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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (阿倍臣の北征)

能代の蝦夷を服属させ、能代、津軽二郡の郡領を定め、津軽の地に進み、十三湖付近と推定されている有間浜に、渡島蝦夷,これが渡島蝦夷の記録に見える最初で、渡島蝦夷の渡島が北海道と考えられるならば、渡島蝦夷は津軽ばかりでなく,記録では時代が少し下がるが、養老二年(七一八)に出羽と渡島蝦夷八七人が馬千疋(十疋か)を献上して位禄を,授けられた記録があり(続日本紀)、これは当時北海道には馬がいた形跡がないから、出羽に住んでいた渡島蝦夷,いて粛愼国を伐たしむ」とあり、阿倍比羅夫は案内者として陸奥の蝦夷を自らの船に乗せ、大河の畔に至って、渡島蝦夷
新札幌市史 第1巻 通史1 (渡島蝦狄)

渡島蝦狄 八世紀に入ると渡島蝦夷は蝦狄・狄・荒狄などと「狄」を以て表記される。,渡島蝦夷は越の国守阿倍臣の北征以来、越の国の、ついで越の国の分割によって生じた出羽国の管轄下にあったことから
新札幌市史 第1巻 通史1 (安倍・清原氏と渡島蝦狄)

鹿角、比内の二郡、これらは一二世紀になって建郡されたとする)で、そこに住する人が蝦夷身分に固定され、渡島蝦夷,当然この体制の中にあり、出羽国北部の支配が「山北の俘囚主」清原氏を介して行われたものと思われるので、渡島蝦夷
新札幌市史 第1巻 通史1 (エミシと粛愼)

阿倍臣の粛愼国征討があって以来、渡島蝦夷は越の国守の管掌下に属し、その後長年にわたって来貢しているが、,すなわちこの記事では渡島蝦夷と粛愼の間に交流があり、共に来朝して饗応を受けていたのではないかと思われる,アシハセの訓みがあり、靺鞨はアシハセと訓み、粛愼の後裔とされているので、靺鞨が北海道の北辺か樺太かにおり、渡島蝦夷,オホーツク文化人は流鬼=吉里迷=ニヴヒ(ギリヤーク)に近い人々といわれ、ともかく渡島蝦夷はこの北方文化
新札幌市史 第1巻 通史1 (胡国)

海保嶺夫は「安倍頼時が『胡国ノ人』と認識しているのは、渡島蝦夷とは異なった人びとであった可能性を示すもの
新札幌市史 第1巻 通史1 (渡島蝦狄の来貢と貢物)

下賜品は、錦などの繊維品や斧などの鉄製品であったことは前記の持統十年の記事よって知られるが、このように渡島蝦夷
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

の発見   第三編 イシカリ場所の成立 第一章 松前藩成立以前の蝦夷地…343   第一節 渡島蝦夷,    一 蝦夷の南下        五~七世紀の蝦夷の動き 北越に柵戸を配す     二 律令国家と渡島蝦夷
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