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新札幌市史 第4巻 通史4
(琴似村)
琴似村
琴似村
には大正十一年四月に北海道農事試験場が移転し、北海道工業試験場も新設されることとなり、,二五六六人、十五年には六七〇戸、三四四八人と急速に市街地が発展と拡大を続けていくようになり、十七年二月には
琴似村
,一方で
琴似村
は鉄道沿線の工業地としても注目され、昭和七年頃より諸工場の進出が相次いでいた。,商業一九五戸、公務自由業二六九戸、「其ノ他ノ有業者」三五九戸などとなっており(総数一八四九戸、昭和十六年
琴似村
村勢一班 /
琴似村
新札幌市史 第3巻 通史3
(琴似村の概況)
琴似村
の概況
琴似村
は明治三十九年四月一日に発寒村と併合され二級町村制が施行されたが、両村はともにもと,三十三年は
琴似村
が五四〇戸、三九五五人であり、篠路・白石・月寒村に次ぐ〝大村〟であったのに対し、発寒村,大字は
琴似村
、発寒村、篠路村からなり、村内の行政区として二四部が設置された。,
琴似村
も当初の主産業は農業であった。,写真-2
琴似村
の燕麦の収穫風景 同様の光景が近郊各村でみられた(大正元年) /
琴似村
の概況
新札幌市史 第4巻 通史4
(琴似村・琴似町)
琴似村
・琴似町
琴似村
の村長は前述の通り清水凉であり、安定した村政が行われていた。,このうち自治協会とは
琴似村
自治協会のことであり、「村勢要覧」(大13)によれば大正八年十一月二十三日に,に村民大会を琴似座に開き強硬な反対姿勢を示すなどしたが、札幌市では北五条琴似街道の修繕費三〇〇〇円を
琴似村
/
琴似村
・琴似町
新札幌市史 第4巻 通史4
(琴似村と町制の施行)
琴似村
と町制の施行
琴似村
は琴似、新琴似、篠路の三兵村を抱える難治村であったが、清水凉が村長に就任以来,写真-9 大正13年,
琴似村
開村50周年に建設された記念塔と記念館 清水村長の村政の方針は、「,部落有財産管理制度は十八年三月に廃止となるが、三兵村の部落有財産を活用したことが
琴似村
の財政と村政の安定,
琴似村
では昭和十七年二月十一日より町制を施行した。 /
琴似村
と町制の施行
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌・発寒・琴似村)
札幌・発寒・
琴似村
イシカリ御手作場として慶応二年(一八六六)に形成されたのがサッポロ村である。,二年に至り、
琴似村
は「人家二軒、土人家二軒」とされている(恵曽谷日誌)。,しかし四年の人別帳(石狩国札幌郡
琴似村
人別調 道文三一五)には、「在来」が四戸(奥書の集計では六戸)とされ / 札幌・発寒・
琴似村
新札幌市史 第3巻 通史3
(琴似村の社会構成)
琴似村
の社会構成 明治三十六年に北海道農会では「町村ノ発達」を図る目的で、「天然ノ要素、経済上諸般ノ /
琴似村
の社会構成
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【財政】)
市有財産特別会計(札幌市) 第117表 市債現在高(札幌市) 第118表 一般会計歳入決算額(
琴似村
,) 第119表 一般会計歳出経常部決算額(
琴似村
) 第120表 一般会計歳出臨時部決算額(
琴似村
),第121表 特別会計歳入・歳出決算額(
琴似村
) 第122表 村有財産・部落(区)有財産(
琴似村
),第123表 村税(
琴似村
) 第124表 町税(琴似町) 第125表 国税(
琴似村
) 第126,表 地方税(
琴似村
) 第127表 村費及び村税負担額(
琴似村
) 第128表 諸税納税成績(
琴似村
)
新札幌市史 第4巻 通史4
(凶作)
この年の作柄をみてみると、畑作は最高が
琴似村
の八割二分五厘、最低が藻岩村の六割五分であり、大体七、八割,札幌村 551戸 360戸 67% 128戸 23% 篠路村 395 196 50 227 57
琴似村
,被害戸数では
琴似村
の数値に不審な点があるが、最高は手稲村であり全農家の七〇パーセントを占め、次いで札幌村,昭和七年は九月初旬の集中豪雨による被害によるものであり、特に
琴似村
では三四七二・五町歩、札幌村では二四七五,〇〇円の負債と見積られていたが(白石村事務引継書)、このために負債整理組合も設置されたところがあり、
琴似村
新札幌市史 第3巻 通史3
