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新札幌市史 第4巻 通史4
(白石村)
白石
村 札幌市
白石
町は大正九年に札幌遊郭が移転してきて以来発展を続け、一条橋の架橋がなり電車が一条橋,その宅地化の波はやがて境界を越えて隣接の
白石
村の横町、東札幌方面にも及ぶようになっていた。,『北海タイムス』に連載された「大発展の
白石
町界隈」(大11・6・21~24)は、この時期の
白石
町の発展振,当時、この付近の境界は現在の国道一二号線であり、以東が
白石
村大字上
白石
であったが、この影響を受けて上
白石
,昭和六年六月には上
白石
橋も架橋されている。 /
白石
村
新札幌市史 第5巻 通史5上
(白石村の合併)
白石
村の合併 札幌市で
白石
村の併合が初めて正式に取り上げられたのは、昭和二十四年(一九四九)十月十三日,市側の動きに対し
白石
村側も積極的に応じ、同年十二月五日には村議会に地域変更調査特別委員会を設けた(
白石
村合併,に関する経緯資料 以下
白石
経緯)。,は至難であらう」と述べた(
白石
資料)。,三月二十五日に開催された
白石
村議会では、「
白石
村を札幌市に全村編入の件」を審議・可決するとともに、村長 /
白石
村の合併
新札幌市史 第3巻 通史3
(白石村の概況)
白石
村の概況
白石
村は明治三十五年四月一日に
白石
、上
白石
の二村を合わせ二級町村制が施行されて設置となった,このように
白石
村は周辺村の中では一番の米どころとなっていた。,ここには鈴木煉瓦工場が所在し
白石
煉瓦も有名であった。 ,なお、大正九年の地区別戸数、人口は表3のとおりである(
白石
村誌)。,村の中心は、役場が所在し三十六年四月に
白石
駅も設置された本通、厚別駅のある旭町に分かれ、両地区には市街 /
白石
村の概況
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村の動向)
白石
村の動向
白石
村は同郷の士族移住で、戸長に旧主の片倉景範をむかえ、明治四年に入植が始まってから十数年,
白石
村では村民が結束して道路修理、学校の新築、神社の再建などにあたることが多い。,『
白石
藩移住後継者団体資料』には、明治十六年十一月改の「
白石
村集会決議録」があり、二十八年までの決議が,
白石
村では十五年に、村民八二人五三〇円の寄付により
白石
学校を現在地に新築し、また村内六カ所の橋の架け換,えを八八戸より一円六銭四厘を徴収して行い、道路修繕・
白石
神社の修理なども行っている。 /
白石
村の動向
新札幌市史 第2巻 通史2
(上白石村の成立)
上
白石
村の成立 四年十二月に
白石
村に入植した元仙台藩片倉邦憲(小十郎)の家臣で、開拓使貫属となった一,しかし村設置のことは黒田清隆次官へ伺を出すこと、新
白石
村の名称は
白石
村と「同名ニ新古ノ別有之ノミニテ往々紛敷不少候,その時に村名について、「新
白石
村之義別ニ名称相立可然共存候得共、村民一同
白石
より移住之モノにて
白石
之二字存,シ置度情願ニ付、上
白石
と名付ケ申度」との「情願」により、上
白石
と改称されることになった(市史 第七巻二二二頁,上
白石
村の移転につき、二十五年一月に杉山順の著(あらわ)した「
白石
村移住顚末」(町村誌資料)によると、 / 上
白石
村の成立
新札幌市史 第5巻 通史5上
(白石隊の入植)
白石
隊の入植 一方、
白石
村では農兵隊一五戸を受入れたが、実際にはこれらの人々は上
白石
国民学校に収容され /
白石
隊の入植
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村への入植)
白石
村への入植 一行の入植地選定は十月八日以降に着手され、十一月二日に岩村通俊が「坂本(義広、少主典,十六日に『細大日記』によれば「貫属強壮之六拾五人」(『
白石
村移住以来保存ノ書類』では女性一〇人を含む六四人,こうしていまの国道一二号の両側に沿い村落が姿を現わし、村名も郷里にちなみ
白石
村と命名され、十一月二十五日,に「月寒村裏字モチキサツフ、更ニ
白石
村等相称候」(市史 第七巻二一三頁)と布達になった。,図-2
白石
村入植図 『奥羽盛衰見聞誌』下巻(
白石
市史資料)より作成。 /
白石
村への入植
新札幌市史 第5巻 通史5上
(白石村の場合)
白石
村の場合 農地改革以前の
白石
村では、村内農家の大多数は自小作の混同経営であり、これが農家の中核をなしていた,これは、
白石
村の都市近郊農村としての性格を反映したものである。,このような点は、
白石
村が旧仙台藩士族によって開拓されたという歴史に何等かの関連があるのかもしれない。,この調査では、札幌市のデータが札幌地区と
白石
地区とに分かれており、札幌地区の数字がいわば戦前の札幌市の,683.5 536.8 1,220.3 1,365.8 16.3 1,382.1 1,362.9
白石
地区 /
白石
村の場合
