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新札幌市史 第1巻 通史1
(月寒台地の遺跡)
月寒台地の遺跡
月寒川
、望
月寒川
とこれに関連する支流(ラウネナイ川等)に関連する段丘上に遺跡があり、,特に
月寒川
に関連した遺跡が多く存在しているが、規模は小さいものが主体を占める。
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T一五一遺跡(豊平区月寒東三条一一丁目))
遺跡付近にて
月寒川
とラウネナイ川が合流し、標高は三二~三八メートルである。,その他
月寒川
、望
月寒川
に関連する地域では、縄文時代早期に属する土器等が試掘調査、分布調査にて検出された
新札幌市史 第1巻 通史1
(遺跡の立地)
縄文時代早期の遺跡の分布の状況は、厚く堆積した火山灰を基盤とする野幌丘陵と称される東部の丘陵地帯、
月寒川
,、望
月寒川
を中心とする月寒台地、南区石山地区に若干とおおよそ三地域に集中して分布する。
新札幌市史 第4巻 通史4
(字名の設置)
ノ沢,十二軒沢 盤渓 コビチャ沢,発寒 表-15③ 豊平町字名対照表 改称字名 旧字名 美園 望
月寒川
沿,月寒 北通,焼山,
月寒川
沿,本通,厚別,望
月寒川
沿,望月寒西通,西通焼山通 福住 西通,六軒村,
月寒川
沿,,六軒,西通六軒村,西通焼山,ウラウチナイ川添,焼山,
月寒川
上 八絋 北通,二里塚,厚別,二里塚奥,下野津幌,,
月寒川
,アラコ川添,北裏 西岡 焼山,西通,望月寒,
月寒川
沿,焼山道路沿 羊ヶ丘 清田 厚別,厚別北通
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T七七遺跡(豊平区西岡五条二丁目))
月寒川
左岸段丘上にあり、標高は七〇~七二メートル、
月寒川
との比高差は約二〇メートルほどある。
新札幌市史 第1巻 通史1
(西岡台地)
西岡台地
月寒川
の西側、豊平区の西岡ゴルフ場北縁付近を南端として北へ延び、西岡地区・月寒中央地区を通,り、白石区のJR白石駅付近まで続く台地と望
月寒川
をはさんで、南区の澄川南小学校付近から澄川五、六条の市街地,この台地は支笏軽石流堆積物(第四章参照)によって形成されたもので、台地の縁辺部は望
月寒川
やその小支流によって
新札幌市史 第1巻 通史1
(遺跡と資料)
遺跡と資料 市内で旧石器時代の所産と考えられる資料は、粘土層の発達が比較的よい
月寒川
およびその支流沿,なおかつて白石区本通一四丁目南付近の
月寒川
の中(S一〇三遺跡)と同区本通一四丁目北の白石神社内(S九四遺跡
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇月寒台地)
月寒川
、望
月寒川
を中心とし、さらにこれらの支流(吉田川、ラウネナイ川等)流域に遺跡が分布している。
新札幌市史 第1巻 通史1
(分布地域)
西区の発寒川扇状地地区 二、札幌扇状地とその北部の低地地区 三、豊平川流域の石山、藤野地区 四、
月寒川
,、望
月寒川
流域の月寒台地地区 五、厚別川、野津幌川、小野津幌川流域の野幌丘陵地区 以上の遺跡の分布,
月寒川
、望
月寒川
流域の月寒台地では、標高二〇メートルより高い地域から、一〇余カ所の遺跡が発見されている,標高三〇メートル付近の
月寒川
とラウネナイ川の合流点には、やはり中期からの複合遺跡であるS一五一遺跡があり,標高六〇メートルのラウネナイ川流域には、墓六九個と竪穴住居跡を発見したT四六六遺跡があり、
月寒川
上流の
新札幌市史 第1巻 通史1
(月寒台地)
月寒台地
月寒川
の東側、福住地区と羊ヶ丘展望台を含めた北海道農業試験場の敷地の大半をしめる台地である,ヶ丘展望台(同一三五メートル)付近から広がり、北農試試験圃場や福住地区を通り、さらに緩傾斜になって、
月寒川
新札幌市史 第1巻 通史1
(遺跡の立地と地形)
内陸にある紅葉山砂丘(もみじやまさきゅう)、それに市内東部の野幌丘陵、月寒丘陵(台地)などと呼ばれる
月寒川
,一方、月寒台地に入ると望
月寒川
流域の白石区平和通・本通(標高二〇メートル付近)、平岸・月寒西(標高四〇,~九〇メートル)、西岡(標高七〇~一二〇メートル)、
月寒川
