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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (総代、副総代の廃止)

総代、副総代の廃止 十一年三月に開拓使の札幌本庁下では、村落の状況が府県と同様になってきたことを理由,それによると四、五、六の各小区に副戸長を各一員ずつ配置し、各村の総代、副総代は一員のみに限ろうとするものであった,しかし一時にそれを遂行すると、「因襲之人気何トナク穏カラザル義」につき、一村に副戸長一員、総代(副総代,一村一員にもとづき各村の総代、副総代の差免が四月に行われ、さらに六月になると総代、副総代制も廃止となった,しかしその後も、旧(元)総代などの名称で事務取扱を担当している。 / 総代、副総代の廃止
新札幌市史 第7巻 史料編2 (二 総代人制度)

二 総代人制度 一一七 区町村総代人の創定(明治一一年四月二二日) 一一八 総代人選挙法及び総代人心得書,(明治一一年六月二五日) 一一九 区総代人の選挙(明治一三年五月一三日) 一二〇 総代人の改選法(,明治一三年八月二〇日) 一二一 町村総代人の改選(明治一三年一一月八日) 一二二 町総代人の呼称(,) 一二五 総代人会の議事(明治一五年九月一九日) 一二六 総代人集会の方法(明治一六年四月九日),) 一三一 町総代人の名簿(明治一七年九月一〇日) 一三二 村総代人の名簿(明治一七年九月一〇日) / 二 総代人制度
新札幌市史 第2巻 通史2 (総代人会)

総代人会 札幌県治の下で、札幌区に区町村会法の一部適用の動きはあったが、実現をみぬまま総代人制度が住民唯一,総代人は区長の提出する金穀(財政)、公借金、共有物取扱(区有財産)、土木起工等に関する議案を協議し評決,区長またはその代理人が総代人会の会長となり、議事の進行にあたるとともに評決結果の取扱い方を判断する責任者,総代人は札幌区内を四部に分け各部から二人ずつ計八人を投票によって選出した。,次に道庁治以降の総代人名を『札幌区史』から再録しておく。   / 総代人会
新札幌市史 第2巻 通史2 (新副戸長と総代、副総代の設置)

新副戸長と総代、副総代の設置 明治七年二月に大小区制が施行され、札幌区と札幌郡は石狩国第一大区に編入,それにかわり従来の副戸長が引き続きおかれ、さらに副戸長を補佐する公選の総代・副総代が新たに設置された。,副戸長は月給七円、総代は五円、副総代は三円が開拓使から給与された。,表-5 副戸長以下の配置形態 副戸長 総代 副総代 村 名 1人 1人 2人 白石 1 2 円山,琴似,表-6 副戸長・総代・副総代の変遷(明治7年9月~12年10月) / 新副戸長と総代、副総代の設置
新札幌市史 第2巻 通史2 (総代人と名望家支配)

総代人と名望家支配 総代人制は村治につき戸長の諮問機関として明治十三年十一月に設置されて以来、二級町村制,総代人の被選挙権は総代人選挙法で一〇〇円以上の地券を有する者とされたので、やはり一〇〇円ないし二〇〇円以上,発寒村の総代人で品行は方正と云難し、名望は薄しと低評価しかうけていない人物が、三期以上にわたり総代人に,表11は一七カ村の総代人の変遷を示したものである。,表-11 各村総代人の変遷(明治13年~39年) その1 表-11 各村総代人の変遷 その2 / 総代人と名望家支配
新札幌市史 第2巻 通史2 (代表的な総代人たち)

永田長蔵は何期重ねて総代人となったか不明だが、『伏見史稿』は十六年から三十一年まで部落代表の総代をつとめたといい,十三年に総代人になって以来、途中わずかの中断はあるものの、総代人制最後の三十九年まで重任しつとめあげた,(『円山百年史』は終始総代人であったとする)。,十六年以降総代人となり、病気の間は子息の幣治が総代人をうけつぎ、三十五年の二級町村制の施行で総代人の廃止,表-12 総代人員、選挙権・被選挙権所有者 村 名 総代人員 選挙権所有者 被選挙権所有者 上白石・白石 / 代表的な総代人たち
新札幌市史 第2巻 通史2 (総代人会の設置と役割)

