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新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌病院)
札幌病院
明治十五年(一八八二)の札幌県の設置とともに官立
札幌病院
は札幌県立病院となったが、十九年の,札幌県の廃止とともに北海道庁立
札幌病院
と改められた。,開拓使・三県時代には、
札幌病院
の医員が多く御用掛となって北海道の医事行政に当たっていたが、北海道庁設置,グリンム院長を中心に同年十月
札幌病院
院則を制定し、病室を内科、外科、婦人科、眼科、伝染病室の五種類に分,従来の庁立
札幌病院
は廃止され、四月札幌区に交付されて公立
札幌病院
となった。 /
札幌病院
新札幌市史 第5巻 通史5上
(〔市立札幌病院〕)
〔市立
札幌病院
〕 市立病院は北海道の中枢的存在の病院の一つとして機能しているが、戦後は医長ら戦死者数人,表-38 市立
札幌病院
入院・外来患者数の推移 年次 入院 外来 昭21 115,811 209,182,339,559 47 372,270 360,472 各年『市統計書』より作成 写真-15 市立
札幌病院
,四十四年の救急患者は一日当たり三・七人となった(市立
札幌病院
百年史)。 / 〔市立
札幌病院
〕
新札幌市史 第5巻 通史5下
(市立札幌病院の移転と諸体制の拡充)
市立
札幌病院
の移転と諸体制の拡充 老朽化が著しい市立
札幌病院
は、昭和五十八年五月に旧第一病棟を改築し,表-25 市立
札幌病院
1日あたり入院・外来患者数 (人) 年度 入院 外来 昭47 1,025 1,220,写真-6 体重423グラムの未熟児も元気に退院した市立
札幌病院
未熟児センター。,六十二年七月には校名が「市立東米里小中学校ひまわり分校」に変更された(市立
札幌病院
百三十年史)。,定員は四〇人となり、四十七年七月に市立
札幌病院
所属となり、五十三年には道知事より「専修学校」に認可され / 市立
札幌病院
の移転と諸体制の拡充
新札幌市史 第5巻 通史5上
(〔市立厚生病院〕)
り、そのため結核患者は市内の国立病院等へ転院させ、三十六年八月には市の機構改革により、厚生病院は市立
札幌病院
,に機構上吸収して、市立
札幌病院
への一元化を実施した。,厚生病院の名称を廃止し市立
札幌病院
円山分院と称し、東米里診療所(昭31開設)を円山分院所属とした。,その後四十三年には市立
札幌病院
に隔離病舎が完成したことから円山分院と東米里診療所は完全に廃止され、市立病院,は市立
札幌病院
のみとなった。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(〔陸海軍病院から国立病院へ〕)
表-39 旧陸軍病院・療養所の再編(昭和49年現在) 戦前 戦後 札幌陸軍病院(月寒) 国立
札幌病院
,市立札幌療養所 国立療養所西
札幌病院
北海道傷痍軍人北海道第二療養所 国立療養所札幌南病院 『厚生省五十年史,二十五年に市は、国立
札幌病院
を交通不便のため利用者が減少する月寒から、医療機関の少ない市内菊水(当時白石町,二十七年には市議会が「国立
札幌病院
新築完成促進に関する意見書」を議決し(昭27二定会議録)、二十八年、
新札幌市史 第5巻 通史5上
(〔勤医協病院〕)
勤医協
札幌病院
(菊水4)は、二十四年に開設した白石診療所に始まる。,国立
札幌病院
が移転する以前の同地区では、病人や怪我人は半日がかりで市立
札幌病院
への通院を余儀なくされていた,その後三十三年に病院に昇格し、三十九年に移転新築し勤医協
札幌病院
として一一七床のセンター病院に拡大、同協会月寒病院
新札幌市史 第5巻 通史5下
(さまざまな「特殊学級」の設置)
また、院内学級としては、四十九年に市立
札幌病院
平岸分院に入院加療中の児童生徒を対象にした澄川小学校情緒障,また自閉症児の専門施設である「のぞみ学園」を、五十七年四月に市立
