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新札幌市史 第5巻 通史5下
(石狩湾新港計画)
石狩
湾新港計画 この時期の札幌市工業をみるときに、
石狩
湾新港の果たした役割を無視するわけにはいかない,戦後には、北海道総合開発計画の策定過程や
石狩
支庁
、札樽経済協議会において
石狩
湾の新港建設が謳われ、昭和三十九年十二月,に
石狩
開発株式会社が設立、四十一年九月には
石狩
湾新港建設促進期成会が創立されるなど
石狩
湾新港実現にむけて,は
石狩
湾新港地域開発基本計画書を作成した(
石狩
湾新港管理組合
石狩
湾新港'82入船記念 昭57,
石狩
湾新港地域開発基本計画書(
石狩
湾地域開発事務局
石狩
湾新港地域開発基本計画(試案)昭47、
石狩
湾新港地域開発連絡協議会資料 /
石狩
湾新港計画
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使本支庁体制)
〔札幌本庁分轄〕
石狩
国九郡・後志国のうち九郡・胆振国のうち七郡、計二五郡 〔函館
支庁
分轄〕渡島国のうち,四郡・釧路国七郡、計二一郡 〔宗谷
支庁
分轄〕天塩国六郡・北見国のうち四郡、計一〇郡 〔浦河
支庁
分轄〕旦局国七郡,・十勝国七郡、計一四郡 〔樺太
支庁
分轄〕樺太州(公文録 開拓使伺) さらに本庁と
支庁
との関係を、「,」(開拓使日誌)として、
支庁
の天塩国留萌郡へ転庁して留萌
支庁
と改称することを願い出て、同月二十五日に容認,かくして本庁・五
支庁
体制は、発足して三年余にして本庁・二
支庁
体制へと縮小を余儀なくされ、それが開拓使廃止 / 開拓使本
支庁
体制
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【交通】)
軽石軌道 第262表 札幌郊外電気軌道 第263表 バス 第264表 諸車(札幌区,札幌郡,
石狩
国,) 第265表 諸車(札幌区,札幌郡,
石狩
支庁
) 第266表 諸車(札幌区・市,札幌郡,
石狩
支庁
),第267表 諸車(札幌市,
石狩
支庁
) 第268表 橇(札幌区,札幌郡,
石狩
支庁
,
石狩
国) 第269,表 橇(札幌区・市,札幌郡,
石狩
支庁
)
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌市域の争議)
いま『北海道農地改革史』上巻の所収史料から、
石狩
支庁
及び札幌市の小作争議を示すと表9のようになり、昭和四年,から十四年までの間に、
石狩
支庁
では少なくとも一二六件、札幌市では三件の争議が発生したことが知られる。,しかしこの時期の
石狩
支庁
には、後に札幌市と合併する札幌村、篠路村、琴似村、手稲村、藻岩村、豊平町、白石村,表-9 札幌市の小作争議 年次
石狩
支庁
(a) 札幌市(b) 全道(c) (a) ―― (c) (
新札幌市史 第4巻 通史4
(衆議院議員)
衆議院議員 市制施行当初は小選挙区制で、札幌市が北海道第一区、
石狩
支庁
管轄町村は第六区で各一名の衆議院議員,板谷順助 政友会 小樽市,
石狩
管内 沢田利吉 民政党 後志管内 一柳仲次郎 民政党 札幌市,
石狩
管内,すなわち、北海道の選挙区は五つの区に分けられ、札幌市は
石狩
支庁
管轄町村とともに第一区に含まれ、小樽市及,び後志
支庁
管轄町村と同一区を形成し、定員四人となった。,表11備考欄に一六期以降の当選者の集票主要地域を、札幌市、小樽市、
石狩
支庁
町村、後志
支庁
町村に四大別して
新札幌市史 第2巻 通史2
(地方行政機関の再編)
には札幌区役所と
石狩
外七郡郡役所が置かれた。,そして三十年十一月二日の道庁官制改正に基づき、全道の郡区役所は廃され、新たに
支庁
