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新札幌市史 第1巻 通史1
(硬石山と八剣山)
硬
石山
と八剣山 南区
石山
は、かつて、「石切山」とよばれていた。,左岸の硬
石山
から産出される石材は「札幌硬石」とよばれ、玄関の石段や墓石などに使われていた。,写真-2 硬
石山
の採石場 石英安山岩や輝石安山岩の岩脈は、景観的にも面白いものを造っている。 / 硬
石山
と八剣山
新札幌市史 第3巻 通史3
(石山山鼻間の軌道敷設)
石山
山鼻間の軌道敷設 ところが札幌石材会社は、区会がなかなか同意しないため、路線を短縮して
石山
山鼻間,四十二年六月
石山
札幌間の鉄道馬車の試運転を始めた(北タイ 明42・6・14)。 /
石山
山鼻間の軌道敷設
新札幌市史 第1巻 通史1
(石山・藻岩山麓の遺跡)
石山
・藻岩山麓の遺跡 標高が一〇〇メートル以上の山岳地形に近い部分にも縄文時代早期の土器が発見されている /
石山
・藻岩山麓の遺跡
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇M六七遺跡(南区石山五六一番地他))
◇M六七遺跡(南区
石山
五六一番地他) 遺跡は、豊平川の支流穴の川に面する標高一四〇メートル内外の傾斜地 / ◇M六七遺跡(南区
石山
五六一番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇M六七遺跡(南区石山五六一番地他))
◇M六七遺跡(南区
石山
五六一番地他) 穴の沢川右岸段丘上、標高一二〇~一三四メートル、昭和六十一年発掘調査 / ◇M六七遺跡(南区
石山
五六一番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇M三五三遺跡(南区石山一条九丁目 図6))
◇M三五三遺跡(南区
石山
一条九丁目 図6) 遺跡は、豊平川の支流のオカバルシ川にそった台地上にあり、 / ◇M三五三遺跡(南区
石山
一条九丁目 図6)
新札幌市史 第5巻 通史5上
(山神碑)
硬
石山
の山神碑もその一つで、明治二十一年(一八八八)の北海道庁舎新築の際には、硬
石山
から石材が切り出されることになり,山乃神碑
石山
神社境内にある石碑。
石山
神社の起源である神体。,「山乃神
石山
組中」と刻まれている。台座裏に由来と建立者名を記した板がはめ込まれている。,山の神碑
石山
神社境内にある石碑。長三角形の碑に「山の神 玉井石工」と刻まれている。,山乃神碑 硬
石山
に集められた石碑の一つ。佐藤新治が昭和9年(1934)12月に建立したもの。
新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平開墾を巡る事情)
豊平開墾を巡る事情 前出の史料①~⑤に登場する役人は、
石山
大主典、楠元権少主典、荒井使掌、藤沢使掌、,このうち
石山
と平田は、場所請負人へ示した到着の通達のなかで、サツホロを赴任地にしているものである(箱館出張御用留下扣,、同所え
石山
大主典楠元権少主典藤沢使掌荒井使掌平田使掌出張、夫々開墾手配罷在候処、同十一月中旬御模様替,島判官一行到着後の十月下旬から十一月中旬に、
石山
大主典他四人による豊平開墾が行われた。,その「模様替え」とともに、
石山
大主典は江差海官所へ、楠元権少主典は岩内石炭山に派遣されるなどして札幌から
新札幌市史 第5巻 通史5上
(豊平町の寺院増加)
、平岸、明30)、福住寺(大谷派、福住、明35)、新三井寺(天台宗、美園、明44)、妙現寺(大谷派、
