早山
清太郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(早山清太郎の談話)
早山
清太郎
の談話 「札幌開拓記」の「温泉新道」は、おそらく
早山
清太郎
の談話に依拠しているであろう。,実は
清太郎
自身が、「温泉新道」の開削に関し、直接談話している資料があるのである。,
清太郎
は、三人の知人が魚釣りで豊平川の上流にいたり、温泉で二昼夜滞在したことを聞き、安政五年五月に自身,以上が
清太郎
の語っている主な内容である。,河野常吉の聞きとりの時、
清太郎
は八十数歳(
清太郎
は明治四十年に九十一歳で死亡)になっており、記憶違いもあるであろうし /
早山
清太郎
の談話
新札幌市史 第1巻 通史1
(早山清太郎による道路開削)
早山
清太郎
による道路開削 定山渓温泉への道路開削を試みたのは、シノロに入植していた
早山
清太郎
であったようだ,
清太郎
[当時篠路村名主]豊平川上温泉[是丈山渓之温泉也]を開かんと欲し、小樽住荒屋孫兵衛に相請致し出金,
早山
清太郎
はこの伊兵衛に相談し、彼の資金のもとに、「温泉新道」を開いたというのである。,しかし、
清太郎
が温泉への道を開いたというのは事実と認められる。 /
早山
清太郎
による道路開削
新札幌市史 第2巻 通史2
(篠路村と早山清太郎)
篠路村と
早山
清太郎
札幌市域に村々が成立したのは、幕末の時期にさかのぼる。,シノロ村の農夫取締などもつとめ〝札幌の開祖〟とされる
早山
清太郎
は、明治に入ってからもこれ以降、種々の方面,
早山
清太郎
はこの他、各所の道路開削の請負、教育所の設置などに尽力し、褒賞を受けることも度々であった(
清太郎
,の経歴・略伝については『札幌百年の人びと』、『北海道開拓功労者関係資料集録』上巻、君尹彦編『
早山
清太郎
/ 篠路村と
早山
清太郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(定山の温泉開発)
このことは先の
早山
清太郎
の談話、「小樽ハルウス山上ニワカシ湯ヲ営業トナシ」に一致する。 ,定山は前述したように、文久元年七月以降に
早山
清太郎
より温泉を譲りうける。,
清太郎
と共同経営した瀬川伊兵衛(荒屋孫兵衛)は、ハリウスの隣のカムイコタンに漁場を有しており、定山自身
新札幌市史 第1巻 通史1
(荒井村の設置)
(荒井)金助又(
早山
)
清太郎
に命じて、運輸利便の耕地を探索せしむ。,……
清太郎
命を奉じ、農業の余暇を以て処々の地勢を察し、篠路村の地味肥沃にして水運の利あるを発見し、以て,
清太郎
此月より樹木を伐採し、翌年(即ち万延元年)六月耕地一万余坪を墾成したり。,のち松本十郎に渡り、『空語集』九二に収録された)によれば、「安政六己未年、
清太郎
儀琴似ハ山近く、霜早降農作,開拓使地理係『石狩国札幌郡之図』(部分) いずれにせよ、荒井の、自分開墾地墾成の意図と、
清太郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(温泉の注目)
これから間もなく、
清太郎
の知人三人が訪れ、五月には
清太郎
も見届けに行ったことになる。,以上の動向の中で温泉開発にはじめて着手したのは
清太郎
で、先の談話によると安政六年五月以降に湯治小屋をたてたという,しかし、今後細部については種々検討の必要があるにせよ、ここに
清太郎
の談話をおくことにより、定山による温泉開発,までの経緯が、ある程度明らかになってきたといえよう(なお、
早山
清太郎
については第九章参照)。
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔十文字龍助関係文書〕)
三一 十文字秀雄(明治四年八月十七日付) 三二 十文字秀雄(明治四年十一月九日付) 三三
早山
清太郎
,(明治四年九月二日付) 三四
早山
清太郎
(明治五年一月二十三日付) 三五
早山
清太郎
(明治五年三月二十八日付
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 明治四年)
札幌建府入用金三万両東京詰より送致の件(五月四日) 八一 仙台藩より職人呼寄の件(六月二三日) 八二 篠路石狩間渡守
早山
清太郎
任命
新札幌市史 第1巻 通史1
(コトニ開発場)
開発場 第七章で記述したように、安政四年にケネシベツ川(コトニ川支流、現琴似川)の川岸に入居していた
早山
清太郎
,なお、
早山
については略歴も含めて次節「シノロ村」で述べる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(中嶋村の成立)
『逸伝』によれば、
早山
清太郎
がここへの移住を説いたとされている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(産業・農民など)
庄内藩士山田民弥の『恵曾谷日誌』には、明治三年二月十四日の項に「シノロ人家二十八軒」と記され、さらに
清太郎
,これによると、一戸あたり平均耕地面積は二反をかなり下廻り、
清太郎
、兼松などを除く大半の農家が、自立からほど,太田長吉(三)、森山兼松(六)、小川幸吉(三)、荒田定七(一)、開田太助(三)、松田藤八(一)、
早山
清太郎
新札幌市史 第2巻 通史2
(霊代の札幌奉遷)
宮地選定に関してはそれ以前、十一月に
早山
清太郎
を御宮地掛に任命し、
早山
は現在の社地を上申、島ほかの官員
新札幌市史 第2巻 通史2
(開墾・営農の推進者たち)
にあげられるのが明治四年島松(当時札幌郡月寒村)に入植した中山久蔵であり、また安政四年(一八五七)琴似村に来住した
早山
清太郎
,
早山
清太郎
は、前巻において記されているように琴似村で水田を開いたのち万延元年(一八六〇)篠路村に転居し,篠路村の草分けといわれる
早山
清太郎
は、開墾・営農の模範であるだけでなく、新道の開削、移民誘致、名主その,対雁村渡辺寅吉、柳浜セヤッテヲッカエ、江別村樋口千代吉、山内茂助、雁来村伊藤清次郎、篠路村沢田福松、
