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新札幌市史 第5巻 通史5上
(町内会の定着)
町内会
の定着 昭和三十年代に入ると、
町内会
等の地域住民組織は、市内全域にわたって結成され、市民生活の,送信所地区
町内会
が設立されている(元栄
町内会
町内会
創立二十五周年記念誌)。 ,また、現在の柏
町内会
・下白石
町内会
地区(白石区)では、終戦後、農事実行組合が
町内会
のような役割を果たしていた,また、昭和三十年代以降、
町内会
のみではなく、
町内会
の連合組織である連合
町内会
も相次いで結成されていった,連合
町内会
もまた、
町内会
と同様に市に対する要請を行う主体としての役割を果たしていた。 /
町内会
の定着
新札幌市史 第4巻 通史4
(町内会の形成)
町内会
の形成 以上の振興組織とは別に現在の
町内会
組織に近い、地区の親睦・福祉とコミュニティ・交流機関,としての役割に重きを置いた
町内会
的な住民組織もみられてくるようになる。,(会長・小川直吉)、三月二十一日に西一八丁目に西札幌
町内会
が創設されている。,また「
町内会
」と称した点にも注目できる。,
町内会
を称した組織の初見は、大正五年の南一条西二丁目の南一条
町内会
であるが、狸小路では大正十一年に一丁目 /
町内会
の形成
新札幌市史 第5巻 通史5下
(町内会体制の確立)
また同年四月、同連合
町内会
傘下の単位
町内会
も、本通共栄
町内会
を五分割、南郷自治会を四分割、中央東親交会,中央区曙地区では、四十七年四月の連合
町内会
設立に相前後して新たに単位
町内会
が設立され、第一分区
町内会
から,第一七分区
町内会
までの
町内会
が整備されている(札幌市中央区曙連合
町内会
創立二十周年記念)。 ,一一八、一一三の単位
町内会
で構成されているところもあった(連合
町内会
:
町内会
・自治会名簿 昭46)。,単位
町内会
、連合
町内会
ともに、次第にその数を増し、平成十五年には単位
町内会
数は二一〇〇を超え、連合
町内会
数 /
町内会
体制の確立
新札幌市史 第4巻 通史4
(部落会・町内会)
に「部落会
町内会
等整備指導に関する訓令」を出した。,、部落会・
町内会
には常会、隣保班(隣組)を設けることとされていた。,これを受けて道庁では十一月二日に「
町内会
部落会規則」(庁令第一一一号)を公布し、各町村に部落会・
町内会
等,、これにより全村で三八の
町内会
・部落会、三〇七の隣保班が設置された。,また中央
町内会
聯合会(川添東・西、二十四軒北・西・南・東の各
町内会
からなる)及び盤渓、西部、東部、発寒 / 部落会・
町内会
新札幌市史 第4巻 通史4
(町村常会)
町村常会 内務省では昭和十五年九月十一日に「部落会
町内会
等整備指導に関する訓令」の中で、市町村に部落会,・
町内会
組織を設置すると共に市町村常会の設置をも義務付けた。,市町村常会は市町村長を中心に
町内会
・部落会長、同聯合会長、各種団体代表者から構成するものとされ、毎月一回,、市町村内の行政、産業、経済、教化、銃後奉公などの全体的な運営を協議する機関とされ、
町内会
・部落会の上部,琴似村では、十二月六日に「本村内ニ於ケル各種行政ノ綜合的運営及
町内会
、部落会、
町内会
聯合会、部落会聯合会
新札幌市史 第4巻 通史4
(公区制への移行)
その一方では
町内会
的な住民組織はながく維持され、さらに市内のほぼ全域に創設されていったものとみられる。,だが、十五年三月に札幌市が全域に公区制を敷くことにより、
町内会
的な住民組織は一六の聯合公区、三一一の公区,公区制が短期間に割合にスムーズに実行できたのも、実はその基盤に
町内会
