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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌農学校の発展)

札幌農学校の発展 札幌農学校は開校と共に職制を定め、校長として従来からの調所広丈が発令され、十四年に,写真-5 明治12年頃の札幌農学校(学芸会雑誌第25号 北大図)  十五年に開拓使が廃止されるにおよんで,この前後に文部省所管の動きもあったが、農商務省は札幌農学校は北海道開拓遂行のため設置したものであることを,前記のように、札幌農学校は北海道全体の開拓推進のため設置したものであるが、それが札幌におかれたことにより / 札幌農学校の発展
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌農学校の創設)

札幌農学校の創設 「開拓使仮学校則例」では二年後に専門科を設置することとされており、七年十一月に校長調所広丈,ついで九月八日付で正式に札幌農学校と改称された。 / 札幌農学校の創設
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌農学校の大学化の理由)

札幌農学校の大学化の理由 東北帝国大学農科大学は明治四十年九月十一日、文部大臣牧野伸顕を招いて盛大な,開校式を挙行したが、それではなぜ札幌農学校を大学に昇格させ、それを札幌区に設置する必要があったのであろうか,ノ実例ニ依レバ一ヶ月十円乃至十五円ニテ充分ナルコト 丙 経済上ヨリノ理由  一  札幌農学校ヲ基礎トシ,札幌農学校の大学化と北海道拓殖政策とは不可分の関係にあったといってよい。,これは札幌農学校が設立されて以来、同校に課せられた最大の任務でもあった。 / 札幌農学校の大学化の理由
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌農学校の道庁管轄)

札幌農学校の道庁管轄 明治十九年一月、北海道庁の設置によって、札幌農学校はその管轄となった。,佐藤は十九年十一月に「札幌農学校ノ組織改正ノ意見」を岩村長官に提出し、北海道開拓に農学校の必要であることを,すなわち同年十二月に制定された札幌農学校官制第一条中「農工ニ関スル学術技芸ヲ教授スル所」と規定し、翌二十年三月 / 札幌農学校の道庁管轄
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌農学校の大学昇格運動)

札幌農学校の大学昇格運動 明治九年に開校した札幌農学校は、本巻が対象とする時期(明32~大10)、東北帝国大学農科大学,札幌農学校の大学昇格問題を初めて公式に論じたのは、北海道庁長官原保太郎である。,原は明治二十九年七月の同校の卒業式で「札幌農学校は他日北海道大学の基礎となりて、益国家富強を翼賛するに,また、三十一年に発行された『札幌農学校』のなかでも、「札幌帝国大学の必要を論す」と題する文章が掲載され,札幌農学校の大学昇格運動は三十二年春から始まり、同年五月、校長佐藤昌介は同校を拡張して大学とすべきことを / 札幌農学校の大学昇格運動
新札幌市史 第2巻 通史2 (道庁及び札幌農学校の指導・施策)

道庁及び札幌農学校の指導・施策 道庁時代初期の勧農政策はさほどの斬新さはなく、とりあえずは前代に引き,道庁と共に、この時期農業に関する施策・指導に深く関わったのは札幌農学校であった。 / 道庁及び札幌農学校の指導・施策
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌農学校の文部省移管)

札幌農学校の文部省移管 道庁管轄後、とくに二十三年帝国議会の開催以来予算が削減され、農学校廃止論も噂 / 札幌農学校の文部省移管
新札幌市史 第3巻 通史3 (大学昇格の具体化)

大学昇格の具体化 札幌農学校の大学昇格が具体的な政治日程のなかに上ったのは、日露戦争後の明治三十九年,同年八月九日には北海道協会が総集会で「札幌農学校を農科大学と為す事」を決議し(北タイ 明39・8・14,同年十一月二十一日には札幌区会は「札幌農学校ヲ農科大学ト為スノ意見上申」を内務大臣原敬に提出し、同大学,翌四十年六月には仙台に帝国大学として東北帝国大学を設置し、札幌農学校を東北帝国大学農科大学とすることが
新札幌市史 第2巻 通史2 (北鳴学校)