流域では北郷・平和通・本通・本郷通(標高一〇,〇メートル付近)、南郷通・栄通・月寒東(標高三〇~四〇メートル)、西岡(標高九〇~一五〇メートル)、
月寒川
新札幌市史 第1巻 通史1
(札幌の擦文時代遺跡)
札幌の擦文時代遺跡 札幌市内における擦文時代の遺跡は、旧琴似川流域、札幌扇状地、豊平川上流部、
月寒川
流域
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T二三三遺跡(豊平区西岡二条一二、一三丁目))
望
月寒川
右岸段丘上にあり、標高は一〇二~一一二メートルである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T四六四遺跡(豊平区羊ヶ丘一番地他))
月寒川
の支流、ラウネナイ川右岸段丘上に位置し、標高六二~六七メートルである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T二一〇遺跡(豊平区西岡五条一三丁目))
月寒川
左岸段丘上に位置し、標高は一三三~一三九メートルである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T一五一遺跡(豊平区月寒東三条一一丁目))
月寒川
、ラウネナイ川が合流する地点に立地し、標高三五~四二メートルの段丘上にある。
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T四六四遺跡(豊平区羊ヶ丘一番地))
◇T四六四遺跡(豊平区羊ヶ丘一番地) 農林水産省北海道農業試験場内にある遺跡で、河川でみると
月寒川
の
新札幌市史 第3巻 通史3
(水害)
米里は望
月寒川
と
月寒川
が合流して逆川となって豊平川に注ぐ地域であり、逆川の名のとおり豊平川の水が逆流して
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T一五一遺跡(豊平区東月寒五条一三丁目))
◇T一五一遺跡(豊平区東月寒五条一三丁目)
月寒川
とラウネナイ川の合流点の、標高三六~三九メートルの
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二二九遺跡(白石区北郷四条三丁目))
◇S二二九遺跡(白石区北郷四条三丁目)
月寒川
左岸の標高一一メートル~一四メートルの北東向きの台地上
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇白石神社遺跡(S九四遺跡、白石区本通一四丁目))
標高二二~二三メートルの
月寒川
にそった南向きの台地上に遺跡は営まれ、遺跡の中心には湧水がある。
新札幌市史 第1巻 通史1
(滝野丘陵)
この丘陵地は、厚別川・山部川・
月寒川
・真駒内川などにより複雑に浸食され、稜線部は定高性を示しているが、
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T二八一遺跡(豊平区月寒東四条一九丁目))
◇T二八一遺跡(豊平区月寒東四条一九丁目) 昭和五十三年に発掘調査された遺跡で、
月寒川
の支流吉田川左岸
新札幌市史 第1巻 通史1
(五つの遺跡群)
月寒川
、望
月寒川
流域の月寒台地には、良好な遺跡が数多く存在する。,
月寒川
の支流のラウネナイ川流域では、標高六〇メートルに墓を発掘したT四六八遺跡がある。
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T四六五遺跡(豊平区羊ヶ丘一))
T二〇三遺跡、S九〇遺跡は
月寒川
に関連する段丘上に立地し、T二九七遺跡は厚別川の支流に関連する段丘上にある
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌都市計画区域)
豊平町は大字豊平村の全部(現在の美園)、大字平岸村の北部(中の島・平岸)であり、主に
月寒川
以北の地域であった,白石村は
月寒川
及び逆川以西であり大字上白石村は全域含まれており、全村の三分の一が区域となっていた。
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S三五四遺跡(白石区本通一丁目南一四))
◇S三五四遺跡(白石区本通一丁目南一四) 望
月寒川
右岸の標高二五メートル前後の段丘上に位置する。
新札幌市史 第1巻 通史1
