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新札幌市史 第3巻 通史3
(看護婦)
看護婦
札幌における
看護婦
養成は、日本赤十字社北海道支部(以下日赤道支部と略)において明治三十年二月,日露戦争を境に準備
看護婦
から救護
看護婦
へその呼称を変えた。,このほか
看護婦
養成は、区立札幌病院においても、明治三十二年四月附属
看護婦
養成所を開設して養成を開始した,内務省では、大正四年六月三十日
看護婦
規則を発令、
看護婦
の資格公認、試験科目等を規定した。,一方、これら病院勤務の
看護婦
とは別に、患者の求めに応じて自宅で看護するいわゆる派出
看護婦
も誕生し、自宅
看護婦
会 /
看護婦
新札幌市史 第4巻 通史4
(従軍看護婦)
従軍
看護婦
日中戦争から太平洋戦争にかけて従軍した日本赤十字社の道内
看護婦
は、『殉職従軍赤十字
看護婦
追悼記,日赤救護班に所属する
看護婦
(三カ年教育、一二年間の出動義務)は、全国に約二〇〇班あり、男子の応召と同様赤紙応召令状,このほか軍が新聞などで従軍
看護婦
を募集し、それに志願した者もいた。,従軍
看護婦
は以後、陸続と戦地に渡ったきり帰らぬ人も多かった。,また、篤志
看護婦
人会員(札幌五五〇人)は、札幌陸軍病院を訪問、看護奉仕活動を続けている。 / 従軍
看護婦
新札幌市史 第3巻 通史3
(篤志看護婦人会)
篤志
看護婦
人会 日清戦争の直前に設立された同会は、
看護婦
養成のいわばさきがけとなったことはすでに記したとおりである,本格的な
看護婦
養成が日赤道支部で明治三十年に開始されたのち、篤志
看護婦
人会は三十二年七月、日赤本社篤志
看護婦
人会,写真-10 日本赤十字社篤志
看護婦
人会会報 三十七年二月に日露戦争が勃発するとにわかに忙しくなり,三月十四日の常集会においては、総会後開戦にあたり陸海軍献納繃帯製造が即日決定され、篤志
看護婦
人会を二手,以下『護国之礎』より、日露戦争に関わる篤志
看護婦
人会の活動を列挙してみよう。 / 篤志
看護婦
人会
新札幌市史 第2巻 通史2
(篤志看護婦人会の設立)
篤志
看護婦
人会の設立 日赤道支部の仕事は、それまで社員の獲得と有事に備えての義揖金勧誘を主としていたが,、二十六年六月には篤志
看護婦
人会を組織して戦時軍人患者看護法を修得することとした(同前)。,北海道でも、これにならって二十六年七月篤志
看護婦
人会規約を設け、着々と準備を整えた。,翌二十七年一月の篤志
看護婦
人会の席上で、同会特別会員軍医山上兼善は、会員夫人令嬢五〇余人に向かい、「夫,この意志を受けて、
看護婦
人約五〇人は、日赤道支部(大通東二丁目偕行社内)に招集され習い覚えた繃帯術の復習 / 篤志
看護婦
人会の設立
新札幌市史 第2巻 通史2
(日赤及び篤志看護婦人会の活動)
八月十九日、篤志
看護婦
人会員中より戦時派遣
看護婦
志願者一五人を選抜して公立札幌病院で実地訓練をさせた。,篤志
看護婦
人会の
看護婦
人および医師の戦地派遣の議が出されたのは、二十八年二月に入ってからであった。,うために模範
看護婦
生徒を募集して日赤本社で養成することにした。,日赤道支部で本格的
看護婦
養成が開始されたのは三十年六月で、九人(うち四人が札幌出身)が
看護婦
養成所(北一西五,、日赤道支部内)に入学し、三十二年六月初めて
看護婦
が誕生した。 / 日赤及び篤志
看護婦
人会の活動
新札幌市史 第5巻 通史5上
(保健婦助産婦看護婦法の制定と改正)
保健婦助産婦
看護婦
法の制定と改正
看護婦
・助産婦・保健婦の戦後もまた、激動の幕開けであった。 ,二十二年九月二十日、天使病院を会場にして、PHWによる全道の
看護婦
を対象の第一回幹部
看護婦
講習会が開催,産婆が助産婦に改称され、翌二十三年、保健婦・助産婦・
看護婦
の各規則を一本化した「保健婦助産婦
看護婦
法」,)、または
看護婦
養成所を卒業し国家試験で
看護婦
資格をとったうえで、保健婦・助産婦養成所を卒業しそれぞれ,住み込みで働きながら通学し、准
看護婦
資格を取得することが可能になった(昭44に
看護婦
科設置)。 / 保健婦助産婦
看護婦
法の制定と改正
新札幌市史 第5巻 通史5下
(北海道看護協会の誕生と活動)
北海道看護協会の誕生と活動 日本助産婦