一方札幌農学校でも二十年制定の予備科(四年制)が二十二年九月に修業年限五年の予科に改編され、原則として,しかし札幌農学校と小学校との接続はなお不完全であり、さらに学力をつけるための補習学校等もこの時期増加した,欠陥を補い上級学校への進学意欲を高めるため、二十四年に前道庁理事官で北海道炭礦鉄道会社社長の堀基は、札幌農学校教授新渡戸稲造
新札幌市史 第2巻 通史2 (電話の設置)

その後札幌区内では、二十二年札幌農学校・同附属農園間、二十三年北海道庁・札幌農学校間、同・札幌屯田司令部間
新札幌市史 第2巻 通史2 (私立小学校)

貧困子弟の教育としては、しかしまず札幌農学校教授新渡戸稲造によって創立された遠友夜学校を挙げるべきであろう,同校ははじめ週二回、夜二時間の授業であったが、のち毎夜一時間とし、教師は札幌農学校生徒が奉仕して、三十年
新札幌市史 第2巻 通史2 (区画改正事業の概要)

例えば札幌農学校は農商務省、屯田事務局用地は陸軍省、札幌停車場用地は工部省などである。,それも札幌での出先機関である札幌農業事務所と札幌農学校を通して、それぞれの了解をとらなければならない。,札幌県がはじめてその旨申し入れたのは十七年八月十八日(農業事務所)・十九日(札幌農学校)である。
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道帝国大学の設立・拡充と学生運動)

その母体となったのは、明治四十年に設立された東北帝国大学の一分科大学としての農科大学(旧札幌農学校)であった,また、同大学は旧札幌農学校の予科も統合し、予科課程を有する唯一の「帝国大学」であった。  ,同大学の「文武会」は札幌農学校以来、生徒を会員とし、校長を会頭、教職員を特別会員とする全学的団体で、学生
新札幌市史 第3巻 通史3 (蛎崎知次郎と西川光二郎)

札幌農学校に在学していた蛎崎知次郎と西川光二郎は、社会問題に関心が深く、社会主義思想にも興味を持ち、新渡戸稲造,蛎崎知次郎は札幌農学校の学芸会大会で社会主義を論じ、学校の雑誌に社会主議論を発表した。
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道事業管理局の設置)

それによると美々缶詰場と陸運改良掛が廃され、札幌の博物場と製物試験場が札幌農学校へ転属され、また味噌醬油製造場,表-1 北海道事業管理局所轄事務所・事業所一覧 札幌農業事務所 札幌育種場 札幌博物場 → 札幌農学校,→ 宮内省に転轄(16・12) 札幌工業事務所 札幌工事試験場 → 札幌製物試験場(17・5) →札幌農学校, 別海缶詰場(17・5) 択捉鼡虎所 → 択捉猟虎猟場(17・5) 紋鼈製糖所 附甜菜酒精製造所 札幌農学校
新札幌市史 第4巻 通史4 (教育の街)

その起源は札幌農学校にあって、東北帝大農科大学と名を変えたのち、総合大学として独立するに及んで、学都の,札幌と札幌農学校とを切り離して考えることはできない。,そしてそれの多くの部分は札幌農学校、あるひは東北帝国大学農科大学に帰すべきものであった。,(中略)  札幌農学校は総合大学といふことになった。いろんな学部ができてたくさんの博士たちが来た。
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌郵便局舎の焼失と建築)

そのため局長・監理課・郵便課・庶務係は北二条西二丁目の札幌農学校跡、工務課は大通西二丁目札幌電報局舎、,札幌郵便局の臨時局舎(明治42年頃)   明治40年5月10日の札幌大火で仮局舎が焼失し, そのため札幌農学校跡,この建物は元の札幌農学校演武場である。  
新札幌市史 第2巻 通史2 (開識社)

開識社 九年十一月、札幌農学校生徒一九人が調所校長宛文学会(Literary Society)の設立願
新札幌市史 第2巻 通史2 (結社団体等の出版)