的な住民組織がすでに市内のほぼ全域,それでも全面的な公区への移行には一部では問題もあったらしく、偕楽園
町内会
では一度解散したにもかかわらず
新札幌市史 第5巻 通史5上
(地域住民組織の簇生)
この時点で設置された衛生組合の中には、実質的に
町内会
の役割を期待して設置されたものもあった。,の
町内会
としていたのである(宮の森明和会50年誌)。 ,、後に
町内会
へと改組されているものが多い。,これが三十三年に至り北桑園
町内会
となったのである(北桑園 北桑園
町内会
設立五十周年)。 ,このような
町内会
の実質的な復活に対する市民の評価は大きく分かれた。
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌区(市)の住民組織)
・役割についてみても自治会的なもの、地域振興的なもの、商工会・商店会的なもの、相互扶助組織的なもの、
町内会
的,なものとさまざまである(蓮池穣
町内会
の誕生と歩み さっぽろ文庫70
町内会
今昔)。,しかし住民の有志によって創設されていった住民組織は、戦後に創設された
町内会
とは性格も異なり、また一時的,表21は明治三十年代から昭和十五年頃までの確認できる五三の住民組織、
町内会
を設立年代順にまとめたものである,第二は、火防区を単位とする
町内会
もみられ、これは親睦組織の面が強くなっていることである。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(コミュニティ行政の推進)
は市議会第四回臨時会で区制を定める「札幌市区の設置に関する条例」の提案説明の中で、「区制移行に伴い、
町内会
等地域住民組織,板垣市長は、そのために
町内会
、PTA、婦人会、青少年育成協議会、交通事故防止母の会などの住民団体を育成,民生委員協議会、青少年育成委員会、連合
町内会
・単位
町内会
、衛生協力会、交通安全運動推進委員会、統計調査員協議会
新札幌市史 第5巻 通史5上
(氏子組織の再編)
さらに、昭和二十一年十一月十六日には「
町内会
隣組等による神道の後援及び支持に関する件」の指令がでて、
町内会
等,をとおして神社の祭礼の資金を集めたり、お守りやお札を配ることができなくなり、
町内会
と神社の氏子組織とは,札幌神社の「札幌敬神講社」は戦時下に改組され、総長を札幌市長、「札幌市公区員ヲ講員」とし、経費を
町内会
新札幌市史 第4巻 通史4
(公区・各種団体の足跡)
公区・各種団体の足跡 第二章七節で札幌市の住民組織や
町内会
について触れた。,表に掲げた例でみると、婦人国防義会→国防婦人会、防護団→警防団、
町内会
→公区がこれに相当するだろう。,表-44 公区(
町内会
)・各種団体小史(昭和2~20年) 年月日 事項 昭2年4月9日 大日本女子青年団,9.11 内務省,部落会・
町内会
・隣保班・市町村常会整備要綱を府県に通達, 11.20道庁,,
町内会
部落会規則を公布。
新札幌市史 第4巻 通史4
(公区と「常会十則」)
札幌市部では既存の
町内会
、町村部では同様の部落会組織を「再編」し、より「上意下達」「下意上達」機構を強力,市部の聨合公区・公区、町村部の
町内会
・部落会がそれであり、市部では「公区及聨合公区設置規程」に、また町村部,では「
町内会
・部落会設置規程」にもとづいて末端組織が整備され、世帯主を公区員・会員とし会費を徴収、そこで,しかも、公区、
町内会
・部落会の隣組は十七年に正式に大政翼賛会に組み込まれ、行政とともに翼賛の末端組織ともなった,後述するが、こうした「再編」された住民組織にもとづいて、従来の火防・衛生の両組合は、聯合公区・公区、
町内会
新札幌市史 第4巻 通史4
(銃後の公区)
この第一六公区の『記録簿』に記されている昭和十八年一年間の公区内における活動を分析した笹森秀雄「ある
