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新札幌市史 第1巻 通史1
(本陣)
本陣
安政五年(一八五八)四月のイシカリ改革の申渡案によると、阿部屋伝二郎は請負を差免し出稼とみなし,これに対しイシカリ役所では、「
本陣
と相唱可申事」と、
本陣
と称することを指示している。,これによると、諸願書・諸届書も
本陣
がうけつけ、さらに奥印の上、役所に提出することになり、
本陣
は町役的な,
本陣
の建物が狭隘で、時には番屋が利用されていたことは先にみたが、このために万延元年(一八六〇)二月に、,」、「御
本陣
取込之節ハ両三軒ニテ奉御請候」とある。 /
本陣
新札幌市史 第1巻 通史1
(本陣経営の転変)
本陣
経営の転変 以上のように旅籠が増加するにつれ、
本陣
の宿泊機能も低下をみ、経営も不振におちいっていく,このために、阿部屋にとり
本陣
経営が負担となり、文久三年(一八六三)に
本陣
の差免を願い出、認められることになる,これにより、阿部屋の
本陣
差免は八月初旬とみられる。,げ、「御通行取扱
本陣
守」が差免されている。,
本陣
制度は明治五年(一八七二)一月に廃止となり、旅籠屋並と
本陣
の呼び名も改正となる。 /
本陣
経営の転変
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌での商業の発祥地)
清水の旅籠の北側に大友堀に面して
本陣
(官員の宿泊所)を設けた。
本陣
の御用達には高木長蔵が任命された。,さらに
本陣
の北方に集議局や官邸役宅などをもうけた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(町役人時代の執務場所)
そして後述の旧
本陣
への町会所開設の時期と合わせ考えると、執務場所は南一条東一丁目とするのが妥当のようである,四年創成橋畔(現南二東一)に
本陣
が建設されたことにより、執務の場所は現在の南一条西一丁目の旧
本陣
跡に移,旧
本陣
への移転の時期については明確にしえないが、新
本陣
が落成し小走を雇う七月、小走を町会所小走とする十一月
新札幌市史 第1巻 通史1
(住人の組織化)
改革前の元小家を
本陣
と改め、人馬継立を行うだけでなく、「諸願書諸届書諸場所え継立等」(市史五四頁)を兼,すなわち「石狩中、諸願書
本陣
支配人の末印を以指出」(生田目氏日記)さねばならないから、阿部屋は住人と役所,これは明らかな町役人だから、
本陣
と用務が重複し混乱を生じやすく、万延元年五月「市中願筋は勿論、何事に不寄,初代浜名主は文久二年交代し(あるいは前年末で解任か)、
本陣
守(阿部屋)も同三年願い出て任を解かれるが、
新札幌市史 第1巻 通史1
(阿部屋のその後)
本陣
守を続けるためにホリカモイの役鮭を三七役から半額減免され一割半役となったが、これでも経営は苦しいと,訴えて、箱館産物会所から多額の融資を受け、さらに
本陣
守の返上を願い出たため、文久三年、イシカリ役所は阿部屋,に割り渡していた鮭引場をすべて取りあげ、
本陣
守を願い通り差免した。,あわてた阿部屋は松前藩の口添を得て箱館奉行所に願い出、翌元治元年引場と
本陣
守を再び許されるという混乱をみせた,③ イシカリ
本陣
守を罷免し、山田文右衛門(その親戚富右衛門)を後任とし、施設を引き渡す。
新札幌市史 第1巻 通史1
(運送と通信)
運送と通信 運上屋・
本陣
の役割のうち、運送と通信についてみておこう。,運上屋・
本陣
が担当した運送・通信は、隣接の各場所・運上屋との間におけるもので、いわゆる継(つ)ぎ送りの,これらの一部は、当然
本陣
に備えられ、運送用に使われたとみられる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌建築開始)
2 4 東創成通 仮庁 4 4 空知通 少主典邸 2 5 札幌 付属長屋 2 7 5 東創成通
本陣
,札幌病院病室 6 札幌 町長屋 1 9 6 札幌 官邸 2 8 札幌 東京府貫属邸 3 8 7 東創成通
本陣
板倉,1 7 東創成通
本陣
物置 1 8 東創成通
本陣
人足溜場 1 7 東創成通 工作場営繕係詰所 2
新札幌市史 第2巻 通史2
(写真)
これらの写真は翌五年に函館から東京に送られたが、このうち札幌本府関係としては開拓使仮本庁舎、
本陣
、札幌神社,うち札幌関係は二八種類にのぼっているが、中でも札幌脇
本陣
の屋根の上から撮影したパノラマ写真はよく知られている
新札幌市史 第2巻 通史2
(用達の店々始末)
島田八郎左衛門と札幌との関係については、六年二月札幌
本陣
(東創成町、南二東一)を七〇〇〇円一〇カ年賦で,翌七年十二月黒田長官は自ら大阪へ出向き、貸付会所について状況を視察して島田組手代の奸計を発見し、札幌
本陣
並
新札幌市史 第1巻 通史1
(移住の自由)
あわせて
本陣
と改称した元小家を引き継ぎ、
本陣
守となり、人馬継立差配と住人からの願書、届書の受継役も阿部屋,備米積替え、通行屋や道路の修理建築等をしなくてすむが、これまでのようにアイヌを勝手に労役に使えなくなり(
本陣
新札幌市史 第2巻 通史2
(十文字大主典の札幌本府建設)
御金遣払帖』で島判官離任の二月から西村権監事札幌着任の十一月までに経費を計上した建物は、一番小屋、本府
本陣
,には、西側一番集議所、二番少主典邸、三番少主典邸、東一番使掌長屋、西二番使掌長屋、一番板蔵、二番板蔵、
本陣
新札幌市史 第2巻 通史2
(島判官時代の建設)
そしてほぼ一番小屋(役邸)、本府
本陣
、権大主典役宅の順番で建築されたようである。,しかし山田民弥の『恵曽谷日誌』(北大図)には、「役宅五棟
本陣
一棟」「大工鍛冶人足の小屋五、六ケ所」とあるが,高木長蔵へ本府
本陣
取建入用代を貸す。4年返納。
新札幌市史 第2巻 通史2
(官舎と洋式建築の導入)
洋式建築の導入 開拓使の本府札幌には、二年十一月から翌三年にかけて集議所をはじめ少主典邸、使掌長屋、
本陣
,この石置き屋根に対し、四年十一月から翌年にかけて建設された渡島通(現南一条西二丁目)の脇
本陣
は、純和風
新札幌市史 第1巻 通史1
(人足役)
これはイシカリ改革以後、イシカリに
本陣
・浜役の町役の自治組織ができるにしたがい、人足役も負担するようになったことを
新札幌市史 第2巻 通史2
(本庁敷地等の確保)
本庁敷地等の確保 この御用火事で焼かれた地域には、『細大日誌』にあるようにガラス邸から脇
本陣
近傍が含
新札幌市史 第2巻 通史2
(御用火事)
する仕事をする開墾掛の『細大日誌』(市史 第六巻)に、「山火為予防、官員一同出張、ガラス邸前辺より脇
本陣
近傍本願寺
新札幌市史 第3巻 通史3
(維新堂)
渋谷四郎 札幌写真事始 札幌の歴史一〇号)の札幌全景、開拓使本庁札幌
本陣
、明治初年の札幌神社ほか数十葉
新札幌市史 第2巻 通史2
(物流の拠点)
したがって三年五月開拓使用達となった木村万平も、回漕店を創成川を挟んで
本陣
の東側に開いている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(市中の商い惣高調)
旧
本陣
の賄い方をしていた高木長蔵は、旧
本陣
の払下げを受けて料理業を営み、九七二円九〇銭の売上がある。
新札幌市史 第2巻 通史2
(活版印刷所)
活版印刷所 札幌における活版印刷は、開拓使が東京出張所の印刷機を十年十月札幌に移して、南二条東一丁目の札幌
本陣
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリの繁栄)
五十嵐勝右衛門は、阿部屋伝治郎の
本陣
とならび浜名主という町役をつとめており、『五十嵐勝右衛門文書』には
新札幌市史 第1巻 通史1
(漁間農業の育成)
、浜名主勝右衛門は農民を雇ってポンライネに畑を開き、マクンベツに引場を持ち渡し舟を業とした利右衛門も
本陣
裏手
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ御用達と問屋の出店)
利兵衛は前イシカリ場所請負人の一族で、すでに出店(
本陣
)をイシカリに持っていたが、あとの二者は翌安政六年出店
新札幌市史 第1巻 通史1
(産物会所とのつながり)
また、阿部屋は赤字経営を理由に、イシカリ
本陣
守の返上を願い出るが、イシカリ役所の口ききもあったのだろう
新札幌市史 第2巻 通史2
(遊廓地の決定)
開拓使は、これらの「売女小屋」の営業許可を追認する形で、明治三年(一八七〇)十月、北海道西部各郡の
本陣
,を使用し、永住人の「抱女」とすることで取締(監視)も行届き、その地方の繁盛のもとともなるので、旅店(
本陣
新札幌市史 第1巻 通史1
(その用務)
しかし、旧請負人阿部屋は
本陣
の名でイシカリの町役人的立場にあったから、二人の力関係が複雑だった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(共同体意識の成長)
たとえば文久三年阿部屋が
本陣
を返上し、イシカリの町は混乱、衰微に向かいそうになると、困難をのりきり景気回復
新札幌市史 第2巻 通史2
(資生館の設立)
すなわち開拓使官員子弟等教育のため、開拓使仮
本陣
の一室を教場とし、当初は官員が教師を兼ねた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(「官設」東京楼)
まだ遊廓内の家作は完成しておらず、官員や外国人の宿所脇
本陣
(現南一条西三丁目)に宿泊することになった。,その落成は九月頃であったようで、『札幌昔話』には、開業当日遊女たちが宿所の脇
本陣
から上磯通の東京楼まで
新札幌市史 第1巻 通史1
(運上屋)
運上屋は、安政五年四月にイシカリ改革が実施され、場所請負制が廃止されるに及び
本陣
と改称され、ひき続き阿部屋
新札幌市史 第2巻 通史2
(用達の店々)
さらに木村等の店は、五年十一月脇
本陣
の賄い方なども取扱って利益を上げようとしている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(御用火事の実態)
御用火事の区域は、ガラス邸(北四西一)前から脇
本陣
(南一西三)近辺と東本願寺(南七西七)から薄野辺である
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使女学校から札幌女学校へ)
チフス流行で学校閉鎖中に札幌移転が発表され、また教師の交代をめぐるトラブルもあって、八年八月札幌の脇
本陣
新札幌市史 第1巻 通史1
(出稼所の設置)
坂井信之助(通し(詞)役) 一行は六月十日に西トンナイに着き、その後クシュンナイ場所に入り、ナヨロに「御
本陣
新札幌市史 第1巻 通史1
(田草川伝次郎)
然ども大成家作にて玄関座敷も二間次之間も三ケ所程勝手広く道中
本陣
風之作り也。,」ではなくなっていたし、第三日目のイザリブト泊家は、前年の遠山、村垣一行の置土産であると思われるが、
本陣
風
新札幌市史 第2巻 通史2
(東本願寺の開拓出願)
の報告はこの間の状況を「(前略)廿四日辰刻(小樽)の御出坊にて石狩府札幌へ被為成候所、未だ人家も少く
本陣
新札幌市史 第2巻 通史2
(最初の聖書研究会と洗礼式)
クラークは、W・ホイーラー、D・P・ペンハロー両教授共々立ち会うことになり、教師館となった
本陣
の客間(
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 明治三年)
四月二九日) 四四 移住民差留のため官員出張不要の件ほか(四月二九日) 四五 シノロへ御蔵取建、札幌表
本陣
守
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
市中住民の願書は浜名主の手を経たもののほか、
本陣
(原本では陣と陳の字を使用しているが、陣に統一)を経由
新札幌市史 第1巻 通史1
(学問教授所)
我等庄内発足以前文学教匠の祖とかいひし大熊時雨太郎といひし人ハ、近比迄四郎といひて、我宿せる
本陣
の筋向
新札幌市史 第1巻 通史1
(番所の設置)
同心 有田精治郎 同心 チイシカリ御番所 桐谷多兵衛 足軽 上トウヤウシ御番所 武川勇治郎 足軽 御
本陣
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
76年9月御雇い外国人ボイラーが,東創成通の旧
本陣
(現南2東1)屋上でアメリカのワシントンのスミソニアン,11月1日
本陣
に測候所を設け,12月に完成した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平開墾の実態)
表-1 豊平開墾決算(案) 月日 金額 記事、但書き、付札など 10.18 350両 於石狩
本陣
に諸品買入札幌
新札幌市史 第2巻 通史2
(本府としての整備)
4年10月 札幌 五住居町長屋 1 5年 2月 11 渡島通 脇
本陣
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
定山の経歴 定山の温泉開発 第四節 イシカリの交通…837 一 交通路と運上屋・
本陣
, 交通路の大系 その他の系路 二 運送と通信 運送と通信 人足役 運上屋
本陣
,
本陣
経営の転変 第六章 アイヌ社会とコタンの変貌…846 第一節 イシカリのアイヌ問題
新札幌市史 第2巻 通史2
(西地諸郡からの物資調達)
『御金遣払帖』には、余市については「巳十一月より午正月迄、御廻米船賃并人足代、与市
本陣
支配人代第吉エ渡
新札幌市史 第6巻 史料編1
(件名目次)
漁場請取捺印の廻文(同年四月一九日) 三六 貸附品定日の覚(同年四月二九日) 三七 市中願筋は
本陣
浜名主協議,上願出(同年五月) 三八 ヒトヱ一手引網願(同年五月) 三九 錯 簡 四〇 願筋は
本陣
新札幌市史 第7巻 史料編2
(件名目次)
四四 移住民差留のため官員出張不要の件ほか(四月二九日)…46 四五 シノロへ御蔵取建、札幌表
本陣
守
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