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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (週番所)

週番所 各兵村ごとに、運営の中枢機能を果たすべく設置されたのが週番所である。,中隊ごとに週番所を設置する規定は八年五月にでき、最初の週番所が琴似に生まれる。,創設時の名称は、琴似を第一中隊週番所、山鼻を第二中隊週番所と呼んだが、開拓使の廃止による両兵村各二分割,の四中隊編成替にともない、第一・二中隊を合わせ琴似週番所、第三・四中隊合わせて山鼻週番所とあらためた。,写真-5 山鼻週番所(北大図) / 週番所
新札幌市史 第1巻 通史1 (番所の設置)

番所はこれらの建物の位置を一部ひきつぐと同時に、番所の数をふやし、広範囲な支配の実効をはかるものであった,これによるとまず第一に、すでにトクヒタ・ヒトエ・チイシカリ・上トウヤウシの各番所がみられ、番所の設置は,一方では、ホリカモイなど番所ではなく、在住派遣の「御掛」の所もあり、これ以降、番所が新設・拡充されていった,第二に、番所には同心・足軽、「御掛」には在住が担当となっており、番所はイシカリ役所の出先機関としての位置付,安政五年八月二十一日に、シビシビシのテリヤンケが、マクンベツ番所前にて溺死する事件があったが、この番所 / 番所の設置
新札幌市史 第1巻 通史1 (シノロ番所)

シノロ番所 なお、札幌市域ではシノロにも番所が、後におかれるようになった。,シノロ番所は、鮭漁の臨時の番所か、または荒井金助、中島彦左衛門などの主導による開墾、大友亀太郎による御手作場,シノロ番所の設立時期は不明であるが、慶応三年(一八六七)八月二十九日付の足軽西村嘉右衛門より大友亀太郎,「今般シノロ出役被仰付」とあり(大友亀太郎文書補遺 札幌の歴史 一三号)、あるいはこの時期が、シノロ番所,明治三年(一八七〇)四月に作成された『兵部省分引継書類』には、シノロ・ハッサム番所各一棟が記載されており / シノロ番所
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム番所)

ハッサム番所 足軽の亀谷丑太郎は、四年間にわたりハッサム番所詰をつとめていたことが、先の『荒井金助事蹟材料,④ オベツカウシ(発寒)にも勤番所あり。,この番所の役割は、第一に材木の伐り出しにあった。,ハッサム番所は、おそらく安政五年に設置されたのであるが、先の「書付」にはサッポロ番所の設置、及び亀谷丑太郎,しかし、サッポロ番所が漁時限りなので、丑太郎はサッポロ番所から詰切りのハッサム番所に変更になったと思われる / ハッサム番所
新札幌市史 第1巻 通史1 (番所の管轄・地域)

番所の管轄・地域 なお、旧場所がどのように四番所の管轄に変更になったかという点であるが、同一断簡中に,)上ユウバリ、下ユウバリ  ⑤上ツイシカリ、サッポロ、下ツイシカリ  これらから判断すると四つの番所,おそらく(三)ハッサムの番所の区域と思われる。,(四)上川の番所はこのチクベツにあったが、上川は五一軒、二〇九人と最も人別が多かった。 / 番所の管轄・地域
新札幌市史 第1巻 通史1 (慶応元年の人別帳)

ところで、四カ地域に番所が設置されるのは安政五年十一月以降である(村山家資料 新札幌市史 第六巻)。,この時、上川チクツヘツ(現秩父別町付近)、中川トツク(現新十津川町付近)、ユウバリ、サッポロの四番所がおかれた,サッポロ番所の勤番人は足軽亀谷丑太郎となっているが、丑太郎は後にハッサム番所の担当となる。,これはサッポロ番所はおかれず、ハッサム番所に変更になったためである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ役所の創設)

