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新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌郵便局舎の焼失と建築)
そのため、札幌の郵便電信事業の沿革の写しと思われる『
札幌区史
史料九』では、局長・監理・会計・工務課・庶務係,郵便課は南一条西四丁目、電信課は大通西二丁目九番地の郵便電信局倉庫で事務を取り扱ったことにしている(
札幌区史
史料九,十月までに落成予定であったが(道毎日 明33・8・12)、完成は翌年二月であった(
札幌区史
史料九)。,まいでの事務も狭隘であったため、四十二年十二月から大通西二丁目八番地に石造で工務課室を増築した(以上
札幌区史
史料九,『
札幌区史
史料九』にある札幌の逓信省関係施設の事業沿革の写しと思われるものでは、四十二年九月二十六日起工
新札幌市史 第3巻 通史3
(電報と電話)
・4)、札幌電信局(明20・4)を経て、二十一年十月一日札幌郵便局に合併し、札幌郵便電信局となった(
札幌区史
史料九,三十六年通信官署官制制定にともない札幌郵便局に合併した(
札幌区史
史料九など)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(市(町)会所・区務所の位置と名称)
)会所・区務所の位置と名称 その後町会所は現在の南二条西二丁目にあった町長屋の一棟に移されるが、『
札幌区史
,後志通九番地)の平屋官舎に移り、秋には官吏住居の都合により元の爾志通二番地(南二西二)に移されている(
札幌区史
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】 『札幌沿革史』、『
札幌区史
』、『北海道史』第一、『水戸市史』中巻四、『那珂湊
新札幌市史 第2巻 通史2
(工事請負人と諸職人の募集)
なお、『
札幌区史
』には中川源左衛門の話をもとにして、西村権監事と共に函館から雪の中を旅して、途中野宿をして,したがって『
札幌区史
』の叙述は誤りである。
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
日本電信電話公社札幌都市管理部『札幌の電信電話80年のあゆみ』、『札幌市史編集資料』七(札幌市)、『
札幌区史
史料
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌の郵便局)
(明13・7・13設置、篠路村史、なお開拓使事業報告では八月)、豊平郵便受取所(明16・1・2設置、
札幌区史
史料九, 函図)、札幌南二条郵便受取所(明23・4・1設置、
札幌区史
史料九)、厚別三等郵便局(明29・10・16,その後『官報』で確認できるものに加え、各町村史や『
札幌区史
史料九』に登場する郵便局を含めて、その変遷を,札幌円山通郵便局 請願により設置 南1西18 明治43年当時の札幌の逓信省関係施設の沿革史の写しと思われるもの(
札幌区史
史料九所収
新札幌市史 第2巻 通史2
(町役人時代の執務場所)
『さっぽろ昔話』では南二条東二丁目としているが、『
札幌区史
』では南一条東二丁目としている。,一方『
札幌区史
』ではそれをもとに、日高通を南一条にした十四年の布達により、南一条と訂正したものと思われる
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌実業協会)
選挙競争を為し、自治行政機関を挙げて政党の機関たらしめ、遂に自治団体を腐敗せしめたる弊害の前轍を憂慮」(
札幌区史
,札幌実業家ノ多数カ一堂ノ内ニ相会シ、且ツ和気洋々タリシハ、実ニ札幌開府以来未曽有ノ事ナリ」(伊東正三
札幌区史
史料
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
』第四巻、松浦武四郎『西蝦夷日誌』(時事通信社本)、同「丁巳夕張日誌」『多気志楼蝦夷日誌集』第二、『
札幌区史
新札幌市史 第2巻 通史2
(岩村判官の札幌赴任と本府建設計画)
写真-3 開拓使官員 左から黒沢大主典,西村監事,岩村大判官,岩藤大主典,朝山大主典(『
札幌区史
』より
新札幌市史 第1巻 通史1
(石狩の状況)
石狩の状況 石狩役所では旧幕軍の侵攻に対処して、役所前に角材を積んで防御工事を施したという(
