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新札幌市史 第4巻 通史4
(白石村)
白石村
札幌市白石町は大正九年に札幌遊郭が移転してきて以来発展を続け、一条橋の架橋がなり電車が一条橋,その宅地化の波はやがて境界を越えて隣接の
白石村
の横町、東札幌方面にも及ぶようになっていた。,当時、この付近の境界は現在の国道一二号線であり、以東が
白石村
大字上白石であったが、この影響を受けて上白石,にも住宅が急増するようになり、四年の連担戸数はすでに四五一戸、人口二二七三人に及んでおり、
白石村
では一番 /
白石村
新札幌市史 第5巻 通史5上
(白石村の合併)
白石村
の合併 札幌市で
白石村
の併合が初めて正式に取り上げられたのは、昭和二十四年(一九四九)十月十三日,市側の動きに対し
白石村
側も積極的に応じ、同年十二月五日には村議会に地域変更調査特別委員会を設けた(
白石村
合併,
白石村
側の全村合併という方針に対し、当初札幌市は必ずしも積極的ではなかった。,三月二十五日に開催された
白石村
議会では、「
白石村
を札幌市に全村編入の件」を審議・可決するとともに、村長,同年七月一日に
白石村
は札幌市に合併された。 /
白石村
の合併
新札幌市史 第3巻 通史3
(白石村の概況)
白石村
の概況
白石村
は明治三十五年四月一日に白石、上白石の二村を合わせ二級町村制が施行されて設置となった,生業構成は農業三五〇戸一七五〇人、商業三八戸二二八人、工業二戸六人、その他一五五戸七五五人となっており(
白石村
誌,このように
白石村
は周辺村の中では一番の米どころとなっていた。,なお、大正九年の地区別戸数、人口は表3のとおりである(
白石村
誌)。,301 野津幌 33 195 下野津幌 51 298 小野幌 59 426 計 884 5,462 『
白石村
誌 /
白石村
の概況
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村の動向)
白石村
の動向
白石村
は同郷の士族移住で、戸長に旧主の片倉景範をむかえ、明治四年に入植が始まってから十数年,
白石村
では村民が結束して道路修理、学校の新築、神社の再建などにあたることが多い。,『白石藩移住後継者団体資料』には、明治十六年十一月改の「
白石村
集会決議録」があり、二十八年までの決議が,集会はいつから始まったか不明であるが、
白石村
では村内の重要な議題などはこの集会で村民に諮(はか)り、「,
白石村
では十五年に、村民八二人五三〇円の寄付により白石学校を現在地に新築し、また村内六カ所の橋の架け換 /
白石村
の動向
新札幌市史 第2巻 通史2
(上白石村の成立)
上
白石村
の成立 四年十二月に
白石村
に入植した元仙台藩片倉邦憲(小十郎)の家臣で、開拓使貫属となった一,事実、早くも翌五年二月に「盧を移す者数名、居を転するもの十八戸、今の横丁即ち是なり」(町村誌資料
白石村
,居住地を新
白石村
と命名し、分村設置のことが豊平村設置とともに市在に布達された。 ,しかし村設置のことは黒田清隆次官へ伺を出すこと、新
白石村
の名称は
白石村
と「同名ニ新古ノ別有之ノミニテ往々紛敷不少候,上
白石村
の移転につき、二十五年一月に杉山順の著(あらわ)した「
白石村
移住顚末」(町村誌資料)によると、 / 上
白石村
の成立
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村への入植)
白石村
への入植 一行の入植地選定は十月八日以降に着手され、十一月二日に岩村通俊が「坂本(義広、少主典,十六日に『細大日記』によれば「貫属強壮之六拾五人」(『
白石村
移住以来保存ノ書類』では女性一〇人を含む六四人,こうしていまの国道一二号の両側に沿い村落が姿を現わし、村名も郷里にちなみ
白石村
と命名され、十一月二十五日,に「月寒村裏字モチキサツフ、更ニ
白石村
等相称候」(市史 第七巻二一三頁)と布達になった。,図-2
白石村
入植図 『奥羽盛衰見聞誌』下巻(白石市史資料)より作成。 /
白石村
への入植
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村の伍組と伍長)
白石村
の伍組と伍長 伍長は近世の五人組の隣保組織の系譜をひき、市在の民衆の監察機関の役割をもっていた,写真-5 松本判官から
白石村
