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新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 総代人制度)
二
総代人
制度 一一七 区町村
総代人
の創定(明治一一年四月二二日) 一一八
総代人
選挙法及び
総代人
心得書,(明治一一年六月二五日) 一一九 区
総代人
の選挙(明治一三年五月一三日) 一二〇
総代人
の改選法(,明治一三年八月二〇日) 一二一 町村
総代人
の改選(明治一三年一一月八日) 一二二 町
総代人
の呼称(,) 一二五
総代人
会の議事(明治一五年九月一九日) 一二六
総代人
集会の方法(明治一六年四月九日),) 一三一 町
総代人
の名簿(明治一七年九月一〇日) 一三二 村
総代人
の名簿(明治一七年九月一〇日) / 二
総代人
制度
新札幌市史 第2巻 通史2
(総代人会)
総代人
会 札幌県治の下で、札幌区に区町村会法の一部適用の動きはあったが、実現をみぬまま
総代人
制度が住民唯一,
総代人
は区長の提出する金穀(財政)、公借金、共有物取扱(区有財産)、土木起工等に関する議案を協議し評決,区長またはその代理人が
総代人
会の会長となり、議事の進行にあたるとともに評決結果の取扱い方を判断する責任者,
総代人
は札幌区内を四部に分け各部から二人ずつ計八人を投票によって選出した。,次に道庁治以降の
総代人
名を『札幌区史』から再録しておく。 /
総代人
会
新札幌市史 第2巻 通史2
(総代人と名望家支配)
総代人
と名望家支配
総代人
制は村治につき戸長の諮問機関として明治十三年十一月に設置されて以来、二級町村制,
総代人
の被選挙権は
総代人
選挙法で一〇〇円以上の地券を有する者とされたので、やはり一〇〇円ないし二〇〇円以上,発寒村の
総代人
で品行は方正と云難し、名望は薄しと低評価しかうけていない人物が、三期以上にわたり
総代人
に,表11は一七カ村の
総代人
の変遷を示したものである。,表-11 各村
総代人
の変遷(明治13年~39年) その1 表-11 各村
総代人
の変遷 その2 /
総代人
と名望家支配
新札幌市史 第2巻 通史2
(代表的な総代人たち)
山鼻村の初期の
総代人
はすべて伏見から選ばれており、屯田兵村から出されていない。,十三年に
総代人
になって以来、途中わずかの中断はあるものの、
総代人
制最後の三十九年まで重任しつとめあげた,(『円山百年史』は終始
総代人
であったとする)。,十六年以降
総代人
となり、病気の間は子息の幣治が
総代人
をうけつぎ、三十五年の二級町村制の施行で
総代人
の廃止,表-12
総代人
員、選挙権・被選挙権所有者 村 名
総代人
員 選挙権所有者 被選挙権所有者 上白石・白石 / 代表的な
総代人
たち
新札幌市史 第2巻 通史2
(総代人会の設置と役割)
総代人
会の設置と役割 札幌ではしばらくの間、他県では近世以来の町村寄合を引き継いだような住民会議は開,されることになり、十一年六月
総代人
を選挙する方法を決定した。,この
総代人
は現在の市町村議員に相当するものである。,また小区においても二~四人の
総代人
が町村
総代人
の中から希望者が互選されることになった(同前)。 ,そこで札幌区役所では十三年新たに全町村
総代人
を改選し、その内の希望者から
総代人
たちの選挙で区
総代人
を選出 /
総代人
会の設置と役割
新札幌市史 第2巻 通史2
(自治のない区)
当面の対応として
総代人
会の機能をより住民に密着させる改善意見が生まれ、
総代人
の補助機関として住民公選の,代表者による協議会を設けたり、村中寄会の伝統を生かす村総会を定期的に開いて、議決した内容を
総代人
が尊重,二十八年の札幌区
総代人
通常会についてみると、前年度の決算と新年度の予算案等をわずか二日でほぼ区役所原案通,「今や本道の町村は頗る発達し、自治問題さへ起りたるに、斯る無力の
総代人
を置くは町村政治の上に何等の効をも,急に自治制を布くとすれば言ふを要せざれども、尚ほ早しとすれば責めて
総代人
規則に改正を加へて、今日よりも
新札幌市史 第2巻 通史2
(消防組)
この時被害区民から消防組への非難がわだかまりとなって、ついに同年十二月消防組による