が置かれることになったのである,この時設置された
支庁
は、全道で札幌・函館・亀田・松前・檜山・寿都・岩内・小樽・空知・上川・増毛・宗谷・,網走・室蘭・浦河・釧路・河西・根室・紗那の一九
支庁
であった。,札幌
支庁
の設置位置は札幌区大通西三丁目で、その管轄区域は札幌区・札幌郡・
石狩
郡・厚田郡・浜益郡・千歳郡
新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道会議員)
北海道会議員 市制施行当初の札幌市と
石狩
支庁
(札幌
支庁
を改称)管轄町村選出になる北海道会議員は、大正九年選挙,にいたるまでに、道会議員の総選挙は八期から一二期までの五回行われ、札幌市選挙区では八、九、一二期内に、
石狩
支庁
選挙区,表-10 札幌市,
石狩
支庁
管轄町村選出北海道会議員 期 選挙年月日 札幌市
石狩
支庁
管轄町村 氏名 備考,市制後初選挙となった第八期は、定数五五人のうち札幌市選挙区が一人増えて三人となり、
石狩
支庁
選挙区は三人,こうした中で六五議席に一七〇人を越える候補者が名乗りを上げ、札幌市は九人、
石狩
支庁
一〇人が立候補したが
新札幌市史 第5巻 通史5上
(札幌の戦後開拓)
札幌の戦後開拓 さて、昭和二十年度から同三十七年度までの一八年間に札幌市をはじめ
石狩
支庁
の各町村に入植,また、札幌市と手稲町の入植戸数は合わせて五七六戸で
石狩
管内では最多である。,
石狩
支庁
の平均定着率は七六・二パーセントであるが、これを札幌市と手稲町についてみると、札幌市は五九・六,表-19
石狩
支庁
の戦後開拓者 市町村名 入植戸数 昭和37年度末戸数 増反戸数 定着率 戸 戸 戸,『
石狩
開拓のあゆみ』(昭38)より作成。
新札幌市史 第8巻1 統計編
(例 言)
豊平町要覧』……………………一班,要覧,一覧 『白石村要覧』……………………一班,要覧,一覧 『
石狩
支庁
要覧,』…………………札幌
支庁
庁治一覧,札幌
支庁
管内一班,札幌
支庁
管内統計書, ,札幌
支庁
管内要覧,
石狩
概観,管内概況,
石狩
支庁
管内要覧 8 本巻で使用した各種用語・記号の用法
新札幌市史 第4巻 通史4
(一級町村制の施行)
ところが道庁から諮問を受けた
石狩
支庁
では十一年九月に、「村民ハ極メテ消極主義ヲ固持シ自治観念ニ乏シク、,それにもかかわらず、再度十三年からの実施が
石狩
支庁
に諮問され、
支庁
でも同様な理由で実施不可を答申したのであったが,その後、藻岩村は昭和六年(一九三一)度からの施行が
石狩
支庁
に道庁より諮問された。,併合となる可能性も指摘した上で、「此際一級町村制ノ実施ノ適否ニ関シテハ宜敷御裁断アランコトヲ望ム」と、
支庁
,、
支庁
では十二年二月に「適当ナラザルモノ」と施行の不可を答申した。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(札幌市在住ウタリ実態調査から)
実態調査から 農漁村を離れ、札幌市へ仕事と新しい生活を求めて集まった同胞(ウタリ)が、札幌(はじめ
石狩
,支部(初代支部長・小川隆吉)を結成したのは、四十六年十二月十二日、札幌市民会館で開かれた「ウタリ協会
石狩
支部結成会,三パーセント)、
石狩
支庁
管内三二人(二一・八パーセント)、胆振
支庁
管内一四人(九・六パーセント)、空知
支庁
管内,・道外各一三人(各八・九パーセント)、釧路
支庁
管内八人(五・五パーセント)、後志
支庁
管内四人(二・七パーセント,)、十勝
支庁
管内三人(二・一パーセント)、渡島・上川・網走
支庁
管内各二人(各一・四パーセント)となっていた
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
表1 『札幌区統計一班』・『
石狩
支庁
