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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (町区画の開始と道路開削)

(評議留 道図) 本町三丁目通ニて別紙朱書之如く、谷地在之難渋之趣、屢々申出尤ニも相聞候、殊ニまた通り,さらにその頃、そこを本町三丁目と呼んでいたことがわかる。,この本町という呼び方は、島判官の『石狩国本府指図』にある。,写真-6 「本町三丁目」の谷地(評議留 道図)  これらの区画が『開拓使事業報告』土木の部にある
新札幌市史 第1巻 通史1 (山麓緩斜面・崖錐)

西区手稲本町~前田や富岡あたりの手稲山山麓緩斜面は扇状地と考えた方がよさそうな形態を示している。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (土地区画整理事業の展開)

定山渓 S42~46 37 220,000 二十四軒北 S41~47 95 974,000 真駒内本町,の手南 S43~50 117 3,540,000 平岸高台 S44~49 37 472,000 手稲本町,元町中央 S47~51 74 1,791,000 元町南 S47~50 63 1,306,000 元町本町
新札幌市史 第4巻 通史4 (養豚)

次に『豊平町史』によれば、「本町の養豚は古くから行なわれていたが、大正の末期から昭和の初めにかけて最も,それは本町内に農林省畜産試験場と北海道種畜場とがあって、種豚の払下げがあり、技術的指導も受けられたことが
新札幌市史 第4巻 通史4 (野菜・果樹)

円山町 (元藻岩村) 各種蔬菜 本町は本道における古い蔬菜栽培地で,各種の蔬菜が栽培されている。,本町八垂別には傾斜地を利用してアスパラガスの栽培が行われている。,なお本町は食用馬鈴薯石狩白丸の産地として名がある。,又本町簾舞には産業組合の経営にかかるトマトピュレー加工場がある。,なお本町産の馬鈴薯は農会の手によって共同出荷されている。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (郵便局の増設)

中の島2-10),琴似二条(琴似町2-5),琴似発寒北(琴似町発寒),手稲宮の沢(手稲宮の沢),札幌本町,(本町2-7) 昭43 新琴似八条(新琴似8-8),東篠路(篠路町拓北),白石栄通(白石町栄通8),下野幌,白石町北郷),東米里(簡易 白石町東米里),厚別(普通に改定,厚別町東区),厚別東(厚別町東区),手稲本町,(手稲本町),豊平三条(豊平3-12) 昭45 札幌北三十四条西(北34西4),新琴似八条西(新琴似8
新札幌市史 第2巻 通史2 (岩村判官の区画構想)

または『石狩国本府指図』の本町のように長方形で描けば、自然に碁盤の目状ないしはそれに類似した区画を意味
新札幌市史 第4巻 通史4 (養鶏)

本町では昭和元年、二年頃札幌外四郡農会から町農会に白色レグホーンの種卵を配布して来た。
新札幌市史 第2巻 通史2 (下手稲村と軽川の発展)

下手稲村の中でも軽川(手稲区本町)は、十四年十月二十五日に幌内鉄道の簡易停車場が設置され、市街地の形成
新札幌市史 第5巻 通史5上 (手稲町商工会、豊平町商工会との合併)

同会は「本町商工業者の公正な世論を結集し、その実現に努め各地経済団体との緊密な連絡を促進し綜合的に商工業
新札幌市史 第5巻 通史5下 (寺院数の増加)

10・19 浄光寺 同 北区新琴似546 昭52・ 4・ 1 沼田町より転入 真宗寺 同 手稲区手稲本町,昭53・ 8・19 宝塔寺 同 北区篠路町拓北30 昭59・ 6・ 6 遠成寺 同 手稲区手稲本町,北区篠路3-3 平 4・ 4・23 隆心寺 同 豊平区福住2-8 平 6・10・ 5 広照院 同 東区本町
新札幌市史 第5巻 通史5上 (豊平・手稲町の公民館)

場所は役場庁舎付近の現本町三条一丁目、六月に着工し十月一日に開館(開館式は十月十日)し、社会教育の基幹施設
新札幌市史 第5巻 通史5上 (火葬場と墓地)