札幌病院
平岸分院の小児特殊棟横に開設した,(1) 同上 難聴児 昭44 大通小(1) 昭49 中央中(1) 「病弱・身体虚弱児」 昭48
札幌病院
内,がい児(自閉症児または極めて自閉的な児童) 昭47 大通小(1) 昭47 中島小(1) 昭49
札幌病院
平岸分院
新札幌市史 第2巻 通史2
(医療施設の設立と施療)
六月本庁事務機構改正により、
札幌病院
とし三課に分けた。,表18は、八年の
札幌病院
と
札幌病院
琴似出張所で扱った患者のうち病名ごとに患者数の多い順に並べたものである,札幌は、十年以降次第に人口も増してきたことから、
札幌病院
のみでは対応しきれなくなった(表19参照)。,表-19
札幌病院
患者数(明治2年~14年) 年 医員 患者数 明治2 2人 46人 3 4,また
札幌病院
の付属的機関に仮医学所、梅毒院、産婆教場があった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(産婆養成)
産婆を開業するものは一二人に過ぎず、人口増加にともなって産婆養成が必要とされたが、二十七年九月の公立
札幌病院
内,この教習所は、
札幌病院
正副院長、医員が養成にあたり、教習年限は一年とされ、翌二十八年十月第一期生五人が
新札幌市史 第2巻 通史2
(梅毒)
同年九月、雨竜通に梅毒院を新築し、さらにこの建物が
札幌病院
として使用されるようにいたったので遊廓内福島通,六年九月、
札幌病院
が落成し仮病院、梅毒院を合併した。,こうして、梅毒に対する検査治療は次第にすすみ、十六年一年間に
札幌病院
で検査を受けた娼妓は延べ三四九三人
新札幌市史 第4巻 通史4
(健民・健兵を支える人びと)
健民・健兵を支える人びと 産婆と看護婦の養成は、従来通り市立
札幌病院
内私立札幌産婆教習所と同病院看護婦講習所,このうち巡回看護婦は、十年から恩賜財団済生会と北海道社会事業協会附属
札幌病院
とで養成が開始された。,産婆の有資格者を対象に保健婦養成講習会を開催したり(道新 昭18・2・14)、北海道社会事業協会附属
札幌病院
新札幌市史 第2巻 通史2
(衛生思想の普及)
衛生思想の普及 衛生行政による衛生思想の普及の一方で、札幌区内では通俗衛生講談会を開催し、公立
札幌病院
院長等
新札幌市史 第5巻 通史5下
(市連協から市労連へ)
によって昭和二十一年に札幌市役所職員組合、札幌市交通局労働組合(のち札幌交通労働組合)、二十二年に市立
札幌病院
従業員組合,(のち市立
札幌病院
職員組合)が結成された。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(進駐軍病院と札幌の歯科医師たち)
庁立女子医専に校舎を貸与していた北星高等女学校(南5西17)を接収し、翌二十一年五月九日の退去・返還まで、市立
札幌病院
,では進駐軍の要請に応じて衛戍病院へ看護婦六人を派遣し、最高時は一五人にもおよんだ(市立
札幌病院
百年史)
新札幌市史 第2巻 通史2
(種痘)
札幌では、六年二月篠路村に天然痘が流行し死者を出したことから、
札幌病院
では種痘未接種者の取調べに力を入,種痘者の数は次第に増加し、九年一月から六月までに
札幌病院
で種痘を受けた者は一八一人にのぼり、その結果全員
新札幌市史 第4巻 通史4
(医科大学設置問題)
理工系を医科に変えた理由を道庁長官は「
札幌病院
ハ、是ガ三十万円カ四十万円ノ金ヲ以テ、彼処ノ土地デ以テ改築,若モデス、若モ此ノ計画ガ三四十万円ノ金ヲ掛ケテ
札幌病院
ノ改造ヲシタナラバ、将来医科大学ヲ造ル場合ニ於テ
新札幌市史 第5巻 通史5上
(〔市立健民病院〕)
二十七年三月には建物や設備の老朽化に加え、事業を新築移転の国立
札幌病院
へ委託することになり、閉院した(
新札幌市史 第5巻 通史5下
(障がいをもつ子どものための学校の設置)
また三十一年に琴似小・中学校分教室として設置された、国立療養所西