五月には制札場、弁財天・稲荷亀鮫社、龍神社、武器蔵、勤番所、備物蔵の移管がおこなわれた。,役人が詰める勤番所の統轄・管理が、請負人の手を離れ、ここにはじめて〝政商分離〟がはかられたのである。,勤番所は一棟で、桁間一六間、梁間六間半、坪数一〇四坪という宏壮なものであった。,当時の勤番所は、現在の石狩町弁天町に所在し、村山家の旧運上屋に隣接していた。,この勤番所を新たに役所(御用所)として、対岸の八幡町に移設し、役宅などを新築する伺いが、この十一月に出
新札幌市史 第1巻 通史1 (作成原理の変更)

作成原理の変更 安政三年の各場所ごとから、慶応元年に端的にあらわれている番所ごとへの変化は、番所がアイヌ,このようにみると、慶応元年の人別帳は、各人別を居住地ないし出身地にもとづき、それらの地域を管轄する番所
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政六年の人別帳)

の人別帳にもみられるように、イシカリ場所の場所名ではなく、イシカリ役所及び改会所の出張所の役割をもつ番所,安政五年のイシカリ改革により場所が廃止となるにともない、人別帳の作成様式はこれまでの場所ごとではなく、番所
新札幌市史 第2巻 通史2 (衛兵と警衛勤務)

まず週番所の宿日直が毎日伍長交代であり、伍長当番日はその伍下が一昼夜公役に服するものとされ、加えて小隊,札幌市中で火災水害など非常事態が発生した時は、開拓使から急報を山鼻兵村の週番所に達し、屯田兵は直ちに開拓使西門内,脱走囚の死因をめぐり検視と埋葬の権限で対立し、その処置を不満とする山鼻兵村の屯田兵が札幌市中の警察交番所,に押しかけ、巡査を追い出し交番所を破壊したため、警察側は二人の屯田兵を拘引留置した。
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサムよりシユママツフへ)

ハツシヤフには、後に番所がおかれることになる。,ここまでトイヒラより五里で、この後、千歳川の番所に至っている。
新札幌市史 第1巻 通史1 (吉田茂八)

再び『荒井金助事蹟材料』の亀谷丑太郎の聞き取り調査によると、茂八は丑太郎がハッサム番所に勤番していた安政五年,また茂八は猟師を業としたというが、ハッサム番所では軽物交易の皮革類を収集しており、そのために丑太郎によりとりたてられ
新札幌市史 第1巻 通史1 (産業)

石狩場所改革方取計之儀申上候書附」のうちに、 一  在住召遣農夫為助成鍵取漁差免候ニ付、サツホロ川エ番所壱,ケ所足軽附限、其余出稼人漁場ハツサフ、ツイシカリ、ヒトヰ、トウヤウシ四ケ所番所取立、同心足軽之内壱人宛詰切
新札幌市史 第1巻 通史1 (知行と勤番)

ただし、西蝦夷地は幕府直轄時には、勤番所が五カ所あったが、今回はイシカリ・ソウヤ・カラフトの三カ所に減,この勤番所には、物頭あるいは頭役以下を派遣し、年々交代とし、警備と行政監督をも任務とした。,越年手当も、オタスツが一六〇~一七〇両くらい、イシカリが五五~六〇両くらいと決まっており、イシカリ勤番所
新札幌市史 第2巻 通史2 (装備・施設)

兵村のシンボルである週番所のそばには広い練兵場が開設された。,琴似兵村でははじめ週番所の東側(現琴似神社辺)をこれにあてたが、授産所の建設などで手狭になり、南側(現北五条手稲通,このほか幹部や週番所用にピストル、室内銃、スナイトル銃等があった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (調査の概要)

①松前、江差番所箇所のこと。  ②西地のうち勤番所の箇所、勤番人数、武器人員。,カラフトの勤番所および渡海船。  ③松前、江差に立てている御条目、領主よりの制札のこと。  ,石狩 [海路六七町引込候間、勤番所有之、松前若狭守家来上役壱人下役両人相詰候。
新札幌市史 第2巻 通史2 (住区画)

