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新札幌市史 第3巻 通史3
(篠路兵村)
篠路兵村
篠路兵村
は明治二十二年に熊本、福岡、山口、和歌山、石川、徳島、福井の諸県から入植した屯田兵二二,
篠路兵村
の農産物は、陸軍糧秣廠派出所が置かれていたこともあって、当初は燕麦、秣などの飼料であったが、やがて,その後引き続き分派線工事が施工され、六年十二月十四日に竣工をみ、約七〇〇町歩の美田が造られた(
篠路兵村
,この結果、
篠路兵村
は一大米産地となったのである。 /
篠路兵村
新札幌市史 第2巻 通史2
(新琴似・篠路兵村の大根)
新琴似・
篠路兵村
の大根 三十三年頃の調査と思われる『札幌郡調』(北大図)によると、
篠路兵村
の項に大根栽培,確かに『北海之殖産』(一〇〇号)の水害表によると、
篠路兵村
の被害は耕作面積七〇〇町歩のうち浸水面積五七 / 新琴似・
篠路兵村
の大根
新札幌市史 第2巻 通史2
(道路・排水溝・風防林)
篠路兵村
の道路工事は十九年に始まる旧琴似川の流路切替工事が契機となる。,また、
篠路兵村
第二横線を新琴似兵村の第三横線に直結させたことは前にもふれた。,
篠路兵村
が開いた道路はこの一六本で、用地面積は八万九六九四坪(約二九万五九九〇平方メートル)である。,
篠路兵村
の練兵は溝渠掘り演習といわれるほど兵村内に排水溝をめぐらす努力が続けられ、現役三年間の篠路兵員,なお
篠路兵村
では洪水防止のため発寒川の改修と築堤にとりかかり、追給地となった当別村のトヨベリ川改修をも
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
主要参考文献・史料】 『琴似兵村給与地配当調』『山鼻兵村給与地配当調』『新琴似兵村給与地配当調』『
篠路兵村
給与地配当調,開拓使最初の屯田兵―琴似兵村』、『山鼻創基八十一周年記念誌』、『新琴似兵村史』、『新琴似百年史』、『
篠路兵村
新札幌市史 第4巻 通史4
(小作料適正化運動)
小作料適正化運動 また、札幌郡琴似村の旧
篠路兵村
地区では、大正元年に土功組合が設立されて造田事業が開始,そして、十六年六月「琴似村
篠路兵村
歎願者一同」は、賛同する小作農家百余名の名簿を添え「適正小作料実施歎願書,」を琴似村農地委員会に提出したが、その中には、
篠路兵村
地区小作民の窮状が次のように述べられている。,すなわち、「わが琴似村字
篠路兵村
は水田開発以来既に二十有余年の歴史を有するも小作料高率のため、且つ連年
新札幌市史 第3巻 通史3
(分村問題)
これは大字新琴似村、
篠路兵村
を琴似村から分離・独立させて江南村をつくる運動であった。,の所在地は現在の琴似二条七丁目(現西区役所所在地)にあり、村の南端に偏した位置となっており、新琴似、
篠路兵村
,ところが新琴似、
篠路兵村
側ではこれを不満とし、分村運動が開始されたのである。
新札幌市史 第4巻 通史4
(土功組合と用水組合)
また拓北土功組合については、『拓北百年史』(昭55)を、
篠路兵村
土功組合については、『
篠路兵村
の礎』(,既成水田反別 新琴似兵村 琴似町 明37. 7.21 排水 明41 不詳 不詳 630.0町 不詳
篠路兵村
,年賦金 経常費 反当組合費 田作付面積 同上反当収量 畑作付面積 総数 内不耕作者数 地区内耕作者数
篠路兵村
新札幌市史 第2巻 通史2
(後期二兵村)
新第一大隊第四中隊はその北に接続し、現北区屯田町をすっぽり含み、石狩町花川にまたがる一帯で、
篠路兵村
と,また、日清戦争復員の日をもって大中隊の編成替があり、新琴似兵村を第一大隊六中隊、
篠路兵村
を同七中隊としたが,1 新琴似・篠路屯田兵村の位置 明治29年版五万分の一地形図「札幌」(部分 国土地理院)
篠路兵村
新札幌市史 第3巻 通史3
(施行地)
篠路村(旧来の篠路村から
篠路兵村
を除く区域) 人口二八八二人 琴似村(旧来の琴似村,、発寒村、篠路村のうち
篠路兵村
の区域) 人口五一〇九人 藻岩村(山鼻村、円山村の区域) ,篠路村のうちから
篠路兵村
区域を琴似村に編入する境界変更は、たまたま二級町村制施行日にあわせたが、制度そのものに
新札幌市史 第2巻 通史2
(殖民的評価)
開村後二五年) 山鼻兵村 五二パーセント(同 二四年) 新琴似兵村 五一パーセント (同 一三年)
篠路兵村
,
篠路兵村
は度重なる災害で、三十八年(入地一六年、予備役終了後九年)で残留戸数は早くも七二戸に減った。,その後も「転住する者多く、部落の人口は逐次激減して、移住当時の三分の一になるに至り」(
