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新札幌市史 第3巻 通史3
(大字月寒村)
大字
月寒村
戸長役場の時期の
月寒村
は、たとえば三十三年の戸数が六六四戸、人口が三一〇二人もあり、これは,三十四年九月十五日に第二五聯隊の軍旗祭とともに行われた
月寒村
開拓三十年祭では「開村紀念の歌」がつくられ / 大字
月寒村
新札幌市史 第2巻 通史2
(月寒村の軍都への歩み)
月寒村
の軍都への歩み
月寒村
は現在の広島町まで含む広大な村域をもっていたが、二十七年二月に広島村に戸長役場,この時期
月寒村
は、厚別(あしりべつ)と呼ばれた清田・平岡、焼山と呼ぼれた西岡の開拓が進んでいった。,第七師団は当初平岸村に設置の予定であったが、土地買上げをねらった土地投機で地価が高騰したために、
月寒村
,
月寒村
には、これにともない商工業者も店を開くようになり、豊平村にも影響が波及していった。,写真-1
月寒村
に設置された第七師団歩兵第二十五連隊の建物 (『東宮殿下行啓記念写真帖』より) /
月寒村
の軍都への歩み
新札幌市史 第2巻 通史2
(月寒村民と兵営)
月寒村
民と兵営
月寒村
では、村の中に第七師団が突如設置された関係から村の姿が次第に変化しつつあった。,することとなるが、独立歩兵大隊の後身歩兵第二十五聯隊(三十二年改称)と札幌聯隊区司令部を札幌に残したので、以後も
月寒村
/
月寒村
民と兵営
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 移住民情況調査報告)
琴似発寒屯田兵村 上手稲村 下手稲村 豊平村 平岸村 白石上白石両村
月寒村
,(明治一七年調) 札幌区 札幌雁来苗穂丘珠 四ケ村 篠路村 山鼻村 円山村
月寒村
, 札幌村 雁来村 苗穂村 丘珠村 篠路村 豊平村 上白石村 白石村
月寒村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(五 福岡・山口諸県民の移住)
明治一七年七月九日) 七〇 福岡移住士族出稼願出の件(明治一八年七月一一日) (二)福岡報国社の
月寒村
移住,七一
月寒村
福岡県移民現況調査復命書(明治一五年一一月一四日) 七二 山鹿村戸長より渡航移民受入方,の依頼(明治一五年一二月二七日) 七三
月寒村
移民転住地より仮屋料等の支給願(明治一六年二月五日)
新札幌市史 第2巻 通史2
(煉瓦工場の生成)
その後十三年に工業局でも
月寒村
に瓦製造所をつくり、焼成試験なども行っていたが、本格的に民間の諸工場が開業,十九年九月には
月寒村
西通(現豊平区福住)にも分工場を設け、二十三年に佐兵衛が死亡した後は豊三郎が経営にあたった,、白石村にひろがる月寒丘陵は、煉瓦製造に適した高品質の粘土の産地であったために、以上の白石村のほかに
月寒村
,30 25 31 25 鈴木月寒分工場 鈴木豊三郎
月寒村
西通,2月 20 37 21 33 横山煉化場 横山晋之助
月寒村
新札幌市史 第2巻 通史2
(第七師団の設置と入営)
その候補地としてはじめ平岸村もあげられたが、七月に
月寒村
に確定し、八月には兵営地が実地見分され、建設予定,二十九年十一月下旬、新設なったばかり(一部未完成)の
月寒村
の兵営に入営兵たちが、遠くは道外や函館区、亀田,、十一月二十三日豊平館で送別会を催したり、村々においても壮行会が開かれ、入営当日は五色の大旗をもって
月寒村
,二十九年十二月一日、
月寒村
に新設なったばかりの第七師団に入営した現役兵は一七〇三人、一年志願兵八人、下士候補生一八人,二十九年当時の
月寒村
の戸口は、六一七戸、二五二六人(北海道戸口表)であるから、村民が一挙に約一・七倍にふくれあがったことになる
新札幌市史 第3巻 通史3
(豊平村、豊平町の概況)
豊平村、豊平町の概況 豊平村は豊平・平岸・
月寒村
の三村をもって明治三十五年四月一日に二級町村制が施行,しかしながら豊平村は全域が純農村とはいえず、大字豊平村が商業地域、大字平岸・
月寒村
は農業地域という具合,村内には三十五年の二級町村の施行にともない、大字豊平村に八部、大字平岸村に一二部、大字
月寒村
に一二部、,〔大字豊平村〕豊平、〔大字
月寒村
〕月寒東通、月寒西北通、月寒東北通、月寒西通、月寒上西山、月寒下西山、
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 地租創定事業)
豊平村 苗穂村 円山村 上手稲村 札幌村 平岸村 丘珠村
月寒村
,苗穂村 雁来新道 円山村 上手稲村 札幌村 平岸村 丘珠村
月寒村