新札幌市史 第3巻 通史3
(白石停車場の新設)
白石
停車場の新設 明治三十五年札幌停車場は、付近農村の発達とともに貨物の集積が増加してきたため狭隘になりつつあった,(六キロメートル弱、一マイルは一・六〇九三四四キロメートル、一チェインは二〇・一一六八メートル)に上
白石
停車場,なお停車場開始後に新聞では、札幌
白石
間を三マイル五チェインと記している(明36・4・30)が、『北海道鉄道百年史,』(上)では、札幌と
白石
の区間を三マイル四六チェインと記している。,写真-1
白石
停車場構内(大10頃) さらに鉄道の施設としては、鉄道が国有化した後、苗穂に鉄道工場 /
白石
停車場の新設
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村の伍組と伍長)
白石
村の伍組と伍長 伍長は近世の五人組の隣保組織の系譜をひき、市在の民衆の監察機関の役割をもっていた,写真-5 松本判官から
白石
村へ贈られた「兵農一理の書」(札幌市武田清晃氏蔵)
白石
村の場合、五年六月,に二〇人の「
白石
村住貫属伍長」が任命され、伍長には月五円が給与された(奥羽盛衰見聞誌)。,これらは毎月末に戸長(
白石
村では副戸長)に提出し臨検を受けた。,この布達は
白石
、手稲の両村だけでなく諸村へも出されている。 /
白石
村の伍組と伍長
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇白石神社遺跡(S九四遺跡、白石区本通一四丁目))
◇
白石
神社遺跡(S九四遺跡、
白石
区本通一四丁目)
白石
神社の旧境内にあった遺跡で、現在は道々西野―
白石
線 / ◇
白石
神社遺跡(S九四遺跡、
白石
区本通一四丁目)
新札幌市史 第4巻 通史4
(白石・手稲村の例)
白石
・手稲村の例 番号二の争議は、直接的には小作人Kが折から始まった日中戦争に応召のため、地主への契約小作料,すなわち小作人Kは、昭和十年から
白石
村字北郷番外地の田村与平所有地に入地し、小作料は反当り玄米一九俵二斗三升二合,Kの家族には、
白石
村から軍事扶助金月額二一円が支給されていた。,このため、
白石
村北郷労力奉仕班が草取、稲刈、籾摺など延べ一二〇人分の労力奉仕を行ったが、それでも一九俵,このような状況をみた部落区長等は、地主に小作料の減額を交渉したが応じなかったため、所轄の
白石
巡査駐在所 /
白石
・手稲村の例
新札幌市史 第3巻 通史3
(小野幌の白石村編入)
小野幌の
白石
村編入 小野幌は江別村に所属していたが、大正二年四月一日より
白石
村に編入となった。,小野幌は「……
白石
村字厚別を距る事十町内外に過きず村民か日用品を購求するにも同村より、且つ小学校生徒の,小野幌の住民側でも四十四年十二月、大正二年二月に
白石
村への編入を請願していた。 / 小野幌の
白石
村編入
新札幌市史 第4巻 通史4
(豊平町と白石村)
豊平町と
白石
村 豊平町は明治四十一年四月一日に一級町村となり、もと石狩小学校の校長であった松崎亀二が,-12 昭和9年に新築された豊平町役場と松崎亀二郎町長(役場は現・豊平区月寒中央通7丁目)
白石
村,は昭和七年六月一日に一級町村となるが、それまで二級町村の時期は以下の人物が村長に任じられていた(
白石
村誌 / 豊平町と
白石
村
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇白石神社遺跡=S九四遺跡(白石区本通一三丁目北))
◇
白石
神社遺跡=S九四遺跡(
白石
区本通一三丁目北) 径一~一・五メートル、深さ五〇センチメートル程の / ◇
白石
神社遺跡=S九四遺跡(
白石
区本通一三丁目北)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S三五四遺跡(白石区本通一丁目南=旧白石村役場跡))
◇S三五四遺跡(
白石
区本通一丁目南=旧
白石
村役場跡) 後北式土器の土壙墓が確実なもので五個検出されている / ◇S三五四遺跡(
白石
区本通一丁目南=旧
白石
村役場跡)
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村同攻会・青年協会)
白石
村同攻会・青年協会 ここで村落部の文化活動の事例として、
白石
村に結成された同攻会および青年協会の,写真-11 同攻会雑誌第一号(道開) 一方、二十二年に結成された青年協会は、二十五年二月に『
白石
青年協会誌,二十七年暮頃から北海学友会編の『北海学友会雑誌』となったようであるが、三十一年四月に「第弐期」と肩書をつけた『
白石
青年協会雑誌,このように
白石
村では、青年を中心として在来の若連中などの活動に止まらない、旺盛な知識欲をふまえた活動が,
白石
村の外でも、たとえば苗穂村では講談会が組織され、活動していたが、さらに三十一年六月頃に閲読会を組織 /
白石
村同攻会・青年協会
新札幌市史 第4巻 通史4
(豊平・白石町の住民組織)
豊平・
白石
