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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第4巻 通史4 (桑園幼稚園)

桑園幼稚園 大正十二年九月には、当時、北海道帝国大学農学部教授であった新島善直がキリスト教主義に基づく,幼稚園として、北七条西一三丁目に桑園幼稚園を設立した。,抱いていた時任和歌が、北辰教会牧師の小野村林蔵の意向を受け、九年二月に自宅で開設した日曜学校である(桑園幼稚園,写真-14 桑園幼稚園園舎(大12)  前掲『60年のあゆみ』から同幼稚園の特色などを紹介しておこう / 桑園幼稚園
新札幌市史 第2巻 通史2 (養蚕施設と桑園)

養蚕施設と桑園 安政六年(一八五九)南部藩士が幌別で養蚕を試みたといわれるが、明治三年開拓使少主典河辺盈徳,また養蚕者に布令し、各自に桑園を設けさせ費用を貸すこととした。  ,これが現在も残る桑園という地名のはじまりである。  ,十一年、酒田桑園を改めて第一号桑園と名付けた。,十三年には上白石村に群馬県産桑苗一万四〇〇〇株余を植えて第二号桑園とした(現菊水元町の菊亭農場跡の東南 / 養蚕施設と桑園
新札幌市史 第4巻 通史4 (桑園駅などの設置)

桑園駅などの設置 鉄道敷設法が施行されると、その後の運動は札沼線の分岐点や設置駅の位置などについての,一つは分岐点となる位置について、鉄道会議通過直後の大正十二年一月九日、分岐点として桑園駅を新設する運動,札幌駅からの分岐を要望する運動もあったが(北タイ 大12・3・27、29)、最終的に苗穂駅と桑園駅で猛烈,桑園駅設置については、大正十二年九月になって「札幌琴似間に函館基点一七八哩六鎖に一駅設くべし」という通牒 / 桑園駅などの設置
新札幌市史 第4巻 通史4 (桑園幼稚園の一時閉園と再開)

桑園幼稚園の一時閉園と再開 桑園幼稚園の園児数は、開園した大正十二年こそ二五人であったが、次第に増加,、翌年四月、同校に一年課程の保育専攻科を設置するとともに(60年のあゆみ)、その実習園として、五月に桑園幼稚園,山鼻幼稚園 48 54 102 32 41 73 4 堯祐幼稚園 30 19 49 24 17 41 3 桑園幼稚園 / 桑園幼稚園の一時閉園と再開
新札幌市史 第4巻 通史4 (都市計画地域の問題)

この都市計画地域決定の都市計画北海道委員会の議事録はないが、次の都市計画街路決定の委員会の議事録では、桑園地区,札幌市会議員の福島利雄から、桑園方面の住居地域の決定と、札沼線の開通による桑園周辺の工場地帯化について,それに対して、道庁都市計画課の塩谷勇は、桑園を住居地域に指定したことについて、「大体アノ方面ハ鉄道等ノ,札沼線の開通を機に桑園方面を工業地帯としようとするときに、都市計画で桑園方面が工業地域外であるため、工場誘致,桑園方面を工業地域とするのか、住居地域とするのか、その当否について云々できないが、桑園方面を住居地域と
新札幌市史 第4巻 通史4 (国民義勇隊)

桑園聨合公区においても六月二十九日、桑園国民学校で次のような要項にもとづいて国民義勇隊結成式が行われた,セシムルコト 以上婦人義勇隊幹事ニモ御伝御願申上侯追テ各幹部共任命辞令ハ用ヰザルニ付御諒了相成度(桑園聨合公区第十公区第十班日誌
新札幌市史 第5巻 通史5上 (上水道拡張の開始)