しかし札幌にはこの総代制は施行されなかった。,されることになり、十一年六月総代人を選挙する方法を決定した。,この総代人は現在の市町村議員に相当するものである。,また小区においても二~四人の総代人が町村総代人の中から希望者が互選されることになった(同前)。  ,そこで札幌区役所では十三年新たに全町村総代人を改選し、その内の希望者から総代人たちの選挙で区総代人を選出 / 総代人会の設置と役割
新札幌市史 第2巻 通史2 (兵村の副戸長設置)

、副総代が新たに設置された。,このために大堀忠八は、「山鼻村二百五十戸余之取扱一人ニテ行届兼候」という理由で総代、副総代の設置を申請,し、その結果、総代には屯田兵荒木進之助、副総代には伏見の「農七戸伍長」の佐藤三蔵が七月に任命された。,副総代は十年十二月に鈴木運治にかわるが、彼も伏見の居住者である。,副総代は伏見の居住者から出す原則がたてられたようであり、この原則は総代人制にも踏襲されている。
新札幌市史 第2巻 通史2 (円山村の副戸長選考)

をおこなった結果、 高橋善次郎義ハ質直之者ニテ村内人望モ有之、御用弁可相成見込之趣申越候問、先試ニ総代,ニ繰上能否勤惰ヲ検シ、追テ副戸長ニ御撰挙相成候様仕度 と述べ、副総代高橋善次郎を総代とし、「能否勤惰,善次郎は翌八年一月九日に総代になった(市史 第七巻九四二頁)。,しかしその後副戸長への昇進がないために、九年九月十八日に円山村から五人組長八人、副総代二人より副戸長拝命,総代、副総代などにくらべ、副戸長は直接開拓使と交渉をもち得る村吏なので、村治上のために村民側にも副戸長設置
新札幌市史 第2巻 通史2 (副戸長の兼務)

発寒村でも七年十一月に総代笹布源吾が辞職し、副総代石塚市太郎のみとなった。,市太郎は十二月に総代の任命を求めたが、おそらく人材が乏しかったのであろう、下手稲村副戸長管野格に発寒村事務取扱,雁来村は市中の戸長が代行しており、諸村に副戸長の配置・兼務がみられるようになったが、豊平村は当初副総代
新札幌市史 第2巻 通史2 (平岸村の副戸長問題)

平岸村の副戸長問題 平岸村は副戸長が設置されず、副総代が三人という変則な形態をとっていた。,、大平寛造、木村長之丈の三人の任命は九月十九日に行われたが、すぐ翌二十日に先の三人より副戸長ないしは総代,この折平岸村からは、「副総代二名ノミニテハ難行届趣」と申立て、副総代を一人増員してもらったのである(開拓使公文録,行方丹治の副戸長任命後、増員分の副総代が減員となり、翌八年一月十日に高橋源吾が辞職した。
新札幌市史 第4巻 通史4 (入営)

松本分会長以下分会幹部、松田市会議長以下各市会議員ヲ来賓トシ、三橋社司修祓、佐藤社司降神詞ト祝詞ヲ上げ、市長、退営者総代,、入営者総代ノ順ニテ各参拝シ、昇神ノ祝詞アリテ司会者高岡市長ノ挨拶アリ。,続イテ市会議員総代松田市会議長、分会総代松本分会長、沼田聯隊区司令官ノ祝辞アリ。,退営者総代本田軍曹、入営者総代塩崎礼三郎氏答辞ヲ述べ、市長、入退営者総代、松田議長等順々神前ニテ神酒ヲ
新札幌市史 第2巻 通史2 (自治のない区)

当面の対応として総代人会の機能をより住民に密着させる改善意見が生まれ、総代人の補助機関として住民公選の,代表者による協議会を設けたり、村中寄会の伝統を生かす村総会を定期的に開いて、議決した内容を総代人が尊重,二十八年の札幌区総代人通常会についてみると、前年度の決算と新年度の予算案等をわずか二日でほぼ区役所原案通,「今や本道の町村は頗る発達し、自治問題さへ起りたるに、斯る無力の総代人を置くは町村政治の上に何等の効をも,急に自治制を布くとすれば言ふを要せざれども、尚ほ早しとすれば責めて総代人規則に改正を加へて、今日よりも
新札幌市史 第3巻 通史3 (小作人相互規約)