(都市化する「風俗」)
都市化する「風俗」
琴似村
の中でも大字
琴似村
は、鉄道ではわずか一駅間というほど札幌区と近接していた。,そのために
琴似村
には諸官庁、会社、銀行への勤務者が多くなっており、区内の学校に通学するものもあらわれ、,
琴似村
は屯田兵村として開かれたところだけあって、士族層にはもとより官吏志望が強く、高等教育を求める傾向
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 移住民情況調査報告)
移住民情況調査報告 五六 移民履歴調(明治一〇年調) 札幌市街 山鼻村 円山村
琴似村
, 苗穂村 丘珠村 篠路村 豊平村 上白石村 白石村 月寒村 平岸村
琴似村
新札幌市史 第3巻 通史3
(分村問題)
分村問題
琴似村
では明治四十五(大正元)年に分村問題が発生している。,これは大字新
琴似村
、篠路兵村を
琴似村
から分離・独立させて江南村をつくる運動であった。,そして村議会でも五月十五日に全会一致で分村──新
琴似村
の設置を議決し、札幌支庁でも「其必要を認め意見開申
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌都市計画区域)
札幌村は大字札幌村の南部、大字苗穂村の西半分、大字雁来村は西部、
琴似村
は大字
琴似村
の大部分と大字新
琴似村
,132,760 2,934人 白石村 136,463 3,595 札幌村 171,901 6,765
琴似村
新札幌市史 第4巻 通史4
(町村常会)
琴似村
では、十二月六日に「本村内ニ於ケル各種行政ノ綜合的運営及町内会、部落会、町内会聯合会、部落会聯合会,ノ目的達成上必要ナル各般ノ事項ヲ協議スル為村常会ヲ設置ス」との「
琴似村
常会規程」を設け(昭和十六年
琴似村
勢要覧,)、十六年二月十五日に第一回の
琴似村
常会を開催している。,そして
琴似村
大政翼賛会支部が設置となった十六年三月十日には、第二回の常会が開かれていた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(辛未村の計画)
このように計画された辛未村も、間もなく
琴似村
に移転されることになった。,南ノ方エ四丁余隔リ辛未村ト被称五十戸被置候処、右地御用ニ付同年十月中何レカ地所可見立旨御達ニ付同月中
琴似村
,
琴似村
への地所選定は、高見沢権之丞によると四年二月十日に、「辛未四ノ村」を「見立地ニテ今日御見分ニ相成,)と記載され、三月以降
琴似村
と表記されている。 ,新たに
琴似村
に入った四四戸の出身は、『琴似町史』掲載の戸籍簿からうかがうことができる。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 地租創定事業)
上手稲村 札幌村 平岸村 丘珠村 月寒村 篠路村 発寒村
琴似村
,上手稲村 札幌村 平岸村 丘珠村 月寒村 篠路村 発寒村
琴似村
新札幌市史 第4巻 通史4
(小作料適正化運動)
小作料適正化運動 また、札幌郡
琴似村
の旧篠路兵村地区では、大正元年に土功組合が設立されて造田事業が開始,そして、十六年六月「
琴似村
篠路兵村歎願者一同」は、賛同する小作農家百余名の名簿を添え「適正小作料実施歎願書,」を
琴似村
農地委員会に提出したが、その中には、篠路兵村地区小作民の窮状が次のように述べられている。,すなわち、「わが
琴似村
字篠路兵村は水田開発以来既に二十有余年の歴史を有するも小作料高率のため、且つ連年
新札幌市史 第3巻 通史3
(上手稲と分村運動)
九月に上手稲を手稲村から分割して
琴似村
へ併合することが、一三一人の連署でもって石狩支庁へ請願された。,その理由は、上手稲が
琴似村
へ近接しており、「医者の診断、学校、納税其他に至便なり」というものであった。,西野には
琴似村
の学田もあり、この年(四十三年)の三月には、琴似手稲果樹組合も創設されており、上手稲と
琴似村
新札幌市史 第2巻 通史2
(総代、副総代の廃止)
この結果、
琴似村
に兵村と併立していた副戸長は一人とされた。,だが
琴似村
では、再度にわたり坪内猪之助の在留を求める請願が出されたが、これは認められなかった(区戸長進退録
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌都市計画街路)
3 新川公園道路 北22条西14丁目 都市計画区域界 45間 広路 4 創成川通 南7条東2丁目
