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新札幌市史 第2巻 通史2
(松岡の盛岡・涌谷への派遣)
松岡の盛岡・
涌谷
への派遣 一方松岡使掌は十二月二十日に札幌から函館に到着する。,四日未明盛岡出発、昼夜兼行で六日夜
涌谷
(現宮城県
涌谷
町)に到着した。七日から役所で相談をした。 / 松岡の盛岡・
涌谷
への派遣
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の到着)
入植した月寒村の絵図(新道出来方絵図 北大図) ④の陸前組は陸前国登米県(現宮城県)馬場谷地村(現
涌谷
町,
涌谷
ではすでに三年二月に庚午移民の募集をおこなったことがあった。,帰農は
涌谷
領主亘理(わたり)元太郎が禄を失ったために、家臣が農民になった者である。,この他、農民や職人なども一部含んでいるかもしれないが、
涌谷
の場合、士族の没落が移住に結び付いていたことが
新札幌市史 第1巻 通史1
(仙台藩と十文字龍助)
仙台藩と十文字龍助 十文字龍助は仙台藩の支藩
涌谷
領(わくやりょう)の藩士の三男に生まれ、幕府の学問所,安政四年に蝦夷地を調査した島は、途中
涌谷
で十文字宅に宿泊をしている。
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
龍助は、文化九年(一八一二)仙台藩の支藩
涌谷
領の藩士の三男に生まれ、江戸の昌平黌に学び、多くの儒者たちとも,晩年は故郷
涌谷
で寺子屋の師匠をつとめ、明治十五年コレラで
涌谷
に没している。 ,一方、『
涌谷
町史』下(昭和四十三年刊)に紹介されている「榕園日録」巻之四(涌沢榕園著 同町涌沢はる氏所蔵,示したとおり明治二年より同十五年までの間、すなわち龍助にとっては開拓大主典・札幌滞在中-函館滞在中-
涌谷
,-東京滞在中-
涌谷
の期間のものである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の募集)
では開拓使支配となっていた伊達将一郎の旧臣の選定・除籍につき胆沢県(いざわけん)とかけあい、十六日には
涌谷
,広川は盛岡・
涌谷
にて、「農夫凡百戸程は募移出来可申見込」と報告しており、ここでの移民募集は順調であったようである
新札幌市史 第2巻 通史2
(北地跋渉)
まず九月に岩出山の伊達邦直(英橘)、十月に
涌谷
の亘理胤元(たねもと)(元太郎)が出願し、ともに石狩国札幌
新札幌市史 第2巻 通史2
(小貫と平田の酒田・新潟への派遣)
十一月に小貫雄五郎(直和)権大主典・平田弥十郎少主典を酒田・新潟へ、十二月に松岡宗九郎(修)使掌を盛岡・
涌谷
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
などの札幌への送り込み 東地からの調達 小貫と平田の酒田・新潟への派遣 松岡の盛岡・
涌谷
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