小作人の統制・管理を強化するために、前記の「小作取締規則」第六条にもあるように、小作人の互選による小作総代人制度,の徹底を目指して、「小作総代人心得」なるものを制定したのである。  ,この心得によれば、二人置かれる総代人の最大の使命は、農場管理者の指示によりその受持区域内の「小作人ヲ取締,みてきたように、前田農場の小作人たちは、農場側との小作契約書のほかに「小作取締規則」の適用を受け、さらに小作総代人,たとえば小作総代人制についてみれば、「札幌支庁管内ニ於テ篠路村ニハ小作人等ハ総代ナルモノヲ置キ地主ト小作人
新札幌市史 第2巻 通史2 (檀家の区域)

もう一つ例示すれば、経王寺は市中のほか、山鼻・琴似・白石・月寒・苗穂・平岸・豊平の各村からも総代が出ている,苗穂村の大谷派説教場は、苗穂村住民のほか丘珠・札幌・雁来から檀家総代が出ており、四村を区域としていることを,これを次の時代も含めて例示すると、前出の石川正蔵は中央寺の檀家総代に名を連ね、ついで新善光寺の檀家総代
新札幌市史 第2巻 通史2 (消防組)

この時被害区民から消防組への非難がわだかまりとなって、ついに同年十二月消防組による総代人岩井信六宅と北門新報社暴行事件,発端は二十六年度警備費(消防費)予算削減の発議を札幌区総代人会で岩井総代人が行ったことにあった。,の弊風を改めるべく出初式や消防の手当を廃止しようとする発言は、論議の末被服費の削減で議決したが、その総代人会議
新札幌市史 第7巻 史料編2 (件名目次)

  一一七 区町村総代人の創定(明治一一年四月二二日)…1011   一一八 総代人選挙法及び総代人心得書,  一二七 山口村の総代人選出(明治一六年四月一一日)…1025   一二八 市街総代人の減員案,  一三二 村総代人の名簿(明治一七年九月一〇日)…1029   一三三 町総代人会の議決事項(, 豊平村総代人、被選挙権選挙権者人数(明治二二年一二月三一日)…1045   一四八 総代人会統計(,一五〇 第四部総代人補欠選挙の結果(明治二三年二月一〇日)…1046   一五一 村総代人の報道記事
新札幌市史 第7巻 史料編2 (一 区・戸長役場)

身分取扱(明治七年二月二三日)  二二 市中副戸長の入札(明治七年五月一二日)  二三 区長戸長総代,(明治七年七月九日)  二六 区戸長以下の改正(明治七年九月一三日)  二七 円山村副総代の入札(,明治八年一月九日)  二八 戸長等職員録(明治八年一二月二四日)  二九 上手稲村に副総代を増員(,明治九年二月一七日)  三〇 正副戸長の登用(明治九年八月一日)  三一 総代の登用(明治九年一〇,差免(明治一一年三月一九日)  三五 区戸長職務章程の施行(明治一一年五月二八日)  三六 従前の総代副総代
新札幌市史 第3巻 通史3 (小作取締規則)

ケル道路、橋梁、排水路ノ小修繕ヲナシ且掃除ヲ怠ラサルモノトス 第陸条  小作人取締ノ為メ小作地内ニ小作総代人,ヲ置ク此総代人ハ小作人ノ互選ヲ以テ定メ任期ハ貳箇年トシ満期再選スルヲ得但小作総代人ヘハ事務ノ繁閑ニヨリ
新札幌市史 第3巻 通史3 (拓北農場の売却問題)

人物から「今回貴農場を拙者等引受け売却致すべきに付一応貴兄等の意見を承り度く就ては二十六日午後六時頃総代人全部,驚いた農民側は、総代人を選んで東政太郎や農場管理人の佐々木政吉に面会して種々調査した結果、岩崎家では拓北農場
新札幌市史 第2巻 通史2 (丘珠村と白石村の「自治」)

伍長会は総代人が招集し、①村費等級賦課・調査、②学校営繕、③道路・橋梁、④衛生、⑤氏神神社、⑥公共事業,また村民は「伍長会に出席して意見を述(のぶ)ること」(第七条)ができ、さらに「毎年一月村総代集会を開き,このように丘珠村の「伍長会」は、毎年一月に村民が集合して総代集会を開き、事業・会計報告を行うなど、林顕三,丘珠村では一月に年一回の総代集会が開かれていたが、同様の集会は白石村でも認められた。,総代人、学校世話人、公有財産取扱人の選挙もこの集会の際に行われ、二十二年十月十六日の臨時会には二四人が
新札幌市史 第2巻 通史2 (長専寺の場合)

