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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌扇状地)

札幌扇状地 札幌の中心部は、豊平川によって形成された扇状地の上に発達している。,この扇状地は札幌扇状地(豊平川扇状地)とよばれている。,図-4 扇状地と山麓緩斜面  札幌扇状地は、南区真駒内の南端、標高九〇メートル付近を扇の要として,この札幌扇状地は単一の地形面ではなく、真駒内から中の島間の豊平川右岸(東側)でみられるように、比高一五,このように、札幌扇状地が二つの地形面に分かれていることは、この扇状地が二時期にわたって形成されたことを / 札幌扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌扇状地)

札幌扇状地 前に述べたように、札幌扇状地砂礫層は、深度二〇~二五メートルを境に上・下に二分され、境界層準,こうしてみると、札幌扇状地は最終氷期に、前後二回にわたって形成されたものであることがわかるであろう。 / 札幌扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌扇状地の特性)

札幌扇状地の特性 札幌の母なる川、豊平川は、余市岳・朝里岳・喜茂別岳・空沼岳・漁岳・札幌岳などから水,札幌扇状地は、この豊平川が急流を駆け下り、それまで運搬してきた土砂を堆積させてつくりあげたものなのである,とはいえ、札幌扇状地は、いまなお、札幌市の水がめとしての大きな役割を果たしている。,計算によれば、札幌扇状地の地下水包含容量は三億トンと見積もられ、それは雨竜ダムに匹敵する容量なのである,図-9 札幌扇状地の古河川図とメムの分布 / 札幌扇状地の特性
新札幌市史 第1巻 通史1 (遺跡の地理学的考察)

宇田川洋・加藤晋平・河野本道により、これまでの研究の総括ともいうべき、「札幌市附近の遺跡―考察編Ⅰ―札幌扇状地,これは、札幌扇状地として括られる自然地理的単元において発見された六五遺跡を先史地理学的な観点から検討を,遺跡を先土器時代からアイヌ文化期まで八期に分類し、さらに各地区ごとの遺跡の立地条件、標高差などから、札幌扇状地,これらの諸検討により札幌扇状地が形成され、人が住めるようになるのは、きわめて新しい時期であることを指摘
新札幌市史 第1巻 通史1 (扇状地の成因)

扇状地の成因 札幌扇状地に限らず、一般的に扇状地の形成過程については詳しくわかっていない。,このような考え方にしたがって、札幌扇状地や発寒川扇状地などの形成過程とその時期を考察してみよう。
新札幌市史 第1巻 通史1 (後期の遺跡)

一、西区手稲前田の石狩町から続く紅葉山砂丘の南端地区 二、西区の発寒川扇状地地区 三、札幌扇状地地区,、豊平川の石山、藤野地区と北部低地には、まったく遺跡を発見することができず、豊平川によって形成された札幌扇状地,札幌扇状地は、平岸面、中の島面、札幌面の三つに分けることができる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌の擦文時代遺跡)

札幌の擦文時代遺跡 札幌市内における擦文時代の遺跡は、旧琴似川流域、札幌扇状地、豊平川上流部、月寒川流域
新札幌市史 第1巻 通史1 (完新世の冷涼期(五〇〇〇年~四〇〇〇年前))

札幌扇状地も次第に安定化にむかい、豊平川の流路が東へ移動したあと、扇状地の西の方は、豊平川からの分流が,縄文文化の最盛期(中期)を生きた人びとは、新しく形成された低地帯や札幌扇状地へもその足跡を残すようになった
新札幌市史 第1巻 通史1 (扇状地堆積物)

扇状地堆積物 札幌扇状地を構成する堆積物を地表で観察するのは、ほとんど不可能である。,図-10 札幌扇状地の堆積物柱状断面  また、上・下二層に区分された砂礫層の特徴をみると、下部は細粒,このように、札幌扇状地は五〇メートルを越える厚い砂礫層からなり、それが先に述べた水の貯蔵庫となっているのである
新札幌市史 第1巻 通史1 (後背低地の堆積物)

とくに、豊平川は晩氷期から引き続き、大量の砂礫を運び、札幌扇状地を形成しつつ、浅い湖をも土砂で埋め立てたのである,たとえば、古豊平川の初期は、おそらく、札幌扇状地の西縁からJR札沼線の東側に沿う流路であったが、次第に,東へ移動し、最終的には札幌扇状地の東縁から苗穂―雁来―江別対雁方向の流路に落ち着いたのである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (発寒川扇状地)

