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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第5巻 通史5下 (石狩湾新港計画)

石狩湾新港計画 この時期の札幌市工業をみるときに、石狩湾新港の果たした役割を無視するわけにはいかない,に石狩開発株式会社が設立、四十一年九月には石狩湾新港建設促進期成会が創立されるなど石狩湾新港実現にむけて,そして第三期北海道総合開発計画案に石狩湾に新規流通港湾を建設することが盛り込まれ、四十七年四月、北海道庁,は石狩湾新港地域開発基本計画書を作成した(石狩湾新港管理組合 石狩湾新港'82入船記念 昭57,石狩湾新港地域開発基本計画書(石狩湾地域開発事務局 石狩湾新港地域開発基本計画(試案)昭47、石狩湾新港地域開発連絡協議会資料 / 石狩湾新港計画
新札幌市史 第1巻 通史1 (内湾の黒い泥)

内湾の黒い泥 約一万年前を境に再び海の浸入がはじまる。,分布は広く、まさに古石狩湾の存在を語るにふさわしい地層ともいえるのである。,上部の粘土層は非常に軟弱なうえ、硫化水素の臭をともなっており、まさに、古石狩湾の内湾底に、淀みながら堆積,このように、産出する貝化石の生態的なちがいは、古石狩湾の状況を語ってくれるものである。,つまり、当時の古石狩湾は、現在の石狩川の流路に沿って、江別市街地付近まで湾入しており、その付近までは外洋 / 内湾の黒い泥
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌神社と台湾神社)

札幌神社と台湾神社 しかしながら、札幌神社が明治三十二年に官幣大社に昇格する背景には、日清戦争後の最初,の植民地台湾の領有という重要な文脈がある。,台湾総督府が編纂した『台湾ニ於ケル神社』(ガリ版刷、國學院大学蔵)には、以下の記述がある。,その中でも、台湾総督児玉源太郎が「台湾神社社格及社号之儀ニ付禀申」(明33・7・14)でいうごとく、台湾神社, 台湾神社誌、高木博志 官幣大社札幌神社と「拓殖」の神学)。 / 札幌神社と台湾神社
新札幌市史 第1巻 通史1 (石狩湾の海底泥炭)

石狩湾の海底泥炭 昭和四十八年(一九七三)、東海大学札幌校舎の石井次郎教授は海洋実習の際、石狩湾の海底,この海域は石狩湾でも大陸棚の幅がもっとも広く、距岸距離五五キロメートル、外縁水深一六五メートルである。,図-15 石狩湾の海底地形と試料採取地点 (海上保安庁水路部発行 海図NO.6323)  St.3 / 石狩湾の海底泥炭
新札幌市史 第1巻 通史1 (古石狩湾期(一万年~七〇〇〇年前))

古石狩湾期(一万年~七〇〇〇年前) 石狩海岸平野の晩氷期(一万四〇〇〇~一万五〇〇〇年前)以降の堆積物,まず古石狩湾期のようすである。,古石狩湾が形成されたのである。,このような泥が堆積する内湾環境を復元するのには、現在の石狩湾のどこかに、何らかのバリヤーを想定したいのであるが,かれらが残した貝殻文土器の紋様に使用された貝殻は、七〇〇〇~八〇〇〇年前の古石狩湾から採取したものであろう / 古石狩湾期(一万年~七〇〇〇年前)
新札幌市史 第5巻 通史5下 (石狩湾新港地区への工場立地)

石狩湾新港地区への工場立地 石狩湾新港は、当初昭和六十年完成をめざしていた。,六十年に発表された札幌商工会議所のレポートによると、石狩湾新港は昭和六十年時点の貨物取扱量を約一〇〇〇,札商レポートは、石狩湾新港の活性化策としてソビエト連邦のバム鉄道(第二シベリア鉄道)開通をにらみ、その,けられないので、日本海側および関西地区に着目し取引を活発にすることを提唱している(札幌商工会議所 石狩湾新港,日本海側港湾の振興策として、大陸との流通や関西との取引拡大は戦前以来繰り返し提唱されたことであるが、実現 / 石狩湾新港地区への工場立地
新札幌市史 第1巻 通史1 (紅葉山砂礫州の形成期(七〇〇〇年~五〇〇〇年前))