琴似村
大字篠路兵村,3 13 公園通 中島公園西口 藻岩村大字円山村 25m 1 3 14 南1条通 南1条西4丁目
琴似村
大字
琴似村
,20m 2 1 16 北18条通 北18条西5丁目 札幌村大字雁来村 20m 2 1 17 琴似雁来通
琴似村
大字
琴似村
,札幌村大字雁来村 20m 2 1 18 茨戸街道 表参道終点 創成川通終点 10間 2 1 19 飛行場北通
琴似村
大字
琴似村
新札幌市史 第3巻 通史3
(野菜に関する組織)
以下は、大正九年設立の
琴似村
果樹疏菜組合への加入の勧誘状である。,、且つ官庁に於いても十二軒山手地方は最適地と着目せられ、それぞれ勧誘の次第も有之候処、今回別紙の通り
琴似村
果樹疏菜組合,ただし、後に大根の漬物用加工などで有名になる
琴似村
南三番通農事実行組合が大正九年に設立されており、第一次大戦後
新札幌市史 第3巻 通史3
(酪農経営の成立)
ここでは、大正七年に新聞に掲載された札幌村と
琴似村
の酪農経営の動向を紹介しておこう(北タイ 大7・6・,明治四十三年の肉牛価格の下落を契機としており、以降急速に頭数が拡大し、大正六年には札幌村では五一九頭に、
琴似村
,表-32 畜牛飼養頭数の動向 札幌村
琴似村
明42 130頭 129頭 43 78 200 44
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔明治六年市在状況調〕)
開拓使管轄石狩国札幌郡札幌町第五区戸籍表〕 〔総計〕 〔「開拓使管轄石狩国札幌郡各村戸籍表」〕 〔円山村〕 〔
琴似村
,雁来村)(明治6年6月25日検地開始) 5 札幌村(明治6年6月26日検地開始) 6
琴似村
, 〔雁来村〕 〔白石村〕 〔月寒村〕 〔札縨村〕 〔篠路村〕 〔
琴似村
新札幌市史 第4巻 通史4
(諸町村の道路)
11月調 昭10 3里18町 32町13間 17里47間 手稲村村勢一班 昭和10年末調
琴似村
,大11 18町 47里9町49間
琴似村
村勢一班 大正11年9月調 昭14 18町 45,里30町6間 拓殖費支弁町村道 1町30間
琴似村
村勢一班 昭和14年6月調 円山町昭和10年の市町村道
新札幌市史 第2巻 通史2
(屯田兵村)
このうち
琴似村
については、すでに七年に遠藤塾、富沢塾などがあり、屯田兵入地と共に八年七月に仮学校が設けられ,経費各二三〇八円余で校舎建築に着手、西南の役で兵員が出動したため、七月に仮に授業を開始し、翌十一年、
琴似村
新札幌市史 第2巻 通史2
(説教所)
まず十二年十一月十四日付で、真宗東派本願寺役者代の曾我信彦ほかの名で、「
琴似村
并近村本宗帰依之人民多分有之候処,のちの
琴似村
の浄恩寺である。
新札幌市史 第4巻 通史4
(橋梁の整備)
11個 篠路村村勢要覧 昭11 手稲村 36間 12間 546間 手稲村勢一班 昭2.11
琴似村
, 22間 1個15間 249間 85個318間
琴似村
村勢一班 大11.9
琴似村
村勢一班
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【土地】)
第4表 民有地地目別面積(札幌区・市) 第5表 民有地地価(札幌区・市) 第6表 種別土地面積(
琴似村
新札幌市史 第3巻 通史3
(大正四年全道青年会連合大会)
直前の大正三年段階の札幌区周辺町村における青年会数は、札幌村六団体三一九人、
琴似村
三団体一八八人、篠路村三団体九五人,篠路村中野青年会 篠路村字十軒青年会 篠路農村青年会 篠路村山口青年会 篠路村学田青年会
琴似村
,
琴似村
青年会 琴似第三帝国同志会 新琴似青年会
琴似村
新川青年会 藻岩村 円山青年会 藻岩村伏見青年会
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部寺院の創立)
これに大谷派別院(山鼻村)・経王寺(豊平村)など基幹的寺院を除く既設の日登寺(
琴似村
)・本龍寺(札幌村,. 9. 6 篠路村 浄土宗 浄恩寺 19. 10. 4
琴似村
新札幌市史 第3巻 通史3
(人口推移)
その次に多いのが
琴似村
となっていたが、四〇〇〇人ほどの開きがあった。,豊平町が多かった原因は、豊平の市街地を抱えていたため、また篠路村が少ない原因は、篠路兵村を
琴似村
