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新札幌市史 第1巻 通史1
(紅葉山砂丘の遺跡)
紅葉山砂丘
の遺跡
紅葉山砂丘
上にも続縄文時代の遺跡は多く発見されている。 /
紅葉山砂丘
の遺跡
新札幌市史 第1巻 通史1
(紅葉山砂丘)
紅葉山砂丘
海岸から約六キロメートル内陸に、海岸線にほぼ並行して発達する砂丘である。 /
紅葉山砂丘
新札幌市史 第1巻 通史1
(完新世の冷涼期(五〇〇〇年~四〇〇〇年前))
この時期は、
紅葉山砂丘
の外面では、浅海底を埋め立てるように、海岸線が沖合に進み花畔低地も南半は陸化し、,
紅葉山砂丘
も海岸砂丘としてではなく内陸砂丘として浸食されたり固定化を進めていたのである。,そして、一部の人びとは、この時期から
紅葉山砂丘
へ進出していったのである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(紅葉山砂礫相)
紅葉山砂礫相
紅葉山砂丘
の風成砂層の下位には、粗粒砂と礫からなる水中に堆積した砂礫層がある。,前田砂層の外縁部を
紅葉山砂丘
に沿うように分布している。,その後、この砂礫州には海浜から吹き上げられた砂が徐々に堆積し、新しい砂丘(
紅葉山砂丘
)が形成された。
新札幌市史 第1巻 通史1
(花畔砂層)
この地域においては、
紅葉山砂丘
の外側に分布する花畔砂層中の自然貝層の堆積面高度などから、当時の海水面は,花畔砂層は
紅葉山砂丘
の外側、花畔砂堤列地帯を構成する海成砂層である。
新札幌市史 第1巻 通史1
(札幌の続縄文時代遺跡)
札幌市域の続縄文時代遺跡の分布は、縄文時代にくらべると一段とひろがり、野幌丘陵や月寒台地、平岸台地、
紅葉山砂丘
新札幌市史 第1巻 通史1
(分布地域)
まず、
紅葉山砂丘
の手稲前田地区では、後期の手稲遺跡に見られたような拠点的な大遺跡はおろか、小さな遺跡さえもまったく,これは、
紅葉山砂丘
全体にいえることではなく、
紅葉山砂丘
の南端についてのみ見られる現象である。,
紅葉山砂丘
の大部分をしめる石狩町側では、晩期の良好な遺跡が存在する。
新札幌市史 第1巻 通史1
(石狩海岸平野)
すなわち、①石狩海岸砂丘、②花畔砂堤列地帯、③
紅葉山砂丘
、④後背低地などである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇N二九五遺跡(西区手稲前田三三五番地))
◇N二九五遺跡(西区手稲前田三三五番地) 手稲遺跡から新川を渡った手稲寄りの標高約六メートルの
紅葉山砂丘
上
新札幌市史 第1巻 通史1
(花畔砂堤列地帯)
花畔砂堤列地帯 石狩海岸砂丘と
紅葉山砂丘
の間にあり、幅五~六キロメートル、長さ二〇キロメートルにおよんでいる
新札幌市史 第1巻 通史1
(札幌の後期遺跡)
札幌の後期遺跡 札幌市域における縄文時代後期の遺跡は、約三五カ所で、西区前田の
紅葉山砂丘
地区と発寒川
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇N二九五遺跡(西区手稲前田三三五番地))
◇N二九五遺跡(西区手稲前田三三五番地) 本遺跡も、
紅葉山砂丘
の西端の内陸側に立地する例で、昭和五十九
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇N二九五遺跡(西区手稲前田三三五他))
遺跡は地理的には
紅葉山砂丘
の最西端部にあたり、標高は四・五~五メートルほどある。
新札幌市史 第1巻 通史1
(谷を埋めた堆積物)
まれる石狩海岸平野は、石狩湾岸から内陸にむかって、海浜―海岸砂丘(石狩砂丘)―砂堤列低地―内陸砂丘(
紅葉山砂丘
,しかも、
紅葉山砂丘
を境に海岸側と内陸側とでは表層を構成する地質もまったく異なっている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇手稲遺跡(N一遺跡 西区手稲前田五二四―一九))
石狩町との境に存在する
紅葉山砂丘
の南端近くの、海抜標高約一〇メートルに位置する。
新札幌市史 第1巻 通史1
(泥炭地形成期(四〇〇〇年前~現在))
四〇〇〇年前ころまでには、すっかり低地化した