看護婦
保健婦協会北海道支部(昭22結成)は、支部内に保健婦・助産婦,・
看護婦
の各部会制を敷き(昭29)、さらに
看護婦
部会のみは、地区支部として札幌に中央・東・西・北副支部,しかし、五十八年四月に各職能の特殊性と利害の面から保健婦、助産婦、
看護婦
の各部会制を解消し、「看護はひとつ,
看護婦
不足は常時社会問題となった。,
看護婦
不足対策として、同協会ナースバンクでは北海道から
看護婦
職業紹介事業を委託され、潜在
看護婦
の活用や
新札幌市史 第5巻 通史5上
(日本看護協会北海道支部の結成)
日本看護協会北海道支部の結成 PHWの指示により、日本産婆会、帝国
看護婦
会、日本保健婦協会が解散・合併,し(昭21・11)、日本産婆
看護婦
保健婦協会となったことから、下部の北海道連合産婆会は解散(昭21・4,結成総会にはオルトが臨席し、保健婦・
看護婦
を合して日本助産婦
看護婦
保健婦協会北海道支部(昭22・9・22,一方、看護協会の設立について
看護婦
の立場から、元札幌医大附属病院
看護婦
長・高須キサは「日本の看護は変わっていく,その後三者が独立し活動するため、二十九年看護協会を統括組織としながら助産婦会、
看護婦
会、保健婦会の各支部制
新札幌市史 第4巻 通史4
(健民・健兵を支える人びと)
健民・健兵を支える人びと 産婆と
看護婦
の養成は、従来通り市立札幌病院内私立札幌産婆教習所と同病院
看護婦
講習所,表41は、この時期の札幌市の医師・産婆・
看護婦
数を示したものである。,医師と
看護婦
はともに増加しているのに対し、産婆数はそれほどでもない。,このうち巡回
看護婦
は、十年から恩賜財団済生会と北海道社会事業協会附属札幌病院とで養成が開始された。,表-41 札幌市医師・産婆・
看護婦
数 年 医師 産婆
看護婦
大11 257人 201人 158
新札幌市史 第3巻 通史3
(日赤道支部の活動)
に金品を贈って慰めること)の精神にもとづいて、日露戦争勃発と同時に日赤救護員として医師や看護人、日赤
看護婦
,すでに日赤道支部では、明治三十三年(一九〇〇)の北清事変の際にも
看護婦
松原コヨを派遣していた(護国之礎,構成は、医師三人、
看護婦
長二人、
看護婦
二四人の延べ総数三一人であった。,このうちには、三十七年九月から病院船弘済丸で勤務した乗組
看護婦
二人、陸軍病院船横浜丸で勤務した乗組
看護婦
九人,これら病院船乗組
看護婦
は、不慣れな船中にあって熱心救護につとめ、札幌出身の一柳ツカ(三節参照)ほか二人
新札幌市史 第3巻 通史3
(防疫態勢)
大正六年には
看護婦
寄宿舎、職員食堂、宿直室、眼科手術室、耳鼻咽喉科診察室が増築され、病棟一棟が落成し、,医師・
看護婦
も六年末に医師三一人、
看護婦
も助手を加え九二人となっていた(市立病院九十年史)。 ,私立病院は一六にすぎなかったが、大正十一年には官公・私立合わせて五四の病院が開業し、区内医師・産婆・
看護婦
数,表-28 札幌区 医師・産婆・
看護婦
数 年 医 師 産 婆
看護婦
明40 58人 68人 60人
新札幌市史 第3巻 通史3
(出現の背景)
札幌では日清戦争を契機に、
看護婦
養成が開始され、明治三十二年(一八九九)に最初の
看護婦
が誕生した。,二十七年公立札幌病院内私立札幌産婆教習所で再開された産婆養成と合わせて、女性の三大天職、すなわち産婆、
看護婦
新札幌市史 第4巻 通史4
(働く女性の地位)
これによると、職業の種類としては、交換手、百貨店女店員、札鉄雇員、女教員、タイピスト、
看護婦
、道庁給仕,女教員は
看護婦
、産婆とならんで明治期からある女性の三大天職であるが、男教員と較べ五円くらいの賃金格差があった,また
看護婦
は、看護講習科を二年間受けてはじめて資格が得られる職種であるにもかかわらず、必ずしも高い評価, (高女補習科) 月給 40円 タイピスト(邦文) 月給 30円 高小卒程度,講習3カ月必要
看護婦
新札幌市史 第5巻 通史5下
(市立札幌病院の移転と諸体制の拡充)
看護婦
養成機関の市立高等看護学院は、昭和四十年三月に
看護婦
養成所として開校し、同年四月に市立高等看護学院,四十三年には「保健婦・助産婦・
看護婦
養成所指定規則」の一部改正に伴い、
看護婦
養成所が各種学校として短期大学
新札幌市史 第5巻 通史5上