早山
清太郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(農業・開拓)
まず、先述したように、安政五年にコトニの開発場で
早山
清太郎
が稲作を行った。,これはイシカリ地方最初の米作の成功例として官を喜ばせ、
清太郎
は一両三分の賞を受け、玄米七升を献じたが(,
早山
清太郎
履歴 殖民公報第七号)、この米は同年十二月江戸城にまで運ばれ、「右備後守殿(老中太田資始)エ,なお
早山
は荒井村へ移った後も五年間にわたって水稲作を行い、その後水害にあって中断している。
新札幌市史 第2巻 通史2
(村三役の普及)
廃止の時期は、札幌村名主小熊善右衛門は五年六月(履歴書札幌村郷土記念館―写真3参照)、篠路村名主
早山
清太郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(御手作場の地所選定)
同二十九日より御手作場の地所選定にとりかかったが、その折案内したのは当時シノロにおいて開墾に従事していた
早山
清太郎
新札幌市史 第2巻 通史2
(「札幌表御用取扱向等伺書」の札幌本府)
そして十二月十二日「川辺事の
早山
か為ニ広川事情を述ブ」、十三日「
早山
の事ニて、西村気を張て口上也、夫より,段々ニ様子抔ヲ尽し口談ス、嶋氏の為且
早山
か不便ナレハ也」という記事が見られる(十文字日記)。,何か島判官と
早山
清太郎
にかかわる問題であろうか。
新札幌市史 第1巻 通史1
(土地・農民管理)
また稲作を試みているのは
早山
清太郎
であることは確実であるが、
早山
は第九章第二節で述べるように中川・中嶋,おそらく
早山
などは、このような事情から中川らの人別に組み入れられ、その地を開発場と称したとみられる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(漁間農業の育成)
彦四郎や五郎兵衛のように野菜を中心に畑作物の生産に意をもちい、収穫物の売却を生活の糧とする者が現われ、(
早山
,)
清太郎
のように漁場雇人として来たのち農事専業に転ずる者、さらに、豊吉や長八のように最初から農業を目的
新札幌市史 第2巻 通史2
(米麦生産の状況)
札幌周辺での米作は、開拓使が奨励しなかった話や
早山
清太郎
・中山久蔵・江頭庄三郎らの努力の話が有名である
新札幌市史 第2巻 通史2
(興産社と徳島県からの移住)
札幌では十四日に
早山
清太郎
の案内で篠路村を巡覧したが、「篠路村属地一覧、中間ノ樹枝ヲ挙ク、四方ノ景況ヲ
新札幌市史 第2巻 通史2
(郵便)
さらに篠路村の
早山
清太郎
、対雁村の小笠原長吉をそれぞれ同村の郵便取扱人とした(郵便駅逓川渡守人名録 道文五二二八
新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平開墾の実態)
有之候諸色運送方不埒明旦シノロ村両出役に付藤沢使掌え御入用より差出相渡す 11. 6 1分 シノロ村御用達
清太郎
鍛冶木挽山夫等其外場所案内為致候,更に小樽・石狩・銭函で諸品の買物をしていること、山夫の活動が始まっていること、
早山
清太郎
が鍛冶、木挽、
新札幌市史 第1巻 通史1
(大友亀太郎のサッポロ選定)
この時案内したのは
早山
清太郎
であったという。
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
また私事では、清水三次郎より鹿肉を、
早山
清太郎
より沢庵漬や鮭が贈られたり、御雇外国人の到着、偕楽園内官舎,の従者、旅籠屋、副戸長)、同辰次(治)郎・つね(三次郎の息子・三次郎の妻)、十文字秀雄(龍助の甥)、
早山
清太郎
新札幌市史 第2巻 通史2
(諸村精農家の経営)
この調査の中には前記の中山久蔵、
早山
清太郎
、渡辺寅吉はじめその他共進会出品受賞の人びとが含まれている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(洋食と「食物改良」論)
勧農協会の中山久蔵、
早山
清太郎
ら一五人と、札幌農学校出身の勧農課員新渡戸稲造、町村金弥ら二〇人が出席したが
新札幌市史 第6巻 史料編1
(目次)
…853 島 義勇…856 清水三次郎…862 清水辰次郎…868 十文字秀雄…870
早山
清太郎
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 教育)
二 教育 (一)筆算所一件 八八 手稲村に筆算所建設の届(明治五年五月) 八九
早山
清太郎
より
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
松浦武四郎の探索 武四郎の調査行 温泉の「発見」 温泉の利用と新道 二
早山
清太郎
,の温泉開発
早山
清太郎
による道路開削
早山
清太郎
の談話 温泉の注目 三 定山, 産業と生活 産業 生活 四 コトニその他 コトニ開発場
早山
,第二節 シノロ村…970 一 荒井村の成立 荒井村の設置 農民の招募 村役人
早山
清太郎
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
…270 第一節 村落の成立と拡充…270 一 諸村の成立 篠路村と
早山
清太郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(図版・写真・表組一覧)
(971頁) 図-4 札幌村 明治4年 『東区拓殖史』より(一部修正) (988頁) 写真-1
早山
清太郎
新札幌市史 第7巻 史料編2
(件名目次)
)…106 八一 仙台藩より職人呼寄の件(六月二三日)…111 八二 篠路石狩間渡守
早山
清太郎
任命, (一)筆算所一件 八八 手稲村に筆算所建設の届(明治五年五月)…833 八九
早山
清太郎
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