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新札幌市史 第1巻 通史1
(玉虫左太夫の建言)
玉虫左太夫
の建言 安政四年(一八五七)閏五月二十四日に、箱館奉行堀利熙が廻浦によりイシカリ入りをした,利熙の一行の動向は、随行した仙台藩士
玉虫左太夫
(諠茂)の日記『入北記』につぶさに記してある。,
玉虫左太夫
及び島団右衛門(義勇)は、二十六日に松浦武四郎の案内で細工小屋、雇小屋を見学した。,写真-1
玉虫左太夫
万延元年に遣米使節団として渡米し、撮影したもの (宮城県多賀城市 玉虫家蔵),撫育に関しての「不行届」も、
玉虫左太夫
が「此場処支配人、土人ノ取扱ヒ以テノ外、不宜場所第一ト云フベシ」 /
玉虫左太夫
の建言
新札幌市史 第1巻 通史1
(玉虫左太夫)
玉虫左太夫
文政六年(一八二三)玉虫伸茂の五男として生まれた左太夫は弘化三年(一八四六)江戸へ出奔、 /
玉虫左太夫
新札幌市史 第1巻 通史1
(玉虫左太夫『入北記』(カラフトからの帰り))
玉虫左太夫
『入北記』(カラフトからの帰り) (安政四年)九月九日[快晴朝白霜満地] 一 今日ハ鎮台 /
玉虫左太夫
『入北記』(カラフトからの帰り)
新札幌市史 第1巻 通史1
(玉虫左太夫『入北記』(カラフトへ向かう))
玉虫左太夫
『入北記』(カラフトへ向かう) (安政四年閏五月)廿三日[朝雨巳後快晴] 一 辰牌発シテ,閏月廿七日
玉虫左太夫
右ノ趣、内々ニテ指出ケルモ(鎮台)至極憐愍ヲ(ママ)情ヲ(催サレ外ニ)工夫ヲ /
玉虫左太夫
『入北記』(カラフトへ向かう)
新札幌市史 第1巻 通史1
(『入北記』)
一行の中に、
玉虫左太夫
が近習、島義勇(団右衛門)・畠山万吉が中小姓として加わっていた。,利熙の廻浦の様子は、先にあげた
玉虫左太夫
の『入北記』が詳しい。
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
簡約松浦武四郎自伝』、島義勇『旅日記』(佐賀県立図書館)、『奥羽幷箱館松前日記』(佐賀歴史研究会準備会報 第一号)、
玉虫左太夫
新札幌市史 第1巻 通史1
(ハッサム巡検)
堀利熙、
玉虫左太夫
、畠山万吉などは後者に属し、左太夫の『入北記』も、この年に開かれた新道、山岡精次郎等,一方、
玉虫左太夫
、島義勇は武四郎の案内で、アイヌの細工・雇小屋を見学し、またサッポロの小使モニヲマ、上川惣乙名
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
アイヌ」『宮城歴史科学研究』第二七号、『村山家資料』、『イシカリ場所人別帳』(新札幌市史 第六巻)、
玉虫左太夫
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
木村家文書『御用留』(北大図)、同『村並仕法替書類』、林家文書『御賄留』(北大図)、同『御場所見廻日記』、
玉虫左太夫
新札幌市史 第1巻 通史1
(堀と村垣の廻浦史料)
堀と村垣の廻浦史料 ただ、安政四年の堀利熙の廻浦の場合、同行した仙台藩士
玉虫左太夫
の日記『入北記』が
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
石狩町資料」、「村垣淡路守範正公務日記」『幕末外国関係文書』付録、『札幌区史』、『新札幌市史』第六巻、
玉虫左太夫
新札幌市史 第1巻 通史1
(北方領土問題とアイヌ)
特に阿部屋(村山家)の経営になるイシカリ場所は、アイヌへの対応が「以(もって)ノ外不宜場所第一」(
玉虫左太夫
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
』)、同『丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌』、『札幌沿革史』、『新札幌市史』第六巻、『余市町史』第一巻、