紅葉山砂丘
の内側は、最後に残された沼地の埋積がはじまる。,そして手稲前田を中心とした西部の泥炭地は、約三二〇〇年前ころから形成され、
紅葉山砂丘
の外側へまで広がっていったのである,石狩海岸平野においては、花粉化石による証拠は明瞭でないが、
紅葉山砂丘
の外縁の花畔砂層の最上部が土壌化され
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇N二九三、N三〇九遺跡(西区前田九条一〇丁目、一〇条一〇丁目))
◇N二九三、N三〇九遺跡(西区前田九条一〇丁目、一〇条一〇丁目)
紅葉山砂丘
の西端側に立地する遺跡群
新札幌市史 第1巻 通史1
(分布の範囲)
分布範囲は急速にひろがり、縄文時代においても遺跡分布の主体を占めた野幌丘陵、月寒・平岸台地、発寒川扇状地、
紅葉山砂丘
新札幌市史 第1巻 通史1
(五つの遺跡群)
西区手稲前田の
紅葉山砂丘
上の遺跡は、中期の半数以下に減少し、前葉と中葉の土器が発見されている。,この他に前葉の土器を数点出土する遺跡も見られるため、
紅葉山砂丘
の南端は、前葉から中葉にかけての居住空間
新札幌市史 第1巻 通史1
(遺跡の立地と地形)
特に、現在の石狩湾から五、六キロ内陸にある
紅葉山砂丘
(もみじやまさきゅう)、それに市内東部の野幌丘陵、,細かくみると、
紅葉山砂丘
上の札幌市域ではその西端の手稲前田の標高四~六メートル付近に、石狩町内では樽川
新札幌市史 第1巻 通史1
(前田砂層)
西区手稲前田にあるポンプ中継所は、
紅葉山砂丘
の西南端から南へ五〇〇メートルくらいのところにある。,また、分布が
紅葉山砂丘
の内陸側に限られ、砂丘から二~三キロメートルの間で急激に厚さが薄くなっていることから
新札幌市史 第1巻 通史1
(四遺跡の調査)
本遺跡は
紅葉山砂丘
上に形成された縄文時代後期中葉の遺跡である。
新札幌市史 第1巻 通史1
(札幌の中期遺跡とTピット)
このうち、住居跡群は、東部の野幌丘陵と月寒丘陵、石狩湾に近い
紅葉山砂丘
などに集中している。
新札幌市史 第2巻 通史2
(山口村の成立)
ここは
紅葉山砂丘
と星置川の泥炭湿地が多くを占め、それだけ土地条件が悪く入植が遅れたのである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(市内の土壙)
市内の土壙 市内では、野幌丘陵にある白石区S二六五遺跡、羊ヶ丘の豊平区T四六四遺跡、
紅葉山砂丘
の西端
新札幌市史 第1巻 通史1
(後期の遺跡)
一、西区手稲前田の石狩町から続く
紅葉山砂丘
の南端地区 二、西区の発寒川扇状地地区 三、札幌扇状地地区
新札幌市史 第1巻 通史1
(旧琴似川の遺跡群)
メートル)、羊ケ丘付近(標高六〇~七五メートル)、発寒川扇状地の末端付近(標高一〇~四〇メートル)、
紅葉山砂丘
新札幌市史 第1巻 通史1
(晩期の問題点)
紅葉山砂丘
の札幌市域部分では、遺跡がほとんど姿を消し、発寒川扇状地、豊平川の石山・藤野地区、札幌扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1
(重要遺跡の消滅)
重要遺跡の消滅 後期の遺跡は、西区手稲の
紅葉山砂丘
、同じく発寒川扇状地、月寒台地を中心にして、全道的
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
の様相について」『北海道考古学』一二、上野秀一「石狩海岸砂丘地帯の遺跡群について―考古学資料からみた
紅葉山砂丘
新札幌市史 第1巻 通史1
(市内の住居跡)
地域的にみると、野幌、月寒丘陵と
紅葉山砂丘
の上に集中している。
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
河岸段丘 第四節 北部の平野…12 石狩海岸平野 石狩海岸砂丘 花畔砂堤列地帯
紅葉山砂丘
,第二節 中期…192 一 遺跡の分布 縄文文化の爛熟期 遺跡の立地と地形
紅葉山砂丘
,分布の範囲 野幌丘陵の遺跡 月寒台地の遺跡 旧琴似川流域の遺跡 発寒川扇状地の遺跡
紅葉山砂丘
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