新札幌市史 第2巻 通史2
(熊害)
21・5・
月寒村
字右股奥山中 篠路村早山米三(兄)七頭銃殺、弟留吉八頭銃殺。,10・11
月寒村
月寒村
山内久助、佐甚五郎持馬一頭をさらった熊一頭銃殺。,9・2 白石村煉瓦製造所 八月下旬より、煉瓦製造所半丁のところより
月寒村
に通ずる間両側十余丁の畑地作物荒
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌近郊のレンガ製造)
『北海道庁統計書』(第二回)および『北海道工業概況』(明42)の記録によると、十五年五月、
月寒村
に大久保煉瓦工場,同年九月、
月寒村
に鈴木煉化場分工場、翌二十年
月寒村
に松島煉化場と横山煉化場、豊平村に滝田煉化場がそれぞれ
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔明治六年市在状況調〕)
〔円山村〕 〔琴似村〕 〔発寒村〕 〔平岸村〕 〔白石村〕 〔
月寒村
,村検地野帳 明治六年 開墾掛 凡例 1 平岸村(明治6年6月9日検地開始) 2
月寒村
, 〔苗穂村〕 〔平岸村〕 〔発寒村〕 〔雁来村〕 〔白石村〕 〔
月寒村
新札幌市史 第2巻 通史2
(辛未移民の編成)
②は千歳道(
月寒村
)に入植する。③は円山村入植の予定が変更となり、花畔村に行く。,
月寒村
では四年七月において
月寒村
取締として駒ケ嶺弥太郎、岩井沢弥七郎、中田市之助の三人が確認できる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(副戸長の設置)
琴似村組頭 坪内猪之助 白石村 白石村貫属取締 佐藤廓爾 平岸・
月寒村
,平岸・
月寒村
は十一月頃に分かれ平岸村は行方丹治、
月寒村
は四戸安蔵(六年三月に岩瀬末治)が任ぜられた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(分校・分教場等)
このほか
月寒村
厚別、上手稲村西野などにも同様の学校が設置された。
新札幌市史 第2巻 通史2
(報国社と福岡県人の移住)
彼は十四年二月に開拓使から実地調査の要請をうけ、間もなく来道して調査した結果、
月寒村
厚別から輪厚までを,開拓使では移住の戸数に応じて割渡すことにしたが、報国社では
月寒村
三里塚(現豊平区里塚)に本拠をおき、十四年十一月,この時の人数は、『
月寒村
福岡県移民現況調査復命書』(市史 第七巻三四八頁)では、六五戸二一一人となっている
新札幌市史 第2巻 通史2
(府県別の移住者数)
広島県の場合、
月寒村
字輪厚への移住者が半数ほどしめる。ここは二十六年に
月寒村
から分かれ広島村となる。,福岡県は開墾社が篠路村で現北区福移、報国社では
月寒村
で豊平区里塚、平岸村では南区澄川に入植している。,十五年の岡山県二六戸六二人は、
月寒村
の現豊平区清田へ入植した団体であり、十五、六年の長野県一五戸六二人
新札幌市史 第2巻 通史2
(小作戸数と小作移住の増大)
自作専業 自作兼業 小作専業 小作兼業 計 豊平村 491人 69人 190人 49人 799人
月寒村
,これによると小作専業、兼業者の割合は豊平村が約三〇パーセント、
月寒村
が約三九パーセント、白石村が約三四,123 2748 9730 29.5 札幌・雁来・苗穂・丘珠村は『札幌郡調』(北大図)、豊平・平岸・
月寒村
,は『豊平村 平岸村
月寒村
沿革大略』(札幌市中央図書館)より作成。 ,これによると札幌ほか四カ村は、豊平・平岸・
月寒村
にくらべ小作人の割合が多く、いずれも五五~六一パーセント
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部初等教育施設の増加)
には必ずしも設立年の確定しがたいものもあるが、ほぼ成立順に列記すると、十九年山口村(生田某による)、
月寒村
厚別,高屋敷平作)、白石村厚別(鎌田兵三郎)、二十八年篠路村山口(山田兵助)、三十一年平岸村簾舞、三十二年
月寒村
厚別
新札幌市史 第2巻 通史2
(郵便の発達)
二十五年十月豊平村郵便取扱人を伊藤大助から内田小三郎へ変更、二十八年七月篠路村に為替貯金局の設置運動、三十年十二月
月寒村
郵便取扱所,を吉田宅に変更、三十一年十一月軽川に郵便局の設置請願、五月
月寒村
郵便取扱所を笹森氏宅へ移転、十二月札幌区北八条郵便受取所取扱人
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の到着)
篠路村 四月八日到着 七七人(五月六六人) ②陸中二番組(岩井沢七兵衛組)
月寒村
,②は問題なく
月寒村
