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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (通行屋番人の役割)

通行屋番人の役割 鉄一がその後、いつ通行屋の番人になったか不明である。,しかし、先の「北地内状留」でみたように、文久元年五月には番人になっていたことは確かである。,それ故、安政五年六月以降、文久元年五月までの間に鉄一は通行屋の番人となったとしか、現在のところおさえることができない,志村鉄一の役割は、『さっぽろ昔話』によると、(一)通行家の番人、(二)渡守、(三)豊平川の密漁取締り、 / 通行屋番人の役割
新札幌市史 第1巻 通史1 (請負体質の弛緩)

幕末阿部屋の内部問題として、①幹部間の対立による業務の渋滞、②使用人の独立志向、③番人の不正横行にともなう,多くの請負人は松前の福山城下に住み、場所検分の巡廻はしても、現地の運営は支配人を頭とする番人等に委ねられる,阿部屋は天保三年以来番人を勤めあげた円吉を、嘉永五年支配人に抜擢しイシカリ場所をきりもりさせた。,しかし、その経営は長つづきせず、まもなくオホーツク海岸のモンベツ漁場の番人(帳役)として赴く。,不良番人が阿部屋の信用を著しく失墜させたことはまちがいない。
新札幌市史 第1巻 通史1 (通行屋の整備)

豊平渡守銭取立方御取極、同所ヘ夜具之外弐三人前分御廻、通行之節差向差出之品無之様致度、先触ニテ石狩より御遣し之番人間,ニ合不申之節ハ、鉄市番人代リニテ取賄、止宿差出無之様いたし置度之事  但土人ハ渡シ賃不取立之事  ,)通行屋には夜具等を二、三人分まわし、宿泊に支障をきたさないようにすること、次に(三)役人通行の折、番人
新札幌市史 第1巻 通史1 (モニヲマの家族)

[叔母]女 トシキラン 五十三歳 サツホロ家有 ハ 娘 クシリモン 三十三歳 元モニヲマ妻也 番人六太郎妾,しかし、番人六太郎(『丁巳日誌』では藤吉)の妾とされてしまう。,人別帳にある当歳の娘は、番人との間の子供であった。,、祖母ノ機嫌相伺可申ト存候得共、支配人ヨリ堅ク被相禁、無拠其儘機嫌モ不相伺、尤モ前妻ヲ迎候得共、当処番人藤吉,自分が番人たちよりうけた責苦を彼女に及ぼすまいと、一緒に他所への出奔をすすめたりしている。
新札幌市史 第1巻 通史1 (松浦武四郎の総括)

②番人の妻妾女性の堕胎。    ③独身男性の増加と出産の減少。  ,③番人などによる性病の伝染。    ④番人の責苦による自殺、身体の障害。    
新札幌市史 第1巻 通史1 (人口の減少)

必要なだけの産物を捕獲さえしていればよい生活から、番人の命令によってイシカリ川の上流域に住むアイヌまで,そのひとつに、単身赴任の支配人・番人によるアイヌ女性の妻妾化の問題があった。,ペラトルカは、シロサンという婿をとって仲むつまじく暮らしていたが、イシカリの番人寅松がペラトルカに横恋慕,イルカシという一一歳の女子をはじめ四人の子供がいたが、下の子供たちが二、三歳の頃、妻のシュツチロシは番人,同じ著者の『東西蝦夷山川地理取調日誌』には、イシカリ場所の番人の妻妾にむりやりされた事例が三二例も確認
新札幌市史 第1巻 通史1 (知行と勤番)

写真-1 蝦夷地勤番之者心得向(道立文書館蔵)  勤番人数は、文政四年当時蝦夷地全体で一六〇人がおり,天保九年(一八三八)の『蝦夷情実』(函図)によれば、イシカリ、ソウヤ、カラフトの西蝦夷地の勤番人数は四二人,その後、勤番人数はさらに増員され、天保十四年には蝦夷地全体で二〇二人にのぼり、弘化三年(一八四六)のイシカリ,この足軽というのは、いわゆる足軽ではなく、場所請負人が派遣している番人に必要に応じて帯刀させ、足軽に登用
新札幌市史 第1巻 通史1 (田草川伝次郎)

夜九時頃に至り雨強風も出蝦夷人こゞえ難儀之由に付川岸に船繫ぎ岡にて火を焚夷人番人等夜を明す。  ,イチヤリブト泊家より番人迎舟にて来。昨夜来候所行違ひシユママツケ迄行引返し候由申聞。,シコツ[千年川とも云]会所より番人来。取扱平生は明家のよし。,一  シコツ迄陸路有之旨石狩支配人申聞候に付泊家番人に承候処野地水深く蝦夷往来も無之由。,是はシコツ番人に尋同所右之通答ふ。
新札幌市史 第1巻 通史1 (松浦武四郎の批判)

松浦武四郎の批判 アイヌのおかれた悲惨な状況、支配人・番人などによる圧迫と抑圧に胸をいため、アイヌの,中でもとりわけ、これまで主に紹介してきた『丁巳日誌』は、人別帳の虚偽の問題、不当な強制労働、支配人・番人
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム)