なお願出人中の檀家総代は平岸村民であるが、同書によれば創立時の檀家戸数一〇一戸のうち、本村一五戸、番外地,しかし、『北海道毎日新聞』には、篠路・丘珠村檀信徒総代人によって、大谷派寺院設立願の提出されていることが
新札幌市史 第3巻 通史3 (町村制の整備)

政府はこの時点で三勅令を一体的に運用し、開拓使以来残存させていた戸長総代人制を全面的に廃止し、新しい区町村制,こうした動きをみると、道庁では一級町村制のみを施行し、二級町村制は廃止し、戸長総代人制を修正存続させようと,そこで道庁はこれの全文改正をはかって、戸長総代人制による現状を踏まえた新しい二級町村制の早期実現をめざすことになる,一 総代人制度ノ不備ナルコト ニ 町村費賦課徴収方法ノ不完全ナルコト 三 戸長制度ノ不完全ナルコト
新札幌市史 第2巻 通史2 (協議費)

たとえば十七年度の札幌市中協議費予算の費目は、総代人集金費、藻岩学校費、同第一分校費、学務委員費、区内衛生費
新札幌市史 第5巻 通史5上 (宗教法人令による神社)

北海道神社庁は、三月十六日に神社規則の作成、氏子崇敬者総代の選任、宮司の任命などについての通達を各神社,二十二年には神職総代平和大会が行われ、二十三年の神職並総代会では、神社本庁の教化課長による「神社の本質
新札幌市史 第2巻 通史2 (区役所の庁舎)

新庁舎は洋風二階屋であり、区役所の傍らには総代人の会議等集会に用いる町会所が置かれた。
新札幌市史 第2巻 通史2 (下水の整備)

下水工事は二十一年臨時総代人会で漸次布設することが評決され本格化した。,下水はともすると掃除が行届かず夏期腐敗して悪臭を発することから、二十九年区総代人常集会で下水掃除疏水請負
新札幌市史 第3巻 通史3 (施行地)

一、二級町村制以前の現札幌市域には、郡区町村編制法による、いわゆる戸長総代人制の村が札幌区を取り巻くように,               人口四七九六人  この両度の施行指定により、現札幌市域では郡区町村編制法による戸長総代人制,、市制に変わる大正十一年八月一日までを区制期と呼んだが、実態は現札幌市域に、郡区町村編制法による戸長総代人制
新札幌市史 第2巻 通史2 (明治二十年代の公認神社)

豊平村の総代人をつとめた阿部仁太郎が、郷里青森県猿賀神社の祭神上毛野君田道命をまつり、さらに山の神である
新札幌市史 第2巻 通史2 (戸長制と札幌市中の事務)

それにともなって六月二十三日札幌の区戸長総代たちも名称月給が改正された。,戸長佐藤は副区長に、副戸長高木宗三郎・管野宜静は戸長に、町用掛富田貞賢・堺伝助・渡辺富作は総代に、ほかに,伍長から五人が副総代に任命された。
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌区役所の成立)

1・2・3小区副区長) 戸長 管野宜静 副戸長 堺伝助, 富田貞賢, 橋爪正夫 総代,高木宗三郎(第1大区副区長) 戸長 山口重次郎 副戸長 森本清七, 中川和吉 総代,役員 区長 重久安都男 副区長 高木宗三郎 副戸長 森本清七, 中川和吉 総代
新札幌市史 第2巻 通史2 (戸長役場の設置)

村用係は従来の副戸長、総代、副総代の経験者が多いが、これは民意の反映というより、実務や村事情に詳しいことにより
新札幌市史 第2巻 通史2 (新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)

       区入費から協議費へ 総代人会の設置と役割   第四節 札幌都市計画の進展…148,伍長        副戸長の設置 白石村の伍組と伍長 伍長制の改変と廃止     二 新副戸長と総代,、副総代        新副戸長と総代、副総代の設置 平岸村の副戸長問題 円山村の副戸長選考 兵村の,副戸長設置        副戸長の兼務 村費 地価創定 総代、副総代の廃止 戸長の任命     三,       総代人と名望家支配 代表的な総代人たち 村規約と自治 丘珠村と白石村の「自治」     
新札幌市史 第7巻 史料編2 (新札幌市史 第七巻 史料編二/目次)

