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新札幌市史 第4巻 通史4
(結核予防)
結核
予防 大正八年三月、
結核
予防法が公布された。,このため、札幌市では十二年度予算に市立
結核
療養所建設費を計上した。,その一方、
結核
患者は増加の一途をたどったため、札幌市は
結核
予防法にもとづいて、各種営業者の健康診断に力,を入れたり、十四年六月二十七日には札幌市
結核
予防協会の発会式を挙行(北タイ 大14・6・28)、
結核
予防,以後毎年、六月二十七日を「
結核
予防デー」と決めた。 /
結核
予防
新札幌市史 第5巻 通史5下
(結核の減少と再流行)
結核
の減少と再流行
結核
は不治の病ではなくなったが、依然として伝染病のなかの最大の脅威である。 ,死亡は、
結核
登録患者が
結核
以外の死因により死亡した数を含んでいる。 ,これを受けて市保健衛生部は、
結核
患者が停滞し再流行する傾向にある半面、市民だけでなく医師の間ですら「
結核
,は過去の病気」との認識が根強いため、医師向けの「
結核
診療機能強化研修」を実施した。,、札幌市保健所 札幌市における
結核
情報、道新 平11・9・28、12・12・15夕)。 /
結核
の減少と再流行
新札幌市史 第5巻 通史5上
(結核の蔓延から撲滅へ)
結核
の蔓延から撲滅へ 昭和二十七年八月三日、札幌市民会館で「北海道
結核
死亡半減記念式典」が挙行された,
結核
の死亡数は戦後著しく減少し、札幌の二十年と二十六年を比較すると、
結核
死亡者数八二〇人が四七七人に、,戦後の減少の要因を略記すると、
結核
患者(肺
結核
・全
結核
)の診察報告を義務化(伝染病届出規則 昭22・3,)し、
結核
対策の強化をめざし
結核
予防会などによる予防思想の普及・徹底や
結核
療養所の整備拡充(昭22・3,(札幌市における
結核
実態調査 昭和28年度) 表-15
結核
患者数の比較(札幌市・北海道・全国) /
結核
の蔓延から撲滅へ
新札幌市史 第5巻 通史5上
(結核アフターケア)
結核
アフターケア
結核
入院患者の回復率が良くなると、市内の療養所で年間二〇〇〇人(昭33)が退院して,札幌市や北海道に請願した結果(道新 昭33・5・12、6・6)、三十七年五月に、札幌市あけぼの荘(白石・
結核
/
結核
アフターケア
新札幌市史 第5巻 通史5上
(死因別の変遷と平均寿命)
札幌市民の死因第一位は長期にわたり
結核
が占めていたが、初めて二十七年にその位置を中枢神経系の血管損傷に,万人比率の推移 種別 年次 第1位 第2位 第3位 死因 比率 死因 比率 死因 比率 昭25 全
結核
,21.3 中枢神経系の 血管損傷 10.3 悪性新生物 9.3 26 全
結核
14.7 中枢神経系,の 血管損傷 11.1 悪性新生物 8.6 27 中枢神経系の 血管損傷 11.5 全
結核
9.3,悪性新生物 8.2 28 中枢神経系の 血管損傷 11.2 悪性新生物 8.4 全
結核
8.0
新札幌市史 第3巻 通史3
(その他の流行病)
たとえば次にあげる
結核
、トラホーム、流行性感冒がそれである。,〈
結核
〉すでに明治前半において全道に広まっていった伝染病の一つ
結核
は、独自の伝染病対策法が施行されたのは,大正八年(一九一九)三月の「
結核
予防法」をもって最初とする。,大正に入ってからは、二年に北海道庁内に
結核
予防調査委員会が設立され、
結核
撲滅方法について対策を練った(,この時期、札幌区における
結核
死亡者数が漸増してきていたからである。
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
結核
のなかでもとくに肺
結核
死亡率だけをみたのが表2,グラフ1で,全国,また北海道と比較し極めて高いことが,政府は,1904年(明37)内務省令第1号「肺
結核
予防ニ関スル件」を出して
結核
予防に乗り出したが,それは,同法では,健康診断の実施,
結核
患者が感染の恐れのある職業につくことの禁止,
結核