要覧』・『札幌商業工会議所統計年報』の構成 出典:『
石狩
札幌
支庁
要覧,後者は,
石狩
(札幌)
支庁
の統計書であり,毎年刊行されたか否かは不明であるが,今回みることができたのは,,『札幌
支庁
管内統計書』(1921),『
石狩
支庁
管内要覧』(1922~34)などであった。,これらのほかに『札幌
支庁
管内要覧』(1922),『
石狩
支庁
管内要覧』(1928),『
石狩
概観』(1936,但し『
石狩
支庁
要覧』は,1922年以降に鉱産額を町村別に計上することをやめ,
石狩
支庁
分として一括して計上
新札幌市史 第3巻 通史3
(上手稲と分村運動)
九月に上手稲を手稲村から分割して琴似村へ併合することが、一三一人の連署でもって
石狩
支庁
へ請願された。,この問題は
石狩
支庁
が認めなかったのでそのまま立ち消えになったものの、その後もくすぶり続けた問題であったし,特に手稲村は上手稲、下手稲、山口の三村の戸長役場の時期から、札幌
支庁
管内では著名な〝難治村〟であり戸長
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【人口】)
札幌市) 第48表 アイヌ民族人口(市町村別) 第49表 朝鮮人,台湾人,樺太人人口(札幌区・市,
石狩
支庁
,) 第50表 日本人,朝鮮人,台湾人年齢別人口(札幌市,
石狩
支庁
,北海道) 第51表 来住者戸数・
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【消防・警察・兵事】)
屯田兵用地 第317表 兵事3 徴兵検査(札幌区・市) 第318表 兵事4 陸海軍志願兵員(札幌区,
石狩
支庁
新札幌市史 第2巻 通史2
(区役所)
札幌県時代から引き続き山崎清躬が二十年一月まで在任、根室
支庁
詰理事官浅羽靖がこれにかわり(市史 第七巻九七八頁,が設置されると、もっぱら
支庁
長が区長代理を務め、郡長郡役所は廃止された。,札幌郡長を兼ねるにとどまらず、夕張・空知・樺戸・雨竜・上川の六郡を一括して所管し、のち改正して千歳・樺戸・
石狩
,・厚田・浜益を加えた一〇郡に広まったが、三十年
支庁
制にともない郡長は廃され、札幌
支庁
長が札幌区、札幌郡,、千歳郡、
石狩
郡、厚田郡、浜益郡を管轄するようになったのである。
新札幌市史 第3巻 通史3
(暴風と水の被害)
〔明治三十二年〕十月七~九日にかけての降雨により
石狩
・豊平川氾濫、雁来村民耕作物流失。,(十一月
石狩
川治水会結成) 〔明治四十三年〕五月四日、大降雨により山鼻渡船場付近住民二人溺死。,〔大正五年〕五月七~八日降雨により
石狩
川増水のため篠路村被害。床上浸水九〇戸。,〔大正八年〕五月、
石狩
川の氾濫により札幌
支庁
管内浸水家屋四〇〇戸、畑五〇〇町歩。,〔大正十年〕四月二十二日、
石狩
川増水大氾濫により篠路村当別太、茨戸方面田畑家屋浸水。
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌市域の小作率)
3,038 5,112 22.8 17.8 59.4 100.0 札幌市は『札幌市勢一覧』(昭10),他は
石狩
支庁
,『
石狩
概観』(昭11)により作成。
新札幌市史 第3巻 通史3
(行政機関)
機関名 住所 ◇道庁 ◇軍事機関 北海道庁 北3西6 札幌聯隊区司令部 北1西10 同 札幌
支庁
,明治三十年北海道庁官制改正により、道庁の出先機関として札幌区、札幌、
石狩
、厚田、浜益、千歳の五郡町村を,管轄する札幌
支庁
が、現中央区大通西三丁目に置かれた。,その際豊平町への移庁が論議されたものの実現せず、大正十一年
石狩
支庁
と名称を改めた。,表にのっていないが、道庁出先機関として明治四十三年開設の
石狩
川治水事務所、大正十年開設の自治講習所があった
新札幌市史 第4巻 通史4
