機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 24件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
東区今昔 大友堀』、十文字龍助『蝦夷地開拓意見書草稿』(道文)、『校注簡約松浦武四郎自伝』、松浦武四郎『
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(武四郎の調査行)
武四郎は安政四年(一八五七)に、「追々山道切開、土地御開墾の一助」(
燼心餘赤
)を目的とし、シイシリベツ,士別市)──ホロナイ(雄武町)まで、蝦夷地を縦断する新道につき、探索の結果を箱館奉行に報告している(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(松浦武四郎の建言)
松浦武四郎の建言 与七郎がスッツから戻る折、武四郎は両人へ書状を送っている(
燼心餘赤
)。
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌』、同『戊午東西蝦夷山川地理取調日誌』、『近世蝦夷人物誌』(日本庶民生活史料集成 第四巻)、同『
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ場所の新道)
(一)は安政三年三月松浦武四郎の献言(
燼心餘赤
)にもあるように、もともと「浜通り道宜敷」ところであった,右を川儘上り候山道仕候はば、余程便利に相成申候」(
燼心餘赤
)と述べている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(松浦武四郎の調査)
ただし、『
燼心餘赤
』では、「シリベツ川筋石狩水源行の儀願書」を、四月二十二日に組頭三田喜六に提出している
新札幌市史 第1巻 通史1
(定山の経歴)
武四郎は定山のことを、次のように記している(
燼心餘赤
)。 此拝殿に参り見候処僧壱人住居仕候。
新札幌市史 第1巻 通史1
(武四郎とイシカリ改革)
武四郎とイシカリ改革 武四郎は「石狩場所人別帳に添て上る書」(
燼心餘赤
)にて、イシカリ場所は運上金年一
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
幕末外国関係文書』、「村垣淡路守公務日記」『幕末外国関係文書』付録、松浦武四郎『簡約松浦武四郎自伝』、同「
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(犬塚与七郎)
与七郎の帰国は、武四郎には「出府の由」(
燼心餘赤
)、堀利熙などには「宿元ニ病人抔(など)有之由」と、虚偽
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】 松浦武四郎『簡約松浦武四郎自伝』(松浦武四郎研究会編)、同「
燼心餘赤
」(吉田武三編
新札幌市史 第1巻 通史1
(エンカルシベの山霊)
それによると、サッポロのエンカルシベ山(現在の藻岩山)が最も適地なことを、以下のように述べている(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(温泉の「発見」)
『
燼心餘赤
』の先の報告には、「昨年(安政四年)の春アブタより山越の節、私共始見附申候」とあるが、安政四年度
新札幌市史 第1巻 通史1
(アイヌ酷使と私曲)
ところが一年たってみるとイシカリで「開墾開坑等申事は、箱館にては不流行」(
燼心餘赤
)という噂が流れ、西蝦夷各地
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ入津の廻船)
蝦夷地を幕府が再び直轄し、江戸との結びつきを強める必要にせまられ、また「鱒鮭は、江戸新潟尤利有」(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(松浦武四郎の総括)
場所のアイヌの実態を総括したとみてよいのが、松浦武四郎から村垣範正に提出された、「淡路守殿へ奉る書」(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(温泉の利用と新道)
武四郎もこのことをつぎのように指摘している(
燼心餘赤
)。
新札幌市史 第1巻 通史1
(通行屋の建設)
武四郎は、この年(安政五)九月十日の「札幌越新道申上書」(
燼心餘赤
)において、舟守に関し、「尤此処土人是迄居付
新札幌市史 第1巻 通史1
(徳川斉昭の内願)
させるかもしれないという噂が広まると、蝦夷地調査熱はとみに高まり、安政四年五月には「諸侯既に十有余藩、豪商既に十余軒」(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(生活の困難と在住の立場)
豆腐一丁一五文が四〇文となり、塩鱒一本一二~一三文だったのが一〇〇文にまでなった(松浦武四郎
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(役人の増員)
先、六月十六日にカラフトの漁業開発について建言しており、その中で自ら北地(カラフト)詰を願っていた(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(改革まで)
石狩場所人別帳に添て上る書」をそれぞれ奉行に差し出し「御直捌被仰付候はゞ、土地も早々相開け土人も増殖仕候」(
燼心餘赤
新札幌市史 第1巻 通史1
(場所運営の手抜き)
「万事朝夕の事は不自由相懸、困らせ候様の仕向のみを致し居候」(
燼心餘赤
)という非難が阿部屋に集中的にあびせられようとしたことに
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以前))
御用留」(北大蔵) 156 十文字好古と草創期の札幌(谷澤尚一『札幌の歴史』第7号) 157
燼心餘赤
/ 1ページ