へ贈られた「兵農一理の書」(札幌市武田清晃氏蔵)
白石村
の場合、五年六月,に二〇人の「
白石村
住貫属伍長」が任命され、伍長には月五円が給与された(奥羽盛衰見聞誌)。,これらは毎月末に戸長(
白石村
では副戸長)に提出し臨検を受けた。,
白石村
とほぼ同様の内容であったであろう。 以上の伍長制度は五年十月三十日に廃止された。 /
白石村
の伍組と伍長
新札幌市史 第5巻 通史5上
(白石村の場合)
白石村
の場合 農地改革以前の
白石村
では、村内農家の大多数は自小作の混同経営であり、これが農家の中核をなしていた,これは、
白石村
の都市近郊農村としての性格を反映したものである。,このような点は、
白石村
が旧仙台藩士族によって開拓されたという歴史に何等かの関連があるのかもしれない。 /
白石村
の場合
新札幌市史 第3巻 通史3
(小野幌の白石村編入)
小野幌の
白石村
編入 小野幌は江別村に所属していたが、大正二年四月一日より
白石村
に編入となった。,小野幌は「……
白石村
字厚別を距る事十町内外に過きず村民か日用品を購求するにも同村より、且つ小学校生徒の,小野幌の住民側でも四十四年十二月、大正二年二月に
白石村
への編入を請願していた。 / 小野幌の
白石村
編入
新札幌市史 第4巻 通史4
(豊平町と白石村)
豊平町と
白石村
豊平町は明治四十一年四月一日に一級町村となり、もと石狩小学校の校長であった松崎亀二が,-12 昭和9年に新築された豊平町役場と松崎亀二郎町長(役場は現・豊平区月寒中央通7丁目)
白石村
,は昭和七年六月一日に一級町村となるが、それまで二級町村の時期は以下の人物が村長に任じられていた(
白石村
誌 / 豊平町と
白石村
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村同攻会・青年協会)
白石村
同攻会・青年協会 ここで村落部の文化活動の事例として、
白石村
に結成された同攻会および青年協会の,このように
白石村
では、青年を中心として在来の若連中などの活動に止まらない、旺盛な知識欲をふまえた活動が,
白石村
の外でも、たとえば苗穂村では講談会が組織され、活動していたが、さらに三十一年六月頃に閲読会を組織 /
白石村
同攻会・青年協会
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村と大谷地・厚別の発展)
白石村
と大谷地・厚別の発展
白石村
は篠路村とならび人口の急増がはげしい所で、特に大谷地・厚別方面の開拓,大谷地は十八年に阿住勘五郎、駒林鉄五郎が来住したことが嚆矢とされているが(
白石村
誌)、十九年に福井県から,大谷地は月寒、白石の両村にまたがり、二十八年は
白石村
で六〇戸一八六人、月寒村で七八戸二三七人おり、八月,
白石村
の本通(国道一二号)は、二十二年十二月に厚別までのび、本村と厚別との連絡も容易になり、信州(信濃,厚別がまとまった村落を形成するにしたがい、
白石村
からの分村も請願されるようになった。 /
白石村
と大谷地・厚別の発展
新札幌市史 第2巻 通史2
(丘珠村と白石村の「自治」)
丘珠村と
白石村
の「自治」 また丘珠村ではこれ以前に、組と伍長制度が存在していた。,丘珠村では一月に年一回の総代集会が開かれていたが、同様の集会は
白石村
でも認められた。,ただいずれにせよ、丘珠村や
白石村
にみられたような自治の活動は重要かつ貴重であり、見逃すことができない価値 / 丘珠村と
白石村
の「自治」
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S三五四遺跡(白石区本通一丁目南=旧白石村役場跡))
◇S三五四遺跡(白石区本通一丁目南=旧
白石村
役場跡) 後北式土器の土壙墓が確実なもので五個検出されている / ◇S三五四遺跡(白石区本通一丁目南=旧
白石村
役場跡)
新札幌市史 第2巻 通史2
(煉瓦工場の生成)
『札幌県勧業課第二回年報』(明治十六年)によると、遠藤清五郎は十三、四年に二度にわたり
白石村
に二万八〇〇〇,続いて同じ
白石村
では、鈴木佐兵衛・豊三郎の父子による鈴木煉化製造所が十七年六月に開業した。,鈴木煉化製造所は遠藤清五郎の工場を譲渡したものというが(
白石村
誌)、遠藤は二十三年五月に再び
白石村
七六番地,その他、
白石村
では小山内菊弥(三十年六月開業)、門谷吉太郎(二十三年一月)の工場もあった。 ,月寒、
白石村
