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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第5巻 通史5上 (映画館ブーム)

映画館ブーム 戦前より映画は「娯楽の王様」であったが、戦後まもなくもそれは変わらなかった。,その映画人気にぞくぞくと映画館が建設され、二十五年には全道で映画館は一四〇館となり、この時点ですでに「,映画館が多すぎる」(道新 昭25・11・12夕)という状況であった。  ,この二十九~三十五年は、空前の映画館建設ブームであった。,こうした映画館の急激な増加の一方で、入場者数の減少が指摘されている。 / 映画館ブーム
新札幌市史 第5巻 通史5下 (映画館再編成とシネコンの時代)

映画館再編成とシネコンの時代 『E.T.』以降、平成九年の『タイタニック』『もののけ姫』、十年公開『,踊る大捜査線』など、記録を塗り替える大ヒット作も生まれたが、レンタルビデオやDVD、衛星放送の普及は映画館,市内映画館数にも変動が見られる。,表-6 札幌市映画館数 年度 映画館数 札幌主要洋画劇場動員数 同左 興行収入 全国映画館入場人員 国民,映画館閉館も相次いだ(表7参照)。 / 映画館再編成とシネコンの時代
新札幌市史 第5巻 通史5下 (シアターキノと若手映像作家たち)

平成四年、ガレリオは二九席の日本最小映画館・シアターキノに転身、三五ミリ映画を上映する一般映画館となった,十年四月には南三条西六丁目の南三条グランドビル二階(狸小路六丁目)に移転し、二館計一六三席の映画館として
新札幌市史 第5巻 通史5上 (郊外に生まれる繁華街)

しかし二十六年前後から、周辺地区に銀行支店・映画館・簡易デパート等が進出するとともに、これらを中心に繁華街,鉄東地区では映画館と銀行支店が新設される予定とあって、早くも繁華街のまとまりをみせている。,また桑園地区では二十七年に新設されたデパートに隣接して映画館が建設され、銀行支店のほか、遊技場や飲食店,また、山鼻地区でも簡易デパートと映画館の新設計画が立てられ、行啓通り・屯田通りを中心に、銀行支店や料飲店
新札幌市史 第3巻 通史3 (活動写真等)

そこで次に狸小路四丁目で本格的映画館づくりに乗り出し、同年(大正元年)十一月二十一日、旧館を閉めて新館,ちなみに当時の映画館の観覧数の推移をみると次のようであった。,映画人口の増加とともに、映画館の風紀上・衛生上の問題も浮上してきた。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (終戦直後の状況)

終戦を迎えた昭和二十年(一九四五)八月十五日、この日から一週間にわたって全国の映画館が閉鎖された。,戦争による映画館の焼失は、全国で五一三館(全体の四〇パーセントに相当)、道内の被害は少ない方であったが
新札幌市史 第5巻 通史5下 (従業者数からみた傾向)

五十年代なかば以降、新機種の登場によってパチンコ業界は成長し、かたや衰退傾向にあった映画館やゲームセンター
新札幌市史 第4巻 通史4 (無声からトーキーへ)

三味線、太鼓などのお囃し連とその弟子といった大勢のスタッフを抱えていたと述懐している(映画館と私)。,無声映画時代の札幌の映画館のあり様は、震災後の十四年に札幌松竹座の支配人として札幌にやって来た前川弥輔,表-10 札幌劇場年表(寄席,劇場,映画館) 年次 名称 所在 建設者 備考 明 4 秋山座,その他の映画館は無声映画を上映しており、エンゼル館にトーキーが入ったのは昭和十年頃と蒲生喜美は回想している,こうした昭和ヒトケタの札幌の映画館の黄金時代を、映画評論家の岡俊雄は、「東京で当った名作が同じくらいに
新札幌市史 第5巻 通史5下 (複合娯楽施設・アミューズメントビルの誕生)

一方、映画産業も三十年代以降衰退の一途をたどっていたが(市史5上)、映画館を本業とする須貝興行(昭29
新札幌市史 第5巻 通史5上 (住民対話と広報活動)

広報映画『市政だより』が二十八年四月より毎月制作され、市内の映画館で上映されてきたが、三十六年度より定期制作
新札幌市史 第5巻 通史5上 (敗戦直後の祭典風景)

