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新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌郡区役所の改編)
札幌郡
区役所の改編 十一年七月に公布された郡区町村編成法に基づいて、北海道でも開拓使は十二年七月従来,ここで札幌区役所は札幌市街と
札幌郡
一円を管し、石狩に設置の郡役所は石狩・厚田・浜益・樺戸・空知・夕張・,その変更理由として挙げている第一は、札幌区役所が
札幌郡
一円をも管轄しているため、札幌の「郡名ハ恰モ消滅,開拓使創設以来首府と目されて諸官衙・製造場の施設が多く、「百貨輻輳市民賈市ノ利ニ是因リ候状況」であって、市街地と
札幌郡
内各村 /
札幌郡
区役所の改編
新札幌市史 第4巻 通史4
(諸町村の連絡道路)
亀田郡七飯村大字峠下村に於て分岐)亀田郡大野村中山峠桧山郡泊村大字柳崎村 2 札幌浦河線 札幌区 浦河郡浦河町
札幌郡
豊平町,札幌留萌線 札幌区 留萌郡留萌町 石狩郡石狩町,浜益郡浜益村,増毛郡増毛町 3 札幌広島線*4 札幌区
札幌郡
広島村,
札幌郡
白石村字大谷地 4 札幌篠路線 札幌区
札幌郡
篠路村 準地方費道札幌留萌線(
札幌郡
篠路村地内に,札幌区 千歳郡恵庭村 地方費道札幌浦河線(千歳郡恵庭村大字漁村に於て分岐) 6 札幌札幌村線 札幌区
札幌郡
札幌村, 7 札幌新篠津線 札幌区 石狩郡新篠津村 国道27号線(
札幌郡
江別村に於て分岐)石狩橋 8 石狩軽川停車場線
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔明治六年市在状況調〕)
〔開拓使管轄第一大区職分総計〕 〔開拓使管轄第一大区寄留総計〕 〔「開拓使管轄石狩国
札幌郡
札幌町戸籍表,」〕 〔開拓使管轄石狩国
札幌郡
札幌町第一区戸籍表〕 〔開拓使管轄石狩国
札幌郡
札幌町第二区戸籍表,〕 〔開拓使管轄石狩国
札幌郡
札幌町第三区戸籍表〕 〔開拓使管轄石狩国
札幌郡
札幌町第四区戸籍表,〕 〔開拓使管轄石狩国
札幌郡
札幌町第五区戸籍表〕 〔総計〕 〔「開拓使管轄石狩国
札幌郡
各村戸籍表
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【交通】)
261表 軽石軌道 第262表 札幌郊外電気軌道 第263表 バス 第264表 諸車(札幌区,
札幌郡
,,石狩国) 第265表 諸車(札幌区,
札幌郡
,石狩支庁) 第266表 諸車(札幌区・市,
札幌郡
,石狩支庁,) 第267表 諸車(札幌市,石狩支庁) 第268表 橇(札幌区,
札幌郡
,石狩支庁,石狩国) 第,269表 橇(札幌区・市,
札幌郡
,石狩支庁)
新札幌市史 第2巻 通史2
(殖民地の設定と貸下)
殖民地の設定と貸下 道庁では十九年から殖民地の選定を開始したが、二十年に
札幌郡
の諸原野の選定が終わった,
札幌郡
は発寒、琴似、豊平、野津幌の四原野からなり、面積等については表2のようになっている(北海道殖民地撰定報文,表-2
札幌郡
の植民地 (単位・坪) 原野名 樹林地 湿地 泥炭地 計 発寒 15,710,998坪,「
札幌郡
の累年貸下地」(道毎日 二十四年五月六日付)には、「
札幌郡
の原野は大抵耕地或は水田として已に人民,道都に近く交通も便利な
札幌郡
の貸下地に希望が集中するのは当然で、この頃には札幌周辺の多くの未開地の貸下
新札幌市史 第2巻 通史2
(伝染病)
伝染病 この時期の札幌区・
札幌郡
において猖獗(しょうけつ)をきわめたおもな流行病を年代順に列挙すると,表-25 札幌区・
札幌郡