昭25)、豊平地区の水車通~平岸街道間豊平八条三丁目~十一条三丁目の区間二一一〇メートル(昭28)、桑園地区,年 事業区域 25 円山,幌西,鉄東,北光,山鼻 26 東橋,北光,幌北,白石,苗穂,豊平 27 桑園,,幌北 28 円山,幌西,幌北,北光,山鼻,豊平 29 円山,豊平,山鼻,桑園,北光,中島,幌北 30,幌西,幌北,豊平,山鼻,藻岩下,桑園 31 山鼻,豊平,幌西,南円山,宮の森,菊水上町 32 山鼻,,桑園,南山鼻,豊平,南円山,幌北 33 南円山,幌北,菊水,北光,元町,桑園,新琴似 水車町,菊水南町
新札幌市史 第4巻 通史4 (住民組織の形成)

四十四年に桑園会、隆西会、山鼻倶楽部、翌四十五年には第十区親交会、相和会などが相次いで創設されていく。,桑園会(幹事長・篠原要次郎)は「専ら同地の繁栄策を講」ずるものとされ、大正三年二月の総会では停車場桑園駅新設,写真-14 桑園会,桑園自治会を生み出した発展する桑園(昭6)  山鼻倶楽部は屯田兵の社交組織として
新札幌市史 第5巻 通史5下 (都市再開発方針の策定)

都心、北二四条駅周辺、麻生、琴似、中央東、東本願寺周辺、西屯田北、桑園、鉄東、菊水上町、菊水、豊平の一二地区,都心中心、琴似中心、苗穂中央、中央東、中央東創成川右岸沿、国鉄桑園駅周辺、鉄東地暖プラント周辺、菊水一,札幌北口、北四西五、苗穂中央第二、旧永山邸周辺、国鉄桑園駅周辺、豊平橋南の六地区が指定された。,月寒中央、JR琴似駅北口、手稲駅周辺、二号再開発促進地区には、札幌駅北口、都心中心、中央東、苗穂中央、桑園駅周辺
新札幌市史 第5巻 通史5上 (民間市場の郊外進出)

狸小路、すすきの、四丁目、駅前に限られていた商店街が商品の出回りや市の膨張とともに郊外に発展し、豊平、桑園,、西創成、西、東、本府、中央など都心繁華街に集中していたが、円山、幌西、曙、北光、幌北、鉄東、鉄西、桑園,の是正にも効果があり、二十八年の六月と十月に行われた各地域の物価調査でも、六月には鉄北、中央、山鼻、桑園,、円山、東北、豊平の順で物価高だったのが、十月には山鼻、中央、円山、鉄北、豊平、東北、桑園となり、市場,の増加がみられた鉄北、桑園地区の物価の下落が顕著にあらわれた(道新 昭28・11・8)。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (地域住民組織の簇生)

街灯組合と衛生組合の両者の側面を持つ住民組織が町内会へと再編された例として、北桑園地区が挙げられる。,同地区には、二十四年六月に桑園北街灯組合が設置されており、これが三十年に桑園北街灯衛生組合に改組された,これが三十三年に至り北桑園町内会となったのである(北桑園 北桑園町内会設立五十周年)。  
新札幌市史 第4巻 通史4 (札沼線の敷設)

最終的にいつルートが決定したか不明であるが、函館線との分岐点を桑園と決定したのは昭和二年十二月である(,測量は桑園口と沼田口から始められ、工事は昭和二年沼田口から着工され、浦臼までの区間は八年十一月竣工した,札幌側の桑園口からの着工は昭和四年七月で、浦臼までの区間は十年六月竣工した。,札沼線は工事の進行により部分開業し、石狩沼田~浦臼間は札沼北線、桑園~石狩当別間は札沼南線と称し、十年十月
新札幌市史 第5巻 通史5上 (卸売市場の創設)

二十三年九月十日、市は既に生鮮食料品と加工水産物の荷扱い場として「桑園仮荷扱場」を設置していたが(昭23,事務)、二十五年七月一日には同じく桑園に琴似、手稲方面から出荷された野菜を扱う地場蔬菜売場をまず開場した,というのも、青果物の卸問屋は都心部に多く桑園とは距離があり、しかも地場蔬菜売場のある北七条通、及び西一四丁目通付近,一方、二十六年には桑園に中央卸売市場を設置する構想も浮上した。,加え冷凍倉庫をもつ水産物卸売市場を設け、約五八〇〇坪の一大市場を建設し、市場内には近い将来創設される桑園
新札幌市史 第4巻 通史4 (銃後の公区)

