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新札幌市史 第1巻 通史1
(渡島蝦狄)
渡島蝦
狄
八世紀に入ると渡島蝦夷は蝦
狄
・
狄
・荒
狄
などと「
狄
」を以て表記される。,これは中国の東夷、北
狄
の表現に従って、太平洋岸すなわち道奥(みちのく)(道奥は大化改新以後白河以北全域,の呼称で、令制では陸奥国と書かれている)の蝦夷を東夷、日本海岸すなわち北陸道の蝦夷を蝦
狄
として区別することによる,国守阿倍臣の北征以来、越の国の、ついで越の国の分割によって生じた出羽国の管轄下にあったことから渡島蝦
狄
として,和銅二年(七〇九)、陸奥、越後両道の蝦夷の反乱には征蝦夷、征
狄
両将軍が、養老四年(七二〇)には征夷、鎮
狄
両将軍 / 渡島蝦
狄
新札幌市史 第1巻 通史1
(渡島蝦狄の来貢と貢物)
渡島蝦
狄
の来貢と貢物 和銅元年(七〇八)、越の国の出端の庄内地方に出羽柵を設け、出羽郡を置き、ついで,め込んで焼き払う状況下、出羽国にも影響が出、蝦夷との攻防を巡って、秋田城放棄論も起きた五月、「渡島蝦
狄
早,宜しく将軍国司賜饗の日、意を存し慰喩すべし」(続日本紀)と出羽国に勅し、長年朝貢している渡島蝦
狄
に配慮,なお渡島
狄
の貢物について、延暦二十一年(八〇二)六月二十四日、太政官が私的に「
狄
土物」との交易を禁ずる,それには渡島
狄
ら来朝の日に貢ぐ産物は雑皮であるが、王臣諸家が競って好い皮を買い、あとに残る悪い物を進貢 / 渡島蝦
狄
の来貢と貢物
新札幌市史 第1巻 通史1
(安倍・清原氏と渡島蝦狄)
安倍・清原氏と渡島蝦
狄
九世紀以後王朝府の記録には陸奥、出羽や、渡島の蝦夷の動きが見えてこない。 / 安倍・清原氏と渡島蝦
狄
新札幌市史 第1巻 通史1
(商場ちよまかうた)
一 石狩浜(湊)口より一里程登り候て、はつは(し)やふより二里程登候てさつほろと申所に
狄
有。,川添(湊)より順風に二日登候て、ちよまかうたと申所に
狄
多御座候。松前よりの船ちよまかうた迄参候。,方々の
狄
共ちよまかうたへ集りあきない仕候由に御座候。
新札幌市史 第1巻 通史1
(元慶の反乱)
元慶の反乱 貞観十七年(八七五)十一月十六日、渡島荒
狄
が乱を起こし水軍八〇艘をもって、秋田・飽海両郡,したがって、貞観十七年の渡島荒
狄
の反乱も、交易関係にからむ矛盾から発した蜂起であると考えられる。 ,りなく、したがって調庸も不備の上、翌二年には夷虜反して国内乱れ、義に従った俘囚及び諸郡の田夷並びに渡島
狄
らの,なお寛平五年(八九三)、渡島
狄
が奥地の俘囚と戦闘をしようとしているので、城塞を固め、軍士を選練させた記事
新札幌市史 第1巻 通史1
(ハウカセの領域)
ハウカセの領域 上の国の惣大将ハウカセには「下人
狄
千人程」おり、鉄砲四、五十挺を持ち(津軽一統志)、,近江八幡の金(庄)太夫が婿となり(寛文拾年
狄
蜂起集書)、イシカリ川の川上七里、御手船の交易地「ちよまかうた
新札幌市史 第1巻 通史1
(豊臣秀吉の朱印状)
め、御朱印を見せ、アイヌ語で読みきかせ、「志摩守の下知に違背し、諸国より往来の者某(シャモ)に対し夷
狄
猛悪,の儀あるに於ては、速かに其旨趣を言上せしむ可し、関白殿数十万の人勢を差遣はし悉く夷
狄
を追伐せらる可きなり
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
青森県叢書)、「松前蝦夷記」『松前町史』史料編第一巻、「蝦夷蜂起」『日本庶民生活史料集成』巻四、「寛文拾年