折悪しく、発疹チフスが流行して映画館、劇場などが閉鎖され、創成河畔のサーカスも小屋掛けを中断していたが
新札幌市史 第5巻 通史5下 (パチンコホールの大規模化)

平3 平8 平13 事業所 従業者 事業所 従業者 事業所 従業者 事業所 従業者 事業所 従業者 映画館
新札幌市史 第3巻 通史3 (音楽隊等の成立と活動)

しかし大正に入ると、音楽隊の隊員が各映画館の専属となる傾向もあったが、一方、大正七年には開道五十年記念北海道博覧会
新札幌市史 第4巻 通史4 (余暇・娯楽)

昭和恐慌期においても、映画館だけは「不景気知らず」(北タイ 昭5・4・15夕)とさえいわれた。  ,これによれば、民衆娯楽第一位の活動写真館、すなわち映画館は七館あった。,当時の繁華街は、映画館の集まる薄野遊廓跡地のほかに、やはり何といっても狸小路商店街であった。
新札幌市史 第4巻 通史4 (交響楽団)

団体として、同年結成の石井春省(はるみ)率いる中島オーケストラ、昭和六年結成の拓博管弦楽団、そして元映画館
新札幌市史 第4巻 通史4 (洋楽の担い手)

札幌の名望家と学校教師を中心とする演奏家、そして主な小学校・女学校、映画館といったところにピアノがあった
新札幌市史 第4巻 通史4 (【主要参考文献・史料】)

「さとぽろ」をめぐって』、前川公美夫『北海道音楽史』、杉本実『札幌の劇場記録 寄席、芝居小屋、そして映画館
新札幌市史 第5巻 通史5上 (賑わう昭和三十年代の祭り)

そのため「ノリトよりも〝高砂やー〟の声が多く聞かれるほど、神社の結婚式は商業化し、映画館のスライド広告
新札幌市史 第3巻 通史3 (近代都市)

デパート、ビヤホール、常設映画館などが建ち、野球、テニス、スキーが普及した。
新札幌市史 第4巻 通史4 (演奏家の来札)

九島勝太郎は昭和七年に早稲田大学を卒業し家業の映画館経営を引き継ぐかたわら、昭和八、九、十、十一年度と
新札幌市史 第4巻 通史4 (働く女性の地位)

昭9日給五〇銭)、女性速記者(大15道庁速記術講習所終了)、美容術(昭4)、マネキンガール(昭4)、映画館切符売
新札幌市史 第5巻 通史5上 (騒音・煤煙・札幌市公害条例)

騒音は鉄工場・木工場・パチンコ店・映画館の街頭放送も施行規則の監視対象となった。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (青少年対策)

この結果、七~十二月の六カ月間で映画館・遊戯場等盛り場徘徊、家出浮浪、盗み等々で補導された青少年の数は
新札幌市史 第4巻 通史4 (昭和五~七年頃の札幌の大衆文化)

ルネ・クレール監督の喜劇「百万〈ル・ミリオン〉」の二つが、昭和六年度に発声装置を導入した札幌の二つの映画館
新札幌市史 第4巻 通史4 (商業組合による組織化)

十五年六月には狸小路商店街商業組合が商品券を発行したが、これは狸小路内であれば一般商店はもちろん映画館
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌の興行)

更科源蔵がいうように、単に麻雀など他の娯楽が禁止されたことが要因で「映画館への殺到」が起こったのではないだろう
新札幌市史 第5巻 通史5下 (図版・写真・表組一覧)

北方文芸」創作ベスト20(鷲田小彌太) (899頁) 表-5 さっぽろ映画祭 (931頁) 表-6 札幌市映画館数,(936頁) 表-7 シネマコンプレックス開業と市内映画館の閉館 (937頁) 表-8 芸術文化団体数
新札幌市史 第5巻 通史5下 (新札幌市史 第五巻 通史五(下)/総目次)

映画復調」とミニシアター・ブーム         シアターキノと若手映像作家たち 国際映画祭に向けて 映画館再編成
新札幌市史 第5巻 通史5上 (新札幌市史 第五巻 通史五(上)/総目次)

(HBC)の設立と開局 ラジオからテレビへ      四 映画         終戦直後の状況 映画館
新札幌市史 第4巻 通史4 (図版・写真・表組一覧)

1011頁) 表-9 札幌警察署管内の遊芸人調 (1012頁) 表-10 札幌劇場年表(寄席,劇場,映画館
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