紅葉山砂礫州の形成期(七〇〇〇年~五〇〇〇年前) 約七〇〇〇年前ころになると古石狩湾内に、微妙な変化,それは、湾内の静かな海況が外洋と直接するような状態になったことである。,この変化は、おそらく、湾口付近にあった砂州状のバリヤーが、海水面の上昇にともなって破壊され、湾内に外洋水,そして、約六〇〇〇年前には、この砂礫州は古石狩湾を二分する海の中道として海面上に姿を現すことになる。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (大規模工場の市外移転)

なお、移転先は石狩湾新港、恵庭、広島がそれぞれ三工場で主たる移転先となっていた。,早来町 道新 昭60.9.5 木材・木製品 伊藤組木材 中、北3東8 石狩湾新港,道新 平3.7.18 紙・パルプ トーモク札幌工場 西、手稲稲穂 石狩湾新港,西、手稲西野 広島町大曲 『総覧』平3 土田工機 東、北20東1 石狩湾新港,工業という分野からみるならば、石狩湾新港や恵庭、北広島、江別などを含んだ札幌圏という視点がますます重要
新札幌市史 第1巻 通史1 (前田砂層)

前田砂層 上部西浜層が堆積した古石狩湾も七〇〇〇年前ころになると、その海域に変化が現れる。,また、上部西浜層が堆積した古石狩湾は静かな内湾であったが、前田砂層の堆積状況は、外洋に開かれた海の沿岸相,このような事実から、七〇〇〇年前ころには、それ以前の内湾的環境が崩壊し、外海的環境となり、海岸線は古石狩湾
新札幌市史 第1巻 通史1 (音江別川期)

なかでも、現在では陸奥湾が北限で、太平洋沿岸海域のみにしか生息していないイボキサゴの産出は注目される。,このような事実を総合すると、音江別川期の温かい海は、太平洋側に広く湾口を開いた大きな内湾となっており、
新札幌市史 第3巻 通史3 (第二五聯隊の出動)

その後聯隊では、奉天、阿司牛付近、達子堡、盆台、転湾橋、小集屯、金字屯、小塔子、獅子谷などを転戦した。,    五四       3・ 6  劉家窩棚    二七   一九四       3・ 8  転湾橋
新札幌市史 第2巻 通史2 (市況不振)

さらに六月琉球島民が台湾で殺害された事件で出兵の議が起こった。,黒田清隆は台湾事件の問罪費として一〇万円を還納した。
新札幌市史 第1巻 通史1 (石狩海岸砂丘)

石狩海岸砂丘 石狩湾を望む平野の前縁部をなし、小樽市銭函海岸から東北に向かって約二〇キロメートル、石狩川河口
新札幌市史 第5巻 通史5下 (「国際会議観光都市」の認定)

またアメリカ、オーストラリア、オランダ等を結ぶ航空路線が開設されるとともに、韓国、香港、中国、台湾等アジア,りだし(道新 平8・2・21)、道と北海道観光連盟等も「北海道観光プロモーション協議会」を発足させ、台湾、,東南アジアでは雪の降る北海道への関心が高まったが、とりわけ台湾での北海道人気は根強く、十一年八月には道内,の月刊旅行誌を発行するリクルート北海道じゃらんが現地出版社と提携して、台湾で北海道のガイドブックを発行,札幌市に宿泊した外国人観光客は十年度は前年に比べて七割増となり(表28)、国や地域別では台湾客が全体の
新札幌市史 第4巻 通史4 (太平洋戦争)

これを受けて東条内閣は十二月一日アメリカとの開戦を正式に決定、十二月八日日本海軍はハワイ真珠湾を奇襲、,十八年三月、同年十一月、二十年二月と相次いで兵役法を改正し、ひたすら兵員補充にあたり、学徒動貝、朝鮮台湾からも,開戦のとき、ハワイ真珠湾を奇襲した海軍艦隊は、千島列島択捉島の単冠湾を基地として出航し、その結果はいわゆる
新札幌市史 第5巻 通史5下 (新札幌市工業基本計画)

アンケート結果は、回答した七三四工場のうち「市外希望せず」が五九・一パーセントと過半をしめ、とりわけ石狩湾新港,すなわち札幌圏および札幌市への人口集中を踏まえ、「北海道開発の核になると考えられてきた苫小牧東部、石狩湾新港後背地
新札幌市史 第1巻 通史1 (花畔砂堤列地帯)

現在では、石狩湾新港地域開発計画が進められており昔日の面影は失われているが、この地帯の地表面は一〇〇列
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇S一五三遺跡(白石区厚別東三条二丁目))