石山
,、大5)、光円寺(本願寺派、北野、明43)、善住寺(大谷派、
石山
、大6)、含笑寺(曹洞宗、
石山
、大6),月寒東、昭21)、真行寺(大谷派、定山渓、昭21)、定山寺(曹洞宗、定山渓、昭21)、瑞現寺(曹洞宗、
石山
,、昭21)、日浄寺(法華宗、
石山
、昭23)、本勝寺(法華宗、
石山
、昭23)、以上の六カ寺が寺号公称を行
新札幌市史 第1巻 通史1
(軽石流の分布)
このような溶結凝灰岩の分布をみると、前記の
石山
付近をはじめ軽石流が厚く堆積している地域で、真駒内より南,の
石山
地区や精進川沿い、山部川沿い、真栄以南の厚別川流域などである。 ,逆にいうと、これらの高まりを除いた
石山
地区、滝野丘陵、西岡台地、清田台地、厚別台地などの地域である(第一章第二節参照
新札幌市史 第2巻 通史2
(軟石・硬石の採掘)
軟石・硬石の採掘 南区
石山
の豊平川右岸の支笏溶結凝灰岩は札幌軟石、左岸の八垂別の石英安山岩は札幌硬石,またこの年に、「発足別硬
石山
発見、掘採ニ著手ス」(開拓使事業報告 第三編)とされている。,以上は硬石であるが、軟石については八年に穴ノ沢(
石山
)において建築用軟石一九八五個が採掘され、その価格,採掘が本格化するにつれ
石山
から札幌区内へ運搬する道路も整備されてきた。,九年七月十一日に完成した
石山
新道である。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(鉱山街の形成)
鉱山街の形成 再開時、
石山
地区に社宅一二四戸などがあったものの、本山・水松沢には社宅皆無であり、二十五年度,二十六年度六〇棟一二〇戸、二十七年度一一棟二二戸という具合に建設され、三十五年三月現在、戸数は水松沢一四戸、
石山
一五三戸,寮は
石山
に二棟、水松沢に一棟、本山に六棟開設されたが、本山の二棟は三十五年までに老朽や火災で姿を消した
新札幌市史 第2巻 通史2
(平岸村の開拓の進展)
開拓の進展 平岸村は豊平川の上流域の定山渓までを村域とする広い範囲にわたっていたが、この時期になると
石山
,
石山
は軟石、硬石の採掘地として名高く、二十九年には一四人の採掘者がおり、毎年の採掘高は四万五〇〇〇余切,三十二年八月二十三日に
石山
尋常小学校も開校しているが、この付近の発展は著しく、三十四年には二二六戸、八三七人
新札幌市史 第2巻 通史2
(山の神碑)
現在の南区の
石山
は、文字どおり石の産地であり、また山林に開拓民が入植したこともあって、いくつもの山の神碑,硬
石山
には「明治十四年開山大山祇大神」の石碑が残っているが、こうした山の神碑が発展して神社となったものもある,たとえば、
石山
神社は十八年に石工が大山祇神を奉斎したのを起源とし、中の沢神社は二十八年に入植民が山の神
新札幌市史 第1巻 通史1
(札幌軟石)
国道二三〇号線(
石山
通り)沿いに豊平川をさかのぼると、藻南橋の右岸側から
石山
にかけて、灰白色の岩壁がみられる,写真-2 札幌市資料館及び常盤の
石山
軟石採石場(南区常盤)
新札幌市史 第5巻 通史5上
(農村電気施設導入事業)
東米里,盤渓 36 7 124 10,151 1,112 中野西部,下福移,丘珠東中部,真駒内開拓,
石山
開拓,,簾舞四区,藤野二区 37 5 29 2,539 710 上野幌,藤野四区,
石山
開拓,常磐開拓,発寒開拓,有明,常磐,白井川 42 8 19 4,904 1,608 真駒内,南有明,宮ノ森・拓北・南ノ沢,
石山
,・豊滝,月寒・澄川,発寒,野津幌,
石山
・常磐 『札幌市事務概況』による。
新札幌市史 第4巻 通史4