に変更,138 112 115 篠路村 2,925 3,314 3,141 2,839 113 ▼95 ▼90
琴似村
,豊平町の次に人口を示すようになるところは札幌村で、大正四年に六〇〇〇人台に至り、五年には
琴似村
を抜いて
新札幌市史 第4巻 通史4
(養鶏)
組合員数三五〇人、飼養羽数三五〇〇羽(以下同じ)、②札幌養鶏組合(大14)、札幌市、二四人、六〇〇〇羽、③
琴似村
養鶏組合,(昭1・12)、
琴似村
、八五人、二八五〇羽、④札幌専業養鶏組合(昭2・1)、札幌市、二〇人、八〇〇〇羽
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌市域の小作率)
したものであるが、小作農家の比率が最も高いのは篠路村(七二・〇パーセント)であり、以下、札幌市、藻岩村、
琴似村
,56.8 100.0 篠路村 71 49 309 429 16.6 11.4 72.0 100.0
琴似村
新札幌市史 第2巻 通史2
(市況回復への施策)
まず七年十一月
琴似村
に屯田兵屋二〇八戸が竣工し、八年宮城・青森・酒田及び道内の士族の志願者一九八戸九六五人,九年五月さらに青森・秋田・鶴岡・宮城・岩手等から士民二七五戸男女一一七四人を募って、
琴似村
に三戸、発寒村
新札幌市史 第2巻 通史2
(本願寺移民)
東本願寺北海道開教史』は、これは東本願寺が募集した農民で当初は管刹所周辺に入植したが、市街地へ編入となり四年暮に
琴似村
二十四軒,ただ先書では移民の入植地を辛未一ノ村とし、のちに
琴似村
二十四軒に転住したとするのは誤りである。,辛未一ノ村の形成、及び
琴似村
への転住(四年二月頃)は、本願寺移民の到着以前にすでに終了している。
新札幌市史 第3巻 通史3
(二級町村制の施行)
二級町村制の施行 明治三十九年四月一日に篠路村は
琴似村
と共に二級町村制が施行され、この折に篠路兵村は,
琴似村
に編入となった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(その他の産業組合と農会)
これを含め、札幌村、篠路村、
琴似村
はほとんどが「燕麦組合」である。,161 8,735 篠路農場 購販 大 4 100 763 68,468 6,037
琴似村
,九九人・一一五円、白石村―六〇八人・二八八円、手稲村―四七二人・一八六円、藻岩村―三六八人・一八〇円、
琴似村
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌市の発展と電気需要家の増加)
札幌水力電気株式会社の供給範囲 ①電灯需要家数 (単位;戸) 年月 札幌市 豊平町 石狩町 札幌村 藻岩村
琴似村
,670 119 402 32,957 ②電力需要家数 年月 札幌市 豊平町 石狩町 札幌村 藻岩村
琴似村
,それに対して札幌市に隣接する札幌村、藻岩村、
琴似村
、白石村が急増していることがわかる。
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌市の小作争議)
. 2
琴似村
大字琴似 田代賢一外2名所有地 地主3人 小作1 畑及び放牧地 6町歩,小作1 畑1町歩 小)継続耕作及び損害賠償要求 6 13. 3.22 ~ 4.20
琴似村
大字篠路村,小作57 田165町7反25歩 9 13. 6. 1 ~ 6.14
琴似村
大字琴似字牧場
新札幌市史 第3巻 通史3
(在郷軍人会の成立)
大正四年の帝国在郷軍人分会の札幌支庁管内連合分会の旗揚げ時には、札幌区の他に豊平町、札幌村、篠路村、
琴似村
,されたのはこの頃で、札幌周辺の町村史や『村勢一班』によると、豊平町が四十一年一月、手稲村が四十二年二月、
琴似村
,同年七月には札幌区分会や
琴似村
分会で、「分会神髄の表章」としての在郷軍人会旗の奉戴式が行われた(北タイ
新札幌市史 第4巻 通史4
(一級町村制の施行)
最初に
琴似村
が大正十二年四月一日に施行となった。,
琴似村
は他の要件は満たしていたが自治観念につき、「本村モ曾ハ屯田兵村ノ余弊ヲ享ケ部落観念ニ捕ハレ兎角円満,かつて
琴似村
では役場庁舎の所在地をめぐって紛議の時期があり、大正九年九月の新庁舎竣工によりようやく決着,札幌村は
琴似村
と共に十二年度からの施行が検討されたことがあった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵屋)