伝染病患者及び死亡者数(明治19~33年) コレラ 腸チフス 発疹チフス 赤痢,病勢は郡部にもおよび、
札幌郡
患者数一四四人、死者九六人を出した。,の患者数一一六人、死者二〇人、
札幌郡
の患者数二六人、死者九人を出した。,札幌区・
札幌郡
では、二十二、二十五年に発生がみられる。
新札幌市史 第4巻 通史4
(自作農創設事業)
斎藤甚之助
札幌郡
藻岩村 2.6 87.7 149.6 239.9 31 榎並健吉所有地
札幌郡
篠路村,15.2 70.4 123.5 17 篠路村有地
札幌郡
篠路村 篠路村
札幌郡
篠路村 - 176.2,- 176.2 39 篠路太田農場
札幌郡
篠路村札幌村 太田商事(株) 東京市 85.0 177.5,
札幌郡
札幌村 笹野富吉 函館市 58.7 33.9 0.4 93.0 34 富樫農場
札幌郡
札幌村,19.3 37.3 52.2 108.9 17 三谷農場
札幌郡
琴似村手稲村 三谷源太郎
札幌郡
琴似村
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【通信】)
【通信】 第270表 郵便局他数(札幌区,
札幌郡
) 第271表 郵便局所数(札幌市) 第272表, 郵便物数(札幌区,
札幌郡
) 第273表 郵便物数(札幌市) 第274表 電話交換通話度数(札幌区
新札幌市史 第2巻 通史2
(郡区と町村)
石狩国は七郡に分かれ、その一つである
札幌郡
の内、市街地域を札幌区として分離し、行政統治上は独立扱いとして,区を除く
札幌郡
には県治時代に引続き、表1のように一九村が置かれた。,
札幌郡
内をみると、篠路・白石・琴似・札幌・苗穂各村の人口増が顕著で、郡住民数を道庁治開始時と区制施行時,
札幌郡
二〇村から広島・江別・対雁の三村を除き、区を加えた地域が、ほぼ現在の札幌市域にあたるとみてよい。,人
札幌郡
札幌村 649 2008 1359 苗穂村 681 1715 1034 丘珠村
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌二〇〇戸)
計画の段階から第一の候補地に考えられたのであり、前述の三年十一月開拓使による東京府貫属屯田兵案もまた
札幌郡
,認められる時点で、二年間に一五〇〇戸移住を三年間に変更し、六年十二月三十日「来(きたる)七年ノ儀ハ、
札幌郡
,へ三百戸、室蘭郡へ二百戸被相移候」よう内定をみ、
札幌郡
への移住準備が始まった(開拓使公文録 道文五五二七,まで終えながら初回の予定地から削られたのは、開拓使顧問H・ケプロンの視察が最終結論に影響したようで、
札幌郡
新札幌市史 第2巻 通史2
(官有林原野貸下・払下)
表24は、十九年より三十二年までの
札幌郡
・石狩国・全道の官有林反別を示したものである。,
札幌郡
の場合、途中二十二年より二十八年までの反別を欠くが、石狩国・全道の推移でおおよその流れがわかるであろう,表-24
札幌郡
・石狩国・全道官有林反別(明治19~32年)
札幌郡
石狩国 全 道 明治19年,ここで、十九年より三十二年までの
札幌郡
の官有林の貸下状況を示すと表25のごとくとなる。,表-25
札幌郡
官有林貸下状況(明治19~32年) 用途 反別 料金 人員 明治19年 9円5000
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌周辺の原野排水)
琴似花畔間排水渠,レツレツプの排水渠など). 23年度 札幌近傍排水(継続事業).豊平川堤防. 24年度
札幌郡
各村原野排水,. 25年度 札幌近傍原野排水. 26年度
札幌郡
琴似村原野排水.
札幌郡
月寒村原野排水.