(字名の設置)
月寒、福住、八紘、西岡、羊ヶ丘、清田、真栄、北野、平岡、里塚、有明、滝野、平岸、中ノ島、澄川、真駒内、
石山
,真駒内 澄川 精進川,真駒内,東裏,平岸,山ノ上,望月寒,清水川坂ノ上,焼山精進川沿 真駒内 真駒内,
石山
,,精進川沿
石山
土場,真駒内,真駒内川沿,穴ノ沢,穴ノ川尻,
石山
,簾舞,穴ノ川沿,簾前,穴ノ川口,ミソマップ,オカバルシ川上流,藤ノ沢,オカバルシ川沿,ミスマイ,野々沢,野々川,簾舞野々沢,オカバルシ川上 砥山 砥
石山
新札幌市史 第3巻 通史3
(定山渓鉄道)
四年十二月定山渓鉄道株式会社設立、苗穂
石山
間を白石
石山
間に変更申請、五年四月区間変更認可となり、六年四月鉄道敷設工事,当時札幌から温泉に行くには一日がかりで、馬鉄で
石山
まで、それから先は山道を歩くほかなかった。
新札幌市史 第4巻 通史4
(鉱山街の形成)
さらに十七年には従業員が元山には九七二人、
石山
の選鉱所には二五五人いたことになっており、家族も合わせて,そのために
石山
には社宅など、元山には鉱山施設の他に社宅、合宿所が建設され、学校、郵便局、駐在所、会館、
新札幌市史 第5巻 通史5上
(事故と水質汚染問題)
第三件目は三十六年に表面化した
石山
地区の地下水汚染問題である。,住民達は「
石山
地区鉱毒対策促進期成会」を結成して事に当たった。,住民側は「
石山
水道建設期成会」を作って市営上水道の敷設を要請した。,四十六年二月二十四日、札幌市公害対策特別委員会は健康診断・水質調査・上水道設置などの要望を内容とする
石山
地区地下水汚染対策関連
新札幌市史 第3巻 通史3
(大字平岸村)
三十三年に平岸村に公有地を審議する評議員が設置された時に、平岸村では本村、中嶋、東裏、山ノ上、真駒内、
石山
,三十三年当時は、「字
石山
に軟石採掘業ヲ営ナムノ十数戸、字真駒内ニ種畜場牧夫タルモノ十数戸ヲ除ク外農専業者
新札幌市史 第1巻 通史1
(他地域の遺跡)
他地域の遺跡 南区
石山
、藤の沢の豊平川を直接望む山岳地形に近い地域、藻岩山山麓、手稲山山麓にも続縄文時代
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
主要参考文献・史料】 土居繁雄『五万分の一地質図幅説明書〈定山渓〉』、土居繁雄・小山内熙『同説明書〈
石山
新札幌市史 第4巻 通史4
(養鶏)
・12)、琴似村、八五人、二八五〇羽、④札幌専業養鶏組合(昭2・1)、札幌市、二〇人、八〇〇〇羽、⑤
石山
養鶏組合,(昭3・2)、豊平町大字
石山
、三一人、一五〇〇羽、⑥軽川養鶏組合、手稲村字軽川、三〇人、一五〇〇羽となっている
新札幌市史 第2巻 通史2
(周辺村落との連絡路)
間 5 対雁街道,銭函道札幌神社追分間,市街白石村間,豊平村島松村間,本願寺脇
石山
間 6 篠路村花畔村間,7 円山銭函間新道修繕工事 8 篠路村花畔村間 9 円山小樽間道路修繕,雨竜通篠路駅逓間道路修繕,
石山
新道開削
新札幌市史 第5巻 通史5下
(郵便局の増設)
普通局は、昭和四十八年山鼻郵便局が普通局として開局、
石山
郵便局(昭49札幌南郵便局)が普通局に昇格した,平成十四年度末には、普通局は、札幌鉄道が廃止(昭61)、札幌北、札幌白石、札幌南(もと
石山
)、丘珠、山鼻,
石山
(普通に改定、昭49札幌南に改称、平8真駒内泉町1へ移転)。,札幌
石山
東(南区
石山
東5、簡易、平14南区
石山
東4へ移転)。札幌北三十八条(東区北38東16)。,(南区
石山
1-3)。
新札幌市史 第4巻 通史4
(大下水と小下水)
たとえば表18の十三年度に出てくる「鴨々川行啓道路