、両兵村に各二四〇戸、合計四八〇戸つくられ、その費用は九万五七四九円二二銭、一戸当たりの建築費は七年
琴似村
,が最も高く二一〇円七〇銭、山鼻兵村は一九二円五六銭二厘、最安値は八年
琴似村
増設分で一七八円一〇銭四厘である,兵屋建築戸数と費用 兵 村 戸 数 完成年月 費 用 1戸当費用 1坪当費用 井戸付設費 琴似兵村
琴似村
,200戸 7年11月 42140円 210円 12円 1610円(64ヵ所)
琴似村
8 8年 1424
新札幌市史 第3巻 通史3
(大正期の在郷軍人会)
札幌の周辺諸村の在郷軍人会の分会の規約としては
琴似村
のものが残っている(山田文庫)。,この規約の第二条には、「本分会ヲ更ニ六個班区域ニ分ツ」とあるが、大正八年九月十日には
琴似村
分会の班が八班,規約では、
琴似村
分会の事務所を
琴似村
役場に置くこと、札幌支部の監督を受けるべきこととともに、目的が定められている
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌周辺の原野排水)
). 21年度 札幌近傍排水(花畔軽川間の直線排水渠とそれに沿った現在の道道石狩手稲線にあたる道路,
琴似村
,継続事業).豊平川堤防. 24年度 札幌郡各村原野排水. 25年度 札幌近傍原野排水. 26年度 札幌郡
琴似村
原野排水
新札幌市史 第4巻 通史4
(農村経済更生運動)
22,300 5,867 2,750 13,562 3,225 24,525 3,465 19,714
琴似村
,本年度末現在 本年度借入 本年度末現在 本年度貸付 本年度末現在 要整理負債額 条件緩和ニヨル減免額
琴似村
,
琴似村
南五番通負債整理組合 13.5.10 15 12 11,432 - - - - - - -,- - -
琴似村
琴似村
南三番通負債整理組合 13.6.4 13 9 19,500 - - - -,札幌地域の経済更生委員会の内、設置年月がはっきりしているのは、
琴似村
(昭7・10)、札幌村(昭10・1
新札幌市史 第2巻 通史2
(日登寺)
日登寺 本龍寺と同じ日蓮宗寺院である本寺の創建は、九年春、
琴似村
の日蓮宗信者が前記妙見堂の建物を移築
新札幌市史 第3巻 通史3
(生産額と産業形態)
409,760 30,337 1,350 445,005 475 92.1 6.8 0.3
琴似村
,
琴似村
は帝国製麻会社琴似製線工場(新琴似、明24操業)、日本製麻会社琴似亜麻工場(大9)によるものである,両村の他にも
琴似村
、十年の札幌村が一〇万円をこえており、大規模牧場がなかったかわりに小規模な経営、あるいは,
琴似村
でも農家の二六パーセントが乳牛の飼育を行っていた。 ,以上の生産額をみていくと、手稲・白石村、豊平町などがバランスのとれた産業の進展がみうけられ、札幌・
琴似村
新札幌市史 第3巻 通史3
(施行地)
篠路村(旧来の篠路村から篠路兵村を除く区域) 人口二八八二人
琴似村
(旧来の
琴似村
,篠路村のうちから篠路兵村区域を
琴似村
に編入する境界変更は、たまたま二級町村制施行日にあわせたが、制度そのものに
新札幌市史 第3巻 通史3
(町村役場)
琴似村
でも役場位置の変更をめぐる紛争が続いた。,二級村になって「村役場の位置は
琴似村
にして、新琴似、篠路へは距離遠く一方に偏在の傾向あるより、新琴似へ,になった清水凉は大乗的立場から旧琴似兵村側と旧新琴似篠路兵村側の調停をはかり、大正九年ついに役場位置を大字
琴似村
字八軒
新札幌市史 第4巻 通史4
(農業試験機関の充実)
北海道農事試験場(明35・5設立)……札幌農学校第二農場(札幌区北18西11)に設立されたが、大正十四年二月
琴似村
,また、大正元年に
琴似村
大字琴似に設置された琴似園芸試験地は、昭和五年に
琴似村
大字発寒に移転し、主として
新札幌市史 第2巻 通史2
(仮学校とアイヌ教育)
札幌から選ばれて上京したアイヌは、札幌村の伊吾、六三郎、六三郎妻とら、
琴似村
の又一郎(又一に同じ)、発寒村,仮学校へ入校した
琴似村
の岩次郎の場合、漢籍は地理往来の習読、書道は通用書翰、算術は開平できる程度で、試験,農業現術生(札幌・石狩・夕張郡) 名 前 アイヌ名 年齢 行 先 備 考 琴似又一郎 マタイチ 32
琴似村
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