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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第5巻 通史5上 (『眼』『季信』など)

『眼』『季信』など 昭和二十年代にはほかに二十六年五月創刊の『茴(うい)』(佐藤初夫、伊東廉、高橋秀郎,、長井菊夫)、二十七年一月創刊の『樵人』(山田順三、水木泰)などであるが、二十九年一月創刊の『眼』は昭和二十年代 / 『眼』『季信』など
新札幌市史 第3巻 通史3 (主義者を見る眼)

主義者を見る眼 明治末年から大正初年の頃、巷では主義者といえば犯罪を起こす危険な人びととみられ、恐れられていた,だが大正中期になると、市井の人びとの社会主義者観が変化し、社会主義者を畏敬の眼でみる人びとも増加してきた / 主義者を見る眼
新札幌市史 第4巻 通史4 (八十八ヶ所)

円山八十八ヶ所の開眼式は五月九日に行われ、維持管理には成田山の大師報徳講があたるようになった。,昭和期に入り、豊平町の月寒公園に西国三十三番、四国八十八ヶ所が創設となり、六年六月四日に開眼式が行われている,)に観音通を開設し、西国三十三番観音、子安観音、子持地蔵、六地蔵の四一体が安置され、十年十月八日に開眼式
新札幌市史 第1巻 通史1 (八幡宮の建立)

八幡宮では蝦夷地での勢力扶植を眼目としており、箱館奉行では信徒の移住、田畑の開墾を眼目としていた。
新札幌市史 第1巻 通史1 (武四郎その後の去就)

ところが安政六年十二月十二日に武四郎は「当春以来出瘡甚敷難渋仕候療養仕居候処、此頃逆上之症に相成候眼疾,特にアイヌの人たちの悲惨な状況を直視し、そこに追いやる和人の不法・不当性を剔出した眼識は、特筆すべきものといえよう
新札幌市史 第5巻 通史5下 (美術情報の蓄積と発信)

現在進行形の札幌の美術を冷静、的確な眼で長期にわたって見据え続けて止まないこれら二つの情報誌の存在意義,)、個人による単行本では『北海道美術をめぐる25年』(吉田豪介著、昭58)、『北緯43度―美術記者の眼―
新札幌市史 第4巻 通史4 (宗教活動への抑圧)

こうした思想・信仰の領域にまで、取締当局の監視の眼は日常的に及んでいく。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (身体障害者福祉)

また、補装具として、盲人安全つえ、義眼、眼鏡、点字器、補聴器、義肢、装具、車いす、歩行車、安全補助ステッキ
新札幌市史 第1巻 通史1 (大曲洞窟遺跡と船泊遺跡)

この頭骨は顔面がかなり高いが、眉間が強く隆起し、前頭鼻骨縫合(ほうごう)の陥凹が深く鼻根部が立体的で、眼窩
新札幌市史 第1巻 通史1 (蝦夷闔嶋の大川)

鮭漁にも注目しているが、出産物を蝦夷地と本州との交易品としてとらえているのが彼の着眼の特色である。
新札幌市史 第4巻 通史4 (流言蜚語)

憲兵の眼も光っていたのである。
新札幌市史 第2巻 通史2 (私立病院及び開業医)

回明堂眼科病院 南二西三 29・10 院長真下喜久治。,俣野眼科病院 南二西二 31・6 院長俣野大治郎。
新札幌市史 第1巻 通史1 (調査の目的と行程)

松前藩や場所請負人から提出させた調書からすると、検分はアイヌ、漁業、勤番(松前藩の警衛体制)の三点に主眼があったように,これらの人々の眼にイシカリはどのように映ったのだろう。
新札幌市史 第3巻 通史3 (明治三十年代の演劇界)

衰退について述べ、札幌については、まず新開都市ゆえの好みの多様性を指摘したのち、「我が札幌人士の演劇眼は,大黒座 望月正義一座 (……………) 札幌座 伊井蓉峰一座 塩原多助 11 大黒座 中村米三一座 鬼一法眼
新札幌市史 第3巻 通史3 (自給と協同)

