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新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔村山家資料〕)
〔
村山家資料
〕 石狩場所経営文書 一 しやつほろ夏商場所請負証文(明和二年) 二 しやつほろ / 〔
村山家資料
〕
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】 『蝦夷地御用見合書面類』(阿部家文書―東京都阿部正道氏蔵)、『
村山家資料
』(,西蝦夷地分間』(東大史)、松浦武四郎『野帳巳第一番』(国立史料館)、小林真人「石狩場所について―阿部屋
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
『札幌外十一ケ村検地野帳』(道文)、『地価創定請書』(道文)、今井宣徳『蝦夷客中日記』(函図)、
村山家資料
,自安政四年至明治十一年本庁管下各郡水田段別及収穫調』(道図)、『白河風土記』、藤田定興『東北南部における近世の鋳物師』、『上羽太邑万御用留帳』、
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(鮭漁の発展と変わる漁法)
栖原茂八が運上金の未納分などを肩代わりするといった、「仕法立替」(経営の改革)が行われたばかりであった(
村山家資料
,しかし、運上金額はこの時期の最終段階においても変わらなかったらしく、『
村山家資料
』によると嘉永五年(一八五二,しかも、この網引に従事した人数は、アイヌおよび出稼和人合わせて三五七人であった(
村山家資料
)。,『
村山家資料
』(新札幌市史 第六巻)より作成。 ,トウヤウシ 11 ⑥ヲタヒリ 4 ⑦サツホロフト 2 ⑧ツイシカリフト 1 計8ヵ所 51 『
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
札幌市街 石狩町資料』、『蝦夷地御開拓諸御書付諸伺書類』、『村垣淡路守範正公務日記』(大日本古文書)、『
村山家資料
新札幌市史 第6巻 史料編1
(口絵)
口絵
村山家資料
(北海道大学附属図書館蔵) この図版・写真等は、著作権の保護期間中であるか、,北海道立文書館蔵) 平岸村の三番 969頁参照
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
、高倉新一郎『アイヌ政策史』、菊地勇夫「場所請負制下の和人とアイヌ」『宮城歴史科学研究』第二七号、『
村山家資料
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
その中から、石狩・札幌にかかわる文書記録を四項にわけて編集し、
村山家資料
と名付けた。 ,近世の札幌を理解する上で、
村山家資料
は見おとせない重要性を持っている。,本巻に収録した史料の多くは北海道開拓記念館所蔵で、「
村山家資料
」という標題も同館のものによった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(その他の産物)
一〇枚以上の場合同一俵、獺皮は一枚につき煙草二~半把、鷲尾一尻につき煙草二把ずつという具合であった(
村山家資料
,米1升 70 下 米5合 35 〓皮 米5合 35 『文政五午年御軽物類直段定帳』(
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
国公文)、『北藩風土記』(函図)、『西蝦夷地分間』(東大史)、「東西蝦夷地場所附」『武川家文書』、『
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(雇の実態と代償)
それは、安政二年(一八五五)の『
村山家資料
』によっても男女二〇七人が鯡漁の雇にとられている。,われる賃金は、上男造俵(この場合一俵八升入り)七俵、中男六俵、下男五俵、女子は六~四俵とされていた(
村山家資料
,30俵位 耳盥 1ツ 5~4俵2把 『安政二年乙卯四月夷人より買入物幷売渡物直段書』(
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(通行屋の整備)
通行屋の整備 『北地内状留』(
村山家資料
北大図)には、文久元年(一八六一)五月八日付の城六郎から荒井金助
新札幌市史 第1巻 通史1
(新道の開削工事)
ところで、
村山家資料
中にはサッポロ越新道に関係する史料は伝えられておらず、工事の経費、出役人数、里程、
新札幌市史 第1巻 通史1
(産業)
中でも漁業(鮭漁)については、官もそれを認めており、
村山家資料
中の「石狩場所改革方取計之儀申上候書附」
新札幌市史 第1巻 通史1
(同心)
八十五郎の死は、「戦場の討死も同様」と惜しまれている(
村山家資料
北地内状留)。
新札幌市史 第1巻 通史1
(慶応元年の人別帳)
ところで、四カ地域に番所が設置されるのは安政五年十一月以降である(
村山家資料
新札幌市史 第六巻)。
新札幌市史 第1巻 通史1
(城六郎の北地出張)
つづいて翌文久元年(一八六一)の場合、「北地内状留」(
村山家資料
)に一端がうかがわれる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(運送と通信)
先に紹介した安政二年の人足料は、実は
村山家資料
(新札幌市史 第六巻)にみるアイヌへの継立賃米と同じで、
新札幌市史 第1巻 通史1
(城六郎開墾地)
になるものとして、荒井金助の部下で、北蝦夷地クシュンナイ勤番所の責任者でもあった城六郎のイシカリの開墾地に関し、