24 滝野 4,354 M37.2.8 滝野3191 25 手稲 13,719 M28.10.3 手稲本町
新札幌市史 第2巻 通史2 (町名の設定と町区画の拡大)

四年半ばには「本町〇丁目」という呼び方があった。
新札幌市史 第2巻 通史2 (下手稲村の成立)

村内のサンタロベツ(三樽別、後の軽川)と呼ばれたいまの手稲区本町付近は、四年に通行屋(取扱人吉田新兵衛
新札幌市史 第2巻 通史2 (本府計画)

この大通の南に本町と記された町地が配置される。これは「大府図」の大町である。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (コンビニエンスストアの増加)

一号店を開店し、その月の三十日には豊平区旭町、翌三十一日には南区南三二条西一〇丁目、さらに六月末には東区本町
新札幌市史 第4巻 通史4 (諸町村の連絡道路)

準地方費道札幌留萌線(石狩郡石狩町大字花畔村に於て分岐) 37 札幌夕張線*5 札幌区北3西5 夕張郡夕張町字本町
新札幌市史 第5巻 通史5下 (土地区画整理事業)

四十六年度中に真駒内本町地区では、七二戸の改良住宅を建設して事業を終えた(概要 昭49)。  
新札幌市史 第5巻 通史5下 (市内の神社)

新琴似神社 北区新琴似8-3 明20 村社 5月20日 昭40 昭60 昭61・ 5 手稲神社 手稲区手稲本町
新札幌市史 第5巻 通史5下 (林業振興策)

六年に豊滝市民の森(南区、六四ヘクタール)、九年に西野市民の森(西区、六一ヘクタール)、十三年に手稲本町
新札幌市史 第4巻 通史4 (円山町の札幌市への合併)

町議会には四月八日に、「札幌市ト本町トノ合併ニ関シ町長ノ諮問ニ応ジ、又調査ヲ為ス」九人の市町合併臨時委員会
新札幌市史 第5巻 通史5上 (手稲町の合併)

、やはり総合計画の一環として札樽地帯の重要な地位と責任並びに立地条件の整備と言う大きな課題をかかえた本町
新札幌市史 第5巻 通史5上 (農業団体)

. 2.33 70 手稲本町 札幌市玉葱農業協同組合  23. 5. 6
新札幌市史 第4巻 通史4 (町内会の形成)

市外でも琴似村には大正十四年九月に、停車場通の「積極的発展策を講ずる」本町会が創設されており(北タイ 
新札幌市史 第4巻 通史4 (受難事件の発生)

同年三月、不敬・造言飛語などの容疑で逮捕されて獄中死した函館本町教会(元函館聖教会)小山宗祐の事件が、
新札幌市史 第5巻 通史5上 (農地の潰廃・転用)

農地の潰廃・転用 「昭和二十七、八年より始まった札幌の異常な膨脹は、本町の農地潰廃を急がせており、この
新札幌市史 第2巻 通史2 (諸村の状況と生産高)

軽川(現手稲区本町)にはすでに幌内鉄道の停車場もおかれており、ここを中心に市街形成の途次にあったはずである
新札幌市史 第5巻 通史5上 (札幌村・琴似町・篠路村の合併)

この後、五月二十七日には同委員会の報告書が町議会に提出され、この中で「本町は速やかに札幌市と合併すべきである
新札幌市史 第5巻 通史5下 (中小規模企業)

500 1,187,818 57,146 35.2 公営団地東川下団地、道営住宅東苗穂団地、元町北区本町環状通第
新札幌市史 第5巻 通史5上 (豊平町の合併)

同委員会は、昭和三十二年(一九五七)一月十七日、「本町と札幌市とは合併すべきであると考えられるが、その
新札幌市史 第2巻 通史2 (図版・写真・表組一覧)

』(道文335) (151頁) 写真-5 官地と民地を隔てる門(北大図) (152頁) 写真-6 「本町三丁目
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