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新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌市街の軌道敷設)
札幌市街
の軌道敷設 四十三年一月二十五日、札幌石材馬鉄は市街馬鉄線敷設を総理・内務両大臣に請願した。,四十四年二月の株主総会では、会社名を
札幌市街
鉄道株式会社と変更し(北タイ 明44・2・16)、さらに四十五年七月
札幌市街
軌道株式会社 /
札幌市街
の軌道敷設
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌市街大下水の開削)
札幌市街
大下水の開削
札幌市街
の下水設備については、明治四年春の
札幌市街
区画の計画図である「札幌区劃図,」にすでに、道路敷地一一間のうち「三尺下水左右ニ掘、道巾十間」という記載があるから、
札幌市街
の区画のはじめから /
札幌市街
大下水の開削
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 札幌市街並に周辺村落の誕生)
二
札幌市街
並に周辺村落の誕生 (一)
札幌市街
の町名・周辺村名・字名布達 二〇 札幌村外八ケ村改正村名,) 二七 簾舞字名呼称に付伺(明治五年四月) 二八 望月字名呼称に付伺(明治五年七月) 二九
札幌市街
町名呼称布達,に付伺(明治五年) 三〇
札幌市街
町名追加の件伺(明治六年五月) 三一 白石村分村願の件伺(明治六年八月一九日 / 二
札幌市街
並に周辺村落の誕生
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌市街の区画改正)
札幌市街
の区画改正 市街の発展に従って、開拓使は明治十一、二年頃から市街区画の改正に着手することにした /
札幌市街
の区画改正
新札幌市史 第3巻 通史3
(自治堂)
維新堂が写真帖の発行中心であったのに対し、自治堂は『
札幌市街
之図』(明34)など地図の発行が主だったようである,北海道 北海道観光連盟編 明29 各科教授提要 北海道師範学校附属小学校編 38 教育会図書 最新
札幌市街
図,中村信以著 40 折たたみ 最新
札幌市街
図 冨貴堂著 42 折たたみ 我等が愛する北海道 石森和男作歌,表-4 自治堂・維新堂の出版物 書名 編著者 刊年 備考 自治堂
札幌市街
之図 本間清造編 明34,折りたたみ
札幌市街
之図 本間清造編 36 折りたたみ 北海道郡区町村名鑑 37 附録あり 維新堂
新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平川の治水)
豊平川の治水
札幌市街
に与える影響の大きい豊平橋付近の堤防は、札幌県時代に整備され、
札幌市街
が大きな
新札幌市史 第7巻 史料編2
(新札幌市史 第七巻 史料編二/目次)
明治三年…10 三 明治四年…91 四 明治五年…113 五 明治六年…155 二
札幌市街
,と周辺村落の形成 一 招募移民…185 二
札幌市街
並に周辺村落の誕生…212 三 移住民情況調査報告
新札幌市史 第2巻 通史2
(口絵)
明治六年
札幌市街
之真景 この図は、当時開拓使官員であった画家船越長善(本巻598頁参照)が描いた,、明治6年における
札幌市街
の真景である。
新札幌市史 第2巻 通史2
(後期二兵村)
後期二兵村 新たな二兵村は
札幌市街
の北部に開かれることになった。,その困難を乗りこえる力を屯田兵に期待し、
札幌市街
の西、南、東についで、残る北の固めとすることになった。,新琴似中隊本部とは約五・六キロメートルだが、両兵村と
札幌市街
の道のりはこれよりもはるかに長い。,のちに西五丁目通を開削したので、
札幌市街
との連絡は便利になった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(新琴似・篠路兵村の大根)
われる『札幌郡調』(北大図)によると、篠路兵村の項に大根栽培は「当兵村最も特有」のものと評価し、さらに
札幌市街
,販売先はやはり
札幌市街
である。
新札幌市史 第2巻 通史2
(円山村の野菜)
円山村の野菜がいつごろから特産化したものか明確ではないが、前述の石川の報告から十年代半ばには特産化し、
札幌市街
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
北海道史』第一、『水戸市史』中巻四、『那珂湊の歴史』、『那珂湊市史料』三、『図説北茨城市史』、『石狩場所
札幌市街
新札幌市史 第4巻 通史4
(「北海道の冨貴堂」)
北海道中学校入学試験問題集 大14 ピンポンの研究 大14 鉛筆書方練習帳 尋常1,2年用 大14 新
札幌市街
案内図,昭 8 旭川市小学校綴方研究部編 蝦夷地は歌ふ 昭10 河合裸石著 新らしい札幌市の地図 昭10
札幌市街
図,昭10 新らしい札幌市の地図 昭11
札幌市街
図 昭11 北海道衣食住指導書 昭13 市原富美著,最新
札幌市街
案内図 昭17 『七十年のあゆみ 冨貴堂小史』,道立図・中央図蔵書目録より作成
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 移住民情況調査報告)
三 移住民情況調査報告 五六 移民履歴調(明治一〇年調)
札幌市街
山鼻村 円山村
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ入津の廻船)
(石狩場所
札幌市街
石狩町資料) また、佐々木勝造は「石狩入津の船は、年々六十艘、多き年は九十艘,六十艘、九十艘と云ふは真にあらず」(いずれも石狩場所
札幌市街
石狩町資料)とのこと。
新札幌市史 第2巻 通史2
(市外との連絡路の整備)
丸石敷き詰め改築.幌内道路(
札幌市街
幌向間対雁経由)砂利敷修繕.茨戸新道砂利敷重修.鴨々里道(南7西1,月寒江別間道路開削.札幌区内道路砂利敷等改修.札幌近傍原野道路開削. 23年度 札幌江別間道路開削.
