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新札幌市史 第2巻 通史2
(盛岡藩からの開拓使定額米)
盛岡藩
からの開拓使定額米 開拓使の定額米は、明治二年(一八六九)八月の決定当時一万石であった。,その一万石の調達を請け負ったのは、七〇万両の献金で盛岡への復帰を許されたばかりの
盛岡藩
であった。,そのような
盛岡藩
内の事情に加え、
盛岡藩
は東北戦争後も新政府への恭順の態度を示さず、反政府的態度をとりつづけた,それでも
盛岡藩
は、凶作状況を理由にして調達総額を八〇〇〇石に減らしてもらった(開拓使公文録 道文五七〇,定額米の供出の不十分なまま
盛岡藩
は、三年三月に廃藩願いを出して許可され、七月に廃藩となった。 /
盛岡藩
からの開拓使定額米
新札幌市史 第2巻 通史2
(戊辰戦争と仙台藩)
宇田・刈田(かつた)・伊具(いぐ)・亘理(わたり)・柴田の五郡(現在の宮城県南部)は、削られて
盛岡藩
の,さらに南部の地域は
盛岡藩
の新領地となっており、他藩の百姓となることは耐えがたいことでもあった。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(一 明治二年)
八月三日) 二 蝦夷地へ人民送り方の詳細北島従五位より問合せ(八月一八日) 三 北海道開拓御用に付
盛岡藩
支配地
新札幌市史 第1巻 通史1
(カラフト・千島襲撃事件)
また、シャナでは、会所、
盛岡藩
・弘前藩陣屋を焼き、略奪をほしいままにし、負傷していた
盛岡藩
の火薬師大村治五平
新札幌市史 第1巻 通史1
(東北からの目)
たとえば嘉永六年九月一日、カラフトのクシュンコタンにロシア兵が上陸した時の様子を
盛岡藩
の三戸代官所に勤,にかかわる関心事だったから、弘前藩は十月山田左四郎と早道の者を送り、西蝦夷地からカラフトの実状を探らせ、
盛岡藩
新札幌市史 第2巻 通史2
(松岡の盛岡・涌谷への派遣)
盛岡での滞在では、島判官からの指令で
盛岡藩
へ切起し人足募集を要請した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌の人員削減)
そのため、四月はじめ
盛岡藩
から募集した大工一五人と同じく木挽二五人を小樽から樺太へゆく船に乗せた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(本府の建設の開始)
本来樺太へ派遣されることになっていた
盛岡藩
募集の職人たち(管内外往復留 道文二三〇)は、開拓使の計画変更
新札幌市史 第1巻 通史1
(蝦夷地見回りとイシカリ場所)
翌五年、これら幕吏のほか、蝦夷地警備として、仙台藩兵二〇〇〇人、会津藩兵一五〇〇人、弘前藩兵二五〇人、
盛岡藩
兵二五,同六年以降は、毎年
盛岡藩
より六五〇人、弘前藩より四五〇人を出兵させ、西蝦夷地は弘前藩に守備させた。
新札幌市史 第1巻 通史1
(山田家の出稼形態)
箱館近在を足場に
盛岡藩
領からの人が多く、ウス、アブタのアイヌ一三五人が含まれている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(場所運営の手抜き)
それでもマシケ場所では
盛岡藩
から五〇人ほどの人夫を雇い、また漁業の暇な時は漁夫を動員し「壱人極上十二両
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
本府の建設の開始 島判官時代の建設 四 昇平丸の沈没と米不足
盛岡藩
新札幌市史 第7巻 史料編2
(件名目次)
二 蝦夷地へ人民送り方の詳細北島従五位より問合せ(八月一八日)…3 三 北海道開拓御用に付
盛岡藩
支配地
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