写真-14 『北海道』第三号(道図)  また二十五年に札幌農学校予科生徒によって結成された学芸会,三十年二月に、札幌に関する最初の史書である『札幌沿革史』が刊行され、また三十一年五月には学芸会によって『札幌農学校
新札幌市史 第1巻 通史1 (モースと北海道)

函館、小樽をまわって七月二十九日札幌に着いたモースは、札幌農学校のブルックス教授に迎えられる。
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌基督教会の発展)

この時期にはまた、宮部金吾、広井勇、新渡戸稲造らがアメリカやドイツ留学から戻り、札幌農学校の教授となり,美以教会(みいきょうかい)に残った佐藤昌介(札幌農学校教授)、長老派のS・C・スミス(北海道師範学校教師
新札幌市史 第3巻 通史3 (有島武郎など)

周知のように、有島は明治二十九年に札幌農学校に入学、三十六年に米国留学、四十年に昇格した母校東北帝国大学農科大学,明治三十二年五月以降の札幌農学校寄宿舎である白官舎に起居する学生の諸相を描いたもので、長編の序章となるはずであったが
新札幌市史 第2巻 通史2 (合同教会設立への気運)

合同教会設立への気運 札幌農学校一・二期生は、在学中クラークの伝道の志を継いだマサチューセッツ農科大学出身,また佐藤昌介も、開拓使の官吏から信仰上の感情を隠すように言われたとクラークに報じている(北大百年史 札幌農学校史料
新札幌市史 第3巻 通史3 (社会問題研究会)

小笠原島の開拓を志したが成功せず、北海道開拓に転じて、明治二十四年四月、札幌農学校農芸伝習科に入学したが,橘仁(果樹園経営)、飯田雄太郎(画家、札幌農学校講師)、忍鶴太郎(木材業者)、中村信以(書店経営)、桟敷新松
新札幌市史 第3巻 通史3 (時計台への移転)

時計台への移転 明治四十四年三月の評議員会では、こうした施設の不十分さを解消するために、札幌農学校の
新札幌市史 第3巻 通史3 (その他の女性団体)

三十八年四月には、札幌区の宮部保子(札幌農学校宮部金吾教授夫人)たちに呼びかけて婦人委員を募り、戦争終結
新札幌市史 第2巻 通史2 (出版)

また札幌農学校の有志が、北海道の農家に進歩した知識を授けるために、研究外国書の翻訳などを十一年以来月一回刊行
新札幌市史 第2巻 通史2 (書店と出版)

同叢書は札幌農学校に秀れた教師がおり、秀れた研究が眠っているのを世に出そうという企画で十数冊が予定されていたが
新札幌市史 第2巻 通史2 (雪中行軍の遭難)

三十二年二月二十日、第七師団独立歩兵大隊および工兵中隊の藻岩山雪中行軍が、区内中学生、師範学校生、札幌農学校予科生等
新札幌市史 第3巻 通史3 (安東嵩村の図書館設立論)

著者は札幌農学校予科生で、同校学芸会の機関誌『蕙林』の編集委員をつとめる安東嵩村(本名・幾三郎)である,安東がこの「五十年後札幌未来記」を著わした当時、札幌の図書館は、札幌農学校や北海道尋常師範学校など教育機関
新札幌市史 第2巻 通史2 (音楽)

さらに二十七年五月には札幌農学校生徒によってアコーディオン・バンドの札幌農学校音楽隊が結成され、その他学校
新札幌市史 第2巻 通史2 (各種試験場等の変遷)

まず、官園として成立した札幌育種場(二九万三六四〇坪)は、二十年一月に札幌農学校に所属替となり、飼育中,道庁関係のほか、農業に関する試験および普及を行った施設として、札幌農学校の農場があげられる。
新札幌市史 第2巻 通史2 (豊水吟社など)

このほか札幌農学校関係としては、のち「日本風景論」で著名となった志賀重昴ほかがあげられる。  
新札幌市史 第2巻 通史2 (開拓使時代の払下工場)

