• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 8件
辞書ファセット
/ 1ページ
新札幌市史 第3巻 通史3 (大審院判決と自由廃業)

大審院判決と自由廃業 明治三十三年(一九〇〇)二月二十三日、大審院は函館の娼妓坂井フタの廃業訴訟に、,これを受けて救世軍の山室軍平等は、同年八月から娼妓の自由廃業を唱えて運動を開始し、自由廃業の気運が全国的,札幌の貸座敷営業者たちは、自由廃業防止の先手を打つために薄野貸座敷組合の臨時総会を開いたりしたが(道毎日,娼妓の自由廃業を法律で保障したのが、同年十月二日の内務省令第四四号の「娼妓取締規則」である。,この規則により娼妓の廃業が簡易化し、自由廃業が認可されることとなり、娼妓の廃業が全国的に広がった。 / 大審院判決と自由廃業
新札幌市史 第3巻 通史3 (廃娼運動)

三十三年二月の函館の娼妓坂井フタが廃業訴訟で勝訴すると、山室軍平率いる救世軍が同年八月娼妓の自由廃業を,三十三年九月に薄野遊廓でも娼妓の自由廃業第一号が出て以来、前述したごとく廃業するものがあとをたたなかった,(北タイ 明34・12・7)  このピアソン夫人の救済は、自由廃業を切望する娼妓たちの光明となった。,自由廃業した娼妓を収容する施設、すなわち更生施設が必要であった。,このため、自由廃業した娼妓は行き場を失い、元の遊廓に戻るのだった。
新札幌市史 第3巻 通史3 (営業主の巻返しと廃業娼妓)

営業主の巻返しと廃業娼妓 娼妓の自由廃業が認められて以来、貸座敷営業主は娼妓の引止め策として、待遇改善,しかし、表11でみたように自由廃業する娼妓はあとをたたず、三十三年十二月末までに三七〇余人の娼妓のうち,一三〇余人が自由廃業した(道毎日 明34・1・13)というくらい、「娼妓取締規則」第五条が娼妓の味方となった
新札幌市史 第8巻1 統計編 (総説)

1900年(明33)2月,函館の娼妓坂井フタの廃業訴訟が大審院で勝訴となり,これを境に娼妓の自由廃業が,娼妓の自由廃業運動の結果を受けて内務省は,同年10月「娼妓取締規則」を出して,これまで各府県ごとに異なっていた,規定を統一し,娼妓の年齢制限を16歳から18歳に引き上げ,はじめて自由廃業の規定を明文化した。  
新札幌市史 第3巻 通史3 (娼妓の実態)

にはいわゆる「女紅場(じよこうば)」(娼妓更正のための教育施設)は設けられなかったが、三十三年の娼妓の自由廃業続出後娼妓引止策
新札幌市史 第4巻 通史4 (娼妓の実態)

ところが稼業中妊娠したため自由廃業を営業主に申し出たが応じられず、悲嘆のあまり十四年四月豊平川に投身自殺
新札幌市史 第3巻 通史3 (新札幌市史 第三巻 通史三/総目次)

授産場        札幌育児園 細民調査事業     三 廃娼問題        大審院判決と自由廃業
新札幌市史 第3巻 通史3 (図版・写真・表組一覧)

頁) 表-9 公設市場販売状況 (564頁) 表-10 職業紹介所紹介件数 (565頁) 表-11 自由廃業
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました