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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌二〇〇戸)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌郡を移住地に予定していた。,を三年間に変更し、六年十二月三十日「来(きたる)七年ノ儀ハ、札幌郡へ三百戸、室蘭郡へ二百戸被相移候」よう,内定をみ、札幌郡への移住準備が始まった(開拓使公文録 道文五五二七)。,まで終えながら初回の予定地から削られたのは、開拓使顧問H・ケプロンの視察が最終結論に影響したようで、札幌郡,ないし札幌だけが対象地として残った。 / 札幌二〇〇戸
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌郡区役所の改編)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 本庁管下の石狩国の郡役所は、札幌に置かれた札幌区役所と石狩に置かれた石狩外七郡郡役所であった。,ここで札幌区役所は札幌市街と札幌郡一円を管し、石狩に設置の郡役所は石狩・厚田・浜益・樺戸・空知・夕張・,その変更理由として挙げている第一は、札幌区役所が札幌郡一円をも管轄しているため、札幌の「郡名ハ恰モ消滅,以上の観点から札幌県令は、札幌区役所の所管は札幌市街に限定する、既設の石狩の郡役所の所管は石狩・厚田・,浜益の三郡とする、さらに新たに札幌に郡役所を設けて札幌・樺戸・空知・夕張・雨竜・上川の六郡を所管する、 / 札幌郡区役所の改編
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌村地主会)

新札幌市史 第3巻 通史3 / 札幌村地主会 これらの動きは札幌ではどのようであったのだろうか。,札幌村の場合でみると、七年九月に札幌村地主会が設立されているが(札幌郡札幌村勢一班 大10・8調)、同会,札幌村地主会規則 第一条 本会ハ札幌村地主会ト称ス 第二条 本会ハ札幌村内ニ於テ土地ヲ所有スル者ハ,設立時の会員数は明確でないが、昭和四年十二月現在では五六六人となっている(札幌郡札幌村 村勢一班 昭4,(北海道札幌郡篠路村勢一班 大14・10調)。 / 札幌村地主会
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌村の例)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌村の例 このほか昭和五年五月二十八日、札幌郡札幌村の碓井仁次郎所有地(畑三町三反三畝一五歩)で、,②小作人がすでに収穫した牧草は小作人の所得とし小作料を支払うこと、という条件で七月十五日に解決した(札幌控訴院検事局思想部, 札幌控訴院管内社会運動概況 第二輯)。 / 札幌村の例
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌都市計画東札幌土地区画整理)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌都市計画東札幌土地区画整理 東札幌土地区画整理は、新興工場地帯として発達し始めていた東札幌駅を中心,十九年八月二十一日、内務省告示第四六一号で決定し、道庁と札幌市役所で図面の縦覧が告示された(官報第五二八一号,その設計書によると、区域と地積は、札幌市字豊平町、白石町、札幌郡豊平町大字豊平村、白石村大字上白石村、,第一工区は東札幌駅前北部区域、第二工区は東札幌駅背面南部区域、第三工区は豊平駅南部豊平区域とした。,その後戦争などの事情で中止状態となって、敗戦を迎えた(札幌市史 政治行政篇、札幌都市計画概要)。 / 札幌都市計画東札幌土地区画整理
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌の郵便局)

新札幌市史 第3巻 通史3 / 札幌の郵便局 この間、札幌では開拓の進行や人口の増加により、順次郵便局も増加していった。,明治三十二年区制施行前に、札幌では上記の一等局である札幌郵便(電信)局の他に、篠路(茨戸太)郵便局(明,札幌鉄道郵便局 官制改正で新設 36 .12.15 札幌郵便局 札幌鉄道郵便局を併合 43 . 4,札幌南四条東二丁目郵便局 受取所を改称,三等局 39 . 1 . 1 札幌南四条郵便局 札幌南四条東二丁目郵便局,白石本村 38 . 4 . 1 白石郵便局 受取所を改称,三等局 明治30 .12.11 月寒郵便受取所 札幌郡月寒村 / 札幌の郵便局
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌官園)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌官園 明治四年(一八七一)九月、ケプロン来日直後の献策によって東京に官園三カ所が設置された。,東京、七重両官園の設置とほとんど同時期に札幌官園も誕生した。,『開拓使事業報告原稿』(道文七一八二)では、札幌官園を穀菜、果樹、林木など「樹芸」にかかわる試験施設の,八年六月、札幌本庁では余市・静内・浦河の各出張所にあて農業現術修業の希望者をつのった。,故ニ今般更ニ札幌農学校ニ隷属セシメタリ。 / 札幌官園
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌村の玉ねぎ)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌村の玉ねぎ 札幌の玉ねぎの起源は古く開拓使時代にあるが、それを札幌村に定着させたのは十五年に信濃国諏訪郡,前述の石川の報告にある札幌村の蔬菜とは、おそらく玉ねぎが主であるといってよいだろう。,その後札幌付近の玉ねぎ栽培は二十四、五年頃より作付面積が増えはじめ、日清戦争以降需要が増大し、価格も騰貴,発展の要因は、札幌村辺が土壌・気候とも適していたこと、札幌区という廉価な肥料の供給地があったこと、さらに,労働力供給地である都市札幌の近郊にあったことが労働集約的な農業に適していたことなどのようである。 / 札幌村の玉ねぎ
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌の興行)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌の興行 表6~9は、『北海道庁統計書』から作成した札幌の諸興行にかかわるデータである。  ,札幌警察署管内は、札幌市、豊平町、札幌村、白石村、藻岩村・円山町、琴似村、篠路村、手稲村、広島村、恵庭村,(札幌市,豊平町,札幌村,白石村,藻岩村,琴似村,篠路村,手稲村,広島村,恵庭村,千歳村)。,郡司正勝が回想するように、大正期の子供時代に札幌劇場(南3西1)などに出入し、札幌のあちこちで様々な歌舞伎,(中村美彦 札幌最初の劇場・秋山座、杉本実編 札幌の劇場の記録)。 / 札幌の興行
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌茨戸間の運河)

新札幌市史 第3巻 通史3 / 札幌茨戸間の運河 札幌茨戸間の輸送は、小樽石狩を経て札幌への物資輸送路として常に重要な位置付けを与えられていた,そのため銭函花畔間と茨戸札幌間の運河を利用した輸送も三十四年まで行われた。,その後三十五年二月に札幌郡農会(北タイ 明35・2・22)、三十七年一月に札幌他四郡農会からの札幌茨戸間運河修築 / 札幌茨戸間の運河
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌県の施政)

新札幌市史 第2巻 通史2 / しかし札幌・根室の両県令は、なお法令を人民に周知させるのは困難であるとし、所轄郡役所到達の翌日より起算,その第一は農商務省へ提出したもので、旧開拓使事業の処分後に農商務省管轄となった旧札幌勧業育種場・札幌物産課博物場,・同製煉場の札幌県への移管要請である。,第四は内務省へ提出のもので、札幌県庁の新築要請である。,第五も内務省への提出で、札幌・室蘭間の鉄道敷設要請である。 / 札幌県の施政
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌空襲と敗戦)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌も六月末から連日のように空襲警報が発令されるようになった。,七月十四、十五日の米軍による空襲では、札幌郡札幌村丘珠において、陸軍の飛行場とその周辺の農地に機銃掃射,と爆撃が、また同郡手稲村軽川(現札幌市手稲区)の石油タンク等の爆撃、同郡白石村(現札幌市白石区・厚別区,林恒子「札幌空襲の実態」(札幌の歴史 第2号)より作成。  ,このほか札幌周辺では、札幌郡江別町や石狩郡石狩町(現石狩市)でも空襲を受け、江別町では死者三人、重軽傷者八人 / 札幌空襲と敗戦
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌区役所の成立)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌区役所の成立 その後十一年の郡区町村編成法等の地方三新法の制定にともない、北海道でも郡区役所の編成,その時に札幌区役所が札幌市街と札幌郡一円を管轄することになった。,その結果十二年八月制度上札幌郡・区役所を設置し(事務は旧区務所が郡区役所開設まで取り扱う)、十月には従前,の区戸長を廃止し、十三年二月札幌区長に開拓一等属山崎清躬を任命し、札幌区役所管轄内の戸長の人数等の検討,』(道文3807),『札幌県治類典』(道文8687),『新札幌市史』第7巻などにより作成。 / 札幌区役所の成立
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌周辺の原野排水)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌周辺の原野排水 北海道庁が出した年度別の『事業功程報告』『勧業年報』『拓殖年報』から、札幌の排水治水,に沿う道路とそれから札幌と軽川に通じる支線道路,札幌村方面の原野の排水渠など). 21年度 札幌近傍排水,(継続事業).豊平川堤防. 24年度 札幌郡各村原野排水. 25年度 札幌近傍原野排水. 26年度 札幌郡琴似村原野排水,.札幌郡月寒村原野排水.札幌郡対雁村原野排水. 28年度 軽川花畔原野排水. 29年度 軽川花畔原野排水,道庁時代には、さらにその考え方を札幌周辺の原野に広げて対応した。 / 札幌周辺の原野排水
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌の諸神社)

新札幌市史 第3巻 通史3 / するまで、五月八日が例大祭であった(札幌の寺社)。,札幌区の神社になるという意味での画期が、大正四年九月二十一日、「札幌全区の氏神」である幣帛供進神社への,明治三十年代以降の札幌の神社の所在一覧を表2に示した。,表-2 札幌の主な神社(大正期) 地区 神社名 創建 公認 沿革記事 祭神 札幌区 札幌招魂社,伊勢神宮の古材が札幌神社へ、そして札幌神社の古材が稲荷神社へという、国家神道のヒエラルヒーである。 / 札幌の諸神社
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌神社の活動)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌神社の活動 ここでは通常の神社の活動以外の、この時期特有のものを中心に略述したい。  ,さらに五年五月、開拓使は教部省あて「北海道後志胆振両国以奥各郡産土神社無之地エ、札幌神社遙拝所ヲ仕立、,神躰奉祭いたし候見込ニテ」(札幌神社諸留 道文四五五)神鏡二〇面を新鋳した。,七年に平岸村が出願し、さらに下手稲村(十一年)、札幌市中(同)などへも遙拝所が創建されていった。  ,写真-2 札幌神社氏子札(明治4年発行、札幌市長岡武夫氏蔵) / 札幌神社の活動
新札幌市史 第5巻 通史5上 (札幌護国神社から札幌彰徳神社へ)

新札幌市史 第5巻 通史5上 / 札幌護国神社から札幌彰徳神社へ 戦没者を英霊として祀る靖国神社や護国神社は、軍国主義・超国家主義を助長,このような札幌護国神社の経済的苦境を支援したのは、旧在郷軍人会である。,十二月十二日、札幌護国神社は、札幌彰徳神社と改め、戦没者だけでなく北海道の開拓功労者、一般功労者も合祀,維持財団の改称は翌二十二年十月のことで、財団法人札幌彰徳会となり現在に至っている(札幌護国神社創祀百拾年史,写真-2 札幌護国神社の境内(昭34)  ところで、二十年当時の札幌護国神社は参集所を建築中で、 / 札幌護国神社から札幌彰徳神社へ
新札幌市史 第2巻 通史2 (「札幌表御用取扱向等伺書」の札幌本府)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 「札幌表御用取扱向等伺書」の札幌本府 三年閏十月札幌詰を命ぜられた西村権監事・広川大主典・八木下大主典,は「札幌表御用取扱向等伺書」(府県史料 国公文)として、その経営案を提示して決済を受けた。,この「札幌表御用取扱向等伺書」から、札幌での本府建設計画の内容を以下に検討してみよう。  ,そして処置事項は月末に小樽から送られた書類を札幌が点検する、というように、西地の中心を他郡との関係で小樽,札幌着は十文字大主典の『日記』では十二月九日ころである。   / 「札幌表御用取扱向等伺書」の札幌本府
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌祭と見世物)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌祭と見世物 六月十五日は、札幌神社の例祭で、アカシヤの花が停車場通りいっぱいに散った。,札幌神社といっても、子供の頃は、遠い円山の宮の森の神社にお詣りにいった記憶はなく、すぐ町中を流れる創成川,(郡司正勝 創成川上の見世物の思い出)  大正二年生まれの演劇研究者、郡司正勝は大正期の札幌祭の雰囲気,創成川は、「全国的に有数な、見世物が集まる場所」であったのだ(郡司正勝 人形と人形芸)。  ,そして札幌祭は、学校の夏服への衣替えの節目となった(札幌まつり さっぽろ文庫68)。 / 札幌祭と見世物
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌神社の創建)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌神社の創建 しかし同年秋から初冬にかけて札幌本府建設が再決定され、十二月には立案にあたった開拓権監事西村貞陽,が札幌表境界、移民取扱、官舎造営、社地、新川掘削等について伺い、承認された。,そして同年五月十四日付太政官布告の、官社以下定額及神官職制等に関する件の別紙中、国幣小社の末尾に「札幌神社,其管内札幌神社へ差紙ノ通被御出候為心得相達候事。  ,但祭式ノ儀ハ従神祇官可相達事  (差紙)  札幌神社[石狩国札幌郡鎮座]  国幣小社列自今官祭被仰出事 / 札幌神社の創建
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌近傍の林相)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌近傍の林相 八年の官林調査結果によれば、札幌近傍官林を一等官林(これは「良樹森列シテ運輸ノ便ナル,以下、その中から札幌地域を拾ってみる。,真駒内ハ札幌ヲ距ル三里、北ニ面シ平衍、土質可ナラス。,厚別ハ札幌ヲ距ル三里余、地形平坦北ニ面シ、土性宜ク木質良ニシテ札幌郡山林ノ最タリ。,野津幌ハ札幌を距ル五里、地勢南ヨリ北ニ向テ漸ク低ク、平林ニシテ土質可ナリ。 / 札幌近傍の林相
新札幌市史 第8巻1 統計編 (3札幌区の統計事情)

新札幌市史 第8巻1 統計編 / 3札幌区の統計事情 札幌区の統計報告  『道庁統計書』が庁内各部および所轄官衙,ならびに郡区役所から,翌79年7月札幌市街と札幌郡一円を管轄として,札幌区役所が設置され,札幌区長が札幌市街(区)とともに札幌郡,札幌市街と札幌郡一円を管轄とした札幌区役所は,そのまま札幌県に受け継がれたが,急速な人口増加と開拓の進行,これを受けて1884年(明17)4月1日札幌区役所は市街である札幌区だけを管轄として独立し,札幌郡は札幌区役所,また同年地方自治制度が改正され,戸長役場の管轄区域が拡大され,札幌区及び石狩郡外8郡の中では,札幌区大通東各町外 / 3札幌区の統計事情
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌県下の農業概況)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌県下の農業概況 開拓使時代の末期、十四年十一月札幌豊平館において組織的農業団体として勧農協会が設立,以下、若干の分析資料によって札幌郡の農業状況についてふれてみる(札幌周辺の移住および開拓地域の変遷 新,札幌郡の本籍人口、寄留人口が共に著増している点が一つの特徴である。, 穀菽類(大麦・小麦・大豆・小豆)生産価額増加率及び増加指数(屯田兵関係を含む)   価額 札幌郡,札幌郡・区、札幌県ともにその生産価額はやや不安定ながら著増していた。 / 札幌県下の農業概況
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌都市計画街路)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌都市計画街路 札幌都市計画街路は、街路の等級を幅員により広路、一等大路、二等大路、一等小路、二等小路,55m 広路 6 伏見公園通 札幌村大字札幌村 都市計画区域界 55~88m 広路 7 白石平岸通,白石村大字上白石村 精進橋東詰 55m 1 3 1 札幌駅前通 札幌駅前 中島公園北口 25m 1,6 競馬場北通 北18条西5丁目 都市計画区域界 20m 2 1 7 石狩街道 北13条東1丁目 札幌村大字札幌村,白石村大字上白石村 北海中学校前 18m 2 1 23 東札幌駅裏通 白石村大字上白石村 平岸通市郡界 / 札幌都市計画街路
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌の主要レンガ造建築)

新札幌市史 第3巻 通史3 / 札幌の主要レンガ造建築 明治二十年代後半期の札幌の主要なレンガ造建築は、まず二十五年に札幌麦酒会社が,二十六年二月刊行『札幌区実地明細絵図』が示す、当時の札幌市街の一〇六件の建物外観絵図や同時期の写真・絵葉書,三十年のレンガ工場は亀田郡、札幌郡、空知郡、岩内郡、高島郡および根室郡に所在し、その焼成高は四五六万枚強,札幌では二十三年の北海道製糖工場と、二十五年の札幌麦酒工場の機関室とに採用され、わが国の早期の事例として,写真-8 大正期の大日本麦酒株式会社札幌工場(レンガ造,札幌神社写真帖) / 札幌の主要レンガ造建築
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌の役所の整備)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌の役所の整備 島判官上京後、札幌の経営を一時的に任されたのが、函館から派遣された岩村判官であり、,村山の辞令は新たに管轄地となった小樽郡の詰合の決定とも解釈できるが、三月中にはすでに札幌からの公文書を,その報告に基づいて岩村判官は四月札幌の役所について次のような指示を出した。,十文字大主典等札幌詰が、すぐに対応して役所を設置したかは確認できない。,役所の設定が遅れたのは、まだ役宅を建設している最中で、札幌に役宅が少なかったためであろう。 / 札幌の役所の整備
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌市の都市計画区域)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌市の都市計画区域 決定された札幌市の都市計画区域は、図3にあるように、札幌市、豊平町の一部、白石村,の一部、札幌村の一部、琴似村の一部、藻岩村の一部である。,区域ノ外豊平町、白石村、札幌村、琴似村、藻岩村ノ五箇町村ノ一部ヲ包轄スル彊域ヲ以テ札幌都市計画区域ト定,今最近十年間ノ統計ニ基キ人口増加ノ傾向ヲ推測スルトキハ、市部ハ大正三十一年ニ、郡部ハ大正六十三年ニ於テ,また、札幌市教育委員会が所蔵する都市計画区域決定の資料として作成されたと思われる地図の中に、札幌の中心部 / 札幌市の都市計画区域
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌基督教会の発展)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌基督教会の発展 大島正健が牧師按手礼を受けた前年の明治二十年から二十五年まで、札幌基督教会は、毎年二,札幌唯一のプロテスタント教会であったから、諸教派の教会員の転入会も多くみられた。,)も客員として札幌基督教会の活動に参加していた。,同教会の伝道範囲も広く、札幌区内に限らなかった。,在札会員と客員を合わせた二二八人が同教会の実勢力であった(札幌基督教会々員姓名録)。 / 札幌基督教会の発展
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌産牛畜産組合)

新札幌市史 第3巻 通史3 / 札幌産牛畜産組合 馬産や酪農が進展していくなかで、事実上の農家の指導機関として畜産組合が設立をみる。,札幌においては明治四十年に札幌外四郡産牛馬組合が設立されている。,当初は馬産に力点がおかれ、従来から行われていた札幌家畜市場のせり馬事業を継承することとなった(北タイ ,組織的には札幌支庁管内を一六区に区分して区長を置くとともに、各町村に六人以上三五人以下の枠内で事務取扱嘱託,札幌支庁の特徴は、北海道内で唯一産馬組合と産牛組合が分離された点である(北タイ 大2・4・18)。 / 札幌産牛畜産組合
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌市域の銀行)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌市域の銀行 表9に大正十五年六月時点における札幌市所在銀行の営業状況をまとめた。,札幌市所在銀行を、法的性格から区分すると三つに分けられる。,大正期には、北海道殖産銀行が夕張郡角田村(現栗山町)に大正八年十二月に設立、直後に札幌に支店を置き、九年, 札幌商工人名録 大13)。,上位五行は札幌組合銀行として、大正五年五月から手形交換を開始し、札幌金融界を代表していた。 / 札幌市域の銀行
新札幌市史 第2巻 通史2 (農産の中心・札幌)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 農産の中心・札幌 『開拓使事業報告』第三編(物産―陸産)は、札幌郡の農事起源等を紹介して次のように記,このように札幌周辺各村の特徴が次第に形成されつつあったが、他の地域との比較をすれば札幌郡は当時の北海道,『開拓使事業報告』によれば、当時栽培されていたほとんどの穀菽・蔬菜等の生産高は札幌郡が札幌本庁管内の第一位,の七、粟は十の四、豌豆は十の四、薯蕷は十の五、越瓜は十の九、南瓜・西瓜は十の五、麻は十の五をそれぞれ札幌郡,これをみると前掲の札幌郡の農事概況と必ずしも一致していない。 / 農産の中心・札幌
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌への道路の開削)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌への道路の開削 島判官の計画の「石狩大府指図」には、銭函道・杓子琴似道・千歳道・有珠道・室蘭道が,明治二年(一八六九)十月島判官は陸路銭函に到着したが、その途中黒松内越山道・余市越山道・雷電道路等の函館と札幌,その中に札幌銭函間道路もあった。銭函道は前述のとおり十月頃から着工した。,この銭函道は最終的に札幌本道工事に合わせて完成するまで一部改修工事が行われるだけで、完全な修復工事はなされなかった,また、有珠善光寺に有珠から札幌郡境までの有珠新道の開削を指令した。 / 札幌への道路の開削
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌記者俱楽部)

新札幌市史 第3巻 通史3 / 札幌記者俱楽部 大正元年十一月十九日午後五時、豊平館において札幌記者俱楽部の創立総会が開催された(北,札幌記者俱楽部規約 第一条 本俱楽部は札幌記者俱楽部と称す 第二条 本俱楽部は部員相互の親睦を厚うし,北海タイムス社 山口喜一、梁田政蔵、安田仙蔵、長内清、岩谷直次郎、岡田天洞、金子郡平、戸石正憲、岡田春夫,、相神豊吉、石川道三郎、奥村茂俊  札幌毎日新聞社 星野良平、中川寅三、下川与作、今里準太郎  小樽新聞支局 / 札幌記者俱楽部
新札幌市史 第4巻 通史4 (盧溝橋事件と札幌)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 盧溝橋事件と札幌 『北海タイムス』による盧溝橋事件についての報道は、七月九日付朝刊で、「盧溝橋事件暫定停戦,八月二十九日、札幌郡手稲村出身の航空兵曹はじめ八人の遺骨が本道へ帰還し、新聞は戦死者を大々的に報じた。,同日、札幌駅頭においても旭川、岩見沢出身者等六人の戦死者の慰霊の光景がみられた(北タイ 昭12・8・30,この頃より、札幌市民は次第に戦争を身近なものに受けとめてゆく。  ,札幌での献金第一号は十四日の狸小路商店主の一〇〇円である(北タイ 昭12・7・15)。 / 盧溝橋事件と札幌
新札幌市史 第2巻 通史2 (民設時代の札幌郵便局)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 民設時代の札幌郵便局 五年十月一日郵便業務を開始するに際し、札幌では九月に津軽通五二番地(南四西五),渡辺仙輔に札幌郡郵便取扱人を任命した。,さらに佐藤は、十五年札幌県の准判任官に任命されて仕事が煩雑になったため、代理に沢井福次郎を当てた。,しかし県官との兼任で取扱人の職務を遂行できなくなったため、八月養子の佐藤安親を取扱人にした(札幌県治類典 / 民設時代の札幌郵便局
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道教育会札幌支会)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 北海道教育会札幌支会 前編に記したように、十五年に設立された札幌教育会は、道庁設置後まもなく二十年七月,同会札幌支会設立は二十九年頃から本格化し、三十年春には有志による設立趣意書が発せられてからさらに具体化,同支会は、支会規則第一条でその地域及び目的を「当支会は札幌区及び札幌郡の教育の進歩を図ることを目的とす / 北海道教育会札幌支会
新札幌市史 第7巻 史料編2 (二 札幌市街並に周辺村落の誕生)

新札幌市史 第7巻 史料編2 / 二 札幌市街並に周辺村落の誕生 (一)札幌市街の町名・周辺村名・字名布達 二〇 札幌村外八ケ村改正村名,による街村区分 四二 管内郡区編制の義上申(明治一二年七月二八日)   (四)札幌区市街町名を条丁目,) 四五 廃使本庁下現在国郡町村表(明治一五年二月)   (五)札幌、石狩両郡区画組替 四六 ,札幌、石狩郡区画組替の義照会(明治一六年九月一九日) 四七 石狩国郡区画更正の義に付伺(明治一六年九月二九日,へ回答(明治一六年一一月二四日) 五〇 郡区更正の義に付認可(明治一七年二月七日)   (六)札幌区市街 / 二 札幌市街並に周辺村落の誕生
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌製糸場の開業と工女呼戻し)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 伝習工女を各地へ派遣する一方、開拓使では八年四月、札幌浜益通(現北一条西八丁目)に札幌養蚕場を新築し、,9年1月札幌製糸場在場 56 木村とよ 〃 〃 8 余市郡 9年1月札幌製糸場在場 57 鈴木みな,8年10月札幌製糸場養蚕修業人 59 安斉とめ 〃 〃 8 上手稲村元士族安斉仁三郎娘 8年11月札幌製糸場養蚕修業人,6 上手稲村元士族小島尚友妹 8年札幌製糸場製糸修業人 64 木場ふさ 〃 〃 6 元徳島藩士木場衛娘静内郡農,うち札幌郡や石狩郡出身の工女は、札幌製糸場の即戦力となったようである(当別町史)。   / 札幌製糸場の開業と工女呼戻し
新札幌市史 第2巻 通史2 (新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)

新札幌市史 第2巻 通史2 /  昇平丸の運航     五 島判官による物資調達        石狩の米不足の状態と対策 西地諸郡からの,札幌会議 札幌会議の背景 札幌会議の開催 札幌会議の結果と影響     五 松本大判官の札幌経営,と札幌 教導職の設置     二 札幌神社の創建        霊代の札幌奉遷 札幌神社の創建,       札幌郡区役所の改編 札幌県の施政   第二節 札幌区の再編と都市計画…473     ,の行政機構と自治への胎動…624     一 区行政と総代人会        郡区と町村 区役所  / 新札幌市史 第二巻 通史二/総目次
新札幌市史 第8巻1 統計編 (新札幌市史 第8巻Ⅰ 統計編/総目次)

新札幌市史 第8巻1 統計編 / )(1907~21年)…441 第216表 民有の牛・馬・豚の飼養頭数(札幌区・札幌郡)(1886~,99年)…441 第217表 官民有の乳牛・農耕馬の飼養頭数(札幌区・札幌郡)(1896~99年)…,,札幌郡,石狩国)(1886~98年)…480 第265表 諸車(札幌区,札幌郡,石狩支庁)(1900,第267表 諸車(札幌市,石狩支庁)(1930~36年)…484 第268表 橇(札幌区,札幌郡,石狩支庁,第271表 郵便局所数(札幌市)(1928~35年)…487 第272表 郵便物数(札幌区,札幌郡 / 新札幌市史 第8巻Ⅰ 統計編/総目次
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌の地方文化運動の特色)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌の地方文化運動の特色 十七年五月十三日付の『北海タイムス』は、 昨秋は旭川市の文化団体が一丸となつて,総合文化祭を開催した、これに比し一般には旭川、小樽よりも進んでゐると謂はれ、事実上文化人の数も多い筈の札幌市,は一向何の音沙汰もなく面目如何を問はれなければならない と、札幌の地方文化運動における後進性を指摘する,しかし札幌の場合、主導者の一人であった高倉新一郎の著作、たとえば北方叢書として出版された『北海道文化史序説,概して、札幌の地方文化運動は旭川などに比べ、上からの行政主導の強い運動であった。 / 札幌の地方文化運動の特色
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌都市計画琴似土地区画整理)

新札幌市史 第4巻 通史4 / 札幌都市計画琴似土地区画整理 昭和十九年三月二日、札幌市役所において道庁主催の都市計画地方委員会が開,さらに札幌市では、この琴似と同じ傾向を示している東札幌駅付近についても同様の処置を講ずることになった(,それに対して、琴似町長から道庁長官へ区画整理の助成を申請した(札幌市史 政治行政篇、札幌都市計画概要),と札幌郡琴似町役場での図面の縦覧が告示された(官報第五一四三号 昭19・3・8)。,、札幌都市計画概要)。 / 札幌都市計画琴似土地区画整理
新札幌市史 第2巻 通史2 (戸長制と札幌市中の事務)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 戸長制と札幌市中の事務 札幌での市中への戸長の導入はやはり五年四月七日で、その日市中の副戸長が任命されている,事務の煩雑化にともない六年二月札幌市会所も事務分掌がはじめて規定される。,を置くことを指令していることによる(松本判官 札幌滞在事務取扱備忘誌)。,その権限範囲は札幌一郡である。この二人はともに開墾掛の兼務である。,それにともなって六月二十三日札幌の区戸長総代たちも名称月給が改正された。 / 戸長制と札幌市中の事務
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌への到着)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌への到着 開拓使から岩手、宮城などへ移民募集に派遣された広川信義大主典が、四年二月に水沢に入り人員,札幌到着は『仕上ケ御勘定帳』によると、麻畑人員として①二一人が二月二十五日、②一三三人が三月二十日、③,水沢の周辺のほか、秋田県雄勝郡から加わった金山富蔵もいる(金山セイ 平岸開拓記)。 / 札幌への到着
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌産レンガ製造への模索)

新札幌市史 第3巻 通史3 / 札幌産レンガ製造への模索 茂辺地製品を札幌で使うことは価格の面の問題もあった。,だが茂辺地製造所から札幌工事現場までの輸送費は一本四銭一厘弱になるとしている(諸手控入 安達 北大図),札幌本庁は当初、札幌でレンガを生産したいと考えていた。,明治五年四月、札幌近郊の篠路村揚場付近川筋、豊平川大橋上流東岸、円山村札幌神社鳥居前の粘土を茂辺地製造所,いずれにしても札幌地方のレンガ工場の第一号である。   / 札幌産レンガ製造への模索
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌・発寒・琴似村)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌・発寒・琴似村 イシカリ御手作場として慶応二年(一八六六)に形成されたのがサッポロ村である。,しかし四年の人別帳(石狩国札幌郡琴似村人別調 道文三一五)には、「在来」が四戸(奥書の集計では六戸)とされ,石狩大府指図』(北大図)は二年十、十一月頃に作成されたと思われるが、この図には志野呂(篠路)村、開墾村(札幌村 / 札幌・発寒・琴似村
新札幌市史 第2巻 通史2 (西村権監事七カ条伺の札幌本府)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 西村権監事七カ条伺の札幌本府 さらに西村権監事は、本府建設について札幌の実地を検証しながら計画をたてた,そしてその計画実行のための伺書(「札幌表境界、移民取扱、官舎造営、社地、新川掘削等ニ付伺書」市史 第七巻,第一条では札幌府内の地域を限定している。通説になっている初めての札幌の領域である方一里が登場する。,札幌市中が他村との境界を確定するのは明治十一年である。,前述の「札幌表御用取扱向等伺書」と違って、かなり具体的な記述になっている。 / 西村権監事七カ条伺の札幌本府
新札幌市史 第2巻 通史2 (人足などの札幌への送り込み)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 人足などの札幌への送り込み だが米だけ取られたのでは場所にとっては死活問題となる。,このことから、島判官は米を運送すると共に諸場所の出稼ぎ人たちも札幌へ集めたと考えられる。,特に札幌にとってみると労働力としての職人人足も確保でき、さらに米も調達できて一石二鳥である。,「巳十月より同十二月迄諸渡方類寄」では、三カ月間で二六〇石弱が銭函御蔵から人足飯米や札幌送り米などの名目,これだけの蔵米出しがあると、前述したような諸郡からの調達や購入の量だけでは、物資不足は改善されなかったと / 人足などの札幌への送り込み
新札幌市史 第5巻 通史5上 (札幌の人口動態(二二万都市から一〇〇万都市へ))

新札幌市史 第5巻 通史5上 / 札幌の人口動態(二二万都市から一〇〇万都市へ) 昭和二十年の札幌市は、世帯数四万五九〇五戸、人口二二万一三九人,戦後の札幌は、戦時下の経済統制がもたらした経済効果から出発した。,二十五年に始まった朝鮮戦争は、札幌も一時的な好況の波を受け、この頃から通勤、通学をはじめ、札幌に往来する,~四十五年にかけては、かつて人口移動の原動力であった農家世帯員の絶対数の減少、流出余力の低下は、道内郡部,表-1 札幌市の人口の増加状況と全道人口に占める割合の推移 年次 札幌市 北海道 総人口 (人) 5 / 札幌の人口動態(二二万都市から一〇〇万都市へ)
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌本府経営と兵部省支配)

新札幌市史 第2巻 通史2 / 札幌本府経営と兵部省支配 二年十月十二日銭函に入った島判官らは、早速当役々上下七、八〇人ほどをもって,その事業着手に当たり、札幌と接する石狩・小樽両郡を支配する兵部省との協議が当然必要であった。,新川新道の利用手順、三項以下は境界に関する事項で、トウベツとその近辺、シノロ、ハラト・ハンナコロの近辺の国郡境界,それは小樽・高島の二郡と浜益・厚田の二郡の管轄地所を、兵部・開拓の間で交換することである。,対し東久世・岩村は十一月十六日「兵部省より出張候井上俊二郎等主意取違候て不都合有之趣、且小樽高島之二郡当使 / 札幌本府経営と兵部省支配
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