味噌醤油醸造場は沢口永将に、札幌に設けた第一味噌醤油製造所は対馬嘉三郎に、馬具製造所は職工の黒柳喜三郎に、なお札幌農学校雇
新札幌市史 第2巻 通史2 (平岸村の開拓の進展)

簾舞は二十八年三月に札幌農学校の第四農場(六四七町)がおかれ、この年二七戸の小作が入場したのをはじめとし
新札幌市史 第2巻 通史2 (祝賀と歓迎)

二十七年】 月 日 状  況 11・21 (旅順口占領) 11・26 札幌農学校生二,【二十八年】  2・ 2 (威海衛占領)  2・16 札幌農学校、第三回戦勝祝賀会
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌官園)

本支庁あて達(これは全三〇条のきめ細かな勧業政策上の注意事項である)の中で次のように評価され、主要部分が札幌農学校,故ニ今般更ニ札幌農学校ニ隷属セシメタリ。,(布令類聚)  これによって、札幌農学校は三〇万四五〇〇坪の土地と牛馬、農具諸器械を得て農黌園を設置
新札幌市史 第2巻 通史2 (顕正護国会)

すなわち、札幌におけるキリスト教は、開拓技術者等養成を目的とする札幌農学校でおこった。
新札幌市史 第2巻 通史2 (道毎日の発展)

柳内は札幌農学校出身で、後述する『北海新聞』発行停止処分の原因となった論説の筆者である。
新札幌市史 第3巻 通史3 (社会主義者への迫害)

社会主義者への迫害 札幌農学校の画学講師であった飯田雄太郎は、非戦論者であったため、主戦論の立場をとる
新札幌市史 第3巻 通史3 (区勢調査)

顧問を札幌農学校教授高岡熊雄に委嘱し、助役河田猪三郎を委員長に、書記五人を委員とした。
新札幌市史 第1巻 通史1 (諸学会の成立)

琴似の三村にあり、残りの二百五十六個が区内にあり、その所在は北一条、北六条西一丁目辺、及び博物館内、札幌農学校付属園内三
新札幌市史 第2巻 通史2 (農黌園)

農黌園 農黌園とは札幌農学校の農園のことである。
新札幌市史 第2巻 通史2 (排水と泥炭地改良)

の中間である幌向(岩見沢村)に設け、泥炭地改良及び利用方法を研究することとし、指導には道庁技師兼任の札幌農学校教授新渡戸稲造
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

三浦久美子「札幌周辺各村の歴代戸長について」『札幌の歴史』第一六号、『北大百年史』通説、同部局史、同札幌農学校史料
新札幌市史 第2巻 通史2 (四季と遊覧)

はじめ園内に育種場、博物場、競馬場、偕楽亭、清華亭等があったが、育種場は札幌農学校附属農園となり、競馬場,博物館 北三西八 札幌農学校附属植物園内にあり。
新札幌市史 第2巻 通史2 (農場の設置)

二十三年には、篠路村に興産社(社長瀧本五郎)が二五三万五二四五坪、苗穂村に佐藤昌介(札幌農学校教授)が,菊亭脩季 同 上 98,877 0 華族,上白石村寄留 23 佐藤昌介 江別村 96,919 0 札幌農学校幹事,この他にも札幌村レツレップの札幌農学校第三農場(面積三一七町)があり三十二年で小作戸数は五五戸を有し、
新札幌市史 第2巻 通史2 (帝国憲法発布式)

祝賀会は、札幌基督教徒有志、札幌農学校、北海道毎日新聞社等においても行われ、同新聞社では「御真影」を掲
新札幌市史 第2巻 通史2 (軍人家族保護会)

軍人家族保護会 屯田兵員等の出征がにわかにささやかれるようになった二十八年三月、札幌基督教徒青年会(委員札幌農学校寄宿舎内吉沢誠造
新札幌市史 第2巻 通史2 (「御真影」下付)

#160;       4・17 札幌農学校,「御真影」はこのように北海道尋常師範学校を皮切りに、日赤道支部、公立小学校、郵便電信局、札幌農学校、憲兵隊本部
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