札幌郡
対雁村原野排水
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌村地主会)
札幌村の場合でみると、七年九月に札幌村地主会が設立されているが(
札幌郡
札幌村勢一班 大10・8調)、同会,設立時の会員数は明確でないが、昭和四年十二月現在では五六六人となっている(
札幌郡
札幌村 村勢一班 昭4,隣村である篠路村でも、大正十四年十月現在篠路村地主会が設立されており、会員数は二六人であった(北海道
札幌郡
篠路村勢一班
新札幌市史 第5巻 通史5上
(企業別・事業所別組合の誕生)
19 129 15 225 837 345 852 1197 紡績業 清水工業(株)労組 岡崎茂治
札幌郡
琴似町字琴似,21/02/01 125 125 0 6 125 131 256 商業 浅野スレート労組 湊勇吉
札幌郡
琴似町,2丁目 21/02/16 46 18 0 0 46 18 64 商業 三菱手稲鉱業所職組 塚本正憲
札幌郡
手稲村,1区 21/03/06 29 31 0 0 29 31 60 教育 北海道教組手稲支部 菊地次郎
札幌郡
手稲村軽川,/07 288 69 671 22 959 91 1050 運輸業 (株)本多鉄工所労組 赤坂春吉
札幌郡
琴似町
新札幌市史 第2巻 通史2
(乳牛の増加と搾乳業)
乳用牛の数は、牛乳飲用の習慣化と併行して次第に増加し、二十九年には札幌区・
札幌郡
の官民合わせて二七三頭,搾乳量も札幌警察署管内(札幌区、
札幌郡
のほか石狩、浜益、厚田三郡と千歳郡を含む)の場合ではあるが三十一年六月一,表-20 官・民札幌区・
札幌郡
の乳用牛の割合(明治29~32年) 牛 数 内乳用牛 乳用牛割合 明治
新札幌市史 第2巻 通史2
(馬匹飼養)
表21は、二十九年より三十二年までの札幌区・
札幌郡
の農耕馬(官民)数の総馬数に占める割合を示したものである,このことは札幌区・
札幌郡
の場合、農耕馬の導入が早く、しかも総馬数に占める割合が高かったといえよう。,表-21 官・民札幌区・
札幌郡
の農耕馬の割合(明治29~32年) 馬 数 内農耕馬 農耕馬割合 明治
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場の設置)
札幌の場合は、当初
札幌郡
はおかれずすべて札幌区に編入され、札幌区長が札幌市街(区)とともに諸村の事務を,しかし十七年四月一日に至り、
札幌郡
が改めて設置されて諸村は
札幌郡
に編入となり、市街のみが札幌区となった,ただし郡役所は区役所に併設され、札幌区長が
札幌郡
長を兼任していた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
北大図)、島義勇『石狩大府指図』(北大図)、『市在諸達留』(北大図)、『札幌県 拓殖』(北大図)、『
札幌郡
調,』(北大図)、『荒井金助事蹟材料』(道文 旧記一四三七)、『兵部省引継書類』(道文一八三)、『石狩国
札幌郡
琴似村人別調,』(道文三一五)、『
札幌郡
篠路村人別調』(道文三一八)、『
札幌郡
白石村戸数調』(道文三二一)、『仕上ケ
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【衛生】)
病院(札幌区・市) 第278表 医療関係者(札幌区・市) 第279表 法定伝染病(札幌区・市,
札幌郡
,) 第280表 伝染病院・隔離病舎(札幌区・市) 第281表 主要死因別死亡者(札幌区,
札幌郡
)
新札幌市史 第7巻 史料編2
(四 官有地・官林)
・ハツタリベツ等官林の件(明治六年一一月一三日) 四三 官林取極の件(明治六年一一月一九日) 四四
札幌郡
山林区別,明治二八年一月一八日) 五三 官林解除に関する出願に付心得(明治二九年四月一〇日) 五四 石狩国
札幌郡
官林中解除
新札幌市史 第2巻 通史2
(国有林木等処分)
札幌郡
のうち厚別・発寒・発垂別・真駒内・簾舞・野津幌の六カ所を官林と設定し、札幌市中・村々の伐木場としては,