町の住民組織 豊平町は早くに発展した地域であり、大正十一年には一七〇〇余戸へとめざましく増大,このような歪みとなる案件を解決し、「回天的発展を期」して自治の興隆をはかることを目的に創設されたのが、豊平
白石
町自治協会,その後、同会では豊平町、
白石
村の札幌市合併なども活動目標として推進されている。,同会は昭和に入って休会したようであったが、六年五月十日に豊平
白石
自治会(会長・戸津高知)として再発足している,昭和に入りめざましい発展をみせてきた
白石
町では、「
白石
町東部方面住民の親睦と発展に資する」目的で六年二月十一日 / 豊平・
白石
町の住民組織
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石・手稲村と貫属取締)
白石
・手稲村と貫属取締 北地跋渉組の中で
白石
に残留していた片倉家臣は、四年三月十七日に開拓使貫属に編入,孝郷は札幌に到着後も貫属取締とされており、
白石
村の方を管轄することになる。 ,十一月十八日に榊原次郎七(直温)、管野定武(宜民)が
白石
村の取締助となる。 /
白石
・手稲村と貫属取締
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村と大谷地・厚別の発展)
白石
村と大谷地・厚別の発展
白石
村は篠路村とならび人口の急増がはげしい所で、特に大谷地・厚別方面の開拓,大谷地は十八年に阿住勘五郎、駒林鉄五郎が来住したことが嚆矢とされているが(
白石
村誌)、十九年に福井県から,大谷地は月寒、
白石
の両村にまたがり、二十八年は
白石
村で六〇戸一八六人、月寒村で七八戸二三七人おり、八月,厚別がまとまった村落を形成するにしたがい、
白石
村からの分村も請願されるようになった。,三十年七月に
白石
・上
白石
村戸長役場が分立した際に作成された、旧豊平外四カ村戸長(舟橋八五郎)の「演説書 /
白石
村と大谷地・厚別の発展
新札幌市史 第5巻 通史5上
(周辺部の小学校の新設―白石地区を事例として)
白石
小学校は、明治五年に当時の
白石
村に最初に創立された学校である。,昭和二十二年、新学制に伴い
白石
村立
白石
小学校と改称された。,二十五年七月に
白石
村は札幌市と合併し、校名は札幌市立
白石
小学校となった。,区画整理は三十二年から三十七年の
白石
本郷地区を皮切りに、
白石
南本郷・
白石
神社西(昭36~38)・
白石
本通北,さらに四十七年には、
白石
小学校の西側に西
白石
小学校が開校した(図2-⑪)。 / 周辺部の小学校の新設―
白石
地区を事例として
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇白石神社遺跡(S九四遺跡))
◇
白石
神社遺跡(S九四遺跡) 後期の項で前述したが、晩期の遺構はまったく検出されず終末期の土器・石器 / ◇
白石
神社遺跡(S九四遺跡)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S三五四遺跡(白石区本通一丁目南一四))
◇S三五四遺跡(
白石
区本通一丁目南一四) 望月寒川右岸の標高二五メートル前後の段丘上に位置する。,本遺跡の地点には、かつて
白石
村役場が存在していた。 ,ことによると
白石
神社遺跡と同様な性格の遺跡であったと考えられる。 / ◇S三五四遺跡(
白石
区本通一丁目南一四)
新札幌市史 第2巻 通史2
(丘珠村と白石村の「自治」)
丘珠村と
白石
村の「自治」 また丘珠村ではこれ以前に、組と伍長制度が存在していた。,丘珠村では一月に年一回の総代集会が開かれていたが、同様の集会は
白石
村でも認められた。,二十四年は三度開催されている――
白石
藩移住後継者団体資料)。,ただいずれにせよ、丘珠村や
白石
村にみられたような自治の活動は重要かつ貴重であり、見逃すことができない価値 / 丘珠村と
白石
村の「自治」
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S四一一遺跡(白石区大谷地八八二番地他))
◇S四一一遺跡(
白石
区大谷地八八二番地他) 北海道縦貫自動車道札幌南インターチェンジ建設に伴い昭和五十二年,この他に、S二三九遺跡(
白石
区上野幌一〇〇四番地他)では、微隆起線文の付く縄文土器が極少量検出されており,、S三〇八遺跡(
白石
区厚別東五条三丁目)では試掘調査にて貝殻文土器が若干検出されている。 / ◇S四一一遺跡(
白石
区大谷地八八二番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇白石神社遺跡(S九四遺跡))
◇
白石
神社遺跡(S九四遺跡) 後期の遺構はまったく発見されなかったが、後期全般の土器が出土し、なかでも / ◇
白石
神社遺跡(S九四遺跡)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二三七遺跡(白石区厚別東二条一丁目))