狄
蜂起集書
新札幌市史 第1巻 通史1
(紛争の経緯)
津軽一統志』にはシャクシャインからつぐないを出させ、無事処理するように申し渡されたとあるが、『寛文拾年
狄
蜂起集書,したがって『寛文拾年
狄
蜂起集書』は「畢竟
狄
蜂起の本は蠣崎作左衛門(金山奉行)、金掘文四郎両人仕候て作り
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】 「津軽一統志」巻第十『新北海道史』第七巻、「寛文拾年
狄
蜂起集書」『日本庶民生活史料集成
新札幌市史 第1巻 通史1
(徳川家康の黒印状)
は秀吉の死亡した翌年の慶長四年(一五九九)十一月七日、時に氏を松前と改め、大坂の西の丸で家康に謁し、
狄
の
新札幌市史 第1巻 通史1
(エゾの呼称起こる)
エゾの呼称起こる 古代国家の東夷、北
狄
を含むエビスあるいはエミシの呼称の政治的発想は、一二世紀を境に
新札幌市史 第1巻 通史1
(渡党)
人多く此国に逃げ渡って居住す……亦実朝将軍之代、強盗海賊の従類数十人搦め捕り、奥州外ケ浜に下し遣り、
狄
の
新札幌市史 第1巻 通史1
(蠣崎政権成る)
天文二十年(一五五一)「夷
狄
の商舶往来の法度」を定め、勢田内の「波志多犬(ハシタイン)」を上之国天ノ河
新札幌市史 第1巻 通史1
(起請文の事)
ヨイチまで来たといい、また松前藩としても、「松前当年舟数渡河不仕候事は去年(寛文九年)当年両年の内上下
狄
地,只今は地廻のにしん、昆布、串貝計に御座候」(寛文拾年
狄
蜂起集書)という状況で、干鮭、塩引鮭などの商品が
新札幌市史 第1巻 通史1
(コシャマインの蜂起)
之に依て夷
狄
悉く蜂起して、康正二年夏より大永五年(一五二五)春に迪(いた)るまで、東西数十日程(東は鵡川町
新札幌市史 第1巻 通史1
(北方未来考)
ハシコタン等北ハ千島よりカンサツカ迨を北海道と定メ、新ニ国名御附相成粒立たる島ヘハ夫々連枝を取立候て後世北
狄
の,周辺の島々には連枝(水戸徳川家の分家)を取り立てて、北
狄
の備えにといった水戸徳川家の将来を見通した展望
新札幌市史 第1巻 通史1
(寛文期の史料から)
すなわち、『津軽一統志』巻第十がそれであり、いまひとつは『寛文拾年
狄
蜂起集書』である。,此いへちまたよりゆふはりのぬまへ小船にて往来仕候由」とあり、また『寛文拾年
狄
蜂起集書』の中にも、ハボロ
新札幌市史 第1巻 通史1
(津軽十三湊)
高岡が弘前と改められたのは寛永五年(一六二八)のことであるが、外浜、上磯などの「
狄
」が登城、熊やオットセイ
新札幌市史 第1巻 通史1
(道南館主の動向)
『新羅之記録』も「
狄
の島、古へ安東家の領地たり」と言っており、館主の多くが安東氏嫡流の「季」の諱(いみな
新札幌市史 第1巻 通史1
(商場知行)
其上俵物にあたり、串貝の一束もたり不申候へは、来年は二十束にてとられ、出兼申
狄
は子供しちにとられ申候」
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
阿倍臣の北征 エミシと粛愼 第二節 エミシからエゾへ…347 一 渡島蝦
狄
の,朝貢 渡島蝦
狄
渡島蝦
狄
の来貢と貢物 元慶の反乱 二 奥羽の諸豪族と渡島, 安倍・清原氏と渡島蝦
狄
胡国 エゾの呼称起こる 第三節 夷島…353 一
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