ここで、銃後の公区員が担わされた具体的事例を、昭和十八年の桑園聨合公区第一六公区の『記録簿』を通じてうかがうことにする,まず、当時の桑園聨合公区と一六公区の概要について触れておく。  ,桑園聨合公区は、十七年二月一日現在世帯人口調査によると、二八公区、一五六班、二九〇一世帯で、当時一六聨合区中第三位,表-46 桑園聯合公区第16公区活動状況(昭和18年1月~12月)   1月 2 3 4 5
新札幌市史 第4巻 通史4 (地域振興と住民組織)

時期に創設された住民組織の中では、地区の公共施設の整備と振興活動を積極的に推進した会として山鼻自治会、桑園自治会,山鼻自治会が施設の整備を要請した山鼻 (山鼻開村50周年記念パレード時の南16条通,大14)  桑園自治会,当初は桑園駅の開設に尽力したようであるが、その後は北大植物園の開放と公園化、小学校の新設、電気軌道の延長,、庁立高等女学校の移転、札沼線の桑園分岐などの問題につき活動を展開していた。
新札幌市史 第4巻 通史4 (延命地蔵と開拓地蔵)

延命地蔵と開拓地蔵 昭和二年八月十日に桑園踏切の北五条西一〇丁目に、延命地蔵尊が建立されて開眼式と併,桑園踏切は魔の踏切と呼ばれ、鉄道開通以来三八〇余人の非業の死を遂げた人々があり、冥福を祈るとともに轢死者
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌乗合自動車株式会社)

十月には運賃七銭で、さらに新規路線として桑園線(桑園停車場予定地まで)と元村線(北8条大学前~東5丁目三角
新札幌市史 第7巻 史料編2 (六 屯田兵村の開設)

九一 桑苗購入の件(明治七年九月五日) 九二 琴似兵村に桑苗移植の件(明治七年九月一三日) 九三 桑園開発,酒田県士族を召募(明治八年四月一二日) 九四 酒田県士族招募増員の件(明治八年四月一三日) 九五 桑園地
新札幌市史 第5巻 通史5上 (都市計画街路の整備)

として、二十四~二十六年度江別街道、二十七~三十年度茨戸街道、二十八~三十二年度月寒街道、二十八年度中島桑園通,茨戸街道街路拡築(31)、大学南通街路拡築(31)、北八条琴似通街路新設(32、33)、同街路新設(34)、中の島桑園通街路拡築
新札幌市史 第2巻 通史2 (桑樹養蚕)

桑樹養蚕 開拓使は札幌市中及び周辺住民の就産策として、野桑保護、桑園開墾、養蚕所、製糸工場設置等を積極的,当面は一兵村一八万本の桑園造成に取組み、琴似では十一年、山鼻は翌十二年にほぼその目標に達し、数の上では,表7のように収繭はいたって少量で労力に見合う収益につながらず、数の上では定着したかに見える桑園も育成を
新札幌市史 第3巻 通史3 (都市の醜景と遊廓の機能)

しかし桑園地区一部住民は、遊廓を桑園地区へ移転すると畑地が住宅地に発展するとして、遊廓の桑園地区への移転
新札幌市史 第4巻 通史4 (祭典区の増加と聯合公区への移行)

その後、昭和四年に桑園の第一六区、四年には第一四区から南八条以南を分離して第一七区が設置となったのである,一七)、山鼻北部(一四)、西部(二)、西創成(六)、豊水(四)、東(七)、本府(一)、中部西(三)、桑園,幌北地区はもと第一一区の五分区を形成していたが、十五年五月に五分区の桑園(第一六区)への移管問題から紛議
新札幌市史 第3巻 通史3 (ルーテル、セブンスデー、救世軍の進出)