西から東に湾入する小支谷を取りまく状態で遺跡が存在する。この谷には、良好な湧水が見られた。  
新札幌市史 第8巻1 統計編 (【人口】)

) 第47表 外国人人口(札幌市) 第48表 アイヌ民族人口(市町村別) 第49表 朝鮮人,台湾人,,樺太人人口(札幌区・市,石狩支庁) 第50表 日本人,朝鮮人,台湾人年齢別人口(札幌市,石狩支庁,
新札幌市史 第4巻 通史4 (都市計画法施行の申請)

小樽市の例を参考にすると、小樽市は区制時代の大正九年十一月、港湾を組織的に完成し、「都市将来の企画を定,むる目的を以」て小樽港湾及び都市調査委員会を設置、その筋(道庁)に稟請して、臨時調査委員規則を設け、区会決議
新札幌市史 第5巻 通史5下 (【主要参考文献・史料】)

札幌市工業の実態(札幌市工場実態調査結果報告)(札幌市製造業実態(経営者の意識)調査結果報告)』昭54、石狩湾新港管理組合,『石狩湾新港'82入船記念』昭57、札幌商工会議所『石狩湾新港の促進に関する調査報告書』昭60
新札幌市史 第2巻 通史2 (運河跡の破壊)

しかし現在工事進行中の道央地区のバイパス環状線になる国道三三七号の改修工事と、石狩湾新港と小樽を結ぶ道道
新札幌市史 第1巻 通史1 (前期の土器)

噴火湾沿岸から道央部、道東部にかけては、道南西部の縄文尖底土器のバリエーションである静内町中野遺跡を標式,円筒下層式の初期の段階の土器群が渡島半島の南部に出現し、その後次第に北上して、円筒下層式の後半には噴火湾(
新札幌市史 第5巻 通史5上 (高度成長期の地方財政)

そのためには、第一に、計画的に公共投資を配分し、道路、港湾、都市基盤などの社会資本を充実させること、第二,ところで、これらの重点施策のうち、道路・橋梁、港湾事業を中心とする産業基盤の整備、すなわち公共事業への
新札幌市史 第3巻 通史3 (【主要参考文献・史料】)

第二二・二四号、『神社明細帳』(国立史料館)、『北海道神宮史』上巻、小笠原省三編『北海道拓殖と神社』、台湾総督府,『台湾ニ於ケル神社』、白野夏雲「昇格願」(北海道神宮)、台湾神社社務所『台湾神社誌』、高木博志「官幣大社札幌神社
新札幌市史 第2巻 通史2 (殖民政策の転換)

ついで「将来施設スベキ事業」では、(1)地理の測量、(2)殖民地の選定、(3)産鉱地の測量、(4)港湾修築,これらの事業をみると、一つには、測量・殖民地選定・港湾・道路に駅伝等、拓殖興産の基礎・基盤にかかわる事業,室蘭郡塵別新道開削・雁来対雁両村間道路改築・定山渓道路開削・琴似村道路開削・亀田川堀割・札幌近傍排水・釧路湾測量,その具体的事業に、(1)地形測量、(2)殖民地選定測量、(3)鉄道、(4)港湾、(5)電信灯台、(6)
新札幌市史 第1巻 通史1 (音江別川層の動・植物化石群)

それらは巻貝二一種、二枚貝三四種、腕足類二種の計五七種で、内湾性の暖流系貝化石群集として特徴づけられるものである,とくに、現在では陸奥湾が北限で、しかも、太平洋沿岸海域のみにしか生息せず、化石としての産出記録も同じく
新札幌市史 第2巻 通史2 (ワーフィールドの札幌本府検証)

また札幌の西方陸路三〇英里に位置する小樽湾については、湾内は狭少であるが水深あり海底も良好で、巨大な船舶
新札幌市史 第2巻 通史2 (旧幕府軍の征討)

それは旧幕府勢力の残党が結集し、明治元年(九月八日に改元)十月二十日噴火湾の鷲ノ木に上陸して箱館に向かった
新札幌市史 第1巻 通史1 (後期)

な時期(最寒冷期)とされているが、この時期には海水面は、現在より一〇〇メートルも低かったことが、石狩湾海底,そして、札幌市北部から石狩湾にかけての海岸平野は、すでに述べたような谷や段丘、広大な台地が広がる起伏に
新札幌市史 第3巻 通史3 (新社殿の造営)