にひろがる月寒丘陵は、煉瓦製造に適した高品質の粘土の産地であったために、以上の
白石村
のほかに
新札幌市史 第2巻 通史2
(元仙台藩士片倉家従者の場合)
白石村
(のち
白石村
と上
白石村
に分かれる)と上手稲村に入植した宮城県白石の元仙台藩士片倉家従者の一行である,羽部つや
白石村
農 羽部潔尚 長女 大河内なか 上
白石村
農 大河内頼綱 妹 官営富岡製糸場,(明治7・3~9・7) 加藤きう 上
白石村
農 加藤利道 長女 菅野きそ 上
白石村
農 菅野嘉敏,長女 武田つや
白石村
農 武田義勝 長女 私立水沼製糸所 (明治7 ・11~10・10) 達崎ます,
白石村
農 達崎吉左衛門 長女 佐藤りほ 上手稲村 農 佐藤伊格 長女 内馬場ふさ 上手稲村
新札幌市史 第2巻 通史2
(取締を巡る紛糾)
取締助は
白石村
では五年二月から三人となり、手稲村は二人である。,取締は両村とも一人で、
白石村
は佐藤孝郷がつとめあげるが、手稲村の方は交代が頻繁である。,写真-4
白石村
貫属取締となった佐藤孝郷(『
白石村
誌』より)
白石村
で惣轄者と期待され輿望(よぼう,これらの動きに対し開拓使では、
白石村
の佐藤孝郷については一貫して擁護する姿勢をみせた。,同時に副戸長制の実施にともない彼を
白石村
副戸長の兼務とし、立場の強化につとめている。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 地租創定事業)
北)西創成町 (北)東創成町 雨龍通 札幌通 雁来村 下手稲村
白石村
, 上
白石村
豊平村 苗穂村 円山村 上手稲村 札幌村 平岸村,発寒村 琴似村 山鼻村 (2)耕地の部 雁来村 下手稲村
白石村
, 上
白石村
豊平村 苗穂村 雁来新道 円山村 上手稲村 札幌村
新札幌市史 第3巻 通史3
(生産総額の推移)
表4は大正四年から十一年までの
白石村
の生産総額の推移を示したものである。,〝豆成金〟が輩出したのもこの時期であるが、
白石村
の場合、約八割が米作収入によるものであった。,2.大正4~8年は『
白石村
誌』,9~10年は『石狩支庁管内要覧』より作成。 ,
白石村
の工産額が七年以降に急上昇したのは、同工場の出荷によるものであろう。,厚別には六年二月に厚別酒造合名会社も創設されていた(
白石村
誌)。
新札幌市史 第3巻 通史3
(水害)
水害
白石村
の北部は望月寒、月寒、厚別、三里、野津幌川など豊平川に注ぐ小河川が形成した冲積地となっているが,三十一年の大洪水は
白石村
では戸数の四割、上
白石村
では三分の一が村外に転住するというほどの被害を出していた,特に豊平川に面した
白石村
で米里、上
白石村
では岡田開墾と呼ばれた菊水上町付近が水害地帯であった。
新札幌市史 第4巻 通史4
(凶作)
最高が琴似村の八割二分五厘、最低が藻岩村の六割五分であり、大体七、八割のできであったが、稲作は最高の
白石村
,176 37 藻岩村 330 156 47 89 27 豊平町 957 620 65 188 20
白石村
,「要救済戸数」でみると篠路村が五七パーセントと高く、次に
白石村
となっており、この両村の農家が最も窮乏をきわめていたといえる,
白石村
では全農家で五〇余万円、一戸当たり七〇〇円の負債と見積られていたが(
白石村
事務引継書)、このために,負債整理組合も設置されたところがあり、琴似村では篠路兵村(昭10・1設立)、南三・五番通(昭13・5)、
白石村
新札幌市史 第2巻 通史2
(農場の設置)
また杉山順外一九名(No.18)は、
白石村
民が共同で造田を企画したものであった。,(小作50戸) 14 信州開墾
白石村
19 河西シモ 54 14 もと河西由造所有 15 豊平学田,
白石村
野幌 43 吉田善助 103 2 明治22年豊平村に付与 16 鈴木
白石村
17 鈴木豊三郎,63 7 17 吉田
白石村
大谷地 20 吉田善太郎 60 18 18 前川
白石村
大谷地 29,20 山本
白石村
厚別 41 山本厚三 180 21 明治32年寺田省帰所有 21 平井
白石村
米里
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 札幌市街並に周辺村落の誕生)
ケ村改正村名に付布達(明治四年五月二五日) 二一 薄野字名に付布達(明治四年七月二四日) 二二
白石村
名,二九 札幌市街町名呼称布達に付伺(明治五年) 三〇 札幌市街町名追加の件伺(明治六年五月) 三一