札幌区史
,残部の彰義隊も石狩へ移動して同地に在留していた旧幕軍と共に、札幌越えをして西蝦夷地に敗走したという(
札幌区史
新札幌市史 第2巻 通史2
(営業資金・建築資金の貸付)
詳細は不明であるが『
札幌区史
』には、十年より十三年までの間、第一小学校に一〇〇〇円ずつ、十四、五年中は
新札幌市史 第2巻 通史2
(辛未移民の小屋と御用火事)
史料的に確認はできないが、『
札幌区史
』にあるように、市中への移住民が家作をせずにこの小屋に居座ったという
新札幌市史 第1巻 通史1
(吉田茂八)
場所は『
札幌区史
』によると、鉄一のいた通行家の対岸で、現在の南四条東四丁目付近であった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
北海道路史』、同「石狩場所・札幌市街・石狩町資料」、「村垣淡路守範正公務日記」『幕末外国関係文書』付録、『
札幌区史
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
八一(『河野常吉著作集Ⅱ』所収)、札幌史学会『札幌沿革史』、藤本英夫『アイヌ学への歩み』、伊東正三『
札幌区史
新札幌市史 第2巻 通史2
(霊代の札幌奉遷)
なおこの「一ノ宮」の位置であるが、多く記されているような北六条東一丁目ではなく、伊東正三『
札幌区史
史料
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
道文)、『地理諸留』(道文)、『手稲町誌』、『手稲村史原稿』(手稲記念館)、『札幌郡調』(北大図)、『
札幌区史
新札幌市史 第1巻 通史1
(最上徳内のイシカリ探検)
『
札幌区史
』は、この徳内の行動について、「篠路より豊平川を泝り札幌方面にも探検する所ありたるや疑ふべからず
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌会議の結果と影響)
主任である三好は、当時の政府の資金不足を顧みずに、次期事業計画に膨大な定額金を要求したといわれている(
札幌区史
新札幌市史 第1巻 通史1
(河野常吉の保存論)
明治四十二年に刊行された『
札幌区史
』では、さきの『札幌沿革史』に、ほぼ沿った記述が見られるだけで新しい
新札幌市史 第3巻 通史3
(労働者懇親会と北海道労働組合)
『
札幌区史
』によれば経営は上野貫一によるものであった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(胡国)
「よりときが胡人を見たる事」として『宇治拾遺物語』にも載せてあり、この話をもって明治四十四年刊行の『
札幌区史
新札幌市史 第7巻 史料編2
(解題)
寺院の方は『
札幌区史
』(明治四十四年刊、伊東正三編)の参考史料群である「
札幌区史
資料」より、寺院沿革調
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
吉田隆「北海道区制における札幌区役所の検証」『札幌の歴史』第二二~二四号、『拓殖功績旌彰記』、伊東正三『
札幌区史
史料
新札幌市史 第2巻 通史2
(区費)
鹿児島県民の一円六〇銭にくらべると三円三銭も多く、東京府民の二円二四銭とくらべても二倍強にあたったという(
札幌区史
,2.明治22年度は『
札幌区史
』から決算、32年度は『総代人必携』から予算をとり作成。
新札幌市史 第4巻 通史4
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
明治三十年の「札幌沿革史」、同四十四年の「
札幌區史
」、昭和二十八年から三十三年にかけ創建八〇年を記念して
新札幌市史 第3巻 通史3
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
明治三十年の「札幌沿革史」、同四十四年の「
札幌區史
」、昭和二十八年から三十三年にかけ創建八〇年を記念して
新札幌市史 第1巻 通史1
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
明治三十年の「札幌沿革史」、同四十四年の「
札幌區史
」、昭和二十八年から三十三年にかけ創建八〇年を記念して
新札幌市史 第2巻 通史2