(進駐軍病院と札幌の歯科医師たち)
西17)を接収し、翌二十一年五月九日の退去・返還まで、市立札幌病院では進駐軍の要請に応じて衛戍病院へ
看護婦
六人,同病院と真駒内キャンプ内の診療所には、連合国軍直傭使用人として日本人医師五人、
看護婦
一四人(昭25現在
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
愛国婦人会北海道支部編『愛国婦人会四十周年記念写真帖』、北海道教育会編『下田歌子先生家政学講義』、日本赤十字社篤志
看護婦
人会編,『日本赤十字社篤志
看護婦
人会会報』一二・一三号、日本キリスト教婦人矯風会編『婦人新報』一九・三七・七八号
新札幌市史 第4巻 通史4
(貧困者の実態)
数年前より心臓病で治療中だが、貧困ゆえ医薬さえ与えられず、妻(39)は附添
看護婦
として日給八〇銭を受け
新札幌市史 第5巻 通史5上
(〔市立健民病院〕)
32)と「救護法」(昭4)にあったため、戦後も民生部衛生課に属し、二十年現在内科医師二人・薬剤師一人、
看護婦
新札幌市史 第5巻 通史5上
(医療界の統制解除と札幌集中化)
のために病院の増設を基本におき、ベッド数を一〇床から二〇床に引き上げ(一九床以下は「診療所」)、医師・
看護婦
,医療機関が進展すると医師・歯科医師・
看護婦
ら医療従事者も増加する。,表-36 札幌市における医療従事者数の推移 年 医師 歯科医師 薬剤師
看護婦
准
看護婦
助産婦 保健婦,検査・専門診療科を有する大規模総合病院と、かたや圧倒的多数を占める、医師一人に
看護婦
二、三人の私立診療所
新札幌市史 第5巻 通史5下
(医療機関の札幌一極集中化)
各年末現在 年次 病院 一般診療所 歯科診療所 医師 (人) 歯科医師 (人) 薬剤師 (人)
看護婦
,(人) 助産婦 (人) 准
看護婦
(人) 施設数 病床数 施設数 病床数 施設数 病床数 昭47
新札幌市史 第5巻 通史5上
(〔勤医協病院〕)
医師と
看護婦
一人が、全駐労北海道支部組合員だけでなく一般住民へも治療を始めたが、二十二年のゼネスト中止以降
新札幌市史 第2巻 通史2
(戦勝祈願と追弔)
二十八年三月四日、屯田兵員をもって臨時第七師団編成の命が下り、翌五日に日赤道支部の篤志
看護婦
人一行が東京
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
北海道』、橋爪紳也『倶楽部と日本人』、同『明治の迷宮都市』、亀山美智子『近代日本看護史―Ⅰ日本赤十字社と
看護婦
新札幌市史 第3巻 通史3
(職業紹介所)
そのおもな職業は、料理店の番頭、
看護婦
、製麻女工、ミシン徒弟、タイピスト、行商、小使、事務員といった類
新札幌市史 第4巻 通史4
(女性労働者の増加)
看護婦
・派出婦は増加したものの組織化が遅れており、労働条件は改善されなかった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌病院)
二十七、八年の日清戦争においては、医師を臨時第七師団に従軍させたほか、日赤北海道支社の篤志
看護婦
人に戦時救護法,を指導し、
看護婦
養成の嚆矢をつくった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(相次ぐ「公葬」と〝英霊〟の奉祀)
その中には救護
看護婦
であった一柳ツカも入っている。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(難病対策と難病連)
五十七年には神経内科系難病専門の北祐会神経内科病院(西区)が開院し、医師、医療ソーシャルワーカー、
看護婦
,また、北海道スモンの会や日本筋ジストロフィー友の会、リウマチ友の会など患者や家族会、医師・
看護婦
や支援者
新札幌市史 第3巻 通史3
(和装から洋装へ)
明治期の洋服屋の客の最初はまず官庁からで、官員のフロックコートに帽子、小学校の男子教員に巡査の制服、
看護婦
新札幌市史 第4巻 通史4
(職人から労働者へ)
看護婦
・女店員も増加してきたが、まだ女中扱いされていた。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(職業相談員)