25) 悴タミチヨ(改名エンキヒ) (8)  ①の僕シユツタはすでに死亡しており、女ヲシンタカレは番人,その後、番人がアイヌ女性を妾とすることが禁止されたので、タミチヨを連れて戻ったのであろう。
新札幌市史 第1巻 通史1 (山田家の出稼形態)

2年) 出稼地 目的 アイヌ 人数 和人 人数 出発月日 (届出) 帰着月日 (届出) 付添番人,備考 人 人 番人は父親事故のため4月帰場 アイヌ140人の内123人帰場,これらの人は山田の引場だけでなく阿部屋にも雇われ、そのまま阿部屋の番人になる者もいた。
新札幌市史 第1巻 通史1 (箱館奉行への対捍)

対捍 阿部屋は種々の面で箱館奉行の政策には反対し、あえて対捍をおこなっていたが、そのことはアイヌへの番人,せども、三ケ年も過候時は松前殿え戻り候間、其積りにて余り江戸ニシハの申言を用いぬ様に……  以上の番人
新札幌市史 第3巻 通史3 (踏切等の設備)

さらに西六、七丁目の踏切には一人の番人を配置し、鉄鎖を設備して車両通行中は人の往来を遮断していたが、くぐり
新札幌市史 第1巻 通史1 (アイヌ支配の構造)

文政壬午西地引渡演説書)というごとく、アイヌの主だったものが相談のうえ選んだ人物を、場所支配人が吟味し、番人,⑦上流に居住する者で、飯料が足らない者たちのために、毎年越年番人が出かけていって越年飯料を用意しておくので,⑧漁事の時はもちろん、平素でも支配人、通詞、番人の指図を受け、働くよう一同に申渡すこと。,⑩山林樹木のある場所で野火を焚いてはならないこと(番人円吉蝦夷記)。  ,になおして合計六四一人に「賜り物」がなされたことになる(寅二月西蝦夷地イシカリ御場所蝦夷人別並介抱方支配人番人稼方人数仕込品出産物調子書上写
新札幌市史 第1巻 通史1 (通行屋の建設)

トヨヒラの通行屋がいつ完成し、番人がおかれるようになったのか定かではない。,しかし、翌安政六年中にはサッポロ越新道も完成したと思われるので、この頃までには番人もおかれ、通行屋も普請
新札幌市史 第1巻 通史1 (番所の設置)

安政五年十一月に、番家一五棟(各一五坪)の新設が申請され(市史六七頁)、ここに同心・足軽・勤番人が詰めることになり,また、アイヌの「撫育」のために、特に上川チクヘツ(同心、中西清三)、中川トツク(勤番人)、ユウバリ(同心,十一月の「書付」にも、「漁業中役人・勤番人共不足ニ付、在住次三男幷家来等雇」といわれているが、在住の次三男
新札幌市史 第1巻 通史1 (人別帳にみる人口構成)

さらにもう一方では、アイヌ女性が支配人・番人の妻妾とされたことにも原因がある。,これは安政二年(一八五五)七月、支配人・番人がアイヌ女性を妻妾とすることを禁止し、妻子の同伴を奨励した
新札幌市史 第2巻 通史2 (社殿等の建築と官幣小社への昇格)

ただし若干の整備はされ、六年八月現在では仮宮のほか幣殿、拝殿、鳥居、神饌殿、直会所兼溜所、漱水所、さらに番人小屋等
新札幌市史 第1巻 通史1 (【主要参考文献・史料】)

天保十五年公用私用共書込日記」『アイヌ政策史』(高倉新一郎)、『蝦夷誌』(函図)、金田一京助解説・成田修一撰『番人円吉蝦夷記
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム番所)

軽物はもともと、運上屋のみの交易では不足であったので、番人が番屋に越年して捕獲と収集にあたることも多かった,足軽も番人の役割をひきついだのである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (山岡精次郎の退去と農民)

さらに『西蝦夷地高島運上家日記』には同年十月十日の項に「今日山岡様御通行相成、見立番人兵七殿喜太郎弐人
新札幌市史 第1巻 通史1 (北方領土問題とアイヌ)

周知のようにアイヌは、場所請負制下にあって場所支配人・番人などにより、交易・労働などの面で種々の搾取をうけ
新札幌市史 第1巻 通史1 (阿部屋の漁業経営)

これに対し改革後大幅に増加するのは番人、稼人、アイヌ雇人などの給金や手当金で、いわば人件費が経営悪化の
新札幌市史 第3巻 通史3 (会議所の設立認可基準)

この後、俱楽府は「僅かに一名の番人を置き漸く命脈を保持」(道毎日 明30・1・26)するという不振な時期
新札幌市史 第1巻 通史1 (東寗元稹のみたイシカリ)

深き処は三、四十尋も有、(中略)番人等網を以て魚をとる。うくひといふもの也。
新札幌市史 第1巻 通史1 (アイヌ政策の変化)

② 支配人・番人が、アイヌ女性を妾となすことを禁止。  ③ アイヌ男女の結婚の奨励。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (慶応元年の人別帳)