石山
入口間(三尺管)
石山
線行啓連絡南二条間(二尺管),463間(木造),白石町4号用水路片側延長124間4分,白石町2号連絡線延長149間,鴨々川行啓道路~
石山
入口間,(3尺管)
石山
線行啓連絡~南2間(2尺管)コンクリート管延長1620間,西6南6~7間延長61間 14
新札幌市史 第2巻 通史2
(山鼻村の成立と伏見の開拓)
石切山道はいまの国道二三〇号(通称
石山
通)で八垂別の硬石、
石山
の軟石を運搬するために開削された道路で、
新札幌市史 第3巻 通史3
(北海道石材の馬鉄)
北海道石材の馬鉄 明治三十九年七月、宮城昌章前豊平村長他数名が、札幌郡平岸村字
石山
から豊平村を経て札幌区北五条西四丁目,この計画は、札幌区に関係しない部分は、三十九年十月中許可を得て、十二月までに字真駒内御料林境界より字
石山
新札幌市史 第1巻 通史1
(遺跡の立地)
堆積した火山灰を基盤とする野幌丘陵と称される東部の丘陵地帯、月寒川、望月寒川を中心とする月寒台地、南区
石山
地区
新札幌市史 第1巻 通史1
(河岸段丘堆積物)
河岸段丘堆積物 豊平川の流域、とくに、
石山
から定山渓にかけては、二~三段の河岸段丘がみられ、それぞれの
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
『五万分の一地質図幅説明書〈銭函〉』、土居繁雄『同説明書〈定山渓〉』、土居繁雄・小山内熙『同説明書〈
石山
新札幌市史 第5巻 通史5上
(開拓農協の設立)
豊平町開拓農協は、最初は組合員一四五戸で発足したが、その後組合事業が不振に陥ったことから、真駒内第一・
石山
,24.7.22 176 昭46.4.27 108 豊平町東部 24.12.6 19 昭47.3.21 25
石山
,になると、離農者が増加する中でこれらの開拓農協の統廃合が進み、三十八年当時、札幌市と手稲町の組合は豊平・
石山
新札幌市史 第3巻 通史3
(馬鉄から電車へ)
札幌で馬車鉄道の端緒となったのは
石山
での軟石採掘で、明治三十七年に助川貞次郎、藪惣七、福井正之、高瀬金太郎,やがて、平岸村字穴の沢(現南区
石山
)から藻岩村山鼻(現中央区南二西一一付近)にいたる間七・二マイルの馬車鉄道敷設
新札幌市史 第1巻 通史1
(後期の遺跡)
厚別川、野津幌川、小野津幌川の野幌丘陵地区 以上の遺跡分布を見てまず最初に気がつくことは、豊平川の
石山
,このうち
石山
、藤野地区については、今後の調査によっては、遺跡が発見される可能性がおおいにある。
新札幌市史 第3巻 通史3
(穴ノ沢の軟石と石造倉庫)
穴ノ沢は現在の南区
石山
で、「個」とは一立方尺(=才)を指す。,山鼻村(屯田兵村)からマコマナイを経て
石山
まで、直線の馬車道を九年十月下旬着手し同年十二月上旬落成させるのである
新札幌市史 第4巻 通史4
(忠魂祭と公葬)
七年七月六日)、豊平町厚別(厚別神社境内、同七月七日)、白石村厚別(信濃神社境内、九年九月十五日)、豊平町
石山
,(
石山
神社境内、九年)、札幌市豊平町(豊平神社境内、十年九月十二日)などに設置されていった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(河岸段丘)
河岸段丘 典型的な河岸段丘は豊平川流域の定山渓から
石山
の間でよくみることができる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(分布地域)
一、西区の発寒川扇状地地区 二、札幌扇状地とその北部の低地地区 三、豊平川流域の
石山