就職資金貸付中 15 29 44 職業訓練受講中 1 1 職業適応訓練中 8 8 希望職種 女 店員・
看護婦
新札幌市史 第5巻 通史5上
(各層への浸透)
たとえば札幌教会(日本基督教団)は、札幌市立病院長の依頼で毎週一〇〇余人の同病院
看護婦
のために、キリスト
新札幌市史 第4巻 通史4
(社会運動の中へ)
その後も党組織の再建は行われたが、四年四月十六日の弾圧で検束され、検束者二三人中には
看護婦
一人も含まれていた
新札幌市史 第2巻 通史2
(祝賀と歓迎)
7・10 日赤道支部篤志
看護婦
人帰札。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(若年労働者の札幌集中)
このため中学・高校卒の新卒者を募集した鉄鋼・製造業会社、外勤営業部門の職場、理容・美容院、医院准
看護婦
新札幌市史 第3巻 通史3
(あわれなる留守家族の実情)
このため入営前から母親は工場の飯炊きに住み込み、長女は子供を連れて病院の
看護婦
となり、三男は肉屋に奉公
新札幌市史 第4巻 通史4
(「欠食児童」問題と学校給食の開始)
「欠食児童」への給食方法は教員、学校
看護婦
、使丁らが一人に付き一食四銭の範囲で、「弁当詰、握飯、丼物等
新札幌市史 第5巻 通史5上
(家族計画と人口政策)
への移行によるものであったが、受胎調節の浸透には、家族計画実地指導員(昭27年医師・助産婦・保健婦又は
看護婦
新札幌市史 第3巻 通史3
(小学校卒業後の進路)
また、教員や
看護婦
、電話交換手として社会に出る卒業生もいた(小樽新聞 明37・3・27)。
新札幌市史 第3巻 通史3
(火事の記録)
師範学校も生徒三三〇人を引率してかけつけ消火を応援、また負傷者救護のために区立札幌病院や北辰病院の医員や
看護婦
数十人
新札幌市史 第4巻 通史4
(職員)
諸職と表示したのは、施設の新設にともなう専任職員をまとめたもので、医員、
看護婦
、薬剤員、保健婦、巡視、
新札幌市史 第5巻 通史5下
(育休法・均等法等の改正)
運動をすすめ、五十年六月、いわゆる育休法(義務教育諸学校等の女子教育職員及び医療施設・社会福祉施設等の
看護婦
新札幌市史 第4巻 通史4
(都市の条件)
発生、高岡市長はただちに東京、横浜、横須賀市長に見舞電報を打つとともに、四日には市立札幌病院の医師、
看護婦
新札幌市史 第5巻 通史5上
(進駐軍労務傭員)
特別調達庁札幌調達局)→請負業者が雇傭→個人 職種 ①事務系(顧問・通訳・翻訳・管理人・事務員・タイピスト・交換手・
看護婦
新札幌市史 第5巻 通史5下
(在日韓国人・朝鮮人と人権問題)
なお地方自治体職員の外国人採用に関しても、自治省が昭和六十一年、保健婦・助産婦・
看護婦
など専門的職種について
新札幌市史 第3巻 通史3
(図版・写真・表組一覧)
-9 帝国婦人協会会長 下田歌子(実践女子大学図書館蔵) (585頁) 写真-10 日本赤十字社篤志
看護婦
人会会報,590頁) 写真-12 札幌帝国製麻女工募集広告(北タイ 大7.9.4) (597頁) 写真-13 日赤
看護婦
一柳,627頁) 表-27 札幌区・札幌郡・支庁別伝染病患者数 (630頁) 表-28 札幌区医師・産婆・
看護婦
数
新札幌市史 第3巻 通史3
(新札幌市史 第三巻 通史三/総目次)
579 一 日露戦争と女性団体 愛国婦人会 帝国婦人協会 篤志
看護婦
人会, 染織・機織 四 職業婦人の出現 出現の背景 産婆 教員
看護婦
新札幌市史 第4巻 通史4
(動員の諸相=官製女性団体)
大会,「全北海道の女性起つべし」を下令(エプロン姿の国婦会員,団服姿の女子青年団員,左腕十字章の篤志
看護婦
人会員等
新札幌市史 第3巻 通史3
(愛国婦人会)
愛国婦人会 日清戦争に際しては、日赤道支部や篤志
看護婦
人会等の活動があったことはすでに記した(市史第二巻参照
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
日清戦争と札幌市民…959 一 日本赤十字社北海道支部の設置 日本赤十字社 篤志
看護婦
人会,の設立 二 日清戦争の勃発と軍事援護 演習と出征 日赤及び篤志
看護婦
人会の活動
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