に入植し、九月以降は一七九人となる(移住の時日・経路については『豊平町史』所載の岡田幸助,写真-13 陸中二番組が入植した
月寒村
の絵図(新道出来方絵図 北大図) ④の陸前組は陸前国登米県(
新札幌市史 第4巻 通史4
(豊平町・吉田農場の争議)
すべきものとして篠路村と藻岩村の学田地の争議を取りあげてきたが、篠路村で争議の起きた昭和三年には、札幌郡豊平町大字
月寒村
,吉田牧場ハ吉田善太郎ノ経営ニシテ大字
月寒村
字大谷地ニアリ、其地積放牧地十五万三千坪、牧草地二十四万五千坪,シ、目下良牛十五頭、馬五頭、豚十頭を飼育ス、吉田牧場ハ△(ママ)吉田善太郎ノ長子善助ノ経営ニシテ大字
月寒村
字北通
新札幌市史 第2巻 通史2
(郡区と町村)
この内
月寒村
の南東方をさき、二十六年十二月十六日付道庁令をもって広島村が新設され、以後札幌郡は二〇村となる,シユプンベツ川と千歳川の落合よりノツポロ川の支流に沿って字熊の沢に至る線を境界とし、現広島町大曲以南が
月寒村
,1438 171 白石村 2167 4477 2310 上白石村 439 747 308
月寒村
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民調査と〝定着〟)
そのためかもとより定着志向をもたず、さらには次の丘珠、
月寒村
のように同郷者の集団でもないために、村落の,つぎに新移のみの農民で形成された丘珠、
月寒村
をみると、まず丘珠村は四年に三〇戸一〇六人がいた。,
月寒村
をみると、四年には四三戸一七七人がいたが、十二年になってもやはりわずか一人が不明なだけである。,丘珠村は山形県、
月寒村
は岩手県の同郷者から形成されていただけに、〝共同体意識〟も強く、離村者をつなぎとめる
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長の変遷)
十七年十月二十三百) ②伊藤信正(十七年十月二十三日~二十年五月三十一日) 四 豊平・上白石・白石・平岸・
月寒村
新札幌市史 第4巻 通史4
(産業組合)
円 山 信購 藻岩村大字円山 241 昭 7. 9. 6 - - (保)月 寒 信購販利 豊平町大字
月寒村
,円山蔬菜 販利 昭15. 4.10 決議 昭18. 6.25 (保)豊平町 信購販利 豊平町大字
月寒村
,その後(有)厚別信購組合(
月寒村
字厚別北通、南通、本通、公有地、三滝ノ沢、三里塚)、(保)月寒信購販利組合,,監聯 手稲信購販利 手稲村字軽川 手稲村字東 手稲村字前田 北聯,中金 豊平町信購販利 豊平町大字
月寒村
,大字平岸村字簾舞,大字
月寒村
字厚別,大字平岸村字藤沢,大字平岸村 大字平岸村など5棟 北聯,全購聯,
新札幌市史 第2巻 通史2
(共同の財産)
山鼻兵村へは
月寒村
に薪炭林、秣場の名目で広い公有地を給与し、平岸村簾舞、山鼻村八垂別にもかなりの面積をもった,ほかに
月寒村
厚別、上下手稲村に分散するが、官用地とともに新琴似兵村に近接する土地の編入替が注目される。,458,765 805,390 - - - 269,768 458,765 1,075,158
月寒村
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場の移転と分立)
月寒村
は現在の広島町までを含んでおり広域であった。,にともない、二十六年十二月十六日に広島村の設置が告示され、二十七年二月十日に広島村戸長役場が設置され
月寒村
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
』(明44)、『藻岩村勢一班』(大12)、『円山百年史』、『豊平町勢一般』(明44)、「豊平村平岸村
月寒村
沿革大略
新札幌市史 第2巻 通史2
(民営牧場)
月寒村
の吉田善太郎による吉田牧場もその一つである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(御料林)
札幌周辺でも同年、豊平川上流右岸地帯の定山渓、簾舞、
月寒村
等にまたがって御料林が設定された。
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村と大谷地・厚別の発展)
月寒川と厚別川にはさまれた低湿地で水田の便には適していたが、二十年六月に六〇町歩を収得して農場を開いた
月寒村
,大谷地は月寒、白石の両村にまたがり、二十八年は白石村で六〇戸一八六人、
月寒村
で七八戸二三七人おり、八月
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村への入植)