(新たな入学志願者選抜制度の模索)
札幌市は
石狩
支庁
管内の全町村などと並んで、「札幌地方学区」に組み込まれた。
新札幌市史 第1巻 通史1
(その用務)
もし①が軌道にのれば、現在の上川、空知両
支庁
管内全域を勝右衛門は掌中におさめることになり、その面積は一万六四,さらに②によって留萌
支庁
管内に勢力を伸ばし、⑤⑥の立場から
石狩
支庁
管内で住民代表として重きをなしえたはずである
新札幌市史 第2巻 通史2
(三十一年大洪水)
〈四月二十五日〉 札幌郡篠路村字茨戸近傍暴風雨により、
石狩
、篠路二河川増水すること平常より一丈五尺以上,被害拡大し、札幌より
石狩
に通ずる新道、すなわち篠路屯田兵村四番地より茨戸太巡査駐在所にいたるおよそ一里余,七日より烈風も加わり、
石狩
、空知、後志方面各所で出水し、空知方面では死者も出す。,しかし、時間がたつにつれ被害状況はさらに大きいことが札幌
支庁
の調査で明らかとなった(表27)。,表-27 明治31年札幌
支庁
管内水害罹災調査表 村名・字名 浸水家屋 流失家屋 浸水田畑 漁村漁太 &
新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道庁「少年職業紹介要領」の制定)
の適性検査の方法、小学校と職業紹介所の「聯絡方法」などを具体的に定めるとともに、同年五月に開催した「
支庁
長市長会議,この要領にもとづいて、札幌市立職業紹介所が管轄する「聯絡区域」は札幌市と
石狩
・空知の両
支庁
の範囲とされ
新札幌市史 第3巻 通史3
(手稲村の発展)
手稲村全体での飼育数も四十一年は二六六頭であったものが、大正十年には六九二頭にまで伸びており、これは
石狩
支庁
管内,では
石狩
町に次ぐものであった。
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
すなわち,本署発足時の管轄区域(小樽分署域を除く)は,現行
支庁
制の
石狩
,空知,上川,十勝,そして胆振,,本巻収載の警察統計は札幌県設置後の本署の数字からとしたが,それでも前4
支庁
をほぼその管轄区域にしていた,その後,
石狩
,余市,古平,空知,樺戸,勇払,大津,宗谷の分署が新設され,その都度本署の統計から分離した,さらに,97年郡役所の廃止,19
支庁
制の実施にともない,1
支庁
1警察署制をとることになり,札幌
支庁
管内,に新々札幌警察署が置かれ,江別,
石狩
,厚田,茂生の4分署をもつことになる。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(「都市開教」)
大谷派は道内を地域別に二一組(そ)に分けているが、それによると最も増加したとされているのは、札幌市および
石狩
支庁
管内,減少した門徒の移動先として札幌市とするものが多く、多い順にあげると稚内
支庁
管内の第一四組が一番で、以下渡島半島西部域,本願寺派は道内を一六組に分け、札幌組は札幌市および
石狩
支庁
管内であり四五寺が所属している(平成十一年現在
新札幌市史 第5巻 通史5上
(札幌市農業振興共進会)
これは、「昨年七月 白石村を合併してから農家人口、農地面積ともに従来の二倍以上になって、
石狩
支庁
管内有数,農機具展、施設見学(農業関係会社・農業試験場)、第三部は、全道種牡緬羊・種牡豚品評会(大通西四丁目広場)、
石狩
地方農民
新札幌市史 第2巻 通史2
(救助活動)
しかし九月の場合、
石狩
原野の洪水では空前の大惨事となり、「死者百以上を以て数へ負傷者幾百と号し家屋の破壊墾地,札幌
支庁
では、まず罹災民に救恤規則にもとづき救助米を支給することとし、札幌
支庁
管内各戸長役場部内に合わせて
新札幌市史 第5巻 通史5上
(『緑礁』『彩北』)