日本基督教会も桑園に日曜学校の分校を開設し、これが十二年には桑園幼稚園とともに桑園伝道所を生み出した。
新札幌市史 第4巻 通史4 (電車路線とその延長)

終点 複線延長 単線延長 昭4.10.20 豊平線延長 平岸街道 豊平駅 21鎖  4.10.24 桑園線,北5 西15 桑園駅前 33.5鎖  4.11.10 西20丁目線 北5 西19 大通西19 39.2
新札幌市史 第2巻 通史2 (亜麻等特約農家)

苗穂・丘珠各村および兵村の亜麻栽培が多い一方、養蚕を其幹産業としていた山鼻村等屯田兵村や養蚕の発祥地桑園, 札幌区・村内亜麻・大麻特約反別数(明治29年) 地域 亜麻 大麻 札幌区 90町16 16町70 桑園
新札幌市史 第5巻 通史5上 (小売市場の乱立)

写真-5 八条市場(北8西1)  一方公設市場の薄野小売市場、桑園小売市場、鉄北小売市場は、三十年,がうち出され、三十二年十月一日には薄野小売市場が、十二月二十三日には鉄北小売市場が、三十四年十月には桑園小売市場
新札幌市史 第2巻 通史2 (興産社農場と藍作)

さらに二十二年八月に札幌桑園内に藍製造場を新設し(九月に本社を桑園の北四条西一四丁目に移し篠路を支社に
新札幌市史 第5巻 通史5下 (札幌の駅整備)

札幌の駅整備 昭和四十七年当時に札幌市内の鉄道駅は、函館本線には、手稲、琴似、桑園、札幌、苗穂、白石,琴似駅や桑園駅のように鉄道の高架化に合わせて新駅舎とし、駅周辺の整備も合わせて行ったところなどがある(
新札幌市史 第4巻 通史4 (目的と組織)

丁目 高桑達雄 14 76 1,740 中部西 南2条西13丁目 笹沼孝蔵 14 74 1,740 桑園,聯区内の変更はたびたび行われ、十六年九月中部西聯区の第一公区を分割し第一六公区を設け、十七年十月桑園聯区,同年十二月山鼻南部聯区のうち第一〇と第一八公区の地域変更、十八年五月藻岩聯区内全公区の地域再指定、十九年二月桑園,・中央両聯区の地域変更と桑園・中央・円山・鉄北東部・幌北・西創成聯区内の公区変更、同年三月にその修正、
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌都市計画街路)

琴似村大字琴似村 25m 1 3 15 西15丁目通 南1条西15丁目 大学石山通終点 25m 1 3 16 桑園通,琴似山手通屈曲点 20m 2 1 4 琴似山手通 札幌神社前 都市計画区域界 20m 2 1 5 桑園琴似通,円山通との交叉点 街路番号 街路名称 起点 終点 幅員 等級 類別 番号 2 1 14 桑園駅東通,北海中学校前 18m 2 1 23 東札幌駅裏通 白石村大字上白石村 平岸通市郡界 20m 2 1 24 白石桑園通
新札幌市史 第1巻 通史1 (古豊平川にまつわる泥炭地)

北区北二三条西五丁目から東区北四九条東一〇丁目を結ぶ線を中心とした幅〇・八~一キロメートルの範囲、③中央区桑園駅西側付近
新札幌市史 第4巻 通史4 (【主要参考文献・史料】)

北海道青年協会編『北海道青年団名簿』、笹森秀雄「ある町内会の一年」『町内会今昔』(さっぽろ文庫70)、『札幌市桑園聯合公区第一六公区記録簿,』(文資)、『桑園聯合公区第一〇公区第一〇班日誌』(文資)、札幌女性史研究会編『北の女性史』、林恒子「
新札幌市史 第5巻 通史5下 (山車行列と露店)

山車の数は四十九年に第一六桑園祭典区の桃太郎が再び出展され六台となり、同年二月には札幌山車保存会も結成,年 神武天皇 6 第8豊平 大正1年 加藤清正 7 第9東北 明治43年改修銘 猿田彦命 8 第16桑園
新札幌市史 第2巻 通史2 (民営牧場)