  育…833  三 宗  教…895   六 行政組織  一 区・戸長役場…927  二 総代人制度
新札幌市史 第2巻 通史2 (村規約と自治)

二 公共事業上、町村総代人に於て諮問する事あるときは之れに対し意見を述べ又は共力する事。,二十五年に第四区組長、二十六年に第一~五区の組長当選の史料もあり(同前 一〇五二頁)、総代人の補佐機関
新札幌市史 第4巻 通史4 (依法調停期)

八月二十五日、札幌地方裁判所の小野寺判事は、争議の当事者である篠路村(横岳資行村長)と小作人(総代野口利吉他三名
新札幌市史 第2巻 通史2 (授業料)

各校に示された「公立第一小学校則」第五条で、授業料について月額上等三〇銭、下等一〇銭とし、等位は戸長・総代等
新札幌市史 第2巻 通史2 (龍雲寺の場合)

また願人中檀家総代はすべて篠路村民であり、村落寺院といえども数カ村が組合って出願した第五編(第七章)の
新札幌市史 第2巻 通史2 (組頭坂野元右衛門)

そして今度は庄内藩の浜益村開墾にともない再び来道し、一〇戸二四人の百姓総代をつとめた。
新札幌市史 第2巻 通史2 (三吉神社の創立)

ついで十五年六月に村社昇格願を木村ほか信徒総代および同神社祠掌若林嘉倫の名で正式に提出したが、この際の
新札幌市史 第4巻 通史4 (創成小学校附属幼稚園から札幌女子尋常高等小学校附属幼稚園へ)

開園へ向けての具体的な動きを紹介すると、同年三月、札幌区町総代人は北海道庁に対して創設費四〇〇円の補助金,札幌区立小学校生徒授業料及附属幼稚園幼児保養料徴収細則」(明25・12)の規定によって、月額六〇銭と定められた(札幌支庁第一課編 総代人必携,この決定に先だつ同年二月、区総代人、学務委員が同校校長小林到を交え、三十一年度の予算に関する協議を行ったが
新札幌市史 第2巻 通史2 (仏教各宗連合会の結成)

しかし開会式において、中央寺住職の小松万宗が寺院総代、創立委員総代として祝辞を述べており、当然寺院側の
新札幌市史 第3巻 通史3 (新制度の内容)

それだけに三十年公布の二級町村制にくらべ、旧来の戸長総代人制に近似する方向に進んだことになり、北海道の,地方制度は、区制と一級町村制、二級町村制と戸長総代人制の両面を併存していくことになった。
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌市街大下水の開削)

も、此際引続御着手相願度情実、左之次第に候間、目下事業の御都合甚だ可然候得共、市街之状態御了察之上、総代人共,結局九月十七日土木課から「右は、事業の都合を以て、漸次着手可相成義に存候条、右様御含区内総代人共へ、可然御達置相成度候
新札幌市史 第2巻 通史2 (祖霊社「東雲祠」の創建)

ついで十八年二月二十四日付で若林嘉倫ほか一人を発起人とし、石川正蔵、水原寅蔵、田中重兵衛ら六人を信徒総代
新札幌市史 第2巻 通史2 (神輿の市中渡御)

この伺による神輿の渡御は翌十二年から行われたが、初期神輿巡行等の世話人は、総代人の中から選ばれたようである
新札幌市史 第2巻 通史2 (小学校の設立事情)

同校は二十三年二月に、平岸村総代人二人の連署をもって「小学校設置願」を戸長あて提出したが、その中で設置,学校新築に関しては同年九月早々から総代人中目文平の日記にみえる。
新札幌市史 第2巻 通史2 (市民意識の継承)

また十六、七年の豊平川の堤防建設の際、市街総代が連署してわざわざお礼の文書を差し出すということがあった
新札幌市史 第2巻 通史2 (区入費から協議費へ)

次いで十五年には協議費と改称され、十六年には協議費の総代人による議決の方法などが定められ(同前)、まだ
新札幌市史 第2巻 通史2 (山口村の成立)

山口村は当時下手稲村に属し、十四年九月に山口県から宮崎源治右衛門を総代とする植産会社の人々が移住したことに
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