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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (本府建設と寺院)

本府建設と寺院 第一節で述べたように、札幌本府建設が始まった時、現札幌市域では、仏教的施設としては札幌村 / 本府建設と寺院
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌本府建設の復活)

札幌本府建設の復活 開拓使は、三年二~五月の岩村判官の巡視で得た情報をもとに、七月「衆議紛々」を理由,に、札幌への本府建設を中止した。,その「北海道開拓ノ儀ニ付左ノ件々奉伺候」などでは、札幌の本府建設について、「札幌建府ノ儀、何分急速目途難相立候得共 / 札幌本府建設の復活
新札幌市史 第2巻 通史2 (島判官の札幌本府建設着手)

島判官の札幌本府建設着手 二年九月二十五日東久世長官以下が函館に到着したが、島判官は直ちに諸般手配の,島らが本府建設着手のため真直ぐに銭箱を目指したこともその現れであろう。,本府建設のため海路物資を送り込む地として、銭箱が最も札幌に近接していた。,開拓使の本府建設の構想は終始松浦によってリードされていたといえよう。   / 島判官の札幌本府建設着手
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌本府建設の中止方針)

札幌本府建設の中止方針 岩村は札幌着任後の執務の方針として東久世長官へ数項目について書き送っている。,第五に、札幌経営の順序について、本府建設を後にまわし、先に移民を入植させて村落をつくること。,しかしこの方針は、三年七月の次のような布達に引き継がれ、札幌への本府建設方針は一時中断する。 / 札幌本府建設の中止方針
新札幌市史 第2巻 通史2 (島判官の本府建設伺)

島判官の本府建設伺 二年七月二十三日島判官は長・次官と共に石狩出張を命ぜられた。,このような状況の下で島判官は、函館の配置が多人数なので、すでに政府が決定済の石狩本府建設の基礎事業に当 / 島判官の本府建設伺
新札幌市史 第2巻 通史2 (十文字大主典の札幌本府建設)

十文字大主典の札幌本府建設 『御金遣払帖』で島判官離任の二月から西村権監事札幌着任の十一月までに経費,これらのほか運河開削工事なども考慮にいれると、この三年中にかなり札幌本府建設工事は進行したと考えられる,確かに三年七月札幌本府建設の方針は中断したが、札幌を役所としての体裁を整えること、都市札幌本府の形態の / 十文字大主典の札幌本府建設
新札幌市史 第2巻 通史2 (本府建設とアイヌ労働)

本府建設とアイヌ労働 明治初年の札幌は、幕末においてイシカリ役所と箱館奉行所あるいは各場所詰役人間の,本府建設をひかえて近隣のアイヌ労働力の確保が必要とされたからであろうか。 / 本府建設とアイヌ労働
新札幌市史 第2巻 通史2 (岩村判官の札幌赴任と本府建設計画)

岩村判官の札幌赴任と本府建設計画 岩村判官は、明治四年(一八七一)一月九日東久世長官から「札幌出張申付 / 岩村判官の札幌赴任と本府建設計画
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌会議の結果と影響)

岩村が体制整備よりも本府建設を優先させたのに対し(三好の場合は、自分の担当地区の開拓の進行)、黒田は体制整備,そして杉浦の日記の会議紛糾の原因に関する記述やその後の本府建設事業の進め方から見て、会議後黒田の方針がとられたと,そのためこの札幌会議の結果は、札幌本府建設の進行に大きな影響を与えた。,建設の時間で考えると本府建設完成の日程が遅らされたことになる。
新札幌市史 第7巻 史料編2 (解題)

公卿清水谷公考・高野保建は蝦夷地に関する建議書を政府に提出し、さらに翌三月に再申書を提出したが、この中で本府建設,ここでは本府建設の地について、旧幕府奉行所のあった箱館をさけるなどのほか「全島要害之地」と位置づけているが,このように本府建設事業は周辺村落も含むものであったが、ここでは開拓使の文書を中心とした公文書類により、,事業が、島の転任で中断され、三年暮れに再開されたとされている期間は、残された史料が乏しいにもかかわらず本府建設,また外人教師等による建都論は、近世における本府建設の意見と一括して、これも「史料編一」に収録する。
新札幌市史 第2巻 通史2 (米の確保)

明治初年の札幌においては、本府建設のために現地入りした官員をはじめ大工・諸職人、あるいは本府下で商業活動,それゆえに開拓使による米の確保如何が、本府建設を左右する鍵になったのではなかろうか。  ,なかでも官員はじめ本府建設に携わった人夫・諸職人は、官禄・給料として米が支給された。,ところが本府建設が本格的段階に達した三年末から四年にいたっては、大量の農民や人夫・諸職人受入れに対し、,米は、このように本府建設になくてはならない食料であった。
新札幌市史 第2巻 通史2 (本庁敷地等の確保)

秋の札幌会議で示されるように、岩村判官は多額の経費をかけて本府建設を大々的に実行した。,草刈り賃の節約はそれに比べ微々たるものであったかもしれないが、時間と金を節約して本府建設そのものに集中
新札幌市史 第2巻 通史2 (本府の建設の開始)