札幌病院
に入院および通院している児童・
新札幌市史 第2巻 通史2
(私立病院及び開業医)
明治三十二年) 【私立病院】 病院名 場所 設立 概 要 北辰病院 北一西四 26・11 医学士関場不二彦、
札幌病院
院長,*3は
札幌病院
。*4は札幌駆黴院・検黴所嘱託医。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(伝染病の大流行と市民)
天使病院、女子医学専門学校附属病院などに救援を求め患者を収容したが、ついにこれらも収容しきれず、市立
札幌病院
普通病棟
新札幌市史 第3巻 通史3
(看護婦)
養成期間は二年で、はじめは学術科目の修得、二年目は区立
札幌病院
に委嘱して実務演習を行った(護国之礎)。,このほか看護婦養成は、区立
札幌病院
においても、明治三十二年四月附属看護婦養成所を開設して養成を開始した,やがて七年三月よりは、区立
札幌病院
附属看護婦養成所も内務大臣認定となったので、卒業生は無試験で看護婦資格
新札幌市史 第5巻 通史5下
(【コレラと赤痢】)
からの帰国者で死亡率の低い型ながら、下痢・腹痛・嘔吐の症状で意識不明となり、札幌市衛生部では患者を市立
札幌病院
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街大下水の整備)
また北一条西八丁目から西へ延長し、九丁目の西部、
札幌病院
の南西部で同じ琴似川の支流に流した。
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌石材馬鉄会社の設立と軌道計画)
路線は平岸村字穴の沢を起点とし、南一条西九丁目に至り、
札幌病院
前を通って新川端(現在の西五丁目通)に至
新札幌市史 第2巻 通史2
(日赤及び篤志看護婦人会の活動)
八月十九日、篤志看護婦人会員中より戦時派遣看護婦志願者一五人を選抜して公立
札幌病院
で実地訓練をさせた。,看護婦人会では、二〇人を東京へ派遣する一方、会員をさらに募り、数組に分け
札幌病院
で看護法を学習させたり
新札幌市史 第3巻 通史3
(防疫態勢)
この時期はコレラや痘瘡にかわって猛威をふるうようになった各種伝染病対策として、区立
札幌病院
や隔離病舎円山病院,区立
札幌病院
は、明治四十三年外来患者一二万六〇三五人(延べ)、入院患者六万六一六四人を数えたが、大正十一年
新札幌市史 第3巻 通史3
(財務)
その財務は一般会計と特別会計に分かれるが、後者には
札幌病院
特別会計(明治三十三年一月二十八日、札幌区規則第三号公立
札幌病院
特別会計規則
新札幌市史 第5巻 通史5上
(女子医専から札幌医科大学へ)
校舎は北星高等女学校(南5西17)を強制借り上げし、北海道社会事業協会附属
札幌病院
を同校附属病院とし、
新札幌市史 第5巻 通史5下
(タコ足庁舎の解消を目指して)
五四一名であったものが(市史第八巻Ⅰ統計編)、三十五年(一九六〇)四月時点で二〇四八名(教育委員会・市立
札幌病院
新札幌市史 第5巻 通史5下
(グラビア)
60年頃西区) 15 平成4年に開始された 除雪パートナーシップ制度 16 移転新築された市立
札幌病院
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
北海道』第九号(北海道学友会)、札幌市議会『札幌市議会史年表 自明治元年至昭和四十三年』、田中潜『市立
札幌病院
九十年史
新札幌市史 第2巻 通史2
(伝染病対策)
日付) 〈伝染病院〉 伝染病の患者を取り扱い、その治療と伝染病の伝播予防に当たる機関として公立
札幌病院
,公立
札幌病院
には、開拓使以来伝染病室を備え、避病院も円山村に備えていたが、十九年から二十年にかけてのコレラ・
新札幌市史 第3巻 通史3
(産婆)
産婆 新しい西洋医学に基づき正式な助産技術と知識とを持つ産婆は、明治二十七年公立