この間の主張の一つとして、南の植民地神社としての官幣大社台湾神社が、三五万六〇〇〇余円の予算で建設されたのに,これと南北相対する札幌神社がますます神威を宣揚する」ためとの阿久津真澄宮司の議論が興味深い(横森久美 台湾における
新札幌市史 第5巻 通史5上 (産業振興委員会)

審議・調査された事項は、商業部会が自由競争助成、自由市場の設置、商業地帯の設置、港湾の必要性、商業実態調査,誘致、家内工業の助成、工業実態調査、農林業部会が隣接町村の農地(山林)実態調査、都市区域の拡張調査、港湾施設
新札幌市史 第3巻 通史3 (新聞小説)

42.5.23~7.26 64 43 袖の香 黒頭巾 42.7.27~12.9 129 44 妻と富 新田靜灣 ,100 52 濱千鳥 橋本埋木庵 44.12.4~45.5.25 160 53 愛と財 新田靜灣,このほかのマイナーな作家としては、稲岡奴之助(明治六年京都生、村上浪六門下)、新田靜灣(明治十一年生)
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌市の地質学的位置)

札幌市の地質学的位置 北海道の地図をみると、日本海側の石狩湾から太平洋岸の苫小牧に至る、ほぼ南北に広
新札幌市史 第5巻 通史5上 (昭和三十年代の隆盛)

これらとは別格に全国の詩人に誌面を提供したのが三十一年一月創刊の和田徹三個人誌『湾』である。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (アートヴィレッジの造成)

同社はまた、イギリス、ドイツ、台湾、香港、フランスと積極的に海外事業を展開し、平成十二年十二月道内企業
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌の中期遺跡とTピット)

このうち、住居跡群は、東部の野幌丘陵と月寒丘陵、石狩湾に近い紅葉山砂丘などに集中している。
新札幌市史 第1巻 通史1 (加曽利様式圏の拡大)

これは、気候の冷涼化にともなう冷温多湿な降雨現象により、東京湾の下総台地の溺れ谷が埋められ、ハマグリ、
新札幌市史 第2巻 通史2 (新川の開削)

この排水工事は、それらの河川を新川一本にまとめて石狩湾へ流し、原野の乾燥化を促した。
新札幌市史 第1巻 通史1 (【主要参考文献・史料】)

一二巻、北海道火山灰命名委員会編『石狩低地帯における火山灰を中心とする表層地質』、五十嵐八枝子「石狩湾岸地域,14C年代(86)」『地球科学』二七巻、石井次郎・五十嵐八枝子・佐々木清一・三野紀雄・松本勝時「石狩湾大陸棚
新札幌市史 第4巻 通史4 (石狩工業港構想)

福岡市役所商工課が、日本海側諸港湾を調査した資料に「石狩港修築並工業地帯造成計画」がある。,曹達灰、苛性曹達、人造繊維、造船、造機、紡績、硝子、煉瓦などがあげられている(福岡市役所商工課 内地諸港湾実地調査報告書
新札幌市史 第1巻 通史1 (紅葉山砂礫相)

そして、古石狩湾は外海と内海(潟湖)とに二分されたのである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (調査の目的)

乗っていたクルーゼンシュテルン艦長の率いるナデジダ号は、測量しながら蝦夷地沿岸を航行、ことにイシカリ湾内
新札幌市史 第1巻 通史1 (最終亜氷期の石狩海岸平野)

石狩湾新港建設に関連する地下水調査のため、海岸に沿って四本のボーリングがなされた。,しかし、その谷は、当然、現石狩湾の沖合まで延びていたのである。
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌本道の建設)

これにより函館札幌間の連絡路は、一部内浦湾の森室蘭間の水運を除き、陸路で確保された。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (雪まつり)

海外からの観光客も五十一年に香港からの観光団が来たが、これ以降、中国、台湾、韓国などから多数みえるようになり
新札幌市史 第1巻 通史1 (地殻運動期)

結果的に野幌丘陵域は、そこに堆積した裏の沢層や下野幌層が湾曲されながら上昇し、丘陵形成へ向けて動きだしたのである
新札幌市史 第1巻 通史1 (前期の土器)

縄文時代前期の後半期に至ると、北海道南西部(主に渡島半島部)・噴火湾沿岸では、東北地方をも含めた円筒土器
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ入津の廻船)

又船に積むも風の為め行く能はずして、石狩川の内、又は小樽湾にて船の儘、囲ふことも稀にありたり。
新札幌市史 第1巻 通史1 (沖の口体制)

写真-7 イシカリ湾(安政4年 佐波銀次郎著 北遊随草の内)
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