こうしていまの国道一二号の両側に沿い村落が姿を現わし、村名も郷里にちなみ白石村と命名され、十一月二十五日に「
月寒村
裏字
新札幌市史 第2巻 通史2
(副業)
それゆえ、農家経営は三十年を過ぎても困難であったようで、三十二年の豊平・平岸・
月寒村
の生活調査によれば
新札幌市史 第2巻 通史2
(神社等の増加)
. 2 月寒神社
月寒村
明治17. 9 明治33. 9 公認時西山神社,水天宮 札幌区 明治18 石山神社 平岸村 明治18 厚別神社
月寒村
明治18 昭和5.5,白石村 明治22 一心神社 琴似村 明治23 三里塚神社 豊平村 明治23 西岡八幡宮
月寒村
新札幌市史 第3巻 通史3
(軍事機関)
一八八九)に大改正された徴兵令が札幌に施行されたのは、それより七年後の二十九年で、歩、砲、工兵の独立隊が
月寒村
,まず、
月寒村
には歩兵第二五聯隊が置かれた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平村の成立)
豊平村の成立 豊平村は、「豊平橋ヨリ
月寒村
下迄新道左右」の地域に設定され、新白石村とともに七年三月十七日,豊平村の設置の理由は、「庁下より東方
月寒村
迄新道筋左右耕地払下ケ、追々人家取建候ニ付」(市史 第七巻二二三頁
新札幌市史 第2巻 通史2
(処分後の諸工場の動向)
3,000. 000 - 5 20 5 3,500. 000 2,900. 000 松島煉瓦場 煉瓦石製造
月寒村
,28.5 150,000 32,821 80 13 男 15 男450 大久保煉瓦工場 屋根瓦
月寒村
,1,566 150 12 男 12 女 3 男600 女300 鈴木煉瓦製造場月寒分工場 屋根瓦
月寒村
新札幌市史 第2巻 通史2
(村三役の普及)
月寒村
は四年八月に、村取締が廃され村三役の入札がおこなわれた(評議留)。
新札幌市史 第3巻 通史3
(第二五聯隊の出動)
第二五聯隊の出動 豊平村大字
月寒村
の歩兵第二五聯隊は、当時聯隊本部、三大隊、一二中隊の編成であったが
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】 『札幌郡調』(北大図)、『豊平村平岸村
月寒村
沿革大略』(札幌市中央図書館)、
新札幌市史 第2巻 通史2
(新副戸長と総代、副総代の設置)
第四小区 円山・琴似・上手稲・発寒・下手稲・山鼻村 第五小区 豊平・上白石・白石・平岸・
月寒村
新札幌市史 第2巻 通史2
(学務委員と学区)
琴似・発寒村)、五番(上手稲・下手稲・山口村)、六番(豊平・上白石・平岸村)、七番(白石村)、八番(
月寒村
新札幌市史 第2巻 通史2
(学田)
表-4 学田願一覧(明治18年) 学 校 面 積 位 置 藻岩学校 60万坪
月寒村
厚別(あしりべつ)
新札幌市史 第2巻 通史2
(農場の設置)
また、三十年には吉田善太郎ほか二人が
月寒村
に五〇万六七三五坪を得ている。 ,97,337 23,337 白石村 19 高橋十三郎 平岸村 50,123 0 南2条寄留 20 新田織之助
月寒村
,54,243 5,424 商,南1条 21 下国皎三 同 上 53,463 35,300
月寒村
22
新札幌市史 第2巻 通史2
(諸村の人口と移住の動向)
であったことは勿論であるが、一般の移住村では十三年段階で白石・札幌村が多く、ついで円山・上手稲・平岸・
月寒村
,十四年に
月寒村
が急増しているのは、福岡県の報国社が現在の豊平区里塚に移住したことによる(ただし移住は失敗
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場と戸長)
豊平・上白石・白石・平岸・
月寒村
の戸長は十七年頃に片倉景範から藤田盛に交代した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌周辺の原野排水)
24年度 札幌郡各村原野排水. 25年度 札幌近傍原野排水. 26年度 札幌郡琴似村原野排水.札幌郡
月寒村
原野排水
新札幌市史 第2巻 通史2
(亜麻等特約農家)
60.60 - 丘珠村 199.20 0.30 円山村 19.80 6.70 レツレップ 132.25 -
月寒村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 払下手続・地券発行等)
明治一三年六月) (3) 白石村杉山順以下二十一名地所払下願書(明治一七年八月二二日) (4)
月寒村
土井
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