札幌郡
手稲村の山林のみに限定したのはこのためである。,実際に
札幌郡
の場合、立木・枯木の払下状況を『北海道庁統計書』でみると十九年より二十八年では表22のごとくであった,十九年の
札幌郡
の場合、草二〇〇束一円、地竹五〇〇束五円が、二十年の場合、地竹六七〇束六円七〇銭、柴八〇,二十九年より三十一年の
札幌郡
の官有森林原野主産物払下状況は、表23のとおりであった。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 払下手続・地券発行等)
本庁管内地所売下方(明治八年九月二九日) 二〇 雁来村外二か村地価に付達(明治八年一二月七日) 二一
札幌郡
管内区画実検,付庁下市街調査境界の件(明治九年一一月二八日) 二四 第一大区五小区豊平村耕宅地明細帳(明治九年) 二五
札幌郡
十三,三小区札幌市街宅地売買実価及貸地料前三カ年平均一覧表(明治一二年頃) 三一 官費募移の者失踪跡地の件(明治一四年一二月) 三二
札幌郡
丘珠村耕地小作及抵当景況調
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】 『北海道戸口表』、「
札幌郡
調」『札幌の歴史』第二二~二三号、『字名改称地番変更,北海道農場調査』、『東区拓殖史』、「町村誌資料」『札幌の歴史』第四~七号、『藻岩村一班』(明42)、『
札幌郡
藻岩村大字円山村部落
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部の就学率)
このためのち大半が札幌市に編入された
札幌郡
全体、あるいは若干の個別例を示してそれから類推することとする,まず前記区内と同様、二十五年の
札幌郡
の数字をみると、就学者三九四三人、不就学者四〇一七人、計七九六〇人,
札幌郡
は内陸開拓地としては先進地であるが、当時はまだ道内の内陸開拓がそれほど本格化せず、人口も旧開の道南
新札幌市史 第2巻 通史2
(養蚕農家)
二十一年の養蚕農家数は、札幌区で一二戸、山鼻村を含む
札幌郡
で七八七戸の計七九九戸にものぼった。,その産額は、札幌区・
札幌郡
合わせて十九年が三三二石、二十年が四一四石、二十一年が二七三石と、年によって,札幌区や
札幌郡
で生産された繭は、多くが札幌製糸場(二十一年十月足立民治、今井藤七に払下げ)と安田製糸場,しかし、生糸の需要が伸びた一方で二十年代の札幌区や
札幌郡
の養蚕農家の数は、日清戦争を境に減少傾向を示した
新札幌市史 第3巻 通史3
(拓北農場の設立)
(イ)本場(宗谷郡猿仏村、面積八一四五町九畝八歩)、(ロ)篠路支場(
札幌郡
篠路村、一〇五〇町)、(ハ),同附属果樹園(
札幌郡
苗穂村、五町八反)、(ニ)初山別支場(苫前郡初山別村、一八八七町)、(ホ)雨龍支場
新札幌市史 第2巻 通史2
(種川の設定と鮭・鱒の保護)
十一年十二月十七日に至り、「
札幌郡
内諸川ニ鮭鱒漁獲一切差止」(布令類聚 上編)とし、これにより豊平川も,含め
札幌郡
内での捕獲はすべて禁止されることになった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(手稲鉱山)
表14に大正九年七月現在の旧
札幌郡
内試掘鉱区一覧を掲げた。,表-14
札幌郡
内の試掘鉱区(大9.7.1現在) 町村 鉱種 登録年月 鉱区坪数 鉱業権者 所在地 手稲,8.12 260,000 松原幸一 札幌区 札幌 鉄 8.12 610,200 坂井幸次郎外1名
札幌郡
琴似村,1,932,625 (2) 笠島梅吉外3名 札幌区 広島 石炭 9. 4 886,500 三浦福治外2名
札幌郡
豊平町
新札幌市史 第3巻 通史3
(市乳販売と搾乳業)
データは
札幌郡
と札幌区の合計であるが、明治四十二年から大正元年までは札幌区の搾乳場の方が多く、ピークの,それに対応して、乳牛の総頭数も成牛数も拡大し、大正六年には札幌区で五五二頭、
札幌郡
で一〇五九頭となる。,後者は
札幌郡