◇S二三七遺跡(
白石
区厚別東二条一丁目) 昭和四十九年に市道新設工事に伴い発掘調査された。 / ◇S二三七遺跡(
白石
区厚別東二条一丁目)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二二九遺跡(白石区北郷四条三丁目))
◇S二二九遺跡(
白石
区北郷四条三丁目) 月寒川左岸の標高一一メートル~一四メートルの北東向きの台地上 / ◇S二二九遺跡(
白石
区北郷四条三丁目)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二四二遺跡(白石区厚別東四条四丁目))
◇S二四二遺跡(
白石
区厚別東四条四丁目) 小野津幌川右岸段丘上に立地、標高二〇~二六メートル、昭和四十九年 / ◇S二四二遺跡(
白石
区厚別東四条四丁目)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S一五三遺跡(白石区厚別東三条二丁目))
◇S一五三遺跡(
白石
区厚別東三条二丁目) 野津幌川右岸段丘上に立地、標高二七メートル前後、軽工業団地造成 / ◇S一五三遺跡(
白石
区厚別東三条二丁目)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S一五三遺跡(白石区厚別東三条二丁目))
◇S一五三遺跡(
白石
区厚別東三条二丁目) 八〇〇個におよぶ土壙墓が検出されており、八割は続縄文時代に / ◇S一五三遺跡(
白石
区厚別東三条二丁目)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二六五遺跡(白石区大谷地六七七番地他))
◇S二六五遺跡(
白石
区大谷地六七七番地他) S二六七・二六八遺跡の東側に隣接する遺跡で、昭和五十一年 / ◇S二六五遺跡(
白石
区大谷地六七七番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二五六遺跡(白石区上野幌八一五番地他))
◇S二五六遺跡(
白石
区上野幌八一五番地他) 昭和四十九年に発掘調査された遺跡で、野津幌川に注ぐ南西方向 / ◇S二五六遺跡(
白石
区上野幌八一五番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S一五三遺跡(白石区厚別東三条二丁目))
◇S一五三遺跡(
白石
区厚別東三条二丁目) 野津幌川右岸の標高二七メートル前後の段丘上に位置する。 / ◇S一五三遺跡(
白石
区厚別東三条二丁目)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二六七・二六八遺跡(白石区大谷地九五六番地他))
◇S二六七・二六八遺跡(
白石
区大谷地九五六番地他) 北海道縦貫自動車道の建設に伴い昭和五十、五十一年 / ◇S二六七・二六八遺跡(
白石
区大谷地九五六番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二六七・二六八遺跡(白石区大谷地六七〇番地他))
◇S二六七・二六八遺跡(
白石
区大谷地六七〇番地他) 大谷地神社の後方の南向きの丘陵上にあり、現在は高速道路 / ◇S二六七・二六八遺跡(
白石
区大谷地六七〇番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二五五遺跡(白石区厚別町上野幌八七六番地他))
◇S二五五遺跡(
白石
区厚別町上野幌八七六番地他) 野津幌川とその支流によって解析された台地上に立地し / ◇S二五五遺跡(
白石
区厚別町上野幌八七六番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S三五四遺跡(白石区本通一丁目南一四 図2-1、2))
◇S三五四遺跡(
白石
区本通一丁目南一四 図2-1、2) 本遺跡からは、形態および製作技術からみて後期旧石器時代 / ◇S三五四遺跡(
白石
区本通一丁目南一四 図2-1、2)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二六五、S二六三・二六二、S二六九遺跡(白石区大谷地六七七、八七八番地他))
◇S二六五、S二六三・二六二、S二六九遺跡(
白石
区大谷地六七七、八七八番地他) これらの遺跡は、S二六七 / ◇S二六五、S二六三・二六二、S二六九遺跡(
白石
区大谷地六七七、八七八番地他)
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 移住民情況調査報告)
琴似村 発寒村 琴似発寒屯田兵村 上手稲村 下手稲村 豊平村 平岸村
白石
上
白石
両村, 札幌雁来苗穂丘珠 四ケ村 篠路村 山鼻村 円山村 月寒村 豊平平岸両村 上
白石
白石
両村,移住民情況調(明治一九年調) 札幌村 雁来村 苗穂村 丘珠村 篠路村 豊平村 上
白石
村,
白石