を伝染させる恐れのある患者,これに対して政府は,
結核
療養所の開設のほか,国民に対して
結核
予防思想の普及などに対処した。,[グラフ] 肺
結核
死亡率
新札幌市史 第5巻 通史5上
(〔市立厚生病院〕)
二十三年に急性伝染病が終息し、円山病院の患者が減少したことから、市では同病院施設の有効利用と慢性的不足の
結核
病床補充,(西南側・五〇床)と厚生病院(東北側・七〇床)とを分割し、二十七年五月には厚生病院に手術室を完備して
結核
病院,三十三年になると伝染病や
結核
による死亡者が減少、代わって脳出血やがんなどの「老人病」(現在の成人病)問題,(道新 昭33・11・3)を方針に据え、厚生病院を付属病院にして養老センターへの転換を図り、そのため
結核
患者
新札幌市史 第4巻 通史4
(農村衛生調査)
九万四〇三九人増えて一一八万七八三二人となり、乳幼児死亡実数、乳児死亡実数、乳児死亡率、一般死亡率、肺
結核
死亡率,五四六二人(大9)の白石村の場合、過去一〇年間の出生数、死亡数および死亡原因、乳幼児死亡率、糞便検査、
結核
性疾患,死亡原因は、消化器疾患二一三人、伝染病一七六人、神経系疾患一七〇人、呼吸器疾患一六三人の順で、伝染病中には
結核
性疾患八六人,
結核
性疾患は、検査人員三四五七人中二四人、〇・六九パーセントの患者が発見され、患者戸数にすると二一戸であった,このような内務省衛生調査会による調査は、保健増進の資料収集であり、これらの資料にもとづいて、大正八年の旧
結核
予防法
新札幌市史 第4巻 通史4
(衛生展覧会)
ここでは、当時
結核
患者死亡率全国一といわれた札幌市の
結核
をテーマにとりあげ、標本模型などの展示品と説明,昭和戦前) 年 名称 主催 会場 内容 昭3 保健衛生展 札幌健康保険署 札幌市立高女 伝染病,性病,
結核
予防等,農業館 一般国民の保健衛生思想の向上普及のため 12 衛生展覧会 市衛生組合聯合会 市立高女・拓殖館
結核
予防,の普及宣伝等 15 衛生展覧会 市・市衛生組合聯合会 三越
結核
予防,レントゲン写真等 16 厚生文化展,の汚名を返上すべく、
結核
予防と撲滅のため、最新医学の情報と技術をもって宣伝につとめているのが特色である
新札幌市史 第5巻 通史5上
(〔市立札幌病院〕)
また、平岸静療院(昭9~)は精神神経の専科として、南ヶ丘分院は伝染病専科として治療にあたり、同分院は
結核
,の減少から
結核
病棟を四十五年に廃止した。
新札幌市史 第4巻 通史4
(出生・死亡)
もっとも
結核
にかかりやすい一五~一九歳ないし二〇~二四歳、二五~二九歳の青年は、それぞれ六・八パーセント,この表が示してくれているように、札幌市民の死因の第一位が
結核
、第二位が肺炎・気管支炎など、第三位が脳膜炎,乳児の死亡率の高さ、それに
結核
を含む呼吸器系統の疾患で青壮年層の多くの命が失われていたことが知られる。,10人 15人 7人 8人 3人 3人 2人 3人 4人 6人 3人 0人 179人 (4.6)%
結核
新札幌市史 第4巻 通史4
(琴似村・琴似町)
この時期、村民が一致して反対運動を展開したものに、札幌市立
結核
療養所の設立がある。,北五条琴似街道の修繕費三〇〇〇円を琴似村に寄付することで両者の妥協がなり(北タイ 昭3・10・30)、
結核
療養所
新札幌市史 第5巻 通史5上
(広がる演劇熱)
以下に項目を立てて概略を跡付けるが、こうした熱気は広く波及し、女学校や各地の
結核
等療養所などで行われた
新札幌市史 第4巻 通史4
(壮丁検診)
このうち、トラホーム患者は前年並であったが、
結核
と同様、若者たちの間に広まりつつあった性病、当時の言葉,それとともに、昭和十二年の壮丁検診では、検査人員一二〇〇人中八〇〇人が
結核
の保菌者といった「
結核
都市札幌
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌市の都市計画区域の調査)
市内死亡調」「市内電車乗客数累年比較調」「都市公園比較調」「市内公園準公園面積調」「市内出生死亡調」「市内
結核
死亡年齢別調,」「市内
結核