町内会
,の一年」(
町内会
今昔 さっぽろ文庫70)によれば、活動状況は表46のようであった。,1 1 1 1 1 1 1 勤労報国隊の件 1 笹森秀雄「ある
町内会
,の1年」(
町内会
今昔 さっぽろ文庫70)より作成。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(【主要参考文献・史料】)
、札幌市「札幌市行政改革大綱―二一世紀へ向けての街づくりのために―」(昭60)、『さっぽろ文庫70・
町内会
今昔,』(平6)、『三十周年記念誌』白石地区連合
町内会
(昭61)、『戦後の歩み』札幌市中央区中央地区
町内会
連合会,(昭57)、『札幌市中央区曙連合
町内会
創立二十周年記念』(平4)、東札幌
町内会
連合会創立二十周年記念実行委員会編
新札幌市史 第5巻 通史5上
(衛生組合の復活と解散)
衛生組合の復活と解散 衛生組合は、戦時下北海道庁令(昭15)により、公区・
町内会
に吸収・解散となった,二十二年一月二十二日、内務省はGHQの指令により、
町内会
・部落会は民主化を妨げるものとして、三月三十一日限,だが、同会も政令一五号(5・3公布)に抵触する行政末端機関・
町内会
の類似団体であることなどを理由に、五月末,ところが、市衛生組合は公区(
町内会
)廃止直後の二十二年八月に復活した。
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
豊平町開町七十周年』(昭16)、浅田政広「手稲鉱山について」『札幌の歴史』29号、中村英重「札幌区(市)の住民組織と
町内会
,」同30号、前田朔二「多彩に生きる」『大正の話』(さっぽろ文庫43)、蓮池穣「
町内会
の誕生と歩み」『
町内会
今昔
新札幌市史 第5巻 通史5上
(公区制の廃止・市民会の創出と挫折)
廃止・市民会の創出と挫折 昭和二十二年(一九四七)一月二十二日、内務省は昭和十五年に発せられた部落会
町内会
等整備要領,により政府は政令第一五号「昭和二十年勅令第五百四十二号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く
町内会
部落会又,この中で、「従前の
町内会
部落会若しくはその連合会又は隣組の解散後において結成されたこれらに類似する団体
新札幌市史 第5巻 通史5上
(【主要参考文献・史料】)
ダイナミズム』(平12)、自治大学校編『戦後自治史』第一巻(昭35)、『新川百年 新川開基百年史』(平2)など
町内会
,・連合
町内会
記念誌多数、笹森秀雄「戦後の
町内会
組織の復活について(下)」(『札幌の歴史』三三号、平9)
新札幌市史 第5巻 通史5下
(非行防止対策)
推進会は、中学校ごとに小、中学校と
町内会
、育成実践者が一体となって非行化防止にあたり、例えば巡回やひと,それを後押しするのは、教師集団の一糸乱れのない行動と父母の信頼・協力、そして学校の方針に対する
町内会
など
新札幌市史 第5巻 通史5下
(広聴活動の充実)
区側からは区長、副区長、各部課長、関係職員が、また連合
町内会
からは各
町内会
長・専門部代表、地区社会福祉協議会,連合
町内会
以外の団体との懇談会も行われる。
新札幌市史 第4巻 通史4
(公区の業務整備)
公区の業務整備 昭和十八年三月市制改正により
町内会
部落会が法認され、札幌市の公区聯合公区は市役所の末端機関,法的根拠を与えられたので、十九年一月札幌市公区及聯合公区設置規程を改正し、「公区ハ市制第八十八条の二ニ依ル
町内会
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
の護り』28・65号、札幌市役所編『公区精神』、北海道青年協会編『北海道青年団名簿』、笹森秀雄「ある