、藤野地区,次いで、豊平川流域の
石山
、藤野地区と札幌扇状地より北部の低地に遺跡が出現することである(付録分布図参照,豊平川上流の
石山
、藤野地区と真駒内川の常盤地区で四カ所の遺跡が発見されている。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(開拓地の諸相)
すなわち厚別・小野幌といった平野部泥炭地帯、野津幌の台地重粘土地帯、そして真駒内・常盤・
石山
・三里塚・,
石山
地区の開拓も二十年の拓北農兵隊四〇戸の入地に始まる。,彼らは
石山
市街で越冬の上、翌二十一年から開墾を始めた。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(農業団体)
. 3.31 159
石山
一区
石山
開拓農業協同組合 27. 6.13 19
石山
新札幌市史 第1巻 通史1
(札幌扇状地)
扇状地が二時期にわたって形成されたことを示しており、一段高い平岸面が古い時期の扇状地で、当時の豊平川は
石山
陸橋付近,新しい方の札幌面は豊平川の流路が
石山
~川沿方向に変わってから形成されたものである。
新札幌市史 第3巻 通史3
(石材の運搬軌道)
札幌駅の間の軌道が敷設されるが、そのルートは穴ノ沢から豊平川に沿って少しさかのぼる位置で豊平川を横断し、
石山
通
新札幌市史 第2巻 通史2
(熊害)
22・1・22 平岸村真駒内と
石山
への岐道より
石山
ヘー四、五丁 大熊一頭、小熊二頭を連れ耕地を荒らすと
新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平開墾の実態)
平田使掌并楠元権少主典右両人エ相渡す 但小樽内買上物 10.23 300両 札幌官員役宅建て方之義に付於銭函金穀掛より
石山
大主典受取,八百五拾両之内五百六拾九両三分九拾壱文六歩の遣払何れの廉々にて其数に相成候哉 3. 25 280両 永158文2歩
石山
,会計精算に関わる事情聴取のための書簡のやり取りの中で、豊平開墾の責任者であった
石山
大主典は、精算した金
新札幌市史 第5巻 通史5下
(高校「準義務化」の時代)
四十七年段階で市内には、市立高校が旭丘・開成・啓北商業・星園・琴似・
石山
と六校があり、道立高校一一校などを
新札幌市史 第2巻 通史2
(道路・用水路・風防林)
それが現在の国道二三〇号
石山
通(通称西一一丁目通)である。,これは九年七月にできるが、さらに南方に延長して
石山
や真駒内へ連絡させる工事を続け、十二月には馬車道としての
新札幌市史 第5巻 通史5下
(東西線工事)
8.14 清水建設 第13工区 51. 6.14 鹿島建設 第14工区 51. 6.14 大林・
石山
,中山*JV 第16工区 56. 8.31 東急・山田*JV 第17工区 56.10.20 前田・
石山
新札幌市史 第5巻 通史5下
(東豊線、東西線延長工事)
勇*JV 元町駅 地崎・住石*JV 北22条 住友・山田*JV 北19条 奥村組 環状通東駅 熊谷・
石山
,豊平川地区南行線 熊谷・錢高・住友・白石・田中*JV 豊平川地区北行線 大成・奥村・五洋・大豊・
石山
新札幌市史 第2巻 通史2
(家屋改良)
札幌における不燃建造物の出現は、札幌郊外硬
石山
の石材が五年に発見されたり、あるいは江別で煉瓦が製造されるにおよんでようやく,十年には、庁下水原寅蔵が硬
石山
の札幌軟石を用いた石造倉庫を五九五五円余をかけて建造し、開拓使から褒賞を
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