サッポロ番所の勤番人は足軽亀谷丑太郎となっているが、丑太郎は後にハッサム番所の担当となる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (寛政十年蝦夷地調査)

支配人、番人共夷人までも、外場所より着類等よろしきかたなり。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (詰合役人の役割)

特に、場所請負制下にあって、場所支配人・番人のアイヌに対する苛酷な使役、非道な取り扱いに対する取締りと
新札幌市史 第6巻 史料編1 (〔村山家資料〕)

船皆具家木薪伐出しヶ所地名 年中漁業手配方仕来書幷秋味糸網夷人榀網員数書           当卯年鯡場出稼番人夷人名前書幷鯡網員数書
新札幌市史 第1巻 通史1 (城六郎の北地出張)

クシュンナイには、イシカリ役所の役人・番人などが越冬して、出稼所の取締りにつとめ、同心広田八十五郎のような
新札幌市史 第1巻 通史1 (上サッポロとモニヲマ)

サッポロなる処の小使役を勤けるモニヲマといへるは当年三十七歳、妻はクスリモンといへるがありしも、是は番人
新札幌市史 第1巻 通史1 (ウライの没収と出漁禁止)

このため、通行屋の番人にリキヤとカシュヒタの二人の千歳アイヌを配置することとし、その飯料として、シレマウカ
新札幌市史 第1巻 通史1 (雇の実態と代償)

現在の札幌市域に包括されるアシリベツ、コトニ、オソウシ辺には、秋味漁が終了した時点で番人がそれぞれの番屋,は、「一日一人ニ付玄米五合宛、外割鯡等見斗ひ添」(寅二月西蝦夷地イシカリ御場所蝦夷人別並介抱方支配人番人稼方人数仕込品出産物調子書上写
新札幌市史 第5巻 通史5上 (終戦直後の状況)

「別れも愉し」(大映)、「北の三人」(東宝―のち、上映禁止)の八本で、中でも「狐の呉れた赤ん坊」が一番人気
新札幌市史 第1巻 通史1 (運上屋)

洪水ニ付通行家ハ番人壱人も無之、明家(あきや)ニテ私共ノ蝦夷持余ノ米ヲカギ、誠ニ野宿同様ノ事ニ御座候。
新札幌市史 第1巻 通史1 (衰退の要因)

支配人や番人の責苦に耐えられず、モニヲマなどは他所への出奔を思いたったこともあったが、実際にそのような
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ改役所の設置)

ほかに秋の鮭漁期は多くの勤番人が必要となるから、在住などを臨時に雇い入れ、金銭と鮭で報酬を払うことになった
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政四年の調査)

スッツ、ヨイチを経て五月十七日イシカリに着いた武四郎は、直ちに案内人を手配して四人のアイヌの人たちを得、番人小太郎
新札幌市史 第1巻 通史1 (十二場所論)

そして「石カリ番人、一年一ト来ル」と説明がついているところをみると、このカムイコタンは現在の旭川市周辺
新札幌市史 第1巻 通史1 (検分の成果と影響)

3、在住歩卒として漁場番人100人を仕立てる。   ,○3~8月国境見廻り ○在住歩卒と夷民へ警衛の訓練   ○番人家族の教化 5、夷民が公儀を重んじるように,夷民の気味合 1、支配人、番人の呵責。   
新札幌市史 第1巻 通史1 (直場所の経営費)

佐々木勝造談(恵比寿屋の番人だったが、改革で改役所の帳役付となり、のち取締役並に昇任。)
新札幌市史 第1巻 通史1 (鍬取り上げ事件)

、土人等に悪き風流行して土人等が死ぬ程に、其故何も人間(シシャモ)の直(真か)似をする事なかれ」と、番人
新札幌市史 第1巻 通史1 (松浦武四郎のイシカリ川筋探検)

乗組員は、番人一人、首長一人、アイヌの水主三人と武四郎の六人だったようである。  ,イシカリ番人川筋へ軽物取りに上る。 サヌイベツ 左岸枝川。漁猟多し。両岸柳、桑、雑木多し。
新札幌市史 第1巻 通史1 (諸施設)

ヲソウシ」、「コトニ」、「ユウハリ」には、茅小家の番家がそれぞれ一戸ずつあるのみで、秋から冬にかけて番人
新札幌市史 第2巻 通史2 (衛兵と警衛勤務)

藻岩山麓(現中央区旭ヶ丘)にある火薬庫にははじめ常駐の番人を置いたが殺害され、屯田兵による輪番守衛に変
新札幌市史 第3巻 通史3 (安東嵩村の図書館設立論)

別に番人あらざるも書籍は紛失せざるのみか、備付の書画順序一も転倒することなし。
新札幌市史 第1巻 通史1 (役人の増員)

五郎一は御普請方役所門番人出役から、安政二年十月十六日に調役下役となる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (直轄と経営方針)

これにともなって、東蝦夷地内の各場所を会所とあらため、幕府が直接経営にあたることをアイヌに伝えるとともに、通詞、番人
新札幌市史 第1巻 通史1 (遠山・村垣一行)

通行によって、前章でも触れたように、シコツ越え道整備のためイザリブトに通行屋を建てることにし、通行屋番人二人
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