総代人
岩井信六宅と北門新報社暴行事件,発端は二十六年度警備費(消防費)予算削減の発議を札幌区
総代人
会で岩井
総代人
が行ったことにあった。,の弊風を改めるべく出初式や消防の手当を廃止しようとする発言は、論議の末被服費の削減で議決したが、その
総代人
会議
新札幌市史 第3巻 通史3
(小作人相互規約)
小作人の統制・管理を強化するために、前記の「小作取締規則」第六条にもあるように、小作人の互選による小作
総代人
制度,の徹底を目指して、「小作
総代人
心得」なるものを制定したのである。 ,この心得によれば、二人置かれる
総代人
の最大の使命は、農場管理者の指示によりその受持区域内の「小作人ヲ取締,みてきたように、前田農場の小作人たちは、農場側との小作契約書のほかに「小作取締規則」の適用を受け、さらに小作
総代人
,たとえば小作
総代人
制についてみれば、「札幌支庁管内ニ於テ篠路村ニハ小作人等ハ総代ナルモノヲ置キ地主ト小作人
新札幌市史 第3巻 通史3
(小作取締規則)
ケル道路、橋梁、排水路ノ小修繕ヲナシ且掃除ヲ怠ラサルモノトス 第陸条 小作人取締ノ為メ小作地内ニ小作
総代人
,ヲ置ク此
総代人
ハ小作人ノ互選ヲ以テ定メ任期ハ貳箇年トシ満期再選スルヲ得但小作
総代人
ヘハ事務ノ繁閑ニヨリ
新札幌市史 第7巻 史料編2
(件名目次)
一一七 区町村
総代人
の創定(明治一一年四月二二日)…1011 一一八
総代人
選挙法及び
総代人
心得書, 一二七 山口村の
総代人
選出(明治一六年四月一一日)…1025 一二八 市街
総代人
の減員案, 一三二 村
総代人
の名簿(明治一七年九月一〇日)…1029 一三三 町
総代人
会の議決事項(, 豊平村
総代人
、被選挙権選挙権者人数(明治二二年一二月三一日)…1045 一四八
総代人
会統計(,一五〇 第四部
総代人
補欠選挙の結果(明治二三年二月一〇日)…1046 一五一 村
総代人
の報道記事
新札幌市史 第3巻 通史3
(拓北農場の売却問題)
人物から「今回貴農場を拙者等引受け売却致すべきに付一応貴兄等の意見を承り度く就ては二十六日午後六時頃
総代人
全部,驚いた農民側は、
総代人
を選んで東政太郎や農場管理人の佐々木政吉に面会して種々調査した結果、岩崎家では拓北農場
新札幌市史 第2巻 通史2
(協議費)
たとえば十七年度の札幌市中協議費予算の費目は、
総代人
集金費、藻岩学校費、同第一分校費、学務委員費、区内衛生費
新札幌市史 第3巻 通史3
(町村制の整備)
政府はこの時点で三勅令を一体的に運用し、開拓使以来残存させていた戸長
総代人
制を全面的に廃止し、新しい区町村制,こうした動きをみると、道庁では一級町村制のみを施行し、二級町村制は廃止し、戸長
総代人
制を修正存続させようと,そこで道庁はこれの全文改正をはかって、戸長
総代人
制による現状を踏まえた新しい二級町村制の早期実現をめざすことになる,一
総代人
制度ノ不備ナルコト ニ 町村費賦課徴収方法ノ不完全ナルコト 三 戸長制度ノ不完全ナルコト
新札幌市史 第2巻 通史2
(区役所の庁舎)
新庁舎は洋風二階屋であり、区役所の傍らには
総代人
の会議等集会に用いる町会所が置かれた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(下水の整備)
下水工事は二十一年臨時
総代人
会で漸次布設することが評決され本格化した。,下水はともすると掃除が行届かず夏期腐敗して悪臭を発することから、二十九年区
総代人
常集会で下水掃除疏水請負
新札幌市史 第3巻 通史3
(施行地)
一、二級町村制以前の現札幌市域には、郡区町村編制法による、いわゆる戸長
総代人
制の村が札幌区を取り巻くように, 人口四七九六人 この両度の施行指定により、現札幌市域では郡区町村編制法による戸長
総代人
制,、市制に変わる大正十一年八月一日までを区制期と呼んだが、実態は現札幌市域に、郡区町村編制法による戸長
総代人
制
新札幌市史 第2巻 通史2
(明治二十年代の公認神社)
豊平村の
総代人
をつとめた阿部仁太郎が、郷里青森県猿賀神社の祭神上毛野君田道命をまつり、さらに山の神である
新札幌市史 第7巻 史料編2
(新札幌市史 第七巻 史料編二/目次)