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(生活)
、幷サンタラヘツ辺エ見世相開、在住之向日用諸品仕込置、無差支様売上致へし」(安政五午年石狩改革一件
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(通行屋の建設)
完成していなかったことは、安政五年五月に阿部屋伝二郎から、イシカリ役所に出された次の伺からもわかる(
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(図版・写真・表組一覧)
北海道立図書館蔵)より作成 (527頁) 表-3 安政2年イシカリ秋味漁場糸大網引場・網数 『
村山家資料
,イシカリ秋味漁場アイヌ榀網(自分網)引場・網数 同上 (528頁) 表-5 文政5年改軽物定式値段
村山家資料
,新札幌市史 第六巻)より作成 (531頁) 表-7 安政2年4月アイヌよりの買上げ・売渡し値段
村山家資料
,』(新札幌市史 第6巻)ほかより (779頁) 表-5 阿部屋のイシカリ漁業経営(収支額と割合)
村山家資料
,『石狩御場所勘定帳』より (780頁) 表-6 イシカリ改革後の網持出稼人(安政5・6年)『
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(役鮭)
村山家資料
『石狩秋味鮭惣引高幷歩訳共調子扣』による
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以前))
安永以前松前藩と露人との関係(河野常吉『史学雑誌』27編6号) 38 新撰北海道史 通説1 39
村山家資料
,北海道史』附録記載) 132 松前氏略家譜(北大蔵) 133 間宮林蔵(洞富雄) 134
村山家資料
, 在住御雇・御雇医師・同並明細短冊(道文蔵) 212 荒井金助事蹟材料(道文蔵) 213
村山家資料
,加賀藩への意見書(ロバート・G・フラーシャムほか) 224 省斎遺稾(平山謙二郎) 225
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(ハッサム村の農民)
これ以外には、
村山家資料
中安政五年(一八五八)八月に「ハツシヤフ紫根掘渡世 佐渡 第次郎」(安政五年石狩改革一件
新札幌市史 第1巻 通史1
(諸施設)
計3棟) 『安政二年乙卯二月御詰所元小家番家神社蔵々員数幷間数書幷ユウフツ出稼所居小家員数間数書』(
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(改役所の設置)
にともなう種々の変化が端的にみられる資料は、阿部屋伝二(治・次)郎から出された以下の諸種の伺である(
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(移住の自由)
イシカリ場所出稼(浜) 吉五郎 稼方はこれまで通り 梶浦屋五三郎の名代 イシカリ場所出稼(浜) 『
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(在住の住宅)
御在住様御役宅御普請之儀幷御買上之儀如何相心得可申哉乍恐奉伺上候」とあり、「其方御都合次第ニ可致事」(
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(阿部屋の台頭と没落)
に遇されるなど、阿部屋は、藩直営のイシカリ秋味の請負人として、再びイシカリと関わりを持つにいたった(
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(阿部屋のその後)
明治二年六月二十一日、新政権は「一時請負いたし候石狩場所引上け申付候事」(
村山家資料
)を令し、伝治郎を
新札幌市史 第6巻 史料編1
(目次)
史料編一/目 次 口 絵 第二回配本にあたって 編集にあたって 凡 例 一
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(網漁法の導入と塩引鮭)
には、文化十二~文政四年(一八一五~二一)の間の年平均産出額は、四八〇〇石であったと記したものもある(
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(場所請負漁業の終末)
村山家資料
の内『石狩御場所勘定帳』により、残荷物代をのぞき単年ごとの決算。
新札幌市史 第1巻 通史1
(動員されるアイヌ)
嘉永五年(一八五二)の『
村山家資料
』によれば、他場所からイシカリ場所に動員されたアイヌは男女合わせて二六九人
新札幌市史 第1巻 通史1
(農業・開拓)
とされているが、安政五年には「石狩漁場条目」中に「永住致候者ハ田畑開発いたし」(安政五午年石狩改革一件
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(新漁場の割渡し)
新札幌市史第6巻所収の『
村山家資料
』『五十嵐勝右衛門文書』により作成。
新札幌市史 第1巻 通史1
(疱瘡の犠牲)
且去丑年運上金納残之分九百弐拾五両之内三分一差免、六百拾六両弐分永百六拾六文七分上納可致 寅九月(
村山家資料
新札幌市史 第1巻 通史1
(請負方式の変化)
同様の意味の阿部屋のイシカリ夏商場所請負に関する記録は、『
村山家資料
』(道開)のなかにも見られる。
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)
337 北の命を抱きしめて 北海道女性医師の歩み(北海道女性医師史編纂刊行委員会) 338
村山家資料
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