篠路短歌会(二十二年、宮西頼母)、軽川樹華会(二十三年、鍋山隆明)、琴似せせらぎ会(二十五年、宮崎芳男)、
石狩
支庁
新札幌市史 第4巻 通史4
(在郷軍人会)
六年九月二十五日には、在郷軍人札幌市聯合会及び
石狩
支庁
聯合会共催で、「国防講演会」が札幌市公会堂で開催
新札幌市史 第5巻 通史5上
(白石村の場合)
1,547.1 2,009.4 3,556.5 1,921.2 128.3 2,049.5 2,004.6
石狩
支庁
,272 計 3,286.6 484.3 ― 3,770.9 229 602 12 13 1,071
石狩
支庁
新札幌市史 第5巻 通史5上
(札幌地区労協の結成)
134,837 60,700 15,101 札幌市の労働組合員総数は『札幌市統計書』(原資料出所は
石狩
支庁
労政課,)及び『北海道労働組合名鑑』による(ただし昭和37~45年は
石狩
支庁
管内の数値)。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(四月選挙)
選挙区は全道五区に分割され、札幌市は小樽市・
石狩
支庁
・後志
支庁
とともに第一区に含まれた。
新札幌市史 第3巻 通史3
(〝燕麦村〟)
〝燕麦村〟 篠路村はまったくの純農村であり、
石狩
川の鮭、八ツ目鰻漁などのわずかな水産業を除き農業以外,ただ農産価格でいうと約四一万円のうち約一九万円を占めるに過ぎないが(札幌
支庁
管内統計書)、それでも札幌村
新札幌市史 第8巻1 統計編
(おわりに)
注1)『北海道庁統計書』及びこれにつながる開拓使,札幌県,北海道庁各統計書と札幌区(市)統計書,
石狩
支庁
新札幌市史 第4巻 通史4
(俸給生活者)
事実、昭和二年三月に札幌市内一三の小学校を含む
石狩
、空知、留萌
支庁
管内の小学校卒業生の進路について、札幌市立職業紹介所,672 278 950 31.0 計 1,923 1,134 3,057 (100.0) 1.
石狩
,・空知・留萌
支庁
管内。
新札幌市史 第4巻 通史4
(政党政派)
石狩
支庁
管轄町村を選挙区として延べ一七人が選出されているが、その内、憲政会・民政党系九人、政友会系六人,一方、
石狩
支庁
管轄町村を主集票地として当選した延べ五人についてみると、政友会系四人で、あとの一人は中立
新札幌市史 第3巻 通史3
(篠路兵村)
しかしこの地域はあいにく低湿地であり、しかも
石狩
川の洪水地帯という悪条件の中にあった。,、其の結果果して水田開墾の有望なるを認める時は更に土功組合を組織せんとて、今回同村長より寄附の認可を
支庁
,この時には戸数も一〇〇戸に回復し、「米作期待」や
石狩
川治水工事の進捗などもあって、「滅亡」の危機から脱
新札幌市史 第4巻 通史4
(警察署の設置)
道庁ができ
支庁
制度が整備されると、札幌
支庁
と警察署管轄地域の一体化がはかられ、明治後期は札幌警察署の管轄,に
石狩
、厚田、浜益、江別の四分署をもち、市内に八派出所と近隣町村に一四の巡査駐在所を置いた。
新札幌市史 第3巻 通史3
(税務等の機関)
して北海道に一六の税務署を置いたのは三十年四月で、その一つとして札幌税務署ができ、札幌区のほか札幌、
石狩
,これらのほか、全道を管轄地とする官庁に御料局札幌
支庁
がある。,のちに名称を帝室林野管理局札幌
支庁
と変えた。
新札幌市史 第4巻 通史4
(篠路村)
であったので村長選出をめぐる政争もなく、また純農村であったために村内の利害対立も割合と少なく、しかも
石狩
川,を求める村民は、四月十日に約三〇〇人が集会を持ち、桜井村長の不信任を決議して、十一日には代表二〇人が
支庁
長,しかも
支庁
長の斡旋も不調に終わり、小作調停の裁判へ持ち込まれることになったが、八月十七日の村民代表者大会
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌茨戸間の馬車鉄道)