札幌市街
道路砂利敷等改修,当時まで
札幌市街
から白石村・上白石村への道路は豊平橋をまわっていくものであった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌区実地明細絵図)
明治二十六年二月刊行の『札幌区実地明細絵図』(以下実地明細絵図と略、北大図、道図などに所蔵)は、
札幌市街
,ただ、刊行の年の前年の二十五年五月、
札幌市街
は八八七戸を焼失する大火に見舞われている。,
札幌市街
の建築は全体として、少なくとも外形については洋風化を進めつつあったのである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌周辺地域との連絡網の整備)
札幌周辺地域との連絡網の整備 開拓使時代以来、
札幌市街
の周辺には多数の入植地ができ、人員も増えてきた,しかし曲がりなりにも道庁初期を含む札幌県時代に、
札幌市街
を中心とする道路連絡網は整備されたのである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(除雪)
除雪
札幌市街
が次第に人口稠密になるにともない、冬期の雪対策も都市行政にとって必要になってきた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(葎草園(ホップえん))
香味原料としてのホップははじめ米国からの輸入によったが、北海道がその栽培に適していることから十年四月
札幌市街
新札幌市史 第2巻 通史2
(町名の設定と町区画の拡大)
町名の設定と町区画の拡大 明治四年に札幌本府の建設が本格的に始まって以降、
札幌市街
にも町名が付されていった,11年の区画予定線 点線は区画予定線『取裁録』(道文3112)より作成 図-3 開拓使時代の
札幌市街
新札幌市史 第2巻 通史2
(士族授産)
士族授産 琴似・山鼻両兵村に始まる屯田兵制は、試行錯誤をくり返しながらも
札幌市街
を取りまく開拓実績として,屯田兵制改革案を検討する過程で、当面中断していた江別・篠津兵村の補充にとりかかり、後日の野幌兵村開設とあわせて
札幌市街
東部
新札幌市史 第2巻 通史2
((4)味噌醤油醸造場)
明治二十年代から三十年代にかけて札幌にあった味噌醤油醸造場は、開拓使から払下げをうけた
札幌市街
の対馬嘉三郎
新札幌市史 第2巻 通史2
(雁来村の成立)
しかし、
札幌市街
とは遠距離で交通も不便なために、六年二月十一日、隣接する雁来村の地への移転が一九戸より
新札幌市史 第3巻 通史3
(石材の運搬軌道)
四十五年、乗客運輸を計画し
札幌市街
軌道株式会社と改称される。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌郡区役所の改編)
ここで札幌区役所は
札幌市街
と札幌郡一円を管し、石狩に設置の郡役所は石狩・厚田・浜益・樺戸・空知・夕張・,以上の観点から札幌県令は、札幌区役所の所管は
札幌市街
に限定する、既設の石狩の郡役所の所管は石狩・厚田・
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
高倉新一郎)、『蝦夷誌』(函図)、金田一京助解説・成田修一撰『番人円吉蝦夷記』、河野常吉編『石狩場所・
札幌市街
新札幌市史 第2巻 通史2
(道路・用水路・風防林)
琴似兵村では
札幌市街
や小樽港と結ぶ幹線道の役割を道道宮の沢北一条線北五条手稲通(旧国道五号線、通称札樽国道,山鼻兵村と
札幌市街
を結ぶ幹線道の役割を果たすものとして五年開削の石切山道が区画内にあった。
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【交通】)
定山渓鉄道の各駅別乗降客貨荷物数 第258表 北海道鉄道の駅別乗降客貨荷物数 第259表 札幌石材馬鉄・
札幌市街
軌道
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街化する豊平村)
下等にして木ちん宿の類多」く、飲食店も「下等」で得意客は「近郡の馬丁車夫或は小農細商の類」といわれ、
札幌市街
新札幌市史 第2巻 通史2
(篠路村醤油醸造所)
それは篠路村並びに周辺が従来豆麦の生産地であること、
札幌市街
地に近いこと、石狩川岸にあって水陸運輸の便
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌の主要レンガ造建築)
二十六年二月刊行『札幌区実地明細絵図』が示す、当時の
札幌市街
の一〇六件の建物外観絵図や同時期の写真・絵葉書,建築に使用する高少なからず、其他枢要の市街漁村等に於ても漸次其需要増加せりという くりかえすが、