死亡年次調」「市内伝染病年次調」「市内小児死亡調(五歳未満)」「市内人口ト戸口比較調」の二六表
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【衛生】)
第284表 主要死因別死亡者(札幌市) 第285表 主要死因別死亡者(札幌市) 第286表 肺
結核
死亡者
新札幌市史 第5巻 通史5上
(療養所の詩誌活動)
昭和二十年後半になると肺
結核
の治療が進むにつれて長期療養所が減少したが、療養所出身の詩人たちが中心になって
新札幌市史 第4巻 通史4
(国民保健から体位向上へ)
国民保健から体位向上へ 「亡国病」とまで呼ばれた
結核
や法定伝染病等の巣窟ともなっていた当時の札幌市は,また道庁立健康相談所も札幌に開設され(昭9・3)、レントゲン検診、ツベルクリン反応、喀痰検査を行い、
結核
患者
新札幌市史 第5巻 通史5上
(札幌モデル保健所の開設)
え、上下水道・医療社会事業・清掃事業などの指導のほか食品衛生・環境衛生業務、試験・検査、および性病・
結核
,保健婦訪問による医療社会事業は、後に医療ソーシャルワーカーを配置し
結核
患者などの相談と解決にもあたる事業
新札幌市史 第5巻 通史5上
(北海道婦人大会・札幌)
現況発表で道教委社会教育主事の山元ミヨは、道内九一七の女性団体について「生活合理化・世界平和・教養向上・
結核
防止等,全道から一四六団体七六六人、札幌からは
結核
予防婦人会・北円山土曜会など八団体一七人が参加した。,大学婦人協会札幌支部 田中愛子 南13西13 日本助看保協会北海道支部 竹村マヤ 南9西12 北海道
結核
予防婦人会,水島ヒサ 北1西2
結核
予防会内 札幌婦人働く友の会 正木ミツ 白石7ノ1 働く婦人の会 山田光代
新札幌市史 第5巻 通史5上
(〔勤医協病院〕)
白石診療所は、同地域
結核
患者の三割の診療を受け持つなど患者が増加し、医療パトロールも開始された。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(予防接種法などの改正)
発生状況、病原体の検索など流行の実態を早い時期に、また的確に把握し予防措置をとることとし、六十二年一月から
結核
新札幌市史 第5巻 通史5上
(畜産の振興)
後者は、道の事業に札幌市が協力する形で行われ、馬の伝染性貧血病、流行性脳炎、牛の
結核
・ブルセラ病、豚の
新札幌市史 第5巻 通史5上
(〔陸海軍病院から国立病院へ〕)
そのため札幌市域の旧陸軍病院と
結核
療養所は表39のように国立病院として再編成された。
新札幌市史 第4巻 通史4
(女教員会)
同会協議題を拾ってみると、第四回では、裁縫科への洋裁の導入の仕方や
結核
の蔓延から女教員の健康問題が(北
新札幌市史 第5巻 通史5上
(自主的活動の発足)
北海道
結核
予防婦人会は二十二年九月二日、全国的にも早い発足である。,会長は水島ヒサ(道新 昭22・9・3)、背景として二十四年の
結核
による死亡率は、札幌が全国一であった(,啓蒙にデパートで公衆衛生展・乳幼児相談・募金活動、困窮患者の慰問など精力的に取り組み始めた(北海道の
結核
新札幌市史 第4巻 通史4
(職員)
をまとめたもので、医員、看護婦、薬剤員、保健婦、巡視、汽罐士をはじめ、療養所長、公益質屋事務長、小児
結核
予防所長,、機械工訓育所、屠場、体育所、武道場、さらに円山病院、健民病院、療養所、診療院、母子保健相談所、小児
結核
予防所等々
新札幌市史 第5巻 通史5下
(【主要参考文献・史料】)
』(平13)、札幌市衛生協力会連合会『あゆみ 札幌市衛生協力会連合会の44年間』(平10)、財団法人
結核
予防会北海道支部,『北海道の
結核
創立五十周年記念』(平2)、厚生省五十年史編集委員会『厚生省五十年史 記述編』(昭63
新札幌市史 第4巻 通史4
(製薬工業)
していたが、主な製品はビタミンB剤「コルンエキス」、せき止め薬「フスゲン」、皮膚病軟膏「クルペオール」、
結核
治療剤
新札幌市史 第5巻 通史5上
(保健所の増設)
全国画一的であった保健所運営が地域の実情に即して推進されることになり、都市型の札幌はこれまで力を入れていた