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
明治三十年の「札幌沿革史」、同四十四年の「
札幌區史
」、昭和二十八年から三十三年にかけ創建八〇年を記念して
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
明治三十年の「札幌沿革史」,同四十四年の「
札幌區史
」,昭和二十八年から三十三年にかけ創建八〇年を記念して
新札幌市史 第5巻 通史5上
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
明治三十年の「札幌沿革史」、同四十四年の「
札幌區史
」、昭和二十八年から三十三年にかけ創建八〇年を記念して
新札幌市史 第5巻 通史5下
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
明治三十年の「札幌沿革史」、同四十四年の「
札幌區史
」、昭和二十八年から三十三年にかけ創建八〇年を記念して
新札幌市史 第1巻 通史1
(新道切開之儀申上)
この「書付」文は、木村家文書の『御用留』巻二に写しがあり、また『
札幌区史
』でも全文紹介されている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(中田儀右衛門・福玉仙吉ほか)
その多くは『
札幌区史
』の記すように、「無頼浮浪の徒にして、徒に給与米に頼り、賭博に耽りて其業に専らなら
新札幌市史 第3巻 通史3
(北海道同志俱楽部)
本道は拓地植民の地にして専心実業に務むべく、政党は本道の人心を擾乱して其秩序を破壊する者なりとなし」(
札幌区史
新札幌市史 第2巻 通史2
(議会をもとめて)
と題する機関誌を出し「札幌に於ける青年会の嚆矢にして、当時に於ける札幌の自治思想を代表したるもの」(
札幌区史
新札幌市史 第2巻 通史2
(例言)
但し『新北海道史』などの北海道全般に関する歴史書、および『
札幌区史
』、『札幌市史』(四冊)、『琴似町史
新札幌市史 第6巻 史料編1
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
明治三十年の「札幌沿革史」、同四十四年の「
札幌區史
」、昭和二十八年から三十三年にかけ創建八〇年を記念して
新札幌市史 第2巻 通史2
(自治のない区)
北海道からは衆議院議員を選出できないと規定され、「本道の首府たる札幌区民」は「頗る之を遺憾としたりき」(
札幌区史
新札幌市史 第8巻1 統計編
(刊行の趣旨(昭和56年9月18日))
明治30年の「札幌沿革史」,同44年の「
札幌區史
」,昭和28年から33年にかけ創建80年を記念して刊行
新札幌市史 第7巻 史料編2
(刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))
明治三十年の「札幌沿革史」、同四十四年の「
札幌區史
」、昭和二十八年から三十三年にかけ創建八〇年を記念して
新札幌市史 第3巻 通史3
(職員と機構)
松田寿三郎以下九名を区書記に任用して、自治行政機関の組織を完了し、札幌支庁庁舎内に区役所を設けて執務を開始せり」(
札幌区史
新札幌市史 第4巻 通史4
(例言)
但し『新北海道史』などの北海道全般に関する歴史書、および『
札幌区史
』、『札幌市史』(四冊)、『琴似町史
新札幌市史 第3巻 通史3
(例言)
但し『新北海道史』などの北海道全般に関する歴史書、および『
札幌区史
』、『札幌市史』(四冊)、『琴似町史
新札幌市史 第2巻 通史2
(家屋改良計画)
因つて其勾配は五寸となすを得ず、凡て三寸となしたり、頗る粗造にして、また防寒にも足らざりし」(
札幌区史
新札幌市史 第2巻 通史2
(総代人会)
次に道庁治以降の総代人名を『
札幌区史
』から再録しておく。
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
(明38年分)、『札幌基督教信徒名簿』(明43年6月末現在)、『救世軍〔札幌〕小隊歴史』、伊東正三『
札幌区史
史料
新札幌市史 第3巻 通史3
(大なる田舎町)
『
札幌区史
』の編纂は区の事業として、伊東正三に執筆を委嘱し、四十四年七月出版された。
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