篠路兵村
の礎)、
新札幌市史 第2巻 通史2
(後期の兵村)
すなわち新琴似兵村と
篠路兵村
の新規設置をもたらし、札幌市街を東西南北でとり囲む兵村配置の完了をみる時期,しかし琴似・山鼻と新琴似・
篠路兵村
では道内他兵村におよぼした影響に大きな差があり、開設時における札幌の
新札幌市史 第2巻 通史2
(住区画)
篠路兵村
は新琴似兵村との間に風防林を設定し、それを境に隣接しているが区画の基軸方向は二五度ほどずれている,写真-2
篠路兵村
給与地図 (屯田歩兵第一大隊第七中隊給与地並公有財産地 道文)
新札幌市史 第3巻 通史3
(新琴似兵村からの出兵)
新琴似兵村からの出兵 新琴似、
篠路兵村
に入地していた屯田兵は、いまだ後備役中であったために召集を受け
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵員)
集計に使った資料は、新琴似兵村が『新琴似兵村史』(昭和十一年刊)『新琴似百年史』(昭和六十一年刊)、
篠路兵村
,が『
篠路兵村
の礎』(昭和十三年刊)『屯田百年史』(平成元年刊)だが、前者については兵籍簿が保存されているので
新札幌市史 第3巻 通史3
(二級町村制の施行)
二級町村制の施行 明治三十九年四月一日に篠路村は琴似村と共に二級町村制が施行され、この折に
篠路兵村
は
新札幌市史 第2巻 通史2
(後期兵村の給与地)
篠路兵村
では入地時四九八〇坪の住区画を給与されるが(二十二年七月十五日付)、内一五〇坪が通路を含む宅地
新札幌市史 第2巻 通史2
(亜麻等特約農家)
札幌区 90町16 16町70 桑園 7.20 - 札幌村 103.80 - 苗穂村 208.30 -
篠路兵村
新札幌市史 第4巻 通史4
(農村経済更生運動)
この内、
篠路兵村
負債整理組合について述べた『屯田部落七十年史』によれば、
篠路兵村
内の五つの農事実行組合,の協力の下に負債整理組合(無限責任
篠路兵村
負債整理組合)が結成されたのは昭和九年十二月のことであった(,本年度末現在 本年度借入 本年度末現在 本年度貸付 本年度末現在 要整理負債額 条件緩和ニヨル減免額 琴似村
篠路兵村
負債整理組合
新札幌市史 第2巻 通史2
(募兵)
さらに二十二年は
篠路兵村
への募兵が続き、招募重点地が四国、中国、中部、北陸に移っていく。,二十二年七月十四日相模丸で小樽港着、翌十五日
篠路兵村
に到着し、ここに札幌四兵村への入地は完了したのである
新札幌市史 第2巻 通史2
(管理共用施設)
篠路兵村
の中隊本部建築は、入地してくる二十二年六月に兵屋を完工させているので、これと同時期であったと思,明治三十九年四月一日、
篠路兵村
ハ琴似村ノ管轄ニ移管サル。 第二横線をはさんで西側が練兵場である。
新札幌市史 第4巻 通史4
(凶作)
負債と見積られていたが(白石村事務引継書)、このために負債整理組合も設置されたところがあり、琴似村では
篠路兵村
新札幌市史 第4巻 通史4
(忠魂祭と公葬)
続いて
篠路兵村
で四十二年七月十五日に江南神社内に建碑され除幕式が行われていた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(日本基督教会の教会建設)
三浦林三郎らによって
篠路兵村
伝道のため集会所も開かれた。
新札幌市史 第3巻 通史3
(琴似村の概況)
二級町村制の施行に際し、同じ屯田兵村であった
篠路兵村
が篠路村から分割して編入され、琴似村の広袤は東西一里二二町
新札幌市史 第2巻 通史2
(家族)
表-3 後期兵村の戸口数(明治20年~28年) 戸口 新琴似兵村
篠路兵村
合 計 戸 人 口 戸
新札幌市史 第4巻 通史4
(琴似村と町制の施行)
、新琴似兵村では小学校の移転・改築、神社の改築、公会堂・教員住宅・巡査駐在所・村医住宅・道路の改修、
篠路兵村
新札幌市史 第2巻 通史2
(公有地の処分)
篠路兵村
公有地は住区画一帯を大稲作地帯に造成するため投じたと言ってよい。
新札幌市史 第3巻 通史3
(大正四年全道青年会連合大会)
西山青年会 札幌村 中通青年会 札幌村烈々布青年会 札幌村雁来青年会 札幌村青年会 篠路村
篠路兵村
青年会
新札幌市史 第3巻 通史3
(町村役場)
大正六年村長になった清水凉は大乗的立場から旧琴似兵村側と旧新琴似
篠路兵村
側の調停をはかり、大正九年ついに
新札幌市史 第2巻 通史2
(自治の芽ばえ)