村 月寒村 平岸村 琴似村 山鼻村 円山村 上手稲下手稲山口三ケ村
新札幌市史 第2巻 通史2
(取締を巡る紛糾)
取締助は
白石
村では五年二月から三人となり、手稲村は二人である。,写真-4
白石
村貫属取締となった佐藤孝郷(『
白石
村誌』より)
白石
村で惣轄者と期待され輿望(よぼう,
白石
村では六年六月から八月にかけ、佐藤孝郷が中心となった上
白石
への移転派とそれに反対する非移転派との間,また片倉景範が十一年十一月十七日に、上
白石
・
白石
・上手稲村三力村戸長となったが、これらの背景には「惣轄者,取締助は六月に
白石
村で、安斎篤敬(謹吾)を伍長に(
白石
手稲取扱書留 道文四五二)、榊原次郎七を副戸長に
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌都市計画街路)
白石
村大字上
白石
村 精進橋東詰 55m 1 3 1 札幌駅前通 札幌駅前 中島公園北口 25m 1,南1条西4丁目 東札幌駅前 25m 1 3 7
白石
中央通
白石
2条2丁目 都市計画区域界 25m,1 3 8 中島通
白石
2条2丁目 豊平町大字平岸村 25m 1 3 9
白石
円山通 南1条
白石
通屈曲点,8条通
白石
8条3丁目 東札幌駅前 18m 2 1 12
白石
6条通 北3条東10丁目
白石
村大字
白石
村,24
白石
桑園通
白石
村大字
白石
村 北10条西20丁目 20m 2 1 25
白石
駅通
白石
駅前 豊平町大字月寒村
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T三六一遺跡(豊平区里塚三七五他))
他にS二六七・二六八遺跡(
白石
区大谷地九五六他)、S三〇五遺跡(
白石
区厚別東二条五丁目)、S四一〇遺跡,(
白石
区本通一八丁目南)、T四七二遺跡(豊平区里塚)、S四五八遺跡(
白石
区厚別南二丁目)、S三二〇遺跡,(
白石
区旭町九九〇他)では、遺構は発見されていないが続縄文土器のみ検出されている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(煉瓦工場の生成)
『札幌県勧業課第二回年報』(明治十六年)によると、遠藤清五郎は十三、四年に二度にわたり
白石
村に二万八〇〇〇,続いて同じ
白石
村では、鈴木佐兵衛・豊三郎の父子による鈴木煉化製造所が十七年六月に開業した。,鈴木煉化製造所は遠藤清五郎の工場を譲渡したものというが(
白石
村誌)、遠藤は二十三年五月に再び
白石
村七六番地,その他、
白石
村では小山内菊弥(三十年六月開業)、門谷吉太郎(二十三年一月)の工場もあった。 ,月寒、
白石
村にひろがる月寒丘陵は、煉瓦製造に適した高品質の粘土の産地であったために、以上の
白石
村のほかに
新札幌市史 第5巻 通史5下
(郵便局の増設)
白石
南郷四(
白石
区南郷通4北、平1南郷通3北へ移転、
白石
南郷北に改称)。,札幌東(札幌北を改称、普通) 48
白石
川北(
白石
区川北、簡易)。札幌西野南(西区手稲西野)。,
白石
米里(
白石
区米里、簡易)。札幌西岡(豊平区西岡)。,札幌北二十五条(東区北25東20) 58
白石
北郷二条(
白石
区北郷2-12)。,
白石
本通北(
白石
区本通4)。
白石
南郷一(
白石
区南郷通1)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(元仙台藩士片倉家従者の場合)
白石
村(のち
白石
村と上
白石
村に分かれる)と上手稲村に入植した宮城県
白石
の元仙台藩士片倉家従者の一行である,羽部つや
白石
村 農 羽部潔尚 長女 大河内なか 上
白石
村 農 大河内頼綱 妹 官営富岡製糸場,(明治7・3~9・7) 加藤きう 上
白石
村 農 加藤利道 長女 菅野きそ 上
白石
村 農 菅野嘉敏,長女 武田つや
白石
村 農 武田義勝 長女 私立水沼製糸所 (明治7 ・11~10・10) 達崎ます,
白石
村 農 達崎吉左衛門 長女 佐藤りほ 上手稲村 農 佐藤伊格 長女 内馬場ふさ 上手稲村
新札幌市史 第4巻 通史4
(都市計画街路の変更)
それは二等大路第一二号線(
白石
六条通)と第二五号線(
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駅通)を変更することであった。,この重要施設とは、
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駅通の計画街路上に建築された北部軍司令部のことである(札幌都市計画概要)。,変更の地図を見ると、
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駅通大半の路線が若干ずれるというものであったようだ。,そのずれた
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駅通と交差する地点を終点とした