札幌病院
内私立札幌産婆教習所
新札幌市史 第5巻 通史5下
(第三期板垣市政の主要事業)
ていねプールの建設、円山陸上競技場改修、大倉山ジャンプ台整備、市民マラソン・歩くスキー等事業の実施、市立
札幌病院
第一病棟改築
新札幌市史 第5巻 通史5下
(市医師会の活動と夜間急病センター)
となったが、五十二年度から病院群輪番制度や当直医の診療協定などにより整備が図られ、さらに五十八年の市立
札幌病院
救急医療部
新札幌市史 第5巻 通史5上
(【主要参考文献・史料】)
』(昭50)、『北海道保健所長会二十周年記念誌』(昭43)、『北星学園八十年誌稿』(昭42)、『市立
札幌病院
百年史,』(昭47)、C・Fサムス『DDT革命』(昭61)、奥田二郎『北海道米軍太平記』(昭36)、『市立
札幌病院
百三十年史
新札幌市史 第5巻 通史5下
(死因別の変容と平均寿命)
病院内で一定の病室を確保し、専門的なターミナルケア(終末医療)の実施は昭和六十三年、東
札幌病院
と札幌ひばりが,ホスピスケア先進者の東
札幌病院
・石垣靖子副院長は、「市民とともに創るホスピスケア講座」を開設したり、在宅
新札幌市史 第2巻 通史2
(病院と学校)
琴似への最初の入地に際し、開拓使は
札幌病院
に「屯田兵及ヒ家族疾病有之節ハ、直ニ其病院へ及報知候筈ニ候条,そこで琴似兵村に八年十一月
札幌病院
の出張所を開設し医師を派遣(琴似病院とか医院と呼ぶこともある)、山鼻兵村
新札幌市史 第2巻 通史2
(草創期の衛生状況)
草創期の衛生状況 明治四年(一八七一)二月、病院(のちの
札幌病院
)医師斎藤龍安・長谷川欽哉・米内鳳祐
新札幌市史 第3巻 通史3
(大通の景観)
明治二十五年頃の大通の様相について、後に
札幌病院
長となる関場不二彦は「大通は人影を没するくさむらがあって
新札幌市史 第5巻 通史5下
(【インフルエンザ】)
市立
札幌病院
の小児科部長・富樫武弘は、ワクチンで重症化を防ぐことができると、ワクチン接種に理解を求めた
新札幌市史 第3巻 通史3
(遺族と傷痍軍人)
札幌奉公義会・東方婦人講・北海道尚武会・篠路奉公義会より合わせて一〇円の扶助を受け暮らしていたが病気にかかり、
札幌病院
新札幌市史 第2巻 通史2
(区費)
道庁から
札幌病院
の運営を区に移管され、特異な事業として充実発展に努めたため、三十二年予算では病院費の比率,三十二年を例にみれば、
札幌病院
の外来入院往診料の収入が四万三九五〇円見込まれ、支出が四万三二〇一円余なので
新札幌市史 第4巻 通史4
(国民保健から体位向上へ)
人びとのための無料診療所として恩賜財団済生会が診療を開始したり(昭5・10)、北海道社会事業協会附属
札幌病院
新札幌市史 第5巻 通史5下
(伝染病予防法の廃止と感染症新法の施行)
あわせて衛生指導も含めた防疫措置は、保健所や衛生研究所、市立
札幌病院
南ヶ丘分院と保健衛生事業所、保健部
新札幌市史 第3巻 通史3
(出現の背景)
これにより、開拓使時代に開始され、一旦中断されて二十七年公立
札幌病院
内私立札幌産婆教習所で再開された産婆養成
新札幌市史 第2巻 通史2
(区の教育費)
二十五年度の区の予算案については、今のところ区費が九四〇七円九二銭七厘、区教育費が八四九九円三五銭、
札幌病院
費
新札幌市史 第5巻 通史5上
(都市建設事業と総合都市計画)
同年には市民会館も改築がなり、交通局庁舎、藻岩第二浄水場、市立
札幌病院
本館も新築された。
新札幌市史 第4巻 通史4
(行幸)
札幌育児園、札幌聾話学校 岡部侍従(十月二日)札幌商業学校、帝国製麻札幌支店、北海道社会事業協会附属
札幌病院
新札幌市史 第5巻 通史5下
(本州大手企業のビル建築)
札幌第一ホテル新館 57 厚別商業センター、日本生命北門館ビル 日本火災海上札幌支店 時計台病院、国立
札幌病院
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