町内会
,の一年」『
町内会
今昔』(さっぽろ文庫70)、『札幌市桑園聯合公区第一六公区記録簿』(文資)、『桑園聯合公区第一
新札幌市史 第5巻 通史5下
(【主要参考文献・史料】)
開拓使直営簾舞通行屋の今昔』(平11)、『篠路烈々布百年』(昭62)、『新琴似百年史』(昭61)、『新琴似連合
町内会
三十年史
新札幌市史 第5巻 通史5下
(郷土史の編纂)
屯田開基百年記念事業協賛会 郷土史南郷 1・ 3 260 南郷クラブ会 麻生のあゆみ 1・ 5 489 麻生連合
町内会
,郷土史豊平地区の140年 9・ 8 752 豊平地区郷土史発行委員会 なえぼ 10・ 4 257 苗穂連合
町内会
,14・10 381 常盤開基百年記念事業実行委員会 南円山のあゆみ 14・11 267 南円山連合
町内会
新札幌市史 第4巻 通史4
(火災予防組合)
火防組合は、大正十一年の市制施行時には四八組合が、また昭和十五年、
町内会
・部落会設置規則の公布による火防組合,やがて、十五年十一月二十日、前述の
町内会
・部落会設置規則の公布により、火防組合は三一年の歴史に幕を閉じ
新札幌市史 第5巻 通史5上
(地域の学習活動・教育研究運動)
また、近隣町村の合併の過程で、農事実行組合が
町内会
設立の基盤をなしつつ、両者が併存してきた。,他方、
町内会
は地域の生活環境の整備、環境保全、防犯など広く地域生活の協同にかかわって役割を果たすとともに
新札幌市史 第5巻 通史5下
(体育振興会とコミュニティ・スポーツの推進)
同振興会は、一一の
町内会
、三二の職域団体、および身体障がい者の団体によって構成された(会員数一四二一一名,地域の運動会やスポーツ活動を行う体育振興会は、
町内会
等を基盤に活動していた。,そこには、体指や連合
町内会
役員、市行政の働きかけと尽力がある。,ここでは、一八五の体育振興会や
町内会
役員、五三八名が研修を修了している。
新札幌市史 第4巻 通史4
(翼賛運動と公区)
この年政府は「部落会
町内会
等ノ指導方針」を決め、大政翼賛会が
町内会
(公区)を指導する組織であることを明示
新札幌市史 第4巻 通史4
(住民組織の形成)
以上は地区も広範囲にわたり、地区住民の組織率も限られたものであったが、
町内会
に近い組織として創設されたのが,各町ごとに一八人の幹事を置く組織であり、各戸を網羅した初の本格的な
町内会
組織であったとみられる。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(体育振興会)
すなわち、地区連合の体育振興会の結成であり、それは今日の
町内会
単位の体育振興会ないしスポーツ振興会の先駆,その結成は三十六年であり、当初九地区が一体となり、
町内会
・地区商工振興会・婦人団体を協力団体として成立
新札幌市史 第4巻 通史4
(成立の経緯)
市民ヲ組織結合シテ、地方公共ノ要務ニ協力セシメ、併テ国民精神総動員ノ実践的下部組織トシテ、本市特有ノ
町内会
設置,十四年九月、内務省が部落会
町内会
の充実に関する訓令を出していたことや、十六年の市長任期満了時における再選非再選,また住民の自治性の強い親睦会、
町内会
、自治会等が多数存在していたことも、公区組織を容易にしたと思われる
新札幌市史 第4巻 通史4
(鉄北の住民組織)
以上の他にも、鉄北地区には
町内会
的なものを含めて四丁目会、北光和親会、北九条会、北十条会、北星協和会などが
新札幌市史 第4巻 通史4
(「紀元二千六百年」行事と新体制)
行列に参加した人びとは「奉祝紀元二千六百年」の幟の立ち並ぶ沿道を日の丸の小旗を手にして行進し、狸小路の
町内会
新札幌市史 第4巻 通史4
(市常会の新設)
市内における各種行政の総合的運営をはかり、