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六条通も終点位置を変更することになったのである(公文雑纂,東札幌地区では
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平岸通(広路第七号)、南一条
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通(一等大路第六号)、
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八条通(二等大路第一一号)
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長の任命)
開拓使では小区毎に副戸長の配置をし村落の広域行政を意図していたが、やや変則的な方法とみられる上手稲、
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,、上
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村の三カ村戸長が十一年七月八日に片倉景範に任命された(同前)。,村落統治の上で旧主君が戸長の方が収まりやすいと開拓使の方で判断したのであろうが、上手稲と
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、上
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村
新札幌市史 第1巻 通史1
(西岡台地)
西岡台地 月寒川の西側、豊平区の西岡ゴルフ場北縁付近を南端として北へ延び、西岡地区・月寒中央地区を通り、
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区,のJR
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駅付近まで続く台地と望月寒川をはさんで、南区の澄川南小学校付近から澄川五、六条の市街地、平岸霊園,札幌大学付近で九五メートル、月寒中央通付近が六〇メートル、月寒中学校付近で四五メートルと順次高度を下げてJR
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駅,
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本通やJR
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駅などがあるいちばん低い平坦面は
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面とよばれており、厳密には西岡台地と区別したほうがよいのかもしれない
新札幌市史 第5巻 通史5上
(郵便局の増設)
現札幌市域内の集配局は、敗戦時点で札幌(現札幌中央)、琴似(現札幌西)、篠路、石狩
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(現
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中央通),、厚別、月寒(現豊平)、定山渓、藤野、軽川(現手稲)の九局で、その後三十七年に石狩
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が集配を廃止し、,(石狩
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を改称,
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町中央),東札幌駅前(東札幌を改称,菊水東町7),東札幌(東札幌5-4),
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本通,(
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町北郷),菊水上町(菊水上町),
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南郷(
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町本通),札幌大通(大通西2),水車町(水車町9),(
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町北郷),東米里(簡易
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町東米里),厚別(普通に改定,厚別町東区),厚別東(厚別町東区),手稲本町
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