白石村
分村願,明治六年八月一九日) 三二 元対雁村を雁来村に改称に付布告(明治六年九月二九日) 三三 豊平村、新
白石村
二,ケ村分村に付達(明治七年三月一七日) 三四 豊平村、新
白石村
二村名称の儀に付申進(明治七年三月三〇日,) 三五 豊平、山鼻の村名並に新
白石村
を上
白石村
に改称に付伺(明治七年五月一〇日) 三六 手稲村を
新札幌市史 第2巻 通史2
(財政収入)
最初に二十年代の状況として史料がよく残っている
白石村
を事例にみていくことにしたい。 ,表13は
白石村
における二十一年から二十九年までの財政収入の内訳をまとめたものである。,これによると
白石村
では二十五年まで総額は一五〇円前後であったが、二十六年以降、徐々に増大していく。,
白石村
では白石小学校の新築、信濃・大谷地小学校の設置などにより教育費が急速に増大する傾向にあった。,
白石村
の等級数は少ない方で、これにひきかえ丘珠村では二十八年現在、二〇等級に細分化されている。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 協議費)
明治一五年一〇月三日) 一九六 協議費等を議する心得(明治一六年四月七日) 一九七 明治十六年度
白石村
,協議費取扱順序(明治一八年一二月八日) 二〇〇 明治二十二年度区費の予算(明治二二年三月二六日) 二〇一
白石村
費滞納,の意見(明治二三年) 二〇二 明治二十三年度
白石村
費の決算(明治二三年) 二〇三
白石村
費の上請(
新札幌市史 第4巻 通史4
(農村衛生調査)
そして、この調査会の調査項目に、はじめて「農村衛生調査」の項目が設けられ、大正十年実施の札幌郡
白石村
(,『札幌郡
白石村
ニ於ケル保健衛生調査』によれば、調査は内務省指導のもと、北海道庁・
白石村
吏員、防疫医、衛生技師,
白石村
が選ばれたのは、札幌区に近いこと、純農村であること等によるものであった。,戸数八八四戸、五四六二人(大9)の
白石村
の場合、過去一〇年間の出生数、死亡数および死亡原因、乳幼児死亡率
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌都市計画街路)
55m 広路 6 伏見公園通 札幌村大字札幌村 都市計画区域界 55~88m 広路 7 白石平岸通
白石村
大字上
白石村
,11 白石8条通 白石8条3丁目 東札幌駅前 18m 2 1 12 白石6条通 北3条東10丁目
白石村
大字
白石村
,2 1 21 中島公園東通 南1条東6丁目 南15条西1丁目 20m 2 1 22 東札幌駅前通
白石村
大字上
白石村
,北海中学校前 18m 2 1 23 東札幌駅裏通
白石村
大字上
白石村
平岸通市郡界 20m 2 1,24 白石桑園通
白石村
大字
白石村
北10条西20丁目 20m 2 1 25 白石駅通 白石駅前 豊平町大字月寒村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 移住民情況調査報告)
移住民情況調(明治一九年調) 札幌村 雁来村 苗穂村 丘珠村 篠路村 豊平村 上
白石村
,
白石村
月寒村 平岸村 琴似村 山鼻村 円山村 上手稲下手稲山口三ケ村
新札幌市史 第2巻 通史2
(副戸長の設置)
手稲村貫属取締 伊藤作助 琴似・円山村 琴似村組頭 坪内猪之助
白石村
,
白石村
貫属取締 佐藤廓爾 平岸・月寒村 平岸村名主 柴田峻九郎, 副戸長は
白石村
を除き二村、多いところでは四村を受け持っていた。,
白石村
の場合、すでに戸数を一〇〇戸以上数えていたので、五年六月に榊原次郎七、千葉元享の二人が配置された,十月に榊原が辞任後、管野嘉敏がなり、六年六月に上
白石村
の分村のあとは同村の副戸長に転じた。
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌近郊のレンガ製造)
および『北海道工業概況』(明42)の記録によると、十五年五月、月寒村に大久保煉瓦工場が創立、翌十六年
白石村
,の遠藤瓦工場(明13創業)がレンガ二万本を生産、さらに十七年五月、同じ
白石村
に鈴木煉化場が創立される。,二年後の十九年八月、函館の平煉化場が
白石村
に進出し生産を開始。,
白石村
の鈴木煉化場の製品で建設された(引継書類 炭礦鉄道事務所 道文一〇五一一)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(各村の教育財政)