札幌茨戸間の馬車鉄道 明治四十一年二月三日、
石狩
町大字生振村村会議員鳥羽熊三郎ほか一四人が、北五条西一丁目,北七条東一丁目まで軌道があったように描かれている)とし、篠路村大字茨戸に至る馬車鉄道敷設の願書を札幌
支庁
新札幌市史 第4巻 通史4
(処女会・女子青年団)
表-15 道内処女会・婦人会数(昭和元年現在) 市・
支庁
名 処女会 婦人会 合計 札幌市 1,27 39 66 桧山
支庁
0 14 14 後志
支庁
40 50 90 胆振
支庁
27 7 34
石狩
支庁
,36 6 42 空知
支庁
21 22 43 浦河
支庁
37 16 53 上川
支庁
43 20 63,留萌
支庁
0 16 16 宗谷
支庁
40 33 73 河西
支庁
27 23 50 網走
支庁
0 18,18 釧路
支庁
31 9 40 根室
支庁
7 9 16 合計 340 334 674 北海道
新札幌市史 第8巻1 統計編
(はじめに)
市)統計一班』のほかに,『北海道庁統計書』(以下『道庁統計書』と略)『札幌市勢要覧』『町村勢要覧』『
石狩
,(札幌)
支庁
要覧』『札幌商業(工)会議所統計年報』等の資料を採用せざるをえない場合が少なくなかった。,これらのうち,『道庁統計書』はもっとも包括的な統計書であり,おおむね各項目について
支庁
,市郡区別の統計数値
新札幌市史 第5巻 通史5上
(中小零細組合の急増と紛争議)
762 91,889 221 48,538 505,467 27.8 『札幌市統計書』(原資料出所は
石狩
支庁
労政課,※の組合及び組合員数値は
石狩
支庁
管内。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(札幌市の国政選挙)
1 選挙区は昭和33~平成5年は中選挙区制(札幌市を含む
石狩
支庁
・後志
支庁
で一区)、平成8年以降は小選挙区比例代表並立制,第一区(中央区、南区、西区)、第二区(北区、東区)、第三区(白石区、豊平区、清田区)、第四区(手稲区、
石狩
町
新札幌市史 第3巻 通史3
(伝染病)
大正七年に新たに加えられた法定伝染病・流行性脳脊髄膜炎は、大正九年札幌
支庁
管内で二人の発生をみたのみである,表-27 札幌区・札幌郡・
支庁
別伝染病患者数 年 腸チフス ジフテリア 赤痢 猖紅熱 発疹チフス,26 43 区 234 28 151 9 18 3 49 1 1 1 452 40
支庁
,その後翌四年区内一人、
支庁
管内二人の患者を出したのみで流行はみていない。,当時発疹チフスは、青森、函館方面において猖獗をきわめた伝染病で、渡島、後志、
石狩
、天塩の四カ国にまで広
新札幌市史 第5巻 通史5上
(産業振興委員会)
また二十二年三月三~九日に隣接町村の実地調査を行い、二月二十四日には札幌市に隣接する豊平町・
石狩
町・琴似町,・篠路村・白石村・札幌村・手稲村の町村長代理と農業会長・町村議会議長および
石狩
支庁
長代理(産業課長)を
新札幌市史 第5巻 通史5上
(開拓地の諸相)
以下、
石狩
開拓営農促進協議会編『
石狩
開拓のあゆみ』(昭38)によりながら具体的にみておこう。 ,このため
石狩
支庁
は離農者の土地を整理して定着者に増反し、全区画を四〇戸に整理した。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(国有林の動向)
管理区域は、札幌市・江別市・北広島市・
石狩
市・当別町・厚田村・新篠津村の四市一町二村にまたがり、管理面積,二十三年八月、北海道官有林のうち定山渓・厚田地区を御料林に編入して御料局札幌
支庁
、札幌出張所が設置されたが
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