町内会
(公区)の目的達成のための協議機関を置くべしというのである,さらに、道庁は衛生組合、道路保護組合、火災予防組合、銃後奉公会等を廃止し、その業務を
町内会
(公区)が肩代
新札幌市史 第3巻 通史3
(困窮する出征軍人家族)
設立を町村に通牒し、先に紹介した北海道尚武会、札幌奉公義会をはじめとした各村の奉公義会、各種婦人団体、
町内会
組織
新札幌市史 第5巻 通史5上
(公区制度の改革)
公区制度の改革 昭和二十年十二月二十二日、内務省は各地方長官宛に通牒を発し、
町内会
・部落会の弊害の是正
新札幌市史 第3巻 通史3
(奉公義会)
以上の官設的な団体のほかにも帝国婦人会、愛国婦人会などの婦人団体、
町内会
組織による様々の支援、救護活動
新札幌市史 第3巻 通史3
(相次ぐ「公葬」と〝英霊〟の奉祀)
は一月十九日に執行されたが、北七条西二丁目の自宅から葬儀場となった南三条東四丁目の北海寺まで北友会(
町内会
新札幌市史 第5巻 通史5下
(ごみの減量化とごみ・清掃の普及啓発活動)
資源となるごみを業者に回収してもらうリサイクル方式は、昭和五十四年(一九七九)には
町内会
の三分の一が実施,そのため
町内会
とともに札幌市清掃部がごみパトロールをして注意を喚起した(道新 平4・8・2)。
新札幌市史 第4巻 通史4
(中正会と東方和合会)
しかし、東方和合会もやがて
町内会
的な組織に性格を変えていったようである。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(赤痢と衛生協力会の結成)
赤痢と衛生協力会の結成 占領終結によって
町内会
結成禁止の制約が事実上解除された。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(札幌市体育指導委員制度)
された任務は、市教育委員会の行う体育事業(市民体育大会・市青年スポーツ大会・スポーツテスト)の協力、
町内会
連合会
新札幌市史 第4巻 通史4
(動員の諸相=銃後後援組織)
郷軍市聯合分会のもとには、
町内会
・学校ごとの分会、さらに班に分かれ、日中戦争以後は家庭と郷軍とがより密接
新札幌市史 第5巻 通史5下
(ススキノと郊外の歓楽街)
そんななか十一年にはすすきの観光協会やすすきの社交料飲組合、
町内会
など一四団体が「薄野こうでナイト会議
新札幌市史 第5巻 通史5上
(官製婦人組織への反発)
道内の学校を卒業した一三歳以上全ての女性を会員とし、札幌に本部を、支庁・市町村に支部を、
町内会
・部落会
新札幌市史 第5巻 通史5下
(介護認定作業から実施へ)
介護認定作業から実施へ 介護保険制度の実施にあたり、市では市民PRとして、十一年八月には連合
町内会
を
新札幌市史 第5巻 通史5下
(健全な「家庭づくり」を中心に)
さらに毎年札幌市女性大会(昭31~)を、教育委員会・PTA協議会・各区連合
町内会
女性部・消費者協会等の
新札幌市史 第4巻 通史4
(公区精神)
十九年二月、内務省は
町内会
等があまりに行政補助機関化し、隣保自治の精神が失われているとして、隣保団結の,太平洋戦争の終結により、公区等
町内会
部落会は、戦争遂行の末端組織としてアメリカなど連合国総司令部から解散
新札幌市史 第4巻 通史4
(教化運動と敬神思想の普及)
敬神思想の普及と強化には、市町村などの自治体、部・区あるいは
町内会
・部落会などの行政・住民組織、学校などの
新札幌市史 第4巻 通史4
(祭典区の増加と聯合公区への移行)
新設の公区・聯合公区とは、「
町内会
の再編成であり従来、祭典区に編成されてゐたものを合理的に廃合、更にこれを
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