安東中隊長は無事だったが、加担者は逮捕され軍法会議にかけられ服役、
篠路兵村
からの同調者には銃自殺者が出
新札幌市史 第2巻 通史2
(小学校の設立事情)
兵村経営ということは私立であることが確認されたため」(江別第二小学校九〇年記念誌)としており、新琴似・
篠路兵村
新札幌市史 第5巻 通史5下
(郷土資料館)
屯田郷土資料館(北区屯田五―六)は、屯田地区センターに併設して六十三年十一月二日に開設され、
篠路兵村
関係資料
新札幌市史 第3巻 通史3
(人口推移)
豊平町が多かった原因は、豊平の市街地を抱えていたため、また篠路村が少ない原因は、
篠路兵村
を琴似村に変更
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵役)
〈
篠路兵村
入地者〉 令規改正の境目に該当するため複雑な変更が重なった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(共同の財産)
篠路兵村
へは山鼻村白川を主に給与したが、面積上は半分に達せず、残りは各地に分散した。
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
北海道拓殖銀行史』(昭46)、『北海道土功組合史』(昭13)、『篠路農業協同組合三十年史』(昭54)、『
篠路兵村
新札幌市史 第2巻 通史2
(三十一年大洪水)
浸水家屋 流失家屋 浸水田畑 漁村漁太 508戸 -戸 9700反
篠路兵村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(解題)
新琴似、
篠路兵村
に西南諸県士族が多かったのはこの進言に基づいている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(諸村の人口の増加)
白石村は大谷地、厚別地域の開拓が進み、篠路・琴似村には二十~二十二年にかけ
篠路兵村
、新琴似兵村ができたことが
新札幌市史 第2巻 通史2
(神社等の増加)
二十二年
篠路兵村
に入地した屯田第一大隊第四中隊は、二年後の二十四年に中隊本部の北側に小祠を建て、開拓の
新札幌市史 第2巻 通史2
(屯田兵制の終結)
札幌についてみれば二十二年の
篠路兵村
入地が招募の最後で、現役予備役は二十九年ですべて終わる。
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌都市計画街路)
新川公園道路 北22条西14丁目 都市計画区域界 45間 広路 4 創成川通 南7条東2丁目 琴似村大字
篠路兵村
新札幌市史 第2巻 通史2
(年中行事)
金毘羅祭が行われていたが七月となる 露店・手踊 豊平神社祭典 十四・十五日 青年組茶番狂言・山車・花相撲
篠路兵村
例祭
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵員と家族)
すなわち「篠路屯田」と呼ばれ(後期に成立する
篠路兵村
とは異なる)、琴似・山鼻兵村の中で家族の多い家が分戸
新札幌市史 第5巻 通史5上
(農業基盤整備)
. 7.11
篠路兵村
土功組合を改組 篠路拓北 〃 103 〃 篠路町篠路 26.11
新札幌市史 第4巻 通史4
(農事実行組合)
すなわち『屯田百年史』(平1)によれば、「
篠路兵村
に農事実行組合が設立されたのは昭和八年二月のことだった
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
農業生産の状況 米麦生産の状況 作物の特産化 円山村の野菜 札幌村の玉ねぎ 新琴似・
篠路兵村
, 混同農業の農場 興産社農場と藍作 第四章 屯田兵村の再編…772 第一節 新琴似・
篠路兵村
新札幌市史 第3巻 通史3
(新札幌市史 第三巻 通史三/総目次)
琴似村の概況 琴似村の社会構成 都市化する「風俗」 分村問題 新琴似
篠路兵村
新札幌市史 第2巻 通史2
(図版・写真・表組一覧)
796頁) 写真-1 明治24年の屯田兵演習『新琴似百年史』より (781頁) 写真-2
篠路兵村
給与地図
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)
蝦和英三対辞書(ジョン・バチェラー) 967 ジョン・バチェラーの手紙(仁多見巌) 968
篠路兵村
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