(後期の遺跡)
西区手稲前田の石狩町から続く紅葉山砂丘の南端地区 二、西区の発寒川扇状地地区 三、札幌扇状地地区 四、
月寒川
,、望
月寒川
流域の月寒台地地区 五、厚別川、野津幌川、小野津幌川の野幌丘陵地区 以上の遺跡分布を見
新札幌市史 第1巻 通史1
(紅葉山砂礫州の形成期(七〇〇〇年~五〇〇〇年前))
月寒台地を中心とした東部台地には、とくに、
月寒川
下流、望
月寒川
などに沿う台地縁や厚別台地などには、この
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T二一〇遺跡(豊平区西岡五条一三丁目))
◇T二一〇遺跡(豊平区西岡五条一三丁目) 西岡水源地近くの
月寒川
上流左岸の、標高一三三~一三九メートル
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T一五一遺跡(豊平区月寒東五条一三丁目、同区月寒東三条一一丁目))
◇T一五一遺跡(豊平区月寒東五条一三丁目、同区月寒東三条一一丁目) 本遺跡は、
月寒川
とラウネナイ川とが
新札幌市史 第5巻 通史5上
(周辺部の小学校の新設―白石地区を事例として)
当時の通学区域は、西はほぼ旧定山渓鉄道あたりまでで東は
月寒川
まで、南は現在の東北通までで北は東米里との,国道一二号線の舗装も、三十一年に
月寒川
あたりまで、翌年には厚別川まで進んだ。,なお、この時期に
月寒川
の東側が開発され、北郷小学校ならびに北白石小学校の学区に編入されている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村への入植)
翌五年にも五四戸の小屋が建設されたが、望
月寒川
流域の湿地帯は住居に不適で、一八戸が横丁通(現米里行啓通
新札幌市史 第1巻 通史1
(ハッサムよりシユママツフへ)
翌十九日は小雨の中を出発し、チキシヤフ(
月寒川
)、アシュウシベツ(厚別川)をすぎ、シユママツフ(島松)
新札幌市史 第1巻 通史1
(札幌の石刃鏃文化)
図-8 石刃鏃文化の石器(市内出土) いずれも、
月寒川
に関連する河岸段丘上にあり、標高は一四~
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌周辺の原野排水)
篠路村の排水渠など).豊平川堤防. 22年度 豊平川堤防.札幌近傍原野排水(野幌排水渠,厚別川排水渠,
月寒川
排水渠
新札幌市史 第2巻 通史2
(鉱物の調査と試掘)
石油は望
月寒川
上流の油沢(豊平区西岡)が試掘地で、すでに十年十一月に高見沢権之丞、今野松五郎により発見
新札幌市史 第1巻 通史1
(旧琴似川の遺跡群)
札幌扇状地上(標高二五~三〇メートル)、真駒内から藤野にかけての豊平川の上流部(標高五〇~一五〇メートル)、
月寒川
流域
新札幌市史 第2巻 通史2
(上白石村の成立)
しかし、中央付近は望
月寒川
(もつきさむかわ)が湾流しており、低湿地であったために居住、農耕に不適当であった
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村と大谷地・厚別の発展)
月寒川
と厚別川にはさまれた低湿地で水田の便には適していたが、二十年六月に六〇町歩を収得して農場を開いた
新札幌市史 第4巻 通史4
(区域指定と隣接町村)
区制時代の経画調査委員会の報告書には、「東は
月寒川
、西は発寒川、南豊平川上流熊谷法華、北は苗穂鉄橋下より
新札幌市史 第4巻 通史4
(調査会の成果)
その区域は「故に本市は東は
月寒川
、西は発寒川、南は豊平川上流熊谷法華、北は苗穂鉄橋下より茨戸に放流さるゝ
新札幌市史 第5巻 通史5下
(都市施設の防災整備)
また望
月寒川
流域貯留浸透事業では、平成十四年までに二カ所の公園で整備を終えた(前出 札幌の河川、同課作成資料
新札幌市史 第5巻 通史5下
(カムバック・サーモンと環境保全運動の多様化)
豊平川下流の汚染原因は支流の野津幌川、厚別川、
月寒川
流域の下水整備が遅れ、厚別・平岡などの宅地化の進展
新札幌市史 第5巻 通史5上
(上水道の拡張)
給水地区は、札幌市域のうち山岳地帯、
月寒川
以東、琴似・篠路・元町の一部を除いた地域と豊平町月寒、平岸、
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