琴似では当初配分されなかったが、他兵村ではこの宅地に接続する給与地(農耕地)があり、それに週番所、学校,住区画のほぼ中央で交差するよう敷設された道路の十字部分に週番所、練兵場、学校等管理共用施設が位置する。,ここをとりまく宅地や農耕地(給与地)の面積は約四八六ヘクタールにおよび、開拓使庁舎と週番所の直線距離は,琴似の住区画は川の両岸に分離しているが山鼻はひと続きの地域にまとまり、それを東西に編成していること、週番所
新札幌市史 第1巻 通史1 (アイヌ支配の構造)

アイヌ支配の構造 勤番所に配置された勤番は、藩士が年々交代で勤務についた。,「役土人」のおもな仕事は、各場所(コタンにほぼ一致)を代表し、統率するものであったので、勤番所や請負人,アイヌの「撫育」方法は、勤番が受持区域を巡回して行う方法と、勤番所へ各場所の「役土人」を招集して行う方法,もし和人が非分のことを行った場合、勤番所へ申出ること。  ,支配人が聞き入れない場合は勤番所へ申出ること。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (アイヌへの種痘)

イシカリには、また松前藩の勤番所と同様に医師がおかれていた。
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政三年の調査)

〈イシカリ〉嘉永四年(一八五一)七月の長雨で出水し、イシカリの建物等すべて流され、運上屋、勤番所等は浜手,元小屋と呼ばれる運上屋(梁八間半、桁二七間半)、勤番所(梁六間半、桁一二間)のほか、武器蔵(梁一間半、,このイシカリ勤番所には、箱館奉行所の調役並、下役、雇医師、同心、足軽の各一人の計五人の幕吏が勤番している
新札幌市史 第1巻 通史1 (和人地と蝦夷地)

東を東蝦夷地または下蝦夷地と称し、知床岬をもって、東西蝦夷地の分岐点とし、東・西地の境、亀田、熊石に番所
新札幌市史 第1巻 通史1 (擁護の地)

寛政酉年キイタツフ、クナシリ之夷人騒擾ニ依テ領主改正シテ奥蝦夷地ニ番所ヲ建、士人ヲ置ト名ノミ有テ其備甚,(中略)蝦夷地浦々ノ内山陰追送ヨキ湊へ御陣屋又ハ御番所等十一ケ所ホト取立其辺浦々ヲ守ラシメン。,イシカリを奉行所あるいは領主・地頭の居所とし、擁護の地とすること、③蝦夷地内の防衛上適した湊に陣屋もしくは番所
新札幌市史 第1巻 通史1 (諸施設)

①勤番所 運上屋の前方にある。玄関付きで長屋がずいぶん大きい。アイヌ二人付添。  ②運上屋 南向。,④蔵 勤番所の表にあり、弁天社の道の両脇に二〇余戸ある。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (弘化三年の調査)

〈イシカリ〉イシカリには松前藩の勤番所があり、その建物は玄関付の大きなものであり、ここに重役(目付代),イシカリ勤番所より年一回見廻りがあったが、現在金子を渡して見廻りを断るようになった由。
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ通過の第一報)

イシカリについては、オタルナイより船路七里余とし、 イシカリ  運上家幷勤番所、蝦夷家有之。
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌乗合自動車株式会社)

最初の資本金は二万円の予定で、第一期線を山鼻交番所前~札幌停車場前間とした(北タイ 大12・2・22)
新札幌市史 第1巻 通史1 (御手作場の地所選定)

ついで同二十七日にイシカリを発してハツサムに赴き、そこにある番所を受け取って宿泊、同二十九日より御手作場
新札幌市史 第1巻 通史1 (蝦夷地絵図)

に、「耕作之地ト可成所」は黄色にと、土地を種類別に色分けしているのをはじめ、「惣守護可置所」、「陣屋番所等可立所
新札幌市史 第1巻 通史1 (第二次直轄とイシカリ)

イシカリ改革にともない、イシカリ詰の勤番所はイシカリ役所と称されるようになった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (嶋田熊次郎)

この紀行書簡から嶋田の見たイシカリをうかがうと、①石狩川の大きさと流木の多さ、②石狩平野の広さ、③勤番所,③勤番所に関心を示したのは本調査の主要目的からして当然のことであろう。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリの機能)