の畜牛総頭数二九七七の三五パーセントを占めており、その躍進ぶりがわかる。,表-30 牛乳生産の変化(
札幌郡
,札幌区) 搾乳場 頭数 成牛 生産量 価格 明39 25 181頭
新札幌市史 第2巻 通史2
(篠路村の発展)
兵村二二〇戸、茨戸七五戸、山口開墾四三戸、当別太一七四戸、中野開墾九二戸、合計八四四戸となっている(
札幌郡
調,売薬商二人、理髪商一人、菓子商一人、開業医二人、産婆三人、大工四人、木挽二人の商人・職人などがいた(
札幌郡
調
新札幌市史 第3巻 通史3
(新琴似)
低湿地については、「官ノ大排水ニヨリテ大体乾燥シ、其後毎戸小排水溝ヲ設ケタレハ大ニ乾燥スルニ至リ」(
札幌郡
調,入植者は徳島県出身がもっとも多く、熊本、佐賀、大分の各県がついでいたという(
札幌郡
調)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(学務委員と学区)
〇番(丘珠村)、一一番(篠路村)と定められたが、十七年四月に、おそらく郡区編成の変更にともなって区と
札幌郡
,を分け、従来二番学区であった山鼻村を
札幌郡
一番学区とし、以下これに準じて繰上げた。
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌村の例)
札幌村の例 このほか昭和五年五月二十八日、
札幌郡
札幌村の碓井仁次郎所有地(畑三町三反三畝一五歩)で、
新札幌市史 第4巻 通史4
(諸町村の幼稚園)
同幼稚園の園児数は『北海道
札幌郡
藻岩村勢一班』によれば、十年には二二人、十一年には二七人がそれぞれ在籍
新札幌市史 第2巻 通史2
(就学の問題)
558 268 826 160 222 382 68.3 77.7 54.7
札幌郡
,410 1382 434 611 1045 56.9 69.1 40.2 1.
札幌郡
第,まず学区別の率では、
札幌郡
六番学区(白石村)が最も高く、札幌区を上回っている。
新札幌市史 第4巻 通史4
(日ノ丸農場の例)
札幌郡
札幌村の松本菊次郎経営の日の丸農場(面積一四〇町歩、小作戸数三六戸、札幌村要覧 昭14)では何回
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌茨戸間の運河)
その後三十五年二月に
札幌郡
農会(北タイ 明35・2・22)、三十七年一月に札幌他四郡農会からの札幌茨戸間運河修築
新札幌市史 第2巻 通史2
(大小区制の導入)
しかし札幌ではすぐに大小区を設定せず、七年二月になって
札幌郡
内の市中を三小区に、周辺村落を二小区に区分,これで
札幌郡
は第一大区となり、市中を三小区、周辺の村落を三小区に区分した(同前)。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(郵便局の増設)
昭27 手稲(軽川を改称,手稲町字手稲,昭45普通に改定,手稲富岡295) 昭28 藤野沢(簡易
札幌郡
豊平町字藤野,),札幌南二十七条(南27西11) 昭33 白石本郷(白石町本通),中の島(
札幌郡
豊平町字中の島一区),,宮の森(琴似町宮の森) 昭34 札幌中央(普通 札幌を改称,大通西2),木の花(
札幌郡
豊平町字平岸),(北29西5),月寒(普通に改定,豊平町字月寒287,昭37豊平に改称,美園460に移転),手稲東(
札幌郡
手稲町字東,昭36 札幌藻岩下(藻岩下),札幌南一条(一時閉鎖南1西5,昭37南1西4へ移転再開),豊平平岸(
札幌郡
豊平町字平岸
新札幌市史 第3巻 通史3
(二 農業開発の進展と農業生産の変化)
叙述の中心は旧七町村となるが、各町村別の統計がまとまって存在しないので、ここでは江別村と広島町を含む
札幌郡
新札幌市史 第2巻 通史2
(市外との連絡路の整備)
定山渓虻田間里道開削. 29年度 茨戸銭函間及び札幌茨戸間運河.琴似橋小樽郡界間道路(国道5号)修繕. 30年度
札幌郡
平岸村仮定県道修繕道路,沢定山渓間道路橋梁修繕工事.定山渓中山間道路橋梁修繕工事.札幌茨戸間道路修繕工事.対雁橋架換え工事.