たとえば二十四年度における
白石村
の支出予算総額は一六五円六六銭であるが、そのうち教育費は一六三円六六銭,、営業割二〇円七六銭、戸別割一一〇円七三銭六厘、計一六五円六三銭(計は三銭合致しない)となっている(
白石村
集会決議録,二十六年豊平小学校の収入予算では授業料二〇円、村費二六八円五〇銭、繰越金一四円となっており、村費は基本的には
白石村
新札幌市史 第4巻 通史4
(産業組合)
札幌村大字苗穂村 148 大 7. 4.25 新組合設立 昭11. 1.29 (無)白 石 信購販
白石村
大字
白石村
,販購利 札幌市南12西9 170 大12. 5.22 決議 昭12. 9.30 (保)白石東部 信購販
白石村
大字
白石村
,(保)札幌村 購販利 札幌村字元村 〔574〕 昭10.11. 3 - - (保)白 石 信購販利
白石村
大字
白石村
,
白石村
においては、(無)白石北郷購販組合(北郷、中央)、(有)
白石村
信購販組合(
白石村
一円)、(保)白石東部信購組合,
白石村
大字
白石村
大字
白石村
など2棟 北聯,中金,監聯 北聯指導部調査課『北海道産業組合関係者名簿』
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長の任命)
では小区毎に副戸長の配置をし村落の広域行政を意図していたが、やや変則的な方法とみられる上手稲、白石、上
白石村
,村落統治の上で旧主君が戸長の方が収まりやすいと開拓使の方で判断したのであろうが、上手稲と白石、上
白石村
新札幌市史 第3巻 通史3
(生産額と産業形態)
手稲・豊平村は鉱産、
白石村
は畜産・工産が高い。,工産が顕著となっているところは、
白石村
のほかに琴似・札幌村である。,畜産は手稲、
白石村
が多い。,
白石村
には宇都宮牧場(明45)などの優秀牧場が存在していた。,同様なことは琴似・
白石村
にもあてはまる。
新札幌市史 第4巻 通史4
(養豚)
二四頭、琴似村五五戸、二六七頭、手稲村二戸、三頭、藻岩村七四戸、三一七頭、豊平町二四二戸、一三九六頭、
白石村
一三七戸,養豚が最も盛んに行われた豊平町や
白石村
には、養豚組合が設立され、各種の事業を実施した。,以下同じ)、②月寒養豚組合(昭3・3)、豊平町月寒本通、三八人、二五〇頭、③豊白養豚組合(昭8・1)、
白石村
字上白石,、二八人、四二〇頭、④白石養豚組合(昭8・1)、
白石村
字厚別旭町、四五人、二二五頭となっている(農林省畜産局
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部初等教育施設の増加)
ほぼ成立順に列記すると、十九年山口村(生田某による)、月寒村厚別(あしりべつ)(田中松三郎)、二十一年
白石村
厚別,(神崎正雄)、二十三年
白石村
厚別(下西智三・智徳寺)、札幌村烈々布(高屋敷平作)、
白石村
厚別(鎌田兵三郎,また
白石村
では厚別などで公的な教育施設が設置されるまでの間、いくつかの私塾が成立してその間をつないだ。
新札幌市史 第3巻 通史3
(大正二年の大凶作)
札幌市域ではやはり水田地帯である手稲村と
白石村
の被害が大きかった。,
白石村
の凶作状況については以下のように報告されている(小樽新聞 大3・1・24)。,
白石村
には三分作未満の六六戸を含め、村基本金から貸付を受けた一一九戸の窮民が生じていた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(米麦生産の状況)
札幌周辺では
白石村
がその成果を収めたようで、二十四年には一六〇町歩余(札幌全郡の約六二・五パーセント),排渠を穿ちて稲作を専業とするもの年々増加を見るに至り、本村の如きは水田の多きこと札幌近郡に冠たり」と
白石村
,そして写真13のような「
白石村
水田耕作腕競」を掲載している。,写真-13
白石村
水田耕作腕競(北海之殖産 第20号)
新札幌市史 第4巻 通史4
(大政翼賛運動と町村行政)
それと同時に
白石村
では十七年十月に翼賛議員会がつくられ、毎月二十二日に例会を開き「
白石村
是確立の諸案件,写真-13 昭和3年に新築された
白石村
役場 昭和15年の写真で,「祈武運長久」の垂幕がみえる(現・白石区本通
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌都市計画東札幌土地区画整理)