このほか二十四年には、宇都宮仙太郎による宇都宮牧場が北一条西一五丁目の桑園内に創業し、牛乳販売を手がけている
新札幌市史 第4巻 通史4 (婦人班活動)

八月二十八日には、桑園倶楽部で公区長婦人班長の会合が、また同月三十一日にも「婦人班役員会開催、飛行機献金募集
新札幌市史 第4巻 通史4 (戦時体制と幼稚園)

私立桑園幼稚園では二十年八月に海軍から園舎借上の依頼があったが、実行はされなかった。
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌都市計画地域)

果樹、園芸ニ適シ、高燥閑静ニシテ、土地ハ主トシテ住宅ノ用ニ供セラルルノ現状ニ在リ、又之ニ続ク市ノ西部桑園方面及北部,即チ桑園停車場附近一団ノ地ハ、将来ノ発展ヲ予想シ、之ヲ商業地域トナスヲ適当トスヘク。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (大谷地流通業務団地の整備)

すなわち室蘭・小樽から陸揚げされた物資を国道三六号、札樽バイパスを使って運び、国鉄の貨物駅を設置して苗穂、桑園
新札幌市史 第5巻 通史5上 (札幌駅などの改築)

札幌駅を旅客専用駅とすることにともない貨物取扱施設を桑園駅、苗穂駅、東札幌駅に移した(道新 昭31・3
新札幌市史 第2巻 通史2 (農業の指導・奨励)

また道庁が養蚕教師を嘱託して行った指導としては、「蚕業視察」、「桑園手入法示教」などがあげられる。
新札幌市史 第4巻 通史4 (藻岩村・円山町)

建築費は桑園にあった円山部落共有地三六町八反歩が、十一年に村に寄付されたのを受けて売却した益金が充当されたものである
新札幌市史 第5巻 通史5下 (札幌市立大学の設置へ)

定員はそれぞれの学部で一〇〇人と八〇人を予定し、キャンパスは高専と高看がある南区芸術の森と中央区の桑園
新札幌市史 第5巻 通史5上 (立正佼成会)

(上砂川)の三法座で構成されていたが、三十六年四月一日に七法座のうち市内は第一(鉄北・花畔)、第二(桑園
新札幌市史 第4巻 通史4 (上水道敷設計画)

途中豊平、苗穂及び桑園の各本線を分岐し、なお大小の支線はほとんど各条丁において本管から分かれて全市に給水
新札幌市史 第2巻 通史2 ((6)札幌紡織場(製糸部))

なお製糸業については二十三年五月、小林和三郎が信州から進出し、桑園の地北三条西一三丁目に座繰による小林絹糸製糸所
新札幌市史 第4巻 通史4 (実現しなかった軌道計画)

まず大正十四年九月、定山渓鉄軌株式会社から定鉄真駒内駅~省線桑園駅間の軌道敷設が申請された。
新札幌市史 第4巻 通史4 (児童美術展覧会)

成績が良く、小学校別に記すと、札幌山鼻校三三点、東橋校五点、北九条校六五点、東北校一六点、東校三二点、桑園校二三点
新札幌市史 第4巻 通史4 (公設市場)

(大11・6 南6西4)、第三公設市場(大12・4 南7西8)、豊平公設市場(大13・4 豊平町)、桑園公設市場
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌村)

大正十二年一月二十三日に札沼線札幌村協賛会も発足して誘致につとめられたが、札沼線が苗穂ではなく桑園を分岐
新札幌市史 第5巻 通史5上 (工業地帯の条件)

このころは札幌の貨物取扱駅のうち桑園、苗穂、東札幌が三大拠点であった。,           (単位:トン) 工場 原材料の搬入 製品の搬出 鉄道 トラック 合計 鉄道 トラック 合計 桑園,苗穂 東札幌 小計 桑園 苗穂 東札幌 小計 雪印食品工業 7,186 7,186 245.6
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