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新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
東区今昔 大友堀』、十文字龍助『蝦夷地開拓意見書草稿』(道文)、『校注簡約松浦武四郎自伝』、松浦武四郎『
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(武四郎の調査行)
武四郎は安政四年(一八五七)に、「追々山道切開、土地御開墾の一助」(
燼心餘赤
)を目的とし、シイシリベツ,士別市)──ホロナイ(雄武町)まで、蝦夷地を縦断する新道につき、探索の結果を箱館奉行に報告している(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(松浦武四郎の建言)
松浦武四郎の建言 与七郎がスッツから戻る折、武四郎は両人へ書状を送っている(
燼心餘赤
)。
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌』、同『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』、『近世蝦夷人物誌』(日本庶民生活史料集成 第四巻)、同『
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ場所の新道)
(一)は安政三年三月松浦武四郎の献言(
燼心餘赤
)にもあるように、もともと「浜通り道宜敷」ところであった,右を川儘上り候山道仕候はば、余程便利に相成申候」(
燼心餘赤
)と述べている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(松浦武四郎の調査)
ただし、『
燼心餘赤
』では、「シリベツ川筋石狩水源行の儀願書」を、四月二十二日に組頭三田喜六に提出している
新札幌市史 第1巻 通史1
(定山の経歴)
武四郎は定山のことを、次のように記している(
燼心餘赤
)。 此拝殿に参り見候処僧壱人住居仕候。
新札幌市史 第1巻 通史1
(武四郎とイシカリ改革)
武四郎とイシカリ改革 武四郎は「石狩場所人別帳に添て上る書」(
燼心餘赤
)にて、イシカリ場所は運上金年一
新札幌市史 第1巻 通史1
(犬塚与七郎)
与七郎の帰国は、武四郎には「出府の由」(
燼心餘赤
)、堀利熙などには「宿元ニ病人抔(など)有之由」と、虚偽
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】 松浦武四郎『簡約松浦武四郎自伝』(松浦武四郎研究会編)、同「
燼心餘赤
」(吉田武三編
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
幕末外国関係文書』、「村垣淡路守公務日記」『幕末外国関係文書』付録、松浦武四郎『簡約松浦武四郎自伝』、同「
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(エンカルシベの山霊)
それによると、サッポロのエンカルシベ山(現在の藻岩山)が最も適地なことを、以下のように述べている(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ入津の廻船)
蝦夷地を幕府が再び直轄し、江戸との結びつきを強める必要にせまられ、また「鱒鮭は、江戸新潟尤利有」(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(アイヌ酷使と私曲)
ところが一年たってみるとイシカリで「開墾開坑等申事は、箱館にては不流行」(
燼心餘赤
)という噂が流れ、西蝦夷各地
新札幌市史 第1巻 通史1
(温泉の「発見」)
『
燼心餘赤
』の先の報告には、「昨年(安政四年)の春アブタより山越の節、私共始見附申候」とあるが、安政四年度
新札幌市史 第1巻 通史1
(松浦武四郎の総括)
場所のアイヌの実態を総括したとみてよいのが、松浦武四郎から村垣範正に提出された、「淡路守殿へ奉る書」(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(温泉の利用と新道)
武四郎もこのことをつぎのように指摘している(
燼心餘赤
)。
新札幌市史 第1巻 通史1
(通行屋の建設)
武四郎は、この年(安政五)九月十日の「札幌越新道申上書」(
燼心餘赤
)において、舟守に関し、「尤此処土人是迄居付
新札幌市史 第1巻 通史1
(徳川斉昭の内願)
させるかもしれないという噂が広まると、蝦夷地調査熱はとみに高まり、安政四年五月には「諸侯既に十有余藩、豪商既に十余軒」(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(生活の困難と在住の立場)
豆腐一丁一五文が四〇文となり、塩鱒一本一二~一三文だったのが一〇〇文にまでなった(松浦武四郎
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(役人の増員)
先、六月十六日にカラフトの漁業開発について建言しており、その中で自ら北地(カラフト)詰を願っていた(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(改革まで)
石狩場所人別帳に添て上る書」をそれぞれ奉行に差し出し「御直捌被仰付候はゞ、土地も早々相開け土人も増殖仕候」(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(場所運営の手抜き)
「万事朝夕の事は不自由相懸、困らせ候様の仕向のみを致し居候」(
燼心餘赤
)という非難が阿部屋に集中的にあびせられようとしたことに
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以前))
御用留」(北大蔵) 156 十文字好古と草創期の札幌(谷澤尚一『札幌の歴史』第7号) 157
燼心餘赤
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