その設計書によると、区域と地積は、札幌市字豊平町、白石町、札幌郡豊平町大字豊平村、
白石村
大字上
白石村
、,
白石村
の一部である。
新札幌市史 第3巻 通史3
(境界変更)
札幌区に編入された地域は、札幌村の南西部の区と接続する地域、
白石村
字上
白石村
の区に接続する地域、豊平町字豊平村
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
札幌市会議員選挙の選挙又は当選に関する申立関係資料』『市会会議書類』『札幌村札幌市境界変更関係書類』『
白石村
事務引継書,』『昭和十六年
白石村
村会議決書及会議録』『昭和十年度藻岩村村会』、円山町『許可認可関係書類綴』『町会関係書類,昭和十年藻岩村議決書』『昭和十一年藻岩村議決書』『隣接町村合併関係〔参考〕』(以上札幌市蔵)、『橋本正治史料』『
白石村
是,、鈴木源十郎『札幌紳士録』、杉山潔『現代札幌人物史』、『豊羽鉱山三十年史』、『北海道凶荒災害誌』、『
白石村
誌
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場の移転と分立)
(二)琴似・発寒村(琴似)、(三)上手稲・下手稲・山口村(上手稲)、(四)豊平・平岸・月寒・上白石・
白石村
,白石・上
白石村
もやはり戸口の増加、及び厚別方面の発展にしたがい連絡事務が増し、
白石村
に二カ村の戸長役場,篠路村は
白石村
とならび人口の多い〝大村〟であった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民調査と〝定着〟)
今度は士族層の移住で開拓された平岸、
白石村
をみてみよう。平岸村は四年に六三戸二〇四人がいた。,
白石村
の場合をみると、四年の「戸数調」には戸籍筆頭者が七七人いる。,このうち、十二年までに二二人が主に六年中に上
白石村
に移り、二〇人が不明となる。,これからみると上
白石村
への転住、不明が各二七人いる。,上
白石村
への転住は〝定着〟と同じであるが、不明の二七人は多いといわざるを得ない。
新札幌市史 第4巻 通史4
(白石・手稲村の例)
すなわち小作人Kは、昭和十年から
白石村
字北郷番外地の田村与平所有地に入地し、小作料は反当り玄米一九俵二斗三升二合,Kの家族には、
白石村
から軍事扶助金月額二一円が支給されていた。,このため、
白石村
北郷労力奉仕班が草取、稲刈、籾摺など延べ一二〇人分の労力奉仕を行ったが、それでも一九俵
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌都市計画区域)
白石村
は月寒川及び逆川以西であり大字上
白石村
は全域含まれており、全村の三分の一が区域となっていた。,の編入面積及び人口 面積(ヘクタール) 人口(大14) 豊平町 132,760 2,934人
白石村
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔明治六年市在状況調〕)
開拓使管轄石狩国札幌郡各村戸籍表」〕 〔円山村〕 〔琴似村〕 〔発寒村〕 〔平岸村〕 〔
白石村
,10 苗穂村(明治6年6月19日検地開始) 11 手稲村(明治6年5月検地開始) 12
白石村
, 〔上手稲村〕 〔苗穂村〕 〔平岸村〕 〔発寒村〕 〔雁来村〕 〔
白石村
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場と戸長)
藤田盛は
白石村
への移住士族の一人のため、五カ村の戸長役場は
白石村
に移転となったが、
白石村
三番地に家を借
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【人口】)
表 戸数・人口 (山鼻村) 第16表 戸数・人口 (藻岩村・円山町) 第17表 戸数・人口 (上
白石村
,) 第18表 戸数・人口 (
白石村
) 第19表 戸数・人口 (
白石村
) 第20表 戸数・人口 (
新札幌市史 第3巻 通史3
(ブリーダー牧場の概況)
宇都宮牧場 (本場
白石村
大字上
白石村
、支場
白石村
字野津幌、分場豊平町大字月寒村字厚別) 斯界の元老宇都宮氏,木村牧場 (
白石村
大字上白石) 木村利建氏の経営にして、本道一流ホルスタイン種繁殖牧場として愛牛家の推奨
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