一文(小松武治「札幌の諸教会に学べ」)は、各教会の独立(自給)の達成と協同性の発揮の関係を、道外からの眼として,を有し、宗派的の感情に駆られて反目衝突等の事毫末もなく、能く協同一致して基督の栄光の為めに働く事を主眼として
新札幌市史 第5巻 通史5下 (札幌の七福神めぐり)

同寺副住職は「北海道には大仏参拝の歴史がない」ことが大仏開眼のきっかけで、「これを機に大勢の方々が仏教文化,平成十六年七月十一日には、札幌大仏開眼一周年記念例大祭も催された。  
新札幌市史 第4巻 通史4 (延命地蔵と開拓地蔵)

延命地蔵と開拓地蔵 昭和二年八月十日に桑園踏切の北五条西一〇丁目に、延命地蔵尊が建立されて開眼式と併
新札幌市史 第4巻 通史4 (レーン・宮沢事件)

札幌では、すでにその身辺に監視の眼が及んでいた北大予科教師のレーン夫妻と北大生宮沢弘幸ら五人が軍機保護法違反
新札幌市史 第5巻 通史5上 (札幌青年会議所と婦人経営研究会の設立)

進んで現実の諸問題に着眼し社会に奉仕する。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (PTA)

であるといえるが、その内実は戦後の学校教育改革を定着させる役割を担い、その後も一貫して学校教育を支援する活動を主眼として
新札幌市史 第1巻 通史1 (「不人別帳」)

私致し、生死の差別もなく人別帳として差出置こと、第一同所詰合を欺詒(あざむ)き、今度の御所置を蔑法し、眼前
新札幌市史 第3巻 通史3 (第二五聯隊の出動)

四    一八       3・30 金家屯      九    一九       4・16 三眼井
新札幌市史 第1巻 通史1 (村垣範正)

シャコタン半島を越えて日本海岸を北上してきた村垣の眼に映ったイシカリの光景は「是迄の海岸とは大いに違い
新札幌市史 第3巻 通史3 (上下水道の設置と都市)

尤も之れを消極主義の眼孔より観れば、下水と云ひ水道と云ふも左程の施政の急を認めずと謂はんかなれど、普通余
新札幌市史 第3巻 通史3 (「社会問題欄」)

これは社会主義者の眼から見た農村論で、当時としては異色の農村報告であった。
新札幌市史 第3巻 通史3 (今井百貨店の成立)

磨楢材の飾棚は何れもセヽッションで新しく流行ってゐる例の結晶式象篏が色も面白く施されてあるが際立って眼に
新札幌市史 第3巻 通史3 (防疫態勢)

九年焼失前の設備は、明治四十年に結核病室、眼科診療室が新築され、円山に精神病棟が移築された。,大正六年には看護婦寄宿舎、職員食堂、宿直室、眼科手術室、耳鼻咽喉科診察室が増築され、病棟一棟が落成し、
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌神社の整備)

池田清道庁長官は「敬神崇祖の権化」(北タイ 昭12・1・15)といわれ、神宮への昇格とともに拝殿、社殿の改築に主眼を
新札幌市史 第4巻 通史4 (市常会の新設)

協議事項三八件)、十七年は一二回(一二日、一六件)であるが、市長が市常会を活用すればするほど、市会は市常会を白眼視,法定権無く協賛事項の実施に際しては経費関係上更に市会の決議を要する、しかし市会は市常会に対して多分に白眼視
新札幌市史 第1巻 通史1 (最近の発掘調査)

研究者は、新しい資料を求めて遺跡の発掘を行うのはもちろんのことであるが、未公表の資料を再発掘することにも眼を
新札幌市史 第1巻 通史1 (アイヌ酷使と私曲)

「今度の御所置を蔑放し、眼前の私欲を逞疾すること、悪むに余り有る」(丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌)と立腹
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌病院)

グリンム院長を中心に同年十月札幌病院院則を制定し、病室を内科、外科、婦人科、眼科、伝染病室の五種類に分,このように呼吸器病や眼病(なかでもトラコーマ)、そして伝染病等に多くかかった原因には、厳冬期が長いため
新札幌市史 第2巻 通史2 (辛未移民の編成)