これをみると枢要の地イシカリとは、石狩川河口の運上所や勤番所を中心としたイシカリの集落地域のみを指すのではなく
新札幌市史 第1巻 通史1 (足軽)

武川勇次郎と共にながくイシカリ詰をつとめ、ハッサムの番所詰めであった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (詰合役人の役割)

イシカリは一三カ場所の運上屋(元小屋)が所在する本拠で、蔵や出稼小屋など四十数棟が立ち並び、勤番所・武器庫
新札幌市史 第1巻 通史1 (城六郎の北地出張)

クシュンナイは、北地(カラフト)詰の勤番所があり、西シララオロ、ナヨロ、ウシヨロに詰所がおかれていた。
新札幌市史 第1巻 通史1 (準備された手引書)

松前箱館雑記 一)べ、運上金、出産物、アイヌ人別と役名、漁場と三年間の出荷高、漁業期間、場所の備米と仕込米、勤番所
新札幌市史 第1巻 通史1 (直䑺)

船改めは文久三年テミヤに会所を開設するまでは、イシカリ改役所で切手を渡し、ホリカムイ番所で船の出入を見張
新札幌市史 第1巻 通史1 (城六郎開墾地)

しかし参考になるものとして、荒井金助の部下で、北蝦夷地クシュンナイ勤番所の責任者でもあった城六郎のイシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1 (同心・足軽)

これは、鮭漁をひかえ漁場への出役か、またはシノロ番所の成立ともみられる。
新札幌市史 第4巻 通史4 (警察署の設置)

十三年、市内三カ所に交番所を設けるが、十五年に五カ所となり(薄野、南1西7、北3東2、創成橋畔、南5東
新札幌市史 第1巻 通史1 (改革発表後の動向)

改革発表後、五月に阿部屋伝治郎の請書が差し出され、勤番所等の建物の移管もおこなわれた。
新札幌市史 第1巻 通史1 (『野作東部日誌』)

運上家幷勤番所有[東部ハ会所ト唱、西部ハ運上家ト云。
新札幌市史 第1巻 通史1 (中田儀右衛門・福玉仙吉ほか)

また『札幌郡調』には、イシカリ役所の足軽亀谷丑太郎が、ハッサム番所詰となり、「今ノ手稲村の橋上」に農地
新札幌市史 第1巻 通史1 (大友亀太郎のサッポロ選定)

大友は慶応二年の四月二十七日にハッサムに入り、そこの番所に宿泊して、二十九日よりいよいよ設立すべき御手作場
新札幌市史 第1巻 通史1 (目賀田帯刀の『延叙歴検真図』)

第三に、④ハツシヤブ(写真4)に小休所が描かれているが、ここはベツカウシとも呼ばれ、番所とともにハッサム
新札幌市史 第1巻 通史1 (直場所の経営費)

亀谷丑太郎談(改革の年イシカリ役所詰となった足軽、ハッサム勤番所に在勤した。)
新札幌市史 第1巻 通史1 (西蝦夷地見回りへ)

川上枝川東西惣蝦夷地へ連なって、川上にはアイヌも所々に住んでいて、河口には運上屋が一三カ所あって、松前藩の勤番所
新札幌市史 第1巻 通史1 (山田家の難儀)

この日箱館沖の口番所仕法替を問屋一同ヘ口達。
新札幌市史 第1巻 通史1 (北方未来考)

②諸所に城砦、番所を配置し、人数、武器を配備し、諸士を土着させる。  
新札幌市史 第4巻 通史4 (本署新築)

近頃遊園地(注・中島公園)の方で、交番所の造り換へに際し、政府の予算は木造で、費用はそれしか出ないが石造
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

動向     三 イシカリ役所と機構        イシカリ役所の創設 役人の増員 同心 足軽 番所,の設置 ハッサム番所        シノロ番所 調役の政務 学問教授所 イシカリの繁栄     四,安政三年の人別帳 「不人別帳」 安政六年の人別帳 慶応元年の人別帳        作成原理の変更 番所
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