札幌市街
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街地の拡大)
工業局の跡地の市街化、豊平川の分流跡地の市街化、中島公園予定地の条丁目編入、さらに西方への発展により、
札幌市街
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街大下水の整備)
これで札幌県時代に始まった
札幌市街
大下水の開削工事は、当初の計画を大きく上回る大下水網として竣工した(
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌の景気と市街の拡大)
その結果札幌は不況に陥り、
札幌市街
では空家が目立ってきた。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(編集にあたって)
明治初年から同三十二年の区制施行に至る間の基本史料(公文書類)を「一 札幌本府の建設」、「二
札幌市街
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
』、同『西蝦夷日記』、河野常吉編『さっぽろ昔話』、同『明治維新前ニ於ケル北海道路史』、同「石狩場所・
札幌市街
新札幌市史 第1巻 通史1
(早山清太郎による道路開削)
、万延元年(一八六〇)にイシカリに移住し、運送業を営んだ村上藤吉が語っている(河野常吉編 石狩場所・
札幌市街
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街と村の景観)
このような
札幌市街
にも文明開化の象徴である鉄道が開通して市街の様相を一変させた。,
札幌市街
十二年町名改正し大別して東西南北とした。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌区役所の成立)
その時に札幌区役所が
札幌市街
と札幌郡一円を管轄することになった。,五月には戸長役場の位置を決定し、
札幌市街
は創成川を境に二分し、戸長役場は区役所内に置いた(市史 第七巻
新札幌市史 第2巻 通史2
(貸家・空家の増加)
このため
札幌市街
の商業活動はストップし、店をたたんで貸家にしたり、仕事をもとめて出稼など転出する者が相次
新札幌市史 第3巻 通史3
(都市化する「風俗」)
本村は
札幌市街
に近く日々都会の空気に接するが故に鄙までも何処となく何時ともなしに奢侈に傾くに至れり(中略
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使の絵師たち)
札幌に関する作品としては北海道大学附属博物館蔵の「明治六年
札幌市街
之真景」(口絵参照)が最も著名であるが
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌付近の石材の発見)
また、ワーフィルド(地理測量担当)は同年一月五日のケプロンへの報文で、
札幌市街
造営の問題に触れた後「此道筋
新札幌市史 第2巻 通史2
(松前・函館商人の招来)
松前・函館商人の招来 開拓使は
札幌市街
の開発を進めると同時に、市街地に工商人の来住を求めて、三年閏十月以降松前函館
新札幌市史 第2巻 通史2
(火災)
道庁設置以後の
札幌市街
は、人口稠密で人家の家並がならび、空地が少なくなってきたため一度火災が発生すると,22・ 8・11 八月十一日より九月十四日頃まで
札幌市街
及び豊平村にかけて放火事件相次ぐ。
新札幌市史 第2巻 通史2
(帝国憲法発布式)
一般市民へは、当日国旗、球灯もしくは軒提灯、そのほかできる限り祝賀を表するようにと
札幌市街
各組頭を通じて
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 払下手続・地券発行等)
明治一二年六月二日) 二九 地位等級別地価表および宅地貸地料(明治一二年頃) 三〇 第一大区二・三小区
札幌市街
宅地売買実価及貸地料前三
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌電気軌道会社の事業)
このような市街地の路線延長に対し、この会社の古くからの路線であった
札幌市街
から石切山穴の沢までの馬鉄路線
新札幌市史 第2巻 通史2
(便所改良と公設便所)
一方公設便所は、道庁所在地である一都会にもかかわらず不足気味で、二十年十二月には『北海道毎日新聞』に「
札幌市街
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