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新札幌市史 第2巻 通史2
(地方行政機関の再編)
廃してその三郡と、胆振国の勇払外二郡郡役所管下の千歳郡を合わせて札幌外四郡郡役所(札幌・石狩・厚田・
浜益
,空知外四郡郡役所(空知・夕張・樺戸・雨竜・上川五郡)を設けた結果、札幌外四郡郡役所(札幌・石狩・厚田・
浜益
,札幌支庁の設置位置は札幌区大通西三丁目で、その管轄区域は札幌区・札幌郡・石狩郡・厚田郡・
浜益
郡・千歳郡
新札幌市史 第2巻 通史2
(組頭坂野元右衛門)
そして今度は庄内藩の
浜益
村開墾にともない再び来道し、一〇戸二四人の百姓総代をつとめた。,十文字大主典も、「組頭元右衛門ハ往年
浜益
辺ニ罷在、土地時候蒔仕付ケ之比合(ころあい)相心得居候」(市史
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌郡区役所の改編)
ここで札幌区役所は札幌市街と札幌郡一円を管し、石狩に設置の郡役所は石狩・厚田・
浜益
・樺戸・空知・夕張・,ましいこと、第三に石狩外七郡郡役所はその管轄が広大なるのみならず、従来より海産をもって成り立つ石狩・厚田・
浜益
,以上の観点から札幌県令は、札幌区役所の所管は札幌市街に限定する、既設の石狩の郡役所の所管は石狩・厚田・
浜益
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使の移民募集)
移民ノ内過半ハ元
浜益
庄内領ノ頃、同藩ニテ移住為致数年彼地ニ在留致シ居、専ラ開墾勉励イタシ候モノニテ、地勢,イタシ候者有之由承込候 これによると大泉藩領内には、かつて庄内(鶴岡)藩が蝦夷地の警衛をした際に、
浜益
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 地租創定事業)
西創成町 東創成町 浦川通 様似通 静内通 幌泉通 北後志通
浜益
通
新札幌市史 第3巻 通史3
(税務等の機関)
一六の税務署を置いたのは三十年四月で、その一つとして札幌税務署ができ、札幌区のほか札幌、石狩、厚田、
浜益
,その札幌出張所は中央区北二条西一丁目にあって、定山渓、簾舞、真駒内、厚田、
浜益
、漁、千歳、苫小牧、樽舞
新札幌市史 第2巻 通史2
(養蚕施設と桑園)
八年には
浜益
通(北一条西九丁目辺)に群馬県島村の模範的養蚕室の様式を採った蚕室を建て、移民の男女、屯田兵家族等五,十年中、
浜益
通・札幌養蚕室の西北三〇九〇坪余を野蚕試験場とし、槲(かしわ)など数千株を移植し、また播種,十年五月、
浜益
通に桑苗試験園を設け各種の桑苗を植え、また肥料や生育の試験を行った。
新札幌市史 第2巻 通史2
(第一小学校の設置)
第一小学校の設置 明治九年になると、雨竜小学校生徒はほぼ二〇〇人に達し、施設が狭隘となったので、開拓使は
浜益
通
新札幌市史 第2巻 通史2
(西地諸郡からの物資調達)
また厚田郡の浜屋は島判官の命令で十二月一日から、米ではないが筵や秤を札幌へ送り込んでいる(
浜益
厚田往復留,また三年二月になって石井少主典が「諸場所々御備品サツホロ本府エ廻し方その外御用として」
浜益
郡へ赴任した,また「午正月より同三月迄之間、厚田并勇払より之廻米、運送人足百拾三人」や「
浜益
より御米運送等之為、石狩,エ差廻置候人足賃」等の記述から、厚田・勇払・
浜益
からも米を運送したことがわかる。
新札幌市史 第4巻 通史4
(諸町村の連絡道路)
虻田郡倶知安町 札幌郡平岸村字定山渓,虻田郡喜茂別村 2 札幌留萌線 札幌区 留萌郡留萌町 石狩郡石狩町,
浜益
郡
浜益
村
新札幌市史 第2巻 通史2
(市内の戸口)
第一区は後志通以北の創成町、空知通、樺戸通、石狩通、札幌通、厚田通、
浜益
通、上川通、夕張通、雨竜通(大通以北
新札幌市史 第2巻 通史2
(乳牛の増加と搾乳業)
搾乳量も札幌警察署管内(札幌区、札幌郡のほか石狩、
浜益
、厚田三郡と千歳郡を含む)の場合ではあるが三十一年六月一
新札幌市史 第2巻 通史2
(区役所)
ねるにとどまらず、夕張・空知・樺戸・雨竜・上川の六郡を一括して所管し、のち改正して千歳・樺戸・石狩・厚田・
浜益
,広まったが、三十年支庁制にともない郡長は廃され、札幌支庁長が札幌区、札幌郡、千歳郡、石狩郡、厚田郡、
浜益
郡
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵部省支配の変転)
なお上記三郡の兵部省支配の外に、九月五日付をもって太政官は、石狩国の内の
浜益
郡・厚田郡(忍路コッ)・札幌郡,どのような手違いで上記支配の指令を太政官は発したのか詳細不明であるが、後述する、島の
浜益
・厚田二郡と高島
新札幌市史 第2巻 通史2
(人足などの札幌への送り込み)
そこで、その見返りとして島判官は、