その後、本府建設予定地の確認のためと思われるが、十一月九日に十文字大主典が札幌へ本府地見分に行った。,そして十一月十四日から平山大主典・野村少主典が本府建設のために派遣された。,これらから考えて、本府建設事業としてこの時期にはかなり具体的な計画が進められていたのである。
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌の建設と火事)

このように火事と札幌本府建設の進行とは大きなかかわりを持っていた。,この本府建設の進行と火事との関係に、この御用火事の背景が存在すると思われる。
新札幌市史 第7巻 史料編2 (一 明治二年)

石狩移住数岩倉公へ書上(八月二七日)  五 役邸等の部屋数及び広さ(八月頃)  六 島判官石狩へ罷越本府建設
新札幌市史 第2巻 通史2 (「札幌表御用取扱向等伺書」の札幌本府)

この「札幌表御用取扱向等伺書」から、札幌での本府建設計画の内容を以下に検討してみよう。  ,なぜなら三年中に、小さいとはいえ本府建設予定地を縦断する新川が開削されているからである。,全体的に見て西地の経営の問題と移民の問題に加えて、札幌への本府建設とその経営方法についての伺といえるものである
新札幌市史 第2巻 通史2 (新川開削)

仕込みをさせていること、余市越山道などの見積りをしていること、雪中に銭函道の整備をしていることなどは、本府建設,のための準備事業として、本府建設前から物資輸送路の確保をめざしていたことを示すものである(歌棄郡引渡書類,三年七月札幌への本府建設を一時中断し、札幌へ五〇〇軒の農家を移住させることが決定する(開拓使布令録)。
新札幌市史 第2巻 通史2 (御用火事の実態)

第一に辛未一ノ村移民の空小屋が野火の延焼や失火によって、本府建設を無に帰するのを防ぐための防火意識が上,第四に、五年に予定された本格的な本府建設、特に官地での官宅や本庁舎の建設地を野焼きして確保することである
新札幌市史 第2巻 通史2 (新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)

東久世長官の任命     三 札幌建府の動向        東久世長官らの赴任 石狩本府論 島判官の本府建設伺, 島判官の札幌本府建設着手     四 開拓使と兵部省        軍務官の会津降伏人始末 兵部省,の変転        札幌本府経営と兵部省支配 兵部省北海道支配の廃止   第二節 島判官の札幌本府建設,の建議と開拓方針の転換     三 岩村判官の本府着工計画        札幌の役所の整備 札幌本府建設, 物資の輸送と輸送方法の整備 新川開削     五 西村権監事の本府建設計画        札幌本府建設
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌会議の背景)

札幌会議の背景 この会議が開かれる以前に、黒田次官と岩村判官との間には、五年中の札幌での本府建設資金,札幌の主任である岩村が、本府建設のために黒田との定額金の条約を破ったことである。,岩村は本府建設を最優先して事業を実行し、したがって予算外の事業について上申もしなかった。  
新札幌市史 第2巻 通史2 (口絵)

札幌本府建設は、開拓判官島義勇を担当責任者として明治2年暮から始まり、多少の曲折を経た後、6年中には白亜
新札幌市史 第2巻 通史2 (風紀取締)

風紀取締 二十年代の札幌区内では、札幌本府建設の時点で公認したいわゆる公娼制度が存続していた。
新札幌市史 第2巻 通史2 (水原県からの定額米)

島判官は銭函へ到着後、本府建設開始以前に東京の岩倉具視へ次のように報告している。,の北海道への回米不足などによる北海道での全般的な物資不足の状態、さらに兵部省の会津降伏人移住、そして本府建設
新札幌市史 第2巻 通史2 (島判官の専断)

また本府建設による「金穀空乏」の事実も、先述したように、そのような事態を招くほどの事業は展開していない,それでは本府建設に限定せず、「嶋判官在西地」とある、彼の処務である西地経営における専断であろうか。
新札幌市史 第2巻 通史2 (周辺村落の形成と移民)

開拓使や明治政府の内部でも迂余曲折を経ていることは、第一節で詳述した通りであるが、開拓判官の島義勇は本府建設
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌会議)

札幌会議の問題を本府建設問題にしぼって、その背景や状況を描いてみよう。
新札幌市史 第6巻 史料編1 (解題)

そして六年秋には開拓使本庁舎が完成して、本府建設事業は一段落することになった。  ,以上の諸点からみると、本史料は本府建設がもっともさかんに行われ、かつ周辺村落の基盤が据えられた時期の建設
新札幌市史 第2巻 通史2 (薄野・密売淫問題)

薄野・密売淫問題 札幌区内薄野に遊廓が札幌本府建設と同時に建設されたことは第五編九章四節で述べたとおりである,このように二十年代以降の札幌区は、札幌本府建設の時点で公認したいわゆる公娼制度がますます拡大強化されているといっても
新札幌市史 第2巻 通史2 (軍務官の会津降伏人始末)