札幌郡
下白石広島村間及,び江別村厚別村間道路橋梁修繕工事.
札幌郡
雁来対雁間道路橋梁修繕工事.
新札幌市史 第3巻 通史3
(諸村の宗派割合)
『
札幌郡
藻岩村大字円山部落状況』(明44)によって本籍者二〇九人の元籍をみると、山形県が一〇八人と半数以上,『藻岩村勢一班』(大12)より作成。 琴似・発寒村は『
札幌郡
琴似発寒村是調査』(明37)によると、
新札幌市史 第3巻 通史3
(穴ノ沢の軟石と石造倉庫)
穴ノ沢の軟石と石造倉庫 『事業報告』第三編では明治八年に「石狩国
札幌郡
穴ノ沢ニ於て建築用軟石千九百八十五個,該庫ハ同郡(
札幌郡
)円山産ノ硬石ヲ以テ築造スベキ見込ニシテ試掘セシニ、石質悪ニシテ建築ノ用ニ適セズ、故
新札幌市史 第2巻 通史2
(民有林・造林)
民間における造林業は、三十一年
札幌郡
手稲村に創立した北海道造林合資会社(二三六〇町歩余、資本金一五万円
新札幌市史 第2巻 通史2
(農産の中心・札幌)
農産の中心・札幌 『開拓使事業報告』第三編(物産―陸産)は、
札幌郡
の農事起源等を紹介して次のように記,このように札幌周辺各村の特徴が次第に形成されつつあったが、他の地域との比較をすれば
札幌郡
は当時の北海道,『開拓使事業報告』によれば、当時栽培されていたほとんどの穀菽・蔬菜等の生産高は
札幌郡
が札幌本庁管内の第一位,の七、粟は十の四、豌豆は十の四、薯蕷は十の五、越瓜は十の九、南瓜・西瓜は十の五、麻は十の五をそれぞれ
札幌郡
,これをみると前掲の
札幌郡
の農事概況と必ずしも一致していない。
新札幌市史 第1巻 通史1
(荒井村の設置)
当時の地図類は見出していないが、ハッサム村と同じく、明治十四年(一八八一)の開拓使地理係『石狩国
札幌郡
之図,図-3 明治14年の篠路村 開拓使地理係『石狩国
札幌郡
之図』(部分) いずれにせよ、荒井の、
新札幌市史 第4巻 通史4
(農村衛生調査)
そして、この調査会の調査項目に、はじめて「農村衛生調査」の項目が設けられ、大正十年実施の
札幌郡
白石村(,『
札幌郡
白石村ニ於ケル保健衛生調査』によれば、調査は内務省指導のもと、北海道庁・白石村吏員、防疫医、衛生技師
新札幌市史 第7巻 史料編2
(一 明治二年)
本府取建に付不足米買入方取計申入の件(一一月) 九 御用米買上回送方取計の件(一二月) 一〇 石狩国
札幌郡
新札幌市史 第3巻 通史3
(伝染病)
伝染病 区制施行以前に札幌区・
札幌郡
において猖獗をきわめた主な流行病は、コレラ、腸チフス、痘瘡、ジフテリア,表-27 札幌区・
札幌郡
・支庁別伝染病患者数 年 腸チフス ジフテリア 赤痢 猖紅熱 発疹チフス,〈腸チフス〉明治三十三年に札幌区・
札幌郡
合わせて二五五人の患者を出し、四九人もの死者を出した腸チフスは,〈赤痢〉明治三十三年に札幌区・
札幌郡
合わせて三二人の患者を出した赤痢は、三十六年再び猖獗をきわめた。,この年札幌区内罹患者五人、
札幌郡
内罹患者一四六人、死者三二人を出すといったように、村々の方で大発生をみた
新札幌市史 第1巻 通史1
(耕地)
なお、参考として明治十四年の開拓使地理係『石狩国
札幌郡
之図』(国公文)中関係個所を図2に掲げる。,図-2 明治14年の発寒村 開拓使地理係『石狩国
札幌郡
之図』(部分)
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