育…833 三 宗 教…895 六 行政組織 一 区・戸長役場…927 二
総代人
制度
新札幌市史 第2巻 通史2
(村規約と自治)
二 公共事業上、町村
総代人
に於て諮問する事あるときは之れに対し意見を述べ又は共力する事。,二十五年に第四区組長、二十六年に第一~五区の組長当選の史料もあり(同前 一〇五二頁)、
総代人
の補佐機関
新札幌市史 第4巻 通史4
(創成小学校附属幼稚園から札幌女子尋常高等小学校附属幼稚園へ)
開園へ向けての具体的な動きを紹介すると、同年三月、札幌区町
総代人
は北海道庁に対して創設費四〇〇円の補助金,札幌区立小学校生徒授業料及附属幼稚園幼児保養料徴収細則」(明25・12)の規定によって、月額六〇銭と定められた(札幌支庁第一課編
総代人
必携,この決定に先だつ同年二月、区
総代人
、学務委員が同校校長小林到を交え、三十一年度の予算に関する協議を行ったが
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌市街大下水の開削)
も、此際引続御着手相願度情実、左之次第に候間、目下事業の御都合甚だ可然候得共、市街之状態御了察之上、
総代人
共,結局九月十七日土木課から「右は、事業の都合を以て、漸次着手可相成義に存候条、右様御含区内
総代人
共へ、可然御達置相成度候
新札幌市史 第3巻 通史3
(新制度の内容)
それだけに三十年公布の二級町村制にくらべ、旧来の戸長
総代人
制に近似する方向に進んだことになり、北海道の,地方制度は、区制と一級町村制、二級町村制と戸長
総代人
制の両面を併存していくことになった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵村の副戸長設置)
副総代は伏見の居住者から出す原則がたてられたようであり、この原則は
総代人
制にも踏襲されている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(神輿の市中渡御)
この伺による神輿の渡御は翌十二年から行われたが、初期神輿巡行等の世話人は、
総代人
の中から選ばれたようである
新札幌市史 第2巻 通史2
(長専寺の場合)
しかし、『北海道毎日新聞』には、篠路・丘珠村檀信徒
総代人
によって、大谷派寺院設立願の提出されていることが
新札幌市史 第2巻 通史2
(小学校の設立事情)
同校は二十三年二月に、平岸村
総代人
二人の連署をもって「小学校設置願」を戸長あて提出したが、その中で設置,学校新築に関しては同年九月早々から
総代人
中目文平の日記にみえる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(区入費から協議費へ)
次いで十五年には協議費と改称され、十六年には協議費の
総代人
による議決の方法などが定められ(同前)、まだ
新札幌市史 第2巻 通史2
(新善光寺)
札幌の商人であり、区
総代人
でもあった石川正蔵の『公私諸向日誌簿』十五年十一月十五日の項に「大谷玄超ナルモノ
新札幌市史 第2巻 通史2
(教育勅語、「御真影」と奉置所)
男子生徒軍歌ヲ奏シ陛下ノ万歳ヲ三呼シ一同最敬礼ヲナシ小官閉扉(後略) なお、この式には郡長代理、戸長、
総代人
新札幌市史 第2巻 通史2
(書画骨董会)
また当時
総代人
であった石川正蔵の『公私諸向日誌簿』十六年十一月十一日の項には、「東京庵ニ於テ書画会有之
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌茨戸間の馬車鉄道)
その後四十二年十一月に発起人
総代人
の七条良実が上京し、関係各省へ認可速成を陳情し(北タイ 明42・11
新札幌市史 第2巻 通史2
(清潔法の実施)
しかし、当時の区民たちは清掃の義務観念に乏しく清潔法が徹底されなかったため、二十九年には
総代人
を衛生係
新札幌市史 第2巻 通史2
(生活環境の整備)
そのため恒久的施設として、安い木造の大下水から多少高価であるが石造の大下水へ変更するための相談が
総代人
会
新札幌市史 第2巻 通史2
(丘珠村と白石村の「自治」)
伍長会は
総代人
が招集し、①村費等級賦課・調査、②学校営繕、③道路・橋梁、④衛生、⑤氏神神社、⑥公共事業,
総代人