玉虫左太夫
新札幌市史 第1巻 通史1
(仙台藩と十文字龍助)
幕末には江戸で松浦武四郎や佐賀藩の島義勇、仙台藩の
玉虫左太夫
らと蝦夷地に関する情報の交換なども行った。
新札幌市史 第1巻 通史1
(ハッサム道)
この年閏五月二十四日に、堀利熙の奉行廻浦に随行してハッサムを検分した
玉虫左太夫
の『入北記』によると、ハッサム
新札幌市史 第1巻 通史1
(ハッサム川の利用)
前者の時、
玉虫左太夫
はハッサム川の船運に関して、「此度通行セシニ大木縦横ニ倒レ川道ヲ塞グ、……能ク是ヲ
新札幌市史 第1巻 通史1
(漁獲高)
玉虫左太夫
は銭箱で鱒漁を見学し「俗に地引と云ふ網を以て、人数十人を以て引揚けしか、今日は波荒の由にて〓
新札幌市史 第1巻 通史1
(入北記)
ただ同行の仙台藩士
玉虫左太夫
が著した同名の『入北記』が残っており、そのだいたいは推測できる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(詰合役人の役割)
対する阿部屋の苛酷・非道ぶりは目に余り、イシカリ場所は「支配人、土人ノ取扱ヒ以テノ外不宜場所第一」(
玉虫左太夫
新札幌市史 第1巻 通史1
(「新道甚麁にして不宜」)
これに随行した
玉虫左太夫
の『入北記』によると、ホシオキより銭箱間は、「新道ヲ築キタルトテ上下スレドモ険
新札幌市史 第1巻 通史1
(堀利熙の再訪)
そのうち、ハッサム在住地とサッポロ越新道の視察について、
玉虫左太夫
の『入北記』が、その様子を伝えている
新札幌市史 第1巻 通史1
(通行屋の建設)
玉虫左太夫
の『入北記』には、「併し仮家ニテ未だ普請ナラズ」、「未ダ仮小屋ニテ例ノ丸小屋同様ノ処ナリ」とされている
新札幌市史 第1巻 通史1
(戸石永之丞の調査)
そうした中でイシカリ・サッポロの情報も増強されたろうが、それを象徴するような重要な活躍をしたのが
玉虫左太夫
新札幌市史 第1巻 通史1
(モニヲマの家族)
玉虫左太夫
は、モニヲマなどの話を聞き、イシカリ場所のアイヌの窮状を堀利熙に訴えたが、『入北記』にはモニヲマ
新札幌市史 第1巻 通史1
(改革まで)
ここで同行の
玉虫左太夫
は「蝦夷(アイヌ)より承りたる事ありて、其段大略綴り」(入北記)、松浦武四郎は「
新札幌市史 第1巻 通史1
(場所運営の手抜き)
もっとも、アツタ~ハママシケ~マシケの山道について「かゝる開き方にては開かざるも同然なり」(
玉虫左太夫
新札幌市史 第1巻 通史1
(在住入地場所の選定)
これについては、前記松浦のほか、
玉虫左太夫
の『入北記』にも「石狩ヘノ通路ハツサフ川ヨリ舟行アリテ便利大
新札幌市史 第1巻 通史1
(弘前藩の関心)
次に
玉虫左太夫
の自筆稿本『入北記』からイシカリ・サッポロの記事を紹介する。
新札幌市史 第1巻 通史1
(農業・開拓)
各在住地における状況の若干を、紀行類によってみると、まず
玉虫左太夫
(忠義)の『入北記』(安政四年)九月十日
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
三 仙台藩 東北からの目 小野寺篤謙の遊歴 十二場所論 戸石永之丞の調査
玉虫左太夫
, 弘前藩の関心
玉虫左太夫
『入北記』 第四章 イシカリ改革…741, 北方領土問題とアイヌ アイヌ政策の変化 二 阿部屋とアイヌの「撫育」
玉虫左太夫
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
幕末には江戸で蝦夷地探検家の松浦武四郎や佐賀の島義勇、仙台の
玉虫左太夫
たちと情報を交換し、かつ蝦夷地の
新札幌市史 第1巻 通史1
(図版・写真・表組一覧)
イシカリ元小家から武四郎宛の領収書 「蝦夷屛風」より 三重県松浦清蔵 (841頁) 第6章 写真-1
玉虫左太夫
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