浜益
・厚田・忍路の出稼ぎ人を人足として本府建築に抱えこんだと考えられる
新札幌市史 第2巻 通史2
(本府としての整備)
後志通 史生邸 2 6. 8 後志通 西洋造町屋 5 6. 8
浜益
通,大主典邸 4 6. 8
浜益
通 少主典邸 4 6. 8 西創成通
新札幌市史 第2巻 通史2
(本府の建設の開始)
また三年一月になると場所請負人の廃止や鮭漁の終了と共に、厚田
浜益
など諸郡から人足として場所の出稼人が雇
新札幌市史 第4巻 通史4
(警察署の設置)
が整備されると、札幌支庁と警察署管轄地域の一体化がはかられ、明治後期は札幌警察署の管轄に石狩、厚田、
浜益
新札幌市史 第5巻 通史5下
(二一中学区制の施行)
石狩南学区には千歳・恵庭市の高校が、石狩北学区には江別市や石狩・当別町、
浜益
村などが含まれ、広島町の北広島高校
新札幌市史 第1巻 通史1
(英雄詞曲「ユーカラ」を巡って)
、トメサンペチ川が大きく紆曲して流れるほとりのシヌタプカの山城に、(アイヌ自身は、石狩川の川口に近い
浜益
近辺
新札幌市史 第1巻 通史1
(勝右衛門)
鶴岡藩(庄内)がハママシケ(
浜益
)を分領し、国元から赴任途中の松浦千代兵衛が、万延元年三月二十七日箱館
新札幌市史 第2巻 通史2
(物資の輸送と輸送方法の整備)
輸送に関しては島判官の時代は兵部省が石狩・小樽を支配していた関係で、厚田
浜益
や余市忍路から人夫に背負わせて
新札幌市史 第5巻 通史5上
(札幌の戦後開拓)
325 24 74.4 新篠津村 308 259 60 84.1 厚田村 35 34 46 97.1
浜益
村
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌本府経営と兵部省支配)
それは小樽・高島の二郡と
浜益
・厚田の二郡の管轄地所を、兵部・開拓の間で交換することである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(製網所)
製網売捌の許可を受けたものは、厚田一、
浜益
一、石狩一、古宇一、檜山一、岩内二、高島三、小樽四の計一四人
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
諸官省往復留』(道文一四二、一七八)、『諸官省司往復留』(道文一八一)、『歌棄郡引渡書類』(道文一八二)、『
浜益
厚田往復留
新札幌市史 第1巻 通史1
(中期の土器)
石狩低地帯までであるが、日本海沿岸はやや事情がことなり、すこしずつ地域性をおびながら、積丹半島、石狩、
浜益
新札幌市史 第3巻 通史3
(司法機関)
旭川、室蘭に各区裁判所を増設することになり、三十三年札幌区裁判所の管轄区域は、札幌区、札幌郡、
浜益
郡、
新札幌市史 第1巻 通史1
(紛争後のイシカリの首長)
、国縫、長万部、弁辺、礼文、虻田、有珠、室蘭、忍路、塩谷、高島、小樽、札幌、琴似、茨戸、石狩、厚田、
浜益
新札幌市史 第3巻 通史3
(行政機関)
明治三十年北海道庁官制改正により、道庁の出先機関として札幌区、札幌、石狩、厚田、
浜益
、千歳の五郡町村を
新札幌市史 第2巻 通史2
(遊廓地の決定)
国公文) この場合の西部各郡とは、札幌をはじめ小樽、積丹、美国、古平、忍路、厚田、岩内、古宇、寿都、
浜益
新札幌市史 第2巻 通史2
(開墾・営農の推進者たち)
万延元年(一八六〇)と慶応三年(一八六七)にそれぞれ福井藩及び庄内藩の移民取締として来道、茅部郡野田生村と
浜益
郡阿弥陀村
新札幌市史 第5巻 通史5上
(一極集中の背景と中枢管理機能)
に、図を説明すると、札幌市と周辺三市(江別、千歳、恵庭)と石狩郡部(広島、石狩、当別、新篠津、厚田、
浜益
新札幌市史 第2巻 通史2
(農産加工用原料の生産状況)
貸下を受け、製造所を建築して本社とし、札幌区をはじめ札幌郡および空知、石狩、小樽、余市、夕張、千歳、
浜益
各郡
新札幌市史 第5巻 通史5下
(札幌圏における電力需要の増大)
管轄区域は、札幌市・石狩市・江別市・北広島市・恵庭市・千歳市と小樽市の一部、当別町と月形町の一部、厚田村・
浜益
村
新札幌市史 第2巻 通史2
(官宅の払下げ)
前称・通称・俗称など 住所 坪数 付属建物坪数 払下げ 起工 年月 竣工 年月 備考 人名 年
浜益
通第
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌製糸場の開業と工女呼戻し)
伝習工女を各地へ派遣する一方、開拓使では八年四月、札幌
浜益
通(現北一条西八丁目)に札幌養蚕場を新築し、
新札幌市史 第7巻 史料編2
(件名目次)
胆振通 西創成町 東創成町 浦川通 様似通 静内通 幌泉通 北後志通
浜益
通
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