、学校世話人、公有財産取扱人の選挙もこの集会の際に行われ、二十二年十月十六日の臨時会には二四人が
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌新聞の創刊)
伊藤、石川は共に著名な実業人であり、かつ
総代人
等の公職もつとめた有力者である。
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村の動向)
際出役できぬ時は人夫を雇うか代価を出金のこと、(三)集会への遅刻、欠席者は決議に従うこと、(四)決議は
総代人
新札幌市史 第2巻 通史2
(財政収入)
実施したのは札幌ほか四カ村で、 土木事業の如きは最も多額の費を要するより、客年(二十七年)十二月各村
総代人
会,白石村でも二十九年に、耕宅地一反歩につき三銭以下を賦課することを
総代人
会で議決しており(しかし予算では
新札幌市史 第3巻 通史3
(初選挙)
総代人
制度を取捨し札幌区会を成立させる経緯をここでみることにする。 ,この人数を最後の
総代人
選挙と対比すれば、被選挙権者で一五一人の大幅増をみたが、選挙権者は一五九人の減少
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
町役人時代の執務場所 市(町)会所・区務所の位置と名称 区役所の庁舎 三 協議費と
総代人
制, 区入費から協議費へ
総代人
会の設置と役割 第四節 札幌都市計画の進展…148, 郡区と町村 区役所
総代人
会 区費 二 自治への胎動 自治,戸長役場と戸長 戸長役場の移転と分立 戸長の任免と村民との対立 二 村自治と
総代人
,
総代人
と名望家支配 代表的な
総代人
たち 村規約と自治 丘珠村と白石村の「自治」
新札幌市史 第2巻 通史2
(市民意識の喚起)
たとえば新聞記事であるためまだ事件の詳細は不明だが、二十八年に大下水工事などに手抜き工事が発覚し、
総代人
会
新札幌市史 第2巻 通史2
(区費)
こうした租税負担の内、
総代人
会を通して住民が意志表示できたのは協議費(賦課金)であり、これを主要な資金,2.明治22年度は『札幌区史』から決算、32年度は『
総代人
必携』から予算をとり作成。
新札幌市史 第4巻 通史4
(区制から市制へ)
から北海道は除外されたままで、町村は一級、二級町村制という特別自治制であり、それすら施行されない戸長
総代人
制
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村と大谷地・厚別の発展)
彼は豊平村の
総代人
、消防組組頭、郵便局長をつとめた豊平村の草分けであるが、ここに農場を開いて以来、厚別
新札幌市史 第2巻 通史2
(政治・社会問題等演説会)
~28 大黒座 青柳 捨三郎 起きよ北海道民殖民鉄道布設案に就て/政府と帝国議会の現状/当区消防夫と
総代人
,聴衆五〇〇余人 成田 熊太郎 立憲治下の民 外川 水哉 泣いて区民諸氏に訴ふ 田沼 吉三郎 区
総代人
会
新札幌市史 第2巻 通史2
(物価高と物資の欠乏)
この状態をみた札幌の
総代人
は、現地調査を行ったり、また札幌本庁でも協議の結果、義経号、弁慶号の二両を往復
新札幌市史 第4巻 通史4
(道会の論議)
区制と一級町村制は府県の市制町村制に類似するが自治権に差があり、いわんや二級町村制と戸長
総代人
制においては
新札幌市史 第2巻 通史2
(郡区と町村)
今日の中央区中島公園一帯は山鼻村の学田地であったが、ここに遊園地を設置すべく札幌区
総代人
会の計画を道庁
新札幌市史 第2巻 通史2
(山口・広島県からの移住)
ニテ日雇稼ノ者弁利之所モ有之、彼是ニテ上手稲村山口村へ移住致度者モ多数有之ニ付、本人等之好ニ任セ山口村
総代人
等
新札幌市史 第2巻 通史2
(区役所)
事務室に充て、楼上を分って二室となし、一は小にして地理実測係が地図調製等に用い、一は大にして会議及び
総代人
会
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
また,上記各種選挙制度の実施される前の戸長や
総代人
制についても同書に詳しいので参照されたい。
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