結核
新札幌市史 第5巻 通史5上
(【主要参考文献・史料】)
婦人新報』(昭20~23)、札幌女性史研究会『北の女性史』(昭61)、『大学婦人協会史』(昭46)、(財)
結核
予防会北海道支部,『北海道の
結核
』(平2)、北海道教職員組合『組合史 第一集』(昭31)、『全道庁十年史』(昭31)、『
新札幌市史 第4巻 通史4
(さまざまな動き)
九年六月、小野白雨が自分が所長をつとめる札幌
結核
療養所に「つつじ吟社」を結成した。
新札幌市史 第4巻 通史4
(都市計画事業の反響)
その理由として、第一に店舗切り取りで小住居化し、密集的家族生活となり、
結核
の増加や風紀上不良現象が起こる
新札幌市史 第4巻 通史4
(健民・健兵を支える人びと)
三者ともに、従来から頻発していた伝染病対策、目立って増加した
結核
患者対策、そして人口増加対策といったまさに
新札幌市史 第5巻 通史5上
(身体障害者福祉)
二十九年には内部障害者更生指導所(通称アフターケア)が、当初
結核
回復者のリハビリー施設として開設された
新札幌市史 第3巻 通史3
(衛生問題と工場医療)
当時は不治の病とされ、感染が最も恐れられた
結核
などもが多かったとみられる。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(政令指定都市への移行)
母子保健、伝染病予防、寄生虫予防、食品衛生、墓地・埋葬等の規制、興業場・旅館・公衆浴場の営業の規制、
結核
新札幌市史 第5巻 通史5上
(各層への浸透)
琴似・白川(簾舞)の
結核
療養所には多くの教会が慰問とともに聖書研究会を組織しており、聖公会の札幌みすまい
新札幌市史 第5巻 通史5下
(衛生研究所と保健衛生の関係団体活動)
疫学検査では、コレラや赤痢、早期発見のための
結核
菌検査、市内小中学校のインフルエンザや風疹などのウイルス
新札幌市史 第5巻 通史5上
(医療・教育政策)
え、上下水道・医療社会事業・清掃事業などの指導のほか食品衛生・環境衛生業務、試験・検査、および性病・
結核
新札幌市史 第5巻 通史5上
(戦没者の数と遺族たち)
死因は、魚雷攻撃や頭部貫通銃創、「玉砕」、特攻戦死など直接戦闘によるもののほか、マラリア、
結核
、赤痢、
新札幌市史 第5巻 通史5上
(急性伝染病とGHQ防疫対策)
コレラワクチンを引揚者・復員者のほか戦災者・浮浪者(計二五三三人)に実施したほか、ジフテリア・臨時種痘や
結核
予防,これら予防接種のうち、「種痘法」(明42制定)以外の腸チフス・パラチフス・ジフテリア・百日咳・
結核
が、
新札幌市史 第3巻 通史3
(防疫態勢)
九年焼失前の設備は、明治四十年に
結核
病室、眼科診療室が新築され、円山に精神病棟が移築された。
新札幌市史 第3巻 通史3
(あわれなる留守家族の実情)
ところが、不幸にも昨年六月以来
結核
に罹り、昨今は起臥さえ自由にならない始末で、収入金は一厘もなく家計はますます
新札幌市史 第2巻 通史2
(伝染病)
〈その他の伝染病〉 この時期全道に広まっていった伝染病に
結核
があった。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(長期総合計画の策定)
レクリエーションの振興(学校教育・社会教育・研究学園都市・公園・緑地など)、保健衛生と社会福祉の充実(
結核
予防
新札幌市史 第5巻 通史5上
(木曜会から札幌市婦連協へ)
翌年常任委員を九人とし、許士が退き梅田幸子・佐々木みよ(
結核
予防婦人会)・三浦章子(ふみこ)(鉄北平和婦人会
新札幌市史 第5巻 通史5下
(死因別の変容と平均寿命)
死因別の変容と平均寿命 高度経済成長期以降は、死因の三大順位が
結核
や急性伝染病から成人病のがんや脳血管疾患
新札幌市史 第5巻 通史5下
(難病対策と難病連)
当初難病専門病床の指定医療機関は北大・札医大、国立札幌西病院、道立
結核
アフターケアー(中央区宮ノ森)が
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