軍務官の会津降伏人始末 島判官が札幌で本府建設を開始した当初、一つの難題として、会津降伏人の移住を図
新札幌市史 第2巻 通史2 (御用火事)

以下にこの事件を札幌での本府建設との関係で考察してみよう。
新札幌市史 第1巻 通史1 (『入北記』)

義勇は、明治二年(一八六九)に開拓判官となり、札幌の本府建設にあたることになる。
新札幌市史 第2巻 通史2 (人身売買の実態)

ここにあらわれた数字は、開拓使が札幌本府建設と同時に押し進めた遊廓地の決定、そして公娼制度のスタートの
新札幌市史 第2巻 通史2 (石狩の米不足の状態と対策)

特に生活物資の問題であるから、南部職人たちが到着し、札幌での本府建設を開始する十一月中旬以降は、その状態
新札幌市史 第2巻 通史2 (住民構成(市中と村))

それが、一旦本府建設が中断され、そして再開された四年の末には、二〇二戸の新移住民を加えて、二一一戸、六三七人,ということは、本府建設のために一時的に集まった住民が多かったといえる。  
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌の水運)

いささか気楽な説であるが、札幌の抱えた物価高と本府建設経費削減を真摯にとらえた説ともいえる。
新札幌市史 第2巻 通史2 (校舎の新・増改築)

ロシア式丸太造りの本格的なものが工法の不適切から早々に老朽化したものもあるが、それよりもたとえば札幌本府建設用
新札幌市史 第2巻 通史2 (豊平開墾)

深谷鉄三郎の昔話で、札幌へ来た役人を紹介した際に、「豊平向うの開墾掛長石山」といっていることと、島判官の本府建設計画図
新札幌市史 第6巻 史料編1 (解題)

明治以後は、島義勇の誘いにより開拓大主典として札幌本府建設に携わったばかりでなく、札幌の金融業のはしりをもつとめていた,そこには、やがて開拓使以後龍助自身も参画することとなる札幌本府建設を展望した、石狩建都論ともいうべき一大都市計画案,すなわち、開拓判官島義勇は、同年十月十二日銭函に到着して銭函仮役所を開設し、札幌本府建設をはじめ管轄になった,今回収録はしなかったが、合わせ見ることにより一金穀懸を通して見た杜幌本府建設の具体的内容が解明されるであろう
新札幌市史 第2巻 通史2 (開拓使初期の機構)

これにともない同月、函館・根室の開拓使出張所は、それぞれ函館出張開拓使庁、根室出張開拓使庁と改称され、また本府建設
新札幌市史 第1巻 通史1 (この時期の評価)

これまでともすれば、開拓使の設置及び開拓判官島義勇の到来により、未開の荒野に突如として本府建設が開始されたかのように
新札幌市史 第2巻 通史2 (霊代の札幌奉遷)

しかし島は三年二月に東京に召還されて本府建設も一頓挫を来たし、神社建設も宙に浮いたため、同年五月に小祠
新札幌市史 第2巻 通史2 (市中筆算所と札幌学校の設立)

本府建設の一段落にともなう不況の余波を受けたといわれる。  一方、資生館も札幌学校と改称した。
新札幌市史 第2巻 通史2 (工事請負人と諸職人の募集)

そしてさらに同じ中川の話をもとにして、札幌本府建設開始を四年一月二日とする話は、まだ札幌に岩村判官もいない
新札幌市史 第2巻 通史2 (豊平開墾の実態)

ところが開拓使は、本府建設の開始などの際の役員の配置換えと共に、基本事業である「豊平開墾」を中止にしたのである,また④の史料から、豊平開墾で働いた人夫たちは銭函新道や本府建設の方に回されている。
新札幌市史 第2巻 通史2 (遊廓地の決定)

遊廓地の決定 札幌の本府建設の過程で、官庁や諸施設の建設と同時併行して建設されたものに遊廓がある。,この「飯盛女」許可の達から二カ月後の同年十二月、本府建設の本格的決定を意味する一〇カ条からなる伺書が開拓権監事西村貞陽
新札幌市史 第2巻 通史2 (開墾掛と町役人)

以上のように、おそらく本府建設が進み人口が増加するにしたがって、町役人の役職・人数も増加していったものと
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌本庁舎の竣工)

工事進行の遅れの他に、工夫たちの暴動や遊廓打ち壊し、そして札幌会議後の開拓使内部の大幅な人事異動、さらに本府建設方針
新札幌市史 第2巻 通史2 (市街と周辺村落との境界)

しかし五年に本格的な本府建設が開始されていくと「未た小樽石狩両郡の境界等も不相定、追々人烟繁殖致候テハ
新札幌市史 第2巻 通史2 (祭と娯楽)

また一方、十五年の廃使置県後、札幌本府建設を後世に伝えるモニュメントとして開拓紀念碑設立の運動がおこり
新札幌市史 第2巻 通史2 (明治五年の春と六年の春の相違)

職人人夫たちを多く集めた島判官が、厳寒期に札幌本府建設を強行しなければならない事態と同様である。
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