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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第5巻 通史5上 (公娼制度廃止令)

一月十五日から実施の通達内容は、「貸座敷及娼妓は之を廃業せしめ之等廃業者に付いては私娼として稼業継続を,認め公娼制度を廃止致す」というものだったため、当時貸座敷指定地域をそのまま私娼黙認地域として認めた程度,、娼妓一万四一七人という調査データさえあることから、廃止令に基づいて本人の希望または個々の事情により私娼
新札幌市史 第2巻 通史2 (都市景観に関するもの)

狸小路の私娼は薄野遊廓よりも市街地の中心部に位置したため、より大きな批判が出される。,また二十七年の狸小路の火事以降には、警察に対して私娼の根源である曖昧飲食店設置を許可しないように要求している,また狸小路の取締りが厳しいため、私娼たちも豊平川の東などに拠点を移すものが出てきた。,狸小路の私娼は、取締りとのイタチごっこを繰り返しつつ順次衰勢となり、豊平川東側などへ追いやられていったと
新札幌市史 第2巻 通史2 (風紀取締)

その一方で、密売淫すなわち私娼が公娼の約二倍は存在するといわれた。,は、区民によって道都札幌の中心、それも庁下の対面を汚すものといった考え方から移転問題へと発展したが、私娼
新札幌市史 第2巻 通史2 (薄野・密売淫問題)

その理由は、両地がいまや札幌の中枢にあたり商業上不利益をこうむること、公・私娼の存在が風俗の乱れや子弟,警察でもこれらの声を無視するわけにもいかず、二十五年私娼の摘発に乗り出し、実際約五〇人の私娼が逮捕され,二十六年には、営業者仲間が私娼撲滅策を打ち出し、営業者側の利益優先のみに終始する結果となった。
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道庁設置後の商況)

この頃二丁目から四丁目あたりに私娼を置く飲食店が多く、私娼街を形成していたとされるが、二十五年五月狸小路四丁目,から出火した大火を機に警察の取締りがさらに強化され、ために一方薄野の貸座敷免許地に私娼を置く飲食店を移転,させ、薄野で貸座敷を営むものが増して、狸小路から私娼が姿を消して行く。  
新札幌市史 第2巻 通史2 (人口比率と「家」)

そして、近年「男多女少」の傾向が改善されるどころか、娼妓や私娼の流行や売買婚を生じさせ、かつ私生児の増加
新札幌市史 第2巻 通史2 (開拓地から都市へ)

としては把握できないが、新聞記事などによると冬場には漁場からの労働者が札幌に流入し、それにともなって私娼
新札幌市史 第5巻 通史5上 (「夜の女」の増加と「風紀取締条例」の制定)

「夜の女」の増加と「風紀取締条例」の制定 政府は、公娼廃止後の施策として、私娼の取締・発生の防止・保護対策,これは、警察の地図を旧公娼地域は赤で囲み「赤線」地域、私娼地域は青で囲んだことから「青線」地域の名が生,これらの娼婦を「私娼」・「散娼」と呼び、市街を闊歩して客引きする娼婦を「街娼」と呼んで区別し、そのほかの,その結果、笑和保健会(私娼・白石遊廓街でつくる会員組織)六〇軒、一九二人、芸妓・酌婦・ダンサーなどの被検診者約三
新札幌市史 第2巻 通史2 (伝染病)

前時代以来大きな問題となっていた梅毒は、開拓の進展に伴って私娼が新開地に進出して病毒を散布し、さらに増加
新札幌市史 第2巻 通史2 (遊廓地の決定)

結局この文言は、「隠売女」すなわち私娼を廃止する代わりに、「遊女屋」や「飯盛」の名義を使用し、永住人の
新札幌市史 第8巻1 統計編 (総説)

これら娼妓,芸妓数の増減は,経済変動に伴うものが最大の要囚と考えられるが,これらの数字に表われていない私娼
新札幌市史 第2巻 通史2 (市中商業地の景況)

丸太で門構えして御料理の額行灯を出し、門柱へは一方へ〈初音ずし〉、一方へは〈生そば〉という暖簾をかけ、私娼四
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