諸例をみると、村取締・農夫取締は組頭から村役人までの移行期に、組頭の役割を引き継ぎ開墾指導と移民取締を眼目
新札幌市史 第5巻 通史5下 (市医師会の活動と夜間急病センター)

を「新五年計画」に盛り込み(道新 平12・7・11)、十六年四月に新築・移転し、診療は従来の三科目に眼科
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌区の除雪行政)

と答え、除雪行政の難しさを強調した上で、助川に対し「御提出者ハ御眼案ニテモアリマスルカ」と腹案を問うた,助川は「多少眼案ガアリマス。
新札幌市史 第1巻 通史1 (上サッポロとモニヲマ)

我に不適時は眼前にて打砕捨、往昔飛驒の匠たる甚五郎、運慶、堪慶等も斯やと其高顔は思はるゝ斗なり。
新札幌市史 第2巻 通史2 (入地先の決定と準備)

、麻苧ヲ培養シ、以テ従来営ム所ノ製網ノ業ヲ婦女子ニ為サシム」(市史 第七巻二五四頁)ことを「着産ノ主眼」
新札幌市史 第4巻 通史4 (「婦選旗北海道へ進む」)

この日の演説会は「降雨を冒て聴衆は会場に溢れる程の盛況で、若い女性の多いのが眼につき、午後十一時過ぎ閉会
新札幌市史 第5巻 通史5上 (復興にむけて)

また水野眼鏡店(南2西4)など強制疎開にあった業者も、二十一年の跡地返還にともない元の場所で営業を再開
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌扇状地の特性)

これらの泉のうち、あとあとまで人びとの眼をひいたのが、北二条西一六丁目知事公館や北五条西八丁目伊藤義郎邸
新札幌市史 第4巻 通史4 (教会の消長)

ちに戦時下を意識させることはなかったが、札幌の教会にも教勢の停滞があらわれ、日中戦争後、日米開戦後と眼に
新札幌市史 第4巻 通史4 (昭和初年代の歌集)

れのしるしきみがするその手は暗に白かりしかも この街のめぐりをよろふ山山の雪身にしみて大路をゆけり よく晴れて眼路
新札幌市史 第1巻 通史1 (四望開豁)

一次調査が東西蝦夷地に主眼をおいたので、須藤の報文はカラフトのみを取り上げ、イシカリの記事はない。
新札幌市史 第4巻 通史4 (JOIKの活動)

また、五周年記念(昭8)には、「いつも耳ばかりの加入者に眼と耳から大いにサービスを注入しようといふ意気込
新札幌市史 第5巻 通史5上 (新産業都市の指定と札幌市建設六年計画)

原田市長は三十六年三月の市議会の予算提案説明において、前年に策定した市の「主要事業一〇年計画」は市内に主眼をおいたものであり
新札幌市史 第1巻 通史1 (刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))

このように膨張をとげている札幌に対し、市民のあいだから、合併町村を総合して現在の市域を複眼的に捉えるとともに
新札幌市史 第1巻 通史1 (出稼人の交代)

是迄骨折も無之相成、且詰合御人減は勿論、取締り役以下は、道逸奴僕の如く追廻され、或は暇など出され候儀は眼前
新札幌市史 第2巻 通史2 (刊行の趣旨(昭和五十六年九月十八日))

このように膨張をとげている札幌に対し、市民のあいだから、合併町村を総合して現在の市域を複眼的に捉えるとともに
新札幌市史 第2巻 通史2 (兵部省北海道支配の廃止)

島の松浦宛書簡によると、その結果「開拓使兵部省共少モ隔意無之、開拓ノ御趣意同心協力可致ノ巨眼ニ付、至極同意
新札幌市史 第2巻 通史2 (ワーフィールドの札幌本府検証)

、命令第一項の北海道の鉱山・市井の状況と函館・札幌間の地形との詳細な調査に従事していると、今回の「大眼目
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