図-11 八軒ボーリング柱状図  このように、発寒川扇状地の場合も、その基底は五三メートルと札幌扇状地,しかし、扇状地地形の完成は、札幌扇状地より古い時期であると考えられる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇平岸坊主山遺跡(T三一〇遺跡、豊平区平岸五条九丁目))

◇平岸坊主山遺跡(T三一〇遺跡、豊平区平岸五条九丁目) 札幌扇状地の平岸面に面した月寒丘陵の裾野にある
新札幌市史 第1巻 通史1 (分布地域)

一、西区の発寒川扇状地地区 二、札幌扇状地とその北部の低地地区 三、豊平川流域の石山、藤野地区,次いで、豊平川流域の石山、藤野地区と札幌扇状地より北部の低地に遺跡が出現することである(付録分布図参照,札幌扇状地とその北部低地では、北栄遺跡(H三八遺跡)の小発掘が二度にわたって実施されている。,後期でも触れたように、本州各地や道内の低地部の遺跡の発見が相次いでいる現状から、市内でも今後札幌扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (発寒川扇状地)

傾斜は札幌扇状地よりも急で、現在でも西野付近を歩くとかなりの登り坂を意識するほどである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (石狩海岸平野)

石狩海岸平野 太平洋戦争が終わった昭和二十年ころの札幌の市街地は、札幌扇状地の上が主体で北はせいぜい
新札幌市史 第1巻 通史1 (遺跡の立地と地形)

しかし、札幌扇状地では、札幌面・中の島面・平岸面いずれからも、今のところこの時期の確実な遺跡は検出されていない,両扇状地の出土遺物の時期でみると、発寒川扇状地の方はすでに縄文前期頃には安定していたと考えられるが、札幌扇状地,このことから、札幌扇状地は豊平川が頻繁に氾濫を繰り返し、長い間不安定な土地であったと推測される。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (晩期の問題点)

紅葉山砂丘の札幌市域部分では、遺跡がほとんど姿を消し、発寒川扇状地、豊平川の石山・藤野地区、札幌扇状地,なかでも、札幌扇状地より北部で、縄文時代の各時期を通じ初めて遺跡が出現し注目される。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (末期)

札幌扇状地の最終的な造形が、行われたのが一万六〇〇〇年前ころから八〇〇〇~九〇〇〇年前までのことである
新札幌市史 第1巻 通史1 (中期)

この時期になると、まず札幌扇状地の土台づくりがはじまる。,当時の札幌扇状地(市内中央部)は海におおわれた形跡はないが、海の上昇に対応し河川勾配が緩やかになったので
新札幌市史 第1巻 通史1 (後背低地)

豊平川と分離された伏篭川は札幌扇状地の湧水を集めて流れるようになったのである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (【主要参考文献・史料】)

科学』四一・四二、文化財保護委員会『全国遺跡地図―北海道』、岩崎隆人ほか「札幌市附近の遺跡―考察編Ⅰ―札幌扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (旧琴似川の遺跡群)

また、旧琴似川の上流部にあたる札幌扇状地上(標高二五~三〇メートル)、真駒内から藤野にかけての豊平川の
新札幌市史 第1巻 通史1 (最終間氷期の古地理)

いっぽう、陸上部はどうかといえば、この海の背後に、現在の月寒台地や滝野丘陵が低い台地となって広がり、札幌扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

月寒台地 清田台地 厚別台地 滝野丘陵 野幌丘陵   第三節 扇状地と河岸段丘…9        札幌扇状地,元野幌粘土層 江別砂層 厚別砂礫層 河岸段丘堆積物   第三節 扇状地堆積物…79        札幌扇状地,の特性 扇状地堆積物 扇状地の成因 札幌扇状地 発寒川扇状地   第四節 埋積された台地…84        
新札幌市史 第1巻 通史1 (図版・写真・表組一覧)

74頁) 図-8 豊平川河岸段丘の分布 5万分の1地質図幅「石山」から編集作成 (76頁) 図-9  札幌扇状地,古河川図とメムの分布 地団研札幌支部編『札幌の自然